海の彼方のトティアス 〜船員さん、異世界へゆく。海に沈んだ世界で絆を育み生き抜く、普通の男の物語~

万年ぼんく

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第一章

第五話 Zero Hour(- 2 hrs)

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 翌早朝、早めに朝食を済ませた穂積は、ラウンジでのんびりとテレビを見ていた。日本のニュース番組を見るのは久しぶりだ。

 どのチャンネルも一つの話題で持ち切りだった。

 なんでも一昨日から昨夜未明にかけて、太平洋側の各地で大規模な停電騒ぎが起きているらしい。

 昨日、本船に連絡があったターミナルのトラブルは、氷山の一角に過ぎなかったようだ。

 京葉・京浜・東海・鹿島臨海・関東内陸の五つの工業地帯はほぼ全滅。

 関東地方から中部地方の広いエリアで停電が続いており、電力会社が鋭意、早期復旧に向けて調査を進めているが、未だ明確な原因の特定には至っていない、という内容だった。

(こりゃあ、予想以上に滞船たいせんが長引くかもな。主機の整備作業いっぱい組めるなぁ)

 運航スケジュール上、長期間の停泊は滅多にない。

 本船の運航契約の場合、海運会社は船を乗組員ごと、傭船者ようせんしゃ (大手油社)に貸し出し、荷物を運ぶことで運賃を得ている。契約内容にもよるが、基本的に走らなければ運賃は支払われない。

 だから、営業部門の運航担当者は可能な限り無駄な停船や離路りろを無くそうと躍起やっきになっている。

 結果的に、停止中にしか実施できない主機などの整備作業の機会はごくわずかになってしまう。

 今回の事態、機関士としては実に都合がいい。

 もちろん、食料が尽きるほどの滞船はご免被めんこうむる。

 少しだけウキウキしながら機関室の見回りを行い、甲板に上がってくる。

 三等航海士が張り切って救命艇のろしかた用意にいそしんでいた。

「おはよう、サードオフィサー」
「ファーストエンジャー、おはようございます!」
「右舷艇から?」
「はい!」
「了解。サードエンジャーの作業始めを覗いてから来るから」
「わかりました。まだ時間はありますんで、ごゆっくり」
「そんなにかからないよ」

 ちょうど三等機関士があらわれた。今日はちゃんとハーネスを持ってきているようだ。

「おはよ」
「ふぁ~。おはようございますぅ」
「どした?」
「昨日、ちょっと夜更かししちゃってぇ」
「まさか、あれからもずっとデータロガーとにらめっこしてたのか?」
「はいぃ」

 昨晩、制御室に下りると三等機関士が電卓片手にウンウンとうなっていた。どうやら、俺がアドバイスしたボイラーの燃料消費量をずっと計算していたらしい。

 まだ数時間分のデータしかないのだから根を詰めてもしょうがないと言っておいたのだが。

 オモテのマストに向かって歩きながら軽口をたたく。

「今回はえらくがんばるじゃないか。ひょうでも降るんじゃないか?」
「う~。この季節に雹が降るわけないじゃないですかぁ。そんな天変地異の前触れみたいに言わないでくださいぃ」
「お前のがんばりは評価している。槍と言わない程度には」
「……ファーストエンジャーって、あたしにだけ当たりキツくないですかぁ? あっ! もしかして好きなんですかぁ?」

 ヘルメットの隙間に指先を突っ込んでアイアンクローをかます。

 これはパワハラではない。まして体罰などであるはずがない。

「いーだだだだだだだだだだだだあぁーー!」
「サードエンジャー。……これはパワハラではない、まして体罰などであるはずがない」
「わかりましたわかりましたわかりましたからぁ! やめてやめてやめてぇ~! お願いだからやめてぇぇぇ~!」
「サードエンジャー。これはお前の俺に対するセクハラ発言への正当な抗議だ。深く反省をうながしたいと思う」
「りょっ! りょうかいしましたぁ! 猛省してますぅ! ごべんなざぁ~いぃ!」
「サードエンジャー。お前が素直な、いい部下で俺はうれしいよ」

