Fragment-memory of moonlight-

黒乃

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第三話

第四十二節 努力を受容する

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 シャサールとバーで酒を共にした翌日。痛む頭を押さえながら、ヴァダースは書類業務に取り掛かっていた。自分が飲んでいたのはただのノンアルコールカクテルだったはずだ。恐らくこの頭痛の原因は、シャサールが最後に放った言葉に考えさせられすぎたせいだ、そのはずだ。

 ******

「嫉妬ってね、そりゃあ最初こそは嫌な感情だし耐えられなくなるくらい苦しいこともあるけど……。嫉妬が転じて、その人のことを好きだって思うこともあるの」

 彼女の言葉を正確に理解できない自分がいた。頭の中でその言葉を噛み砕いて、それでもやはり納得ができずに思わず聞き返す。後にも先にも、あんな声を出したのはその時が初めてだ。

「は……はあ!?」

 意味が分からない、単純にそれだけだった。冷静に考えてみても、感情のベクトルがまるで逆方向ではないかと。しかしシャサールはあくまでも冷静に語る。

「驚くことじゃないわ。そういうこともあるってことよ」
「そんなの、理屈として成り立たないのでは……!?」
「あら、感情なんて最初から理屈じゃ成り立たないものよ?」
「しかし……」
「ま、最初からアンタに理解しろって言っても酷な話だろうけどね。そういうこともあるんだってくらいに考えとけばいいのよ」

 人の気も知らないで。恨み言の一つや二つをぶつけたくなったが、彼女に言ったところで軽く躱されてしまうだろう。ため息一つで返事を返してノンアルコールを煽ったが、その後の味は何だかぼやけてよく覚えられなかった。

 ******

 シャサールとバーで別れた後も、彼女の言葉が頭にこびりついて離れなかった。いくら考えても理屈が理解できない。どうして嫉妬から好意が生まれるのか、理解に苦しむ。嫉妬が転じて殺意に変わるのならまだしも、好意だなんて。世の中には愛情の裏返しなんて言葉もあるが、そんなことがあってたまるか。

 そんなことを考えながら、その日のヴァダースは一刻も早くシャサールの言葉を忘れるために、書類仕事に勤しんでいた。その様子が鬼気迫るものだったものかは不明だが、おずおずといった様子で彼の頭痛の元凶の一つでもあるメルダーがヴァダースに話しかける。

「あ……あの、ダクターさん……?」
「なんですか」

 まるで八つ当たりでもするかのような声色でつい返事をしてしまい、当のメルダーは多少涙目になりながら縮こまる。……いや、彼にあたっても仕方のないことではあると、理解はしているのだが。

「その、頼まれていた資料が整理できたのでって……言いたくて……」
「……、ああ、そうでしたね。預かりましょう」

 ぷるぷると、まるで小犬のような態度をとられてはこちらも罪悪感を抱いてしまうというもの。目の前にいたメルダーから資料を受け取ると、視線の先に包帯で手当てをされた後の彼の首筋が見えてしまった。一瞬顔をしかめたヴァダースに、メルダーも彼が何を見たのか気付いたのだろう。苦笑しながら、大丈夫だと笑う。

「この間の実験の時に、少しだけ失敗しまして。大したことはないんですよ?」
「……その。実験の内容を聞いても?最高幹部として、一応内容は把握しておきたいので」

 建前のように告げるが、その実メルダーの身を案じていることは本当だ。人体実験だなんて、碌なことがないだろうにと小さく唇を噛む。メルダーは相変わらず大したことがない、なんて笑顔を見せながら説明した。

 メルダーの血に含まれていると言われている転移の能力を知るため、最初は彼の血液を調べることになったのだと。生物に関しては専門外であるキゴニスだが、ローゲの協力もあって調べが進んでいるのだそうだ。
 彼の血液の遺伝子情報を調べた結果、通常の人間とは少し違った遺伝子が含まれていることが発覚した。その遺伝子が実は、大昔に滅びてしまったとある種族のものと一致したらしい。

 その後文献を調べて発覚したことだが、その種族はとりわけ"記憶する能力"に特化した種族であったらしい。記憶されるのは自身の身体だったり血だったりと、媒体は様々だった、と。恐らくメルダーの先祖がその一族の末裔であり、隔世遺伝としてその能力が開花したのではないか、というのがローゲの見解だとメルダーは話す。

「思えば確かに、以前話した俺が大事に思っている子も、似たような能力を持っていたんです。俺とは違って、その子は他人に擬態するのが能力みたいだったけど。それもある種の"記憶する能力"かなって」
「そうですか……」
「ああ、それで実験の内容についてですよね。俺の血にある能力の遺伝子情報が分かったってことで、次はそれを鉱石に転写させるか融合させるかってところなんですけど。ただそれらが見つかっていないってのが今、一番の問題なんですよねぇ……」

