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第一章
第四話 Zero Hour(- 16 hrs)
しおりを挟む本船は予定通りにドリフティングを開始し、夕刻には主機の手仕舞いが終了した。
午後、減速開始までの数時間で、二等機関士とともにフローメーター周りの点検を行ったが、外観検査での確認は難しく、明日、配管の残油を抜き出して開放点検することにした。
三等機関士の整備していたピストンホーンは、結局、今日中に復旧までこぎつけることができず、明日の朝から再開することとなった。
現在時刻は一八〇〇時、夕食の時間だ。
今晩のメニューは最近毎週恒例となった司厨長の十八番、ビフテキだ。
彼が自腹を切って持参したという高級ブランデーでフランベすると、安物の肉の臭みが消えて仄かなブランデーの香りが漂い食欲をそそる。
船橋の当直員以外の乗組員は、一七〇〇時には仕事を終えてシャワーを浴び、夕食前の一杯を求めてラウンジに集合する。
穂積は嗜む程度だが、大勢でガヤガヤと呑むのはあまり好きではないので、夕食前に軽くラウンジに顔を出して食堂に向かうのが常だった。
「今日は恒例のビフテキですな!」
「入港したら船食をとりますさかい。司厨長には使い切るつもりで大盤振る舞いせぇと言うてあります!」
「うむ。期待が高まりますな!」
船長と機関長は赤ら顔でテンションが高い。二人ともお酒が大好きなのだ。
昨今の風潮から、海運業界にも飲酒規制の波が押し寄せている。
当社の関連会社の船がハワイで米軍所有の桟橋に接触する事故を起こした。調査の結果、当時、操船していた船長の飲酒疑惑が浮上し、メディアに大々的に取り上げられた。
結局、接触時点で飲酒はしておらず、事故との因果関係はなかったのだが、一度加熱した報道による風評被害は避けられず、全社的に対応せざるを得なくなった。
一時は全面禁酒になりそうだったのだが(実際そういう会社もある)、嘘か誠か、それをやるとロシア人船員が大量に流出してしまう懸念があったという話だ。
実際のところ、ロシア人は決して飲兵衛ではない。彼らの大多数にとって、お酒はハレの場で飲むものであり、毎日のように晩酌する人は少数派なのだ。
むしろ、日本人が禁酒に全力で猛反対したような気がしてならない。
そういう事情で、会社は飲酒規制を敷くことで、お茶を濁すことにしたのだろう。
曰く、アルコール度数を制限する、蒸留酒はダメ、日本酒までならヨロシイ。
曰く、毎日の飲酒量を制限する、ビールなら三缶まで、日本酒なら一合まで。
曰く、お酒の個人購入を禁止する、本船所有のお酒を制限の範囲内で都度購入すること、等々。
これを聞いたとき、船長は怒り狂っていた。
曰く、『Voyage Partyでクルーに酒を出せんやないか! 一合で終わりやと!? 乾杯の御発声だけで〆ぇっちゅうんかあ~!!』
そう、船長は自前の日本酒や焼酎をみんなに振る舞うのが大好きだったのだ。
しかし、会社の決定には逆らえず、血の涙を流しそうだった。
そんな船長のささやかな抵抗なのだろう。司厨長の持参した高級ブランデーには、目を瞑っている。
ビフテキの魔力に浮足立った面々がゾロゾロと士官食堂に入り席につく。
同時に、司厨長のフランベが始まったのだろう、ジュウジュウという音とともに、厨房からブランデーのかぐわしい香りが広がる。
鮮やかな炎が立ち昇ると、厨房を覗きこみ生唾を飲む若手士官から歓声が上がる。もはや本船の名物となりつつある光景だ。
若手の司厨部員達は、司厨長の技を盗もうと観察に余念がない。
社規則上では、危険物運搬船に分類される油タンカーで、換気ダクトの真下で炎を噴き上げる行為はアウトなのだが、水を差す無粋な者はここにはいない。
やがて司厨長自ら、船長と機関長の前に大きなビフテキの乗った皿をサーブする。続いて一等航海士と俺の席にも供された。
全員にビフテキが行き渡ると、『いただきます!』の掛け声に押されてフォークを突き刺しナイフを滑らせる。赤身の肉々しいミディアムレアから肉汁が迸る。
大きめに切った一切れを持ち上げ、ドリップが滴るのを惜しむかのように口を大きく開けて頬張る。
鼻に抜けるブランデーの芳醇な香り。
噛み応え豊かな肉を噛みしめるごとに溢れ出す肉汁。
これぞ至福。
(あ~、赤ワインが欲しくなるなぁ。たまらん)
あっという間にビフテキを平らげると、続いてのお楽しみ。
司厨長渾身のガーリックライスだ。
強烈に鼻腔を刺激するニンニク臭が食欲を搔き立てる。肉汁をまとったライスに程よい焦げ目がつき、思わず涎《よだれ》が。
ビフテキの乗っていた皿に残った肉汁にライス浸して、スプーンで搔っ込む。
(ん~、たまらん)
デザートのアイスクリームで口をサッパリさせると、ビフテキの日は終わりを告げる。
(今週もごちそうさまでした。いい肉だった)
お茶を飲みながら、食後のまったりとした時間が続く。
「ファーストエンジャー、明日の救命艇の操縦訓練だけど、機関部から艇員出してくれんか?」
「はい。私がボートエンジンの操作に付きます。セコンドエンジャーもサードエンジャーも別件で手が空きませんので。チョッサーは本船ですか?」
