3秒の楽園

松竹梅猫

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「はい、もしもし」

 現在時刻は20時。そんなに遅いというわけでもないから電話がくるのは普通だが。

 タイミングがタイミングなだけあって朔の声は固い。

「はい。はい。ーーは?」

 電話は思いの外すぐ切れた。

「父上、どうかしたんですか」

「それが。これからここに客が来るが、怪しい者ではないから入れてやれだと」

「は? なんじゃそりゃ」

 いぶかしんでいると、

ピンポーン

とインターホンが鳴る。

 リビングから玄関につながるドアの横にインターホン用のカメラがある、来客を知らせ赤くライトが点灯した。

 通話ボタンを押すとカメラが外を映す。

 暗がりに誰かが立っている。

 ちょうど顔が映らず、黒いシルエットが見えるだけだ。

「……はい」

 俺が声をかけると、ざざざ、と外の雑音といっしょに声が入った。

『お、急にすまんな。俺は公平の知り合いなんだが、えーと、連絡きてないか。とりあえず入れてもらえると助かる』

「公平の?」

 男の声だ。溌剌としていて明るい印象の。

 俺は律と朔に振り返る。

「入れるんだよな?」

「公平はまだ風呂だからな、父上が言うなら大丈夫なのだろうが」

 俺はドアを開けて玄関に向かい、玄関扉の鍵を開けた。
 そして扉を開ける。

 黒い雨ガッパを着た男がぬっと立っている。
 背が高い、俺と同じくらいだ。

「すまん、ほんと怪しい者じゃないんだ」

 男は被っていたフードを頭から取り去り笑みを俺に向ける。

 黒い髪に童顔の男だ。外見の年齢は俺たちよりもひとまわりは上に見える。

「どうぞ。公平は風呂入ってますけど」

「ありがとな!」

 男をリビングに招き入れると、雨ガッパを全部脱いで男は腕にかける。

 外は雨は降っていなかったが。てかこんな長身の男が着れる、黒い雨ガッパって珍しい気がする。

 男はすらりとしていながらもなにかスポーツをしていそうな体をしているのが服の上からでもわかる。姿勢が良いというのもあるが居住まいに隙がないのだ。

「公平に用ですか? 座って待ちます?」

 俺が椅子を引くと部屋を遠慮なく見回していた男が振り返りにこっと破顔した。いかにも人の良さそうな。

「おう、ありがとな。いやほんと急に来てすまん。公平が引っ越したって聞いて、しかも幼馴染と暮らしてるって聞いたから。どんなもんかと気になってな、仕事の合間じゃ今しか時間がなかったんだ」

「はあ……」

「というか、どちらさまでしょう」

 俺が生返事をすると朔がずばりと問いかけた。鋭い声色に男は気を悪くもせず笑い返す。

「それもそうか。俺は夜野やのっていう、公平とはけっこう古い知り合い、かな? お前らの父親とも知り合いで、えーとそうだな、俺が孤児の公平を志野さんに斡旋したんだ」

 律が夜野と名乗る男にコーヒーを淹れてテーブルにおいた。男はにこやかに「ありがとう」と礼を言うが椅子に座る気配はない。

「公平は風呂だったよな、ちょうどいい。こっちか?」

 リビングの奥へ夜野は歩いて行く。

 俺たちは全員ぎょっとした。

「ちょ、待ておっさん! なに勝手に、てかちょうどいいってなんだ!」

 敬語を速攻捨て去り追い縋るも夜野は止まる気はない。
 奥には二階への階段と扉が二つあるだけだ、一方はトイレでもう一方が風呂につながる脱衣所のもの。

「こっちだよな?」

 夜野はなんの躊躇もなく他人の家の脱衣所の扉の前に立ち、ノブに手をかけた。

 その時同時に扉の向こうで風呂場のドアの開閉音がする、公平が脱衣所に出てきたのだろう。

「待てー!」

「だめですー!」

「なにしてんだ貴様!」

 俺たち三人が一斉に叫んでドアノブを押し開けようとした夜野の体にしがみつく。

「うお!? なんだなんだ?!」

「そりゃこっちのセリフだ! そのノブを離せこのど変態!」

「ははは! そりゃまた随分だな」

 快活に笑って夜野はノブから手を離す。

「なんだお前らそんなに必死に」

「必死にもなるだろ! 知らねえおっさんが急に来て野朗の風呂に突撃してんだから!」

「やましい気は一切無いんだがな」

「どう見ても全部やましいです!」

「いくら知り合いといっても挙動がおかしいだろうが」

「……ふうん、そうか」

 夜野はなにを察したのか俺たちを見て目を細める。

「そうかそうか。仲良しなんだな?」

「な、仲良し」

 含みのある物言いに俺たちは狼狽する。

 まさかこの三人全員が公平に想いを寄せているなどとは言えない。だが分かる人にはわかってしまうのだろうか。

 夜野の前で扉が開いた。

 一瞬夜野が開けたかと思い俺たち三人とも叫びそうになったが、中から公平が怖々出てきたので声を飲み込む。

 濡れたままの髪の下で、公平はこの騒ぎが何事かと訝しんでいただろう。

 出てきたらすぐそこに夜野がいて、目が合って。

 公平は瞬間顔を引き攣らせた。

 その表情が恐怖寄りだったので俺たちは瞬間夜野への態度を決定した。夜野、こいつは敵だ!