 こめかみから指先を離して開放してやった。

 もし、ここで本気で泣かれたりしたら、俺のパワハラが確定してしまう。それだけは何としても回避しなければならない。

 少しやさしくしてやろう。

「それで、がんばって解析した結果はどうだったんだい?」(にっこり)
「……その笑顔、気持ち悪いっス」
「あっそ」(すん)
「うんうん。やっぱりファーストエンジャーは、その何考えてるか分かりにくい顔じゃないとぉ」
「……お前って俺のこと舐めてるよな?」
「そんな風に思われるのは困りますぅ。あたしはファーストエンジャーのこと好きっスよ」
「あっそ」
「あっ! 今ちょっとうれしそうな顔しましたよね? ねぇ!?」
「……」
「照れてます? 照れてますよね!?」
「…………」
「むっ。無視はダメっスよ。図星つかれて恥ずかしいからって、無視はダメっスよ」

 三等機関士がニヤニヤしながら覗き込んでくる。

(もう帰ろうかな)

「それでぇ、昨晩、計算した結果なんですけどぉ」
「お前、心臓に毛が生えてんの?」
「まさか! あたしは全身つるつるのスベスベですよぉ」
「ふーん」
「……機械油で」
「なんか悪かったな」

 一応、乙女なのだから、自分には分からない葛藤もあるのかも知れない。

「で? 解析結果は?」
「まだデータ点数が少なくてはっきりしませんでしたけど、増加傾向にあると思います」
「……これは俺の意見ではなくて、世間話なんだけどな」

 と前置きして、今朝のニュースの内容を聞かせてやった。三等機関士は目を見開いて、

「それって、本船だけじゃなくて、もっと広範囲で同じ現象が起こってるって解釈できませんか?」
「……何とも言えん。だが、電力会社も停電の原因は掴めていないようだし、ターミナルから何の連絡もないところを見ると、もっと広い視野で見定めるべき、なのかもしれない。結局、俺には船のこと以外はわからん」
「……」

 普段から、おちゃらけた憎めないキャラが板に付いている彼女が、真面目な顔で真剣に考えている。

「なぁ、なんでこの件について、そこまでこだわるんだ?」
「……なんていうか、嫌な予感がするんです。胸がザワザワするっていうか…………「ビフテキ食い過ぎたか?」」
「胸やけじゃないっス!」
「じゃあ、ガーリックライスだ」
「えっ!? ヤダ! 臭いですか?」
「……お前、人格が三つ四つかぶってねぇか?」
「キャラが定まらないのはファーストエンジャーにだけは言われたくないっス」
「まぁいいや。セコンドエンジャーの開放点検の結果が出てからでもいいだろ。それよりも、お前は目の前の汽笛だ」 
「ふぅ……。りょうかいですぅ! 絶対、今日中に復旧してやりますぅ!」
「いや、午前中でよろしく。午後から主機の排気弁やるから、手伝って」
「…………」

 三等機関士がフォアマストに登り作業を始めたのを確認して、最低限の指示を出してから右舷の救命艇へと戻ってきた。

 三等航海士がテキパキと降下の準備を進めている。

 本船の救命艇は全閉囲型救命艇と呼ばれるタイプ。

 全体がFRPでできており、天蓋が全集を覆い、艇内は完全に密閉される構造。外部はオレンジ色に塗装されている。

 一般貨物船に装備され、本船甲板上のダビットと呼ばれる装置に格納されている。

 穂積は乗艇に備えて安全靴のひもを締め直し、装備の確認をする。

 煙管服つなぎの左胸のポケットにメモ帳とボールペン、右胸のポケットに塩飴がいくつか入っている。酔った時に艇内で舐めると気がまぎれる。

 右太股みぎふとももの大きめのポケットには厚手の軍手と革手袋、尻ポケットには高光度LEDライトが入っている。完全防水のちょっと高いやつだ。

 腰にはいつものポシェットを巻き、『AOBASAN』の船名が入ったオレンジ色の救命胴衣ライフジャケットを着込む。

 肩にストラップを掛けて首の後ろに回し、耳元に垂らしたトランシーバーのチャンネルを甲板部に合わせる。

(さて、準備は整った。救命艇で吐かないように注意しよう)

