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第三話
第五十三節 混乱を鎮める
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カーサのアジト本部、最上階。そこにカーサのボスであるローゲの執務室がある。適当な時刻だと判断したヴァダースは、先程ローゲから命令されたように執務室へと赴いていた。ドアを三回ノックして、扉の前で来訪を告げた。
「ヴァダース・ダクター、参上しました」
「ああ、来てくれたか。入れ」
「失礼します」
ローゲの許可を得て入室したヴァダースは、ローゲのいるデスクの前まで歩き再度敬礼した。その様子を見届けたローゲは楽にしていいと告げてから、とある資料をヴァダースの前に並べた。
その資料は、先日彼に報告書と言う形で提出したものだった。どこかに不備でもあったのだろうかと考えたが、どうやら違うらしい。ローゲは資料を出し終えてから、単刀直入に話そうかと言葉を紡ぐ。
「まだ可能性の域からは出ないが、カーサ内に今だスパイが潜入しているようだ」
「な……!先程のあの男だけではなかったのですか……!?」
「彼奴の尋問には私も同席した。尋問自体は滞りなく進んだが、不可解な点がみられたのだ」
「不可解な点、ですか……?」
ヴァダースの質問に、ローゲは一つ頷く。
まず一つ。尋問の最中、工作員の人物はしきりに時間に関して発言していたそうだ。もう時間は残されていない。蛇の目はすぐそこにまで這い出て、春色を睨みつけている。そう言葉を述べていた、とのこと。
その言葉を聞いて、真っ先に感じた違和感が一つ。自分たちが睨みつけている、ということは彼らの視線の先に何者かがいる、ということになる。蛇の目は、彼ら世界保護施設のことを指しているのだろうか。
しかしその先が解せない。春色を睨みつけている、とはどういうことだろうか。
「次に違和感を覚えたのは、己が殺処分されると言い渡された時だ。その時の奴は妙に冷静だった。見方を変えれば、吹っ切れているようにも見受けられた。この状況をどう見る、ダクター?」
「……私感になってしまいますが、恐らく自分の後にもまだ仲間が存在しているということを、彼は理解していたのではないのでしょうか?自分が殺されてもまだ、他にスパイとして潜入して活動している人物がいる、と」
「で、あろうな。私も同意見だ。そこで私は一度、鎌をかけた」
「鎌を、かけたって──」
いつですか、と言葉を続けることはできなかった。ローゲの言わんとしていることを、嫌でも理解してしまったヴァダースは思わず息を呑む。
工作員の尋問から殺処分までの時刻は、多く見積もっても半日くらいだった。その間に工作員の彼を訪問した人物なんて、数が知れている。聞けばローゲのほかに彼に出会った人物は、尋問を担当した彼自身とカサドル、そして殺処分のために地下牢に訪れた己と、メルダーだけだそうだ。書類の一枚を持っていた手が震える。
言葉にしたら、それを認めてしまいそうで恐ろしく感じた。しかしローゲはそんなヴァダースの心情などいざ知らず、冷酷に言葉を続ける。
「そう。私はあの工作員を、見せしめに使った。そうすることで動揺を引き出せると思ったのだ。工作員の奥にいる人物と思われる男、メル──」
「やめてくださいっ!!」
ローゲの言葉を遮るようにヴァダースは叫んだ。嘘だ、そんなこと信じられるわけがないのだ。メルダーがまさか、そんなと。認めたくない、信じたくない。その思いが口を突いて出たあと、静寂が執務室に舞い降りる。
「お願いです、ボス……それ以上は……!」
「落ち着けダクター。私はまだ彼がスパイだと断定したわけではない。先に言っただろう、あくまで可能性の域を出ないと」
「それは、そうですが……!」
「だが目を逸らし続けていい問題ではあるまい?ゆえに、お前に命じる。今一度ここ数日の事件を秘密裏に調査し、裏に潜む人物を炙り出せ」
ローゲのその言葉はまるで、自分に対する死刑宣告のようにも思えた。しかしここで自分が動かなければ、カーサは何も進展しないまま再びあの時の惨劇が起きてしまう可能性だって否めない。
ここまで成長したカーサを、世界保護施設に蹂躙させるわけにはいかない。ぐ、と強く噛みしめた唇の端から一滴の血が滴る。