 メルダーが肩を落としてぼやく。どうも能力の遺伝子情報を確保しておく方法が見つかっていないことから、今もまだメルダーから採血して、その血から遺伝子情報を抜いているのだと。
 加えてその遺伝子情報を鉱石に転写か融合させることで空間転移の鉱石を作成する予定なのだが、それらに適した鉱石も方法も、いまだ見つかっていない、とのこと。その結果、メルダーも連日とはいかないが短いスパンで採血をしているのだと。

「あとその能力が、どの範囲までなら効果を発揮するのかってもの検証しているんですよ。例えば実験室から修練場までは可能なのかとか、遮蔽物を隔てていても能力を発動できるのかとか」

 彼自身も試したこともなかったらしく、思ったよりは楽しく実験に参加させてもらっている、とどこか他人事であるかのように話すメルダーである。そんな彼を前に、自分は何もできないということに歯痒さを感じ得ない。

「だからダクターさんが想像しているような、命の危険があるようなことはしていないんで大丈夫ですよ」
「……油断は禁物です。人間、何があるか分からないんですから」
「それでも今のところは特に、何も変なところもないんで。だいじょう──」

 不意にメルダーの身体がふらついたことに気付く。倒れると思うよりも先に咄嗟に体が動き、メルダーを腕の中に抱え込んだ。この状態で、何が大丈夫なものか。大きくため息をつけば、我に返ったのだろう。慌てたようなメルダーの声が耳に届く。

「へぁ!?あ、あぁああすみません……!」
「こんな状態で、何が、大丈夫なんでしょうか?」
「いやその、これはたまたま……」
「馬鹿も休み休み言いなさい。短いスパンで採血をすれば、貧血になるのなんて当然でしょう?鉄剤とかもらってないんですか?」

 子供に言い聞かせる親のように厳しく問いただせば、飲むのを忘れたなんて言葉が飛んでくる。メルダーの気の抜けように再びため息をつけば、彼は謝罪の言葉を述べて離れようとした。

「残っている仕事は引き継ぎます。今日はもう休みなさい」
「で、でもそんな……ダクターさんにご迷惑をかけるわけには」
「この状況で何を今更。それに最高幹部たるもの、自己管理ができないとあっては他の者に示しがつかないと、何故分からないのです?」
「そ、それは……」

 言い淀み納得がいかないと言わんばかりのメルダー。ヴァダースは彼のそんな態度に呆れながらも、言葉を続けた。

「それに今のままでは貴方ばかりに負担がかかるというのが、個人的に気に食わないだけです。いいから宿舎の自分の部屋に戻りなさい。わかりましたね?」

 極め付けにひと睨みすれば、ようやくメルダーも観念したのだろう。しゅん、と親に叱られたあとの子供のように項垂れてから、了解と返事を受けた。幸いにも本部のアジトと宿舎はそう離れていない。己の部屋に戻ることならできるだろう。
 執務室から追い出されるかたちとなったメルダーは、しかし部屋を出る前に笑ってからヴァダースに声をかける。

「ありがとうございます、ダクターさん。それと、結局ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」
「そういうのはいいですから、早く部屋に戻って休みなさい。それと鉄剤も忘れずに飲むこと。いいですね?」
「はい。でもその……俺今日何も食べてなくて。空腹で寝れるかどうか……」

 何か食べ物を持ってきてほしい、という彼の言葉がこれでもかというほど、彼の瞳を通じて伝わってくる。無視することもできずに、今度はこちらが観念する形で了承することに。

「……わかりました。あとで何か持たせますよ」
「へへ、ありがとうございます。わがまま言ってすみません」
「倒れられるよりはマシです」
「はい。それじゃあ、お疲れ様です」
「ええ」

 一礼してから部屋を出たメルダーと入れ替わるかたちで、今度はシャサールが入室してきた。どうやら提出する書類を持ってきたようだが、どこか含ませたような表情が、嫌に鼻につく。

「ほんと、アンタってば可愛くないのね。素直にメルダーのことが心配だって、言えばいいのに」
「なんのことか、さっぱりわかりかねます」
「自分の迷惑になってる、なんて言っちゃって。あと若いうちからしかめっ面ばかりしてると、眉間のシワが濃くなるわよ?」

 からかいながら書類を手渡してきたシャサールに、恨みがましい視線を送る。いったい誰のせいだと。しかしそんな視線を送られても、シャサールは痛くも痒くもないようで。

「言っとくけど、昨日言ったことがアンタに当てはまるだなんて、アタシは一言も言ってないんだからね?あくまでそういうこともあるってだけですもの」
「屁理屈ばかり言わないでいただけますか。お陰で朝から頭痛が治りませんよ」
「それは責任転嫁ってやつよ。アンタが勝手に悩んでいるだけでしょ?」

 くすくす、と自分の様子がまるで楽しいと言わんばかりのシャサール。そんな彼女にいい加減嫌気がさしたヴァダースは、メルダーの仕事もあるからとさっさと彼女を執務室から追い出すのであった。
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