 そのために早めに朝食をとったのだ。船乗りがみんな船酔いに強い訳ではない。

 VLCCならまったく問題ないが、全長一〇〇メートル程度の中型船や救命艇は揺れ方が違う。

 VLCCなら余裕で走破そうはできる波も、波間に収まる大きさの船なら大きく揺れる。

 学生時代、中途半端な船型の練習船に乗せられて何度吐いたことか。

 そんな嫌な思い出に浸っているうちに、三等航海士のほうも救命艇の固縛を解き終わり準備が完了したようだ。

「では行きましょうか!」

 艇長を任された三等航海士が余裕の表情で先陣を切って乗艇していくので、ついていく。

(こいつは酔わないんだろうな)

 トランシーバー越しのやり取りが聞こえてくる。

『サードオフィサー、ご安全に! どうぞ』
『チョッサー、ありがとうございます! 艇員五名の乗艇、シートベルトの装着、確認しました。どうぞ』
『了解。ブリッジの許可を得て、降下開始せよ。どうぞ』
『了解。ブリッジ、こちら右舷救命艇。どうぞ』
『こちらブリッジ、セコンドメイト。右舷救命艇、サードオフィサー。どうぞ』
『セコンドオフィサー、艇員五名、ファーストエンジャー、AB-1、AB-2、OS-1、サードメイト、乗艇完了。シートベルトの装着、確認しました。どうぞ』
『了解。右舷救命艇、降下開始せよ』
『了解。降下開始します!』

 操縦席に座った艇長がダビットの遠隔操作ワイヤーを引く。

 救命艇の船首と船尾を吊り下げたままダビットが本船の舷外げんがいへ突き出し、艇が左右に大きく揺れながらデッキレベルまで降下。

 さらに続けて海面へ向けてまっすぐに降りていく。そのまま数秒間、降下するとバシャンと着水音。

 ボートエンジンを始動。

 吸入された冷却海水が排気管を通って排気ガスと一緒に排出される。エンジンの前後進を確認し、問題ないことを艇長に伝える。

 艇長が操縦席側面にある一斉離脱装置いっせいりだつそうちのリリースレバーを思い切り操作する。

 すると、艇の船首と船尾からガコンガコンッと大きな音が聞こえ、ダビットとの接続が切れる。

 今、艇は完全に本船のくびきから離れ、単独で海上に浮いている。

 艇長は操舵ハンドルとエンジンを巧みに使い、本船から距離を取っていく。

 一〇〇メートルほど離れたところでエンジンを吹かし全速で航走こうそうする。

 しばらく走ったところで、艇長にウォーターカーテンのテストを求め許可を得る。

 エンジンにブイベルト越しに接続された散水ポンプのクラッチを入れると、エンジンの回転に合わせてインペラが勢いよく回り、天蓋上部にある散水ノズルから海水が噴射される。