「……謹んで、拝命いたします……」
「ダクター、お前の気持ちも分からんでもない。だが、だからこそ疑い、そして己の手で見事私の疑念を晴らして見せろ」
「っ……仰せのままに……」
それからローゲから資料を改めて受け取ったヴァダースは、重い足取りで自分とメルダーの執務室まで戻る。そして入室した途端力が抜け、その場にへたり込んだ。ばさばさ、と無造作に散らばる資料たちには目もくれず、途方に暮れたまましばらくその場から動けずにいた。
──本当は、ローゲが自分たち二人を工作員の殺処分の場に読んだ時点で、胸騒ぎを覚えていた。しかし目を背けようと必死だったのだ。考えたくもない。メルダーが本当は、自分たちを裏切っているなんて。
ふと、己の唇に触れる。脳裏には彼の笑顔ばかりが浮かぶ。
……あの笑顔も、優しさも、すべてが嘘だとでも言うのだろうか。
「ッ……!」
いや、違う。違ってほしい、そうでなくてはならない。
ローゲに告げられた言葉を思い出し、己を奮い立たせる。そうだ、証明してみせる。今までと何も変わらない。メルダーがスパイであるはずがないと、今までのように証明してみせればいいのだ。
決意を取り戻したヴァダースはデスクの上にあるランプに火を灯し、手渡された書類たちに手を伸ばした。
******
それからメルダーに悟られないよう細心の注意を払いながら、ヴァダースは来る日も来る日も書類を整理しながら情報を精査した。これまでの報告書の情報を整理しながら、関連がありそうな項目をまとめていく。任務内容、調査場所、拠点付近一帯の環境、任務指示責任者などなど。あらゆる視点からの情報をヴァダースはかき集めた。
一見すると、それらの情報に関連性はないように思えた。しかし資料の端々に、気になる点が見つかったのだ。違和感を覚えた資料は、先日から頻繁に起きているアジト周辺での襲撃事件についての調査報告書たち。
まとめた報告書たちによると襲撃地に近いアジト自体に、共通点は見られない。規模も様々であり、構成員に関しても特に秀でた者や稀少な能力の持ち主がいる、というわけでもない。ただ襲撃を受けたアジトの周辺を後日改めてヴァダース自らが調査してみると、襲撃地の地下にとある痕跡が残されていることが、明らかになった。
見つかったのは、襲撃地の地下空間には人工的な空洞。中の様子を一見したところ、そこは恐らく過去の大戦で使われていた防空壕のようなものだと推察することができた。調査していくうちにそれに該当する箇所が、いくつか見受けられたのだ。加えて空洞内の造りは今現在では使用されることのない建築方法だ、とも。
そんな歴史的な作りであるにも拘らず、そこには生活感を思わせる残骸があった。床にはまだ新品を思わせる布切れや紙切れが散乱し、とある壁の一面には最近できたであろう傷や筆跡の痕。その場所にはつい最近まで誰かがいたのだという確信を持つには、十分すぎるほどの証拠の数々。
また防空壕内の一部には壁がくり抜かれた跡が残されており、そこに何かが格納されていた様子も見受けられた。その何かはわからない。実際、格納されていたであろう物は既にそこにはなかった。ただ壁の一部に気がかりになる、とある一文が残されていた。そこにはこう記されていた。
"流血の螺旋の先にこそ我らの救いはあり"
まるでまじないか詠唱のような一文。初めて見る文章だった。しかし関連がありそうな書物や文献を調べても該当する部分はなく、どれも空を掴むものばかり。ただの祈りの言葉だったのかとも考え始めていた。
そんな時たまたま手に取った報告書を眺めていた時、防空壕にあった同じ文面が記されていることに気付いた。報告書の内容は以前起きた、世界保護施設によるカーサアジト襲撃事件について。ヴァダースの過去の傷ともいえる事件の報告書に、何故その一文が記されているだろうと疑問が浮上した。
まさかあの事件にはまだ、裏があったのだろうか。
事件の当事者になっていたヴァダースは、早速調査することにした。そして調査の過程で、ある組織の名前が浮上したのだ。
"ズゥニの呪医結社"
詳細はまだ不明だが、どうやら彼らは約400年前から存在していたとされている。裏社会に身を潜め、時には政治情勢に介入したと噂されていた組織。その在り方はひどく歪なもので、殺人とは誰でも己の生命を救うためであり、生命を奪われる危険から逃れる唯一つの方法である、という理念をもとに構成されている。なるほど"流血の螺旋の先にこそ我らの救いはあり"という言葉がしっくりくる。