「あ、あんた。なんで」

「おお公平。久しぶりだな、でかくなったなあ」

 公平の戸惑いは見えていないのか夜野はいたって好意的に接している。

 公平はぎゅっと腕を胸の前に固めて肩をびくつかせた。

「おいてめえおっさん! お前ほんとなんなんだよ、いい加減にしろや!」

「おいおいなんだ、急に攻撃的になってないか」

 俺だけじゃない。朔も律もぴりぴりした態度になって。

 夜野は肩をすくめた。

「悪かったよ、騎士ナイトが三人もいたら敵わないな。まあでも悪いことついでにそうだな、お前ら四人とも服を脱いでくれないか?」

「は、はああああああ!?」

「どういう神経をしてるんだ? 意味不明が過ぎる」

 朔がキレそうだ。
 
 夜野はからからと笑った。

「それが目当てで来たんだ。なあ公平お前からも言ってくれ。俺は説明ってやつがいまいち下手でな」

「……」

 夜野に促されて公平は嫌そうな顔を惜しみなくする。

 そのままドライヤーを手に取って髪を乾かし始めた。無視しとる。

 夜野は特段気にする様子もなくリビングへ戻り椅子に座った。律が淹れたコーヒーに口をつける。

 なんなんだこの謎の時間は。

 俺たちが唖然としている間に髪を乾かし終えた公平が脱衣所から出てきて俺たちを一瞥する。

「あいつ、なに。今来たのか」

 声は低い。不機嫌というよりもテンションが最底辺という感じだ。

「そうです、さっき来たばかりです。公平の古い知り合いで夜野さんっておっしゃってましたけど」

 公平は頷く。それは間違いないらしい。

「でも服を脱げってなんなんだよ」

「それは……占い、みたいな」

 公平が言いあぐねてからそう告げる。

 ウラナイ?  ウラナイってあの占い?

 俺たちが目を点にしていると聞こえていたのか夜野は吹き出した。

「占いか! たしかにな、それいいな」

 公平が舌打ちする。

「まあとりあえずお前らこっちに来い、な?」

「なんで客のあんたが偉そうなんだよ」

 俺たちはぞろぞろとリビングに行き、公平がソファのはじっこに座ったので俺たち三人も倣って横一列に座った。

 そうすると椅子に座った夜野が一段高い位置から俺たちを睥睨できる。コーヒーのマグカップを横に置いて夜野は喋り出した。

「俺は公平が言う通り占い師みたいなもんでな。ちょっとした未来が視えるんだ」

「は、はあ? 未来って、はああああ?」

「まあ信じられないよな。でも公平は信じてくれるだろ」

 夜野が見つめた先で公平は顔をしかめる。

「見る必要ない。もう、未来なんてあんたから聞いてる」

「だが変わってるかもしれん。俺はそれを確認しにここに来たんだ。前にも言ったろ? 未来ってのは変わる、変えられるって」

「……」

 煩わしそうに息を吐いて公平は目線を落とす。
 さっきから公平は夜野を見ようともしない。
 軽蔑とかそういう感じではなく、なんだろうか、直視するのを避けているようだ。

「それで、服を脱げというのは?」

 朔の問いに夜野は口角を上げた。

「服の上からじゃ未来は視えないんだ、具体的に言うと胸のだな、心の臓あたりを見ると未来が視える。公平を視るついでにお前たちも見ようかなと」

 俺たちが全くもって信じられないと思っているのが流石に伝わるのか夜野は困ったようにこめかみをかいた。

 だがそこで公平が突如、着ていたTシャツをまくりあげた。

 俺たちは目を見開いて、律なんか「ぶぇっ!?」と声まで出して公平のあらわになった腹と、そこから上へまじまじと見てしまう。

 服を全部脱ぐよりも、まくりあげているーーしかも本人の手でーー状態ってどうしていかがわしさが増すのだろう。

 これは見ていいのか、悪いのか。
 胸の先にたつあの部分を見ていいのか。

 俺の理性の天秤がぐらぐら揺れている間に夜野は初めて真顔になって公平を見つめる。

 驚くべきことにその彼の目の、黒いはずだった瞳がほんのり光っているような気がして俺たちは息を飲んだ。

 光はすぐ消える。

 時間にして3秒くらい。

 公平はTシャツの裾を戻し肌を隠した。

「……変わってないな」

 夜野の声に公平は口を引き結んで、突然立ち上がった。
 
 そして止める間も無く階段に向かい二階へ上がって行く。

 ばたん! とどこかの部屋の扉が強く音を立てて閉まる。

「え……公平……」

「いや、ほっといてやってくれ」

 律が公平の後を追おうと尻を浮かせかけたが、夜野がやんわり止める。

「今は俺の話を聞いてくれないか」

 また服を脱げとでも言う気か? と身構えるが夜野は口元に手を当ててなにか考えこんでいる。

「俺は、本当に説明が下手なんだ。それに加えこれはとてもじゃないがなにも知らなかった奴が一度聞いて信じられるとは思えない、そんな話なんだが」

 前置きをして夜野は俺たちに目を向ける。まっすぐで真摯な目だ。

 なにがなんだかわかってない俺たちはただただその目に圧倒される。

「お前たちが公平のことを大事に思っていると見込んで話す。あいつの未来を変えて欲しいんだ。あいつはこのままだと、あと半月で死んじまうからな」

 思いもよらぬ、想像することなどできるはずもない言葉が俺たちを待ち受けていた。
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