「おう。本船から見守っとるから、思い切り走ってきてくれ。ボート降下と揚収、艇長はサードオフィサーに率先してやらすから」
「了解しました」
「あっ! 思い出した。あいつ今ワッチ入ってて、まだビフテキ食えてないわ。ちょっと交代してくる」
一等航海士はそう言うと、「わははっ」と笑って船橋に向かっていった。
船長と機関長は三缶目のビールをチビチビと飲みながら、腹をさすって談笑している。
そこに、「ファーストエンジャー、ちょっといいですかぁ」と三等機関士が声をかけてきた。
「相談があるんですけどぉ」
「どうした? 明日の整備作業の質問か? それとも、また電波系か?」
「違いますよぅ! てか、電波系ってなんスか」
「なら、なに?」
「今日のNoon計算の話の続きですぅ。あたし、どーしても気になっちゃって、データーロガーからフローメーターの読み値を引っ張ってきて、四時間毎の燃料消費量を計算してみたんですよ。そしたら、同じ条件でも時間が経つほどにどんどん増えていってるんです」
「バイパスの逆止弁の漏れが徐々に大きくなってきているのかもしれん」
「この傾向が始まったのは一昨日の正午あたりからなんですよ。昨日のNoon計算では気にならない程度でしたけど、四時間毎に細かく見ていくと、それがどんどん加速度的に増えていってるんです。バルブの漏れがそんな急激に、しかも継続的に増え続けるなんてあり得ますか?」
「……ふむ。お前が言いたいことはわかった。なら、他にどんな原因が考えられる?」
「……うーん。例えばですけど、燃料自体の問題……とか?」
「つまり、燃料の発熱量が小さくなった結果、主機で同じ出力を得るために消費量が増加した、って言いたいのか?」
「あーっ! そうです。あたしが言いたいのはそうゆうことです!」
『さっすがファーストエンジャー。あたしのこと、よくわかってるぅ~♪』 と、おどけてくる三等機関士。
イラッときたので、論破してやろう。
「ないな。まず、燃料タンクのFOは補油した段階で性状が確定している。サンプルも陸揚げしてラボで検査して、サプライヤーの出してきたスペックシートと照合して有意な差異がないことを確認済みだ。サンプル採取に不備があったと仮定しても、サプライヤーのやってくる詐欺の常套手段として有名なのは、知っての通り、カプチーノバンカーと意図的な海水の混入。カプチーノの場合は、タンクの検尺でサウンディングテープに独特な液位の付き方をするし、マンホールを開けて目視すれば一目瞭然。例え、その時に気付かなかったとしても、時間経過とともに気泡が消えていくので、タンクのレベルゲージでわかる。さらに、量を誤魔化すだけなので補油されたFO自体の性状は変わらない。海水混入の場合、混ぜられた海水はやがて油と分離し、比重差によってタンク下方に溜まる。FO移送ポンプへのタンク取り出しは、タンク底にあるベルマウスからなので、もっと早い段階で問題が発覚しているはずだ。したがって、ないな!」
「もぅ~っ! 長いっス!! ピストンホーンの件の二倍以上っス! あたしのことイジメて楽しいですかぁ!?」
ホント、この三等機関士は素直ないい部下だ。なんだかんだ言いながら最後まで聞いてくれた。
「別にイジメてる訳じゃない。これは何等かのハラスメントではない。そこだけは、確実に理解しておけ。さっき長々としゃべったことはどうでもいいから」
「マジでなんなんスか」
「じゃあ、お前の仮説の貧弱な根拠をちょこっとだけ強化できるかもしれないアイデアを授けてやろう」
「……お願いしますぅ」
「今日の夕方から主機を停止して、ボイラーが点火した。現在も連続運転している。今、蒸気の主な消費先は、蒸気タービン発電機だ。船内の電力負荷はほぼ一定。ボイラーにおける燃料消費量の時間毎の変化を見て、もし、主機と同様の傾向があるなら、フローメーターの問題ではないのかもしれない。主機とボイラーのフローメーターは別だからな」
「おお! なるほど~。ありがとうございますぅ」
「まっ、がんばってくれ」
三等機関士はさっそく制御室へ飛んで行った。
(油の発熱量が突然減る? そんなことがまかり通ったら、人類社会はドえらいことになる)
ほどなくして三等航海士が食堂にやってきた。
一人だけ食事時間がズレてしまって可哀想だが、こればっかりはしょうがない。
司厨長は遅れてきた彼のために、ほんの少しだけ大きめの肉を取っておいてくれているのだから。
「サードオフィサー、チョッサーから聞いてると思うけど、明日は俺が乗艇するから。ヨロシク」
「はい。さっき伺いました。艇長がんばりますので、よろしくお願いします!」
「うん。がんばって。ボートエンジンはこの間テストしたばかりだから、問題ない。走行中にウォーターカーテンのテストするぐらいかな」
「わかりました!」
そうこうしているうちにビフテキがやってきた。三等航海士に出された肉は、やっぱり少しだけ大きかった。
(残り物には福があるってね)
夢にも思わなかった。
この日の夕餉が、司厨長のビフテキの食べ納め、どころか、この世界での最後の晩餐になるとは。
そして翌日、穂積は運命の日を迎える――。
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