その結社が世界保護施設に援助または協力していた可能性がある。しかし何故そのような事態になったのか。そればかりは、いくらヴァダースが調査しても不明瞭なままであった。
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その資料は、先日彼に報告書と言う形で提出したものだった。どこかに不備でもあったのだろうかと考えたが、どうやら違うらしい。ローゲは資料を出し終えてから、単刀直入に話そうかと言葉を紡ぐ。
「まだ可能性の域からは出ないが、カーサ内に今だスパイが潜入しているようだ」
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「彼奴の尋問には私も同席した。尋問自体は滞りなく進んだが、不可解な点がみられたのだ」
「不可解な点、ですか……?」
ヴァダースの質問に、ローゲは一つ頷く。
まず一つ。尋問の最中、工作員の人物はしきりに時間に関して発言していたそうだ。もう時間は残されていない。蛇の目はすぐそこにまで這い出て、春色を睨みつけている。そう言葉を述べていた、とのこと。
その言葉を聞いて、真っ先に感じた違和感が一つ。自分たちが睨みつけている、ということは彼らの視線の先に何者かがいる、ということになる。蛇の目は、彼ら世界保護施設のことを指しているのだろうか。
しかしその先が解せない。春色を睨みつけている、とはどういうことだろうか。
「次に違和感を覚えたのは、己が殺処分されると言い渡された時だ。その時の奴は妙に冷静だった。見方を変えれば、吹っ切れているようにも見受けられた。この状況をどう見る、ダクター?」
「……私感になってしまいますが、恐らく自分の後にもまだ仲間が存在しているということを、彼は理解していたのではないのでしょうか?自分が殺されてもまだ、他にスパイとして潜入して活動している人物がいる、と」
「で、あろうな。私も同意見だ。そこで私は一度、鎌をかけた」
「鎌を、かけたって──」
いつですか、と言葉を続けることはできなかった。ローゲの言わんとしていることを、嫌でも理解してしまったヴァダースは思わず息を呑む。
工作員の尋問から殺処分までの時刻は、多く見積もっても半日くらいだった。その間に工作員の彼を訪問した人物なんて、数が知れている。聞けばローゲのほかに彼に出会った人物は、尋問を担当した彼自身とカサドル、そして殺処分のために地下牢に訪れた己と、メルダーだけだそうだ。書類の一枚を持っていた手が震える。
言葉にしたら、それを認めてしまいそうで恐ろしく感じた。しかしローゲはそんなヴァダースの心情などいざ知らず、冷酷に言葉を続ける。
「そう。私はあの工作員を、見せしめに使った。そうすることで動揺を引き出せると思ったのだ。工作員の奥にいる人物と思われる男、メル──」
「やめてくださいっ!!」
ローゲの言葉を遮るようにヴァダースは叫んだ。嘘だ、そんなこと信じられるわけがないのだ。メルダーがまさか、そんなと。認めたくない、信じたくない。その思いが口を突いて出たあと、静寂が執務室に舞い降りる。
「お願いです、ボス……それ以上は……!」
「落ち着けダクター。私はまだ彼がスパイだと断定したわけではない。先に言っただろう、あくまで可能性の域を出ないと」
「それは、そうですが……!」
「だが目を逸らし続けていい問題ではあるまい?ゆえに、お前に命じる。今一度ここ数日の事件を秘密裏に調査し、裏に潜む人物を炙り出せ」
ローゲのその言葉はまるで、自分に対する死刑宣告のようにも思えた。しかしここで自分が動かなければ、カーサは何も進展しないまま再びあの時の惨劇が起きてしまう可能性だって否めない。
ここまで成長したカーサを、世界保護施設に蹂躙させるわけにはいかない。ぐ、と強く噛みしめた唇の端から一滴の血が滴る。
「……謹んで、拝命いたします……」
「ダクター、お前の気持ちも分からんでもない。だが、だからこそ疑い、そして己の手で見事私の疑念を晴らして見せろ」
「っ……仰せのままに……」
それからローゲから資料を改めて受け取ったヴァダースは、重い足取りで自分とメルダーの執務室まで戻る。そして入室した途端力が抜け、その場にへたり込んだ。ばさばさ、と無造作に散らばる資料たちには目もくれず、途方に暮れたまましばらくその場から動けずにいた。
──本当は、ローゲが自分たち二人を工作員の殺処分の場に読んだ時点で、胸騒ぎを覚えていた。しかし目を背けようと必死だったのだ。考えたくもない。メルダーが本当は、自分たちを裏切っているなんて。
ふと、己の唇に触れる。脳裏には彼の笑顔ばかりが浮かぶ。
……あの笑顔も、優しさも、すべてが嘘だとでも言うのだろうか。
「ッ……!」
いや、違う。違ってほしい、そうでなくてはならない。
ローゲに告げられた言葉を思い出し、己を奮い立たせる。そうだ、証明してみせる。今までと何も変わらない。メルダーがスパイであるはずがないと、今までのように証明してみせればいいのだ。
決意を取り戻したヴァダースはデスクの上にあるランプに火を灯し、手渡された書類たちに手を伸ばした。
******
それからメルダーに悟られないよう細心の注意を払いながら、ヴァダースは来る日も来る日も書類を整理しながら情報を精査した。これまでの報告書の情報を整理しながら、関連がありそうな項目をまとめていく。任務内容、調査場所、拠点付近一帯の環境、任務指示責任者などなど。あらゆる視点からの情報をヴァダースはかき集めた。
一見すると、それらの情報に関連性はないように思えた。しかし資料の端々に、気になる点が見つかったのだ。違和感を覚えた資料は、先日から頻繁に起きているアジト周辺での襲撃事件についての調査報告書たち。
まとめた報告書たちによると襲撃地に近いアジト自体に、共通点は見られない。規模も様々であり、構成員に関しても特に秀でた者や稀少な能力の持ち主がいる、というわけでもない。ただ襲撃を受けたアジトの周辺を後日改めてヴァダース自らが調査してみると、襲撃地の地下にとある痕跡が残されていることが、明らかになった。
見つかったのは、襲撃地の地下空間には人工的な空洞。中の様子を一見したところ、そこは恐らく過去の大戦で使われていた防空壕のようなものだと推察することができた。調査していくうちにそれに該当する箇所が、いくつか見受けられたのだ。加えて空洞内の造りは今現在では使用されることのない建築方法だ、とも。
そんな歴史的な作りであるにも拘らず、そこには生活感を思わせる残骸があった。床にはまだ新品を思わせる布切れや紙切れが散乱し、とある壁の一面には最近できたであろう傷や筆跡の痕。その場所にはつい最近まで誰かがいたのだという確信を持つには、十分すぎるほどの証拠の数々。
また防空壕内の一部には壁がくり抜かれた跡が残されており、そこに何かが格納されていた様子も見受けられた。その何かはわからない。実際、格納されていたであろう物は既にそこにはなかった。ただ壁の一部に気がかりになる、とある一文が残されていた。そこにはこう記されていた。
"流血の螺旋の先にこそ我らの救いはあり"
まるでまじないか詠唱のような一文。初めて見る文章だった。しかし関連がありそうな書物や文献を調べても該当する部分はなく、どれも空を掴むものばかり。ただの祈りの言葉だったのかとも考え始めていた。
そんな時たまたま手に取った報告書を眺めていた時、防空壕にあった同じ文面が記されていることに気付いた。報告書の内容は以前起きた、世界保護施設によるカーサアジト襲撃事件について。ヴァダースの過去の傷ともいえる事件の報告書に、何故その一文が記されているだろうと疑問が浮上した。
まさかあの事件にはまだ、裏があったのだろうか。
事件の当事者になっていたヴァダースは、早速調査することにした。そして調査の過程で、ある組織の名前が浮上したのだ。
"ズゥニの呪医結社"
詳細はまだ不明だが、どうやら彼らは約400年前から存在していたとされている。裏社会に身を潜め、時には政治情勢に介入したと噂されていた組織。その在り方はひどく歪なもので、殺人とは誰でも己の生命を救うためであり、生命を奪われる危険から逃れる唯一つの方法である、という理念をもとに構成されている。なるほど"流血の螺旋の先にこそ我らの救いはあり"という言葉がしっくりくる。
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