 噴き出した海水は艇外の全周を覆い水のカーテンができる。これにより、もしも周りが火の海であっても、突っ切って脱出することができるのだ。

 本船に残って監督している一等航海士をトランシーバーで呼び出し、ウォーターカーテンの具合を確認してもらう。

 どうやら問題なく作動しているようなので、クラッチを切ってテストを終了した。

 操縦訓練を終えた艇長は艇を緩やかに操縦して本船の右舷側うげんそくに近づけていく。

 一斉離脱装置を復旧。

 本船側からダビットを操作してもらいダビットウィンチを巻き上げて、艇は徐々に海面から離れ、元の位置へと収まった。

 艇員全員が艇から降りて、三等航海士の指揮の元、艇を固縛して右舷艇の訓練が終了した。


「いやぁ、お疲れさまでした! 楽しかったですね!」

 三等航海士が興奮した面持ちでハツラツとのたまう。

 こっちは若干気持ち悪いっていうのに。くそう。

「では、次、左舷艇に行きましょうか!」

「……」

 腕時計を見る。まだティータイムには早いようだ。くそう。

「……了解。行こうか」

 そうして、三等航海士は今度は左舷艇の固縛を解いていく。……えらく速い。右舷艇で練習して慣れてしまったようだ。

 その時、オモテから汽笛が鳴り響く。

『ブゥォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン』

「あっちも早いな。やればできるじゃん」


 やがて降下の準備が完了し、右舷艇と同じメンバーが左舷艇に乗り込んでいく。

「ファーストエンジャー!」
「サードエンジャー、治った?」
「はいっ!!」

 めちゃくちゃ、いい笑顔でサムズアップする彼女。

「よかったな。だけど片付けまでキッチリやっとけよ? 現場油まみれじゃねぇだろうな?」
「この後やりますぅ」
「そうしてくれ。……あー。これから左舷艇降ろすから、どんな感じでやってるのか見とけ。片付けはティータイムの後でいいから」
「了~解~で~すぅ」
「……次、お前だからな! 俺はもうやんないから。酔うし」
「しっかり目に焼き付けときまっス! がんばってきてください!」
「んじゃ、もう行くわ」
「………………ファーストエンジャー」
「ん?」
「気をつけてくださいね」
「……おう」(なんだ?)


 先ほどと同じ要領で左舷艇を降下させていく。

 着水音が響き、エンジンを始動させる――「あれ?」

 始動しない。何度か試してみるが、セルモーターは回るものの燃料が点火していないようだ。

 艇長に断りを入れ、燃料系統のチェックをしようとシートベルトを外し座席を立った――そのとき。


「!!?!?? ――っうぉおあ!!」

 天地がひっくり返ったかと錯覚した。

 エンジンを挟んで、今まで座っていた艇の右舷側から反対舷、左舷側に思いっきり叩き付けられた。

 幸い、救命胴衣がクッションになり、さほどダメージを受けなかったが、全身が左舷壁面に押さえ付けられるかのように重い。

 歯を食いしばって顔を上げると、他の四人も同じ方向に引き寄せられているようだ。シートベルトで何とか耐えている。

 トランシーバーが何かをがなり立てているが、雑音が酷く聞き取れない。

 早くシートベルトをしないと危うい。

 もはや右舷側に戻ることはできそうにないので、左舷側の開閉ハッチすぐ横の座席に取り付き、シートベルトを引っ掴む。と、艇のFRPが嫌な音を立てたのはほぼ同時だった。

 左舷側ハッチの蝶番ちょうつがいゆがみ、ボルトが弾け飛んでいく。

 ハッチの外枠が外に向かってめくれ上がり、限界を超えた瞬間、脱落した。物凄い勢いで外に吹き飛んだ。

 左舷側のハッチカバーは丸ごと消え失せ、穂積は開口部から吸い出されるように艇外に放り出された。

 シートベルトにつかまって必死に耐える。

 破壊されたFRPのふちはノコギリのように鋭くギザギザにささくれ立っている。シートベルトはそのエッジにぎりぎりとこすれ、繊維が綿毛のように飛び散る。

「――――っくうぅううううう!!」

 シートベルトはミチミチと悲鳴を上げて繊維がバラバラにほつれ、もろく、細くなっていく。


 『――――ブチン』


 あまりにも呆気ない音を立てて、シートベルトが切れた。

 命綱を失った穂積は背中から襲い来る引力に抗う術もなく、海面と平行にすっ飛んでいく。

 本船の甲板を見上げると、ハンドレールにしがみついて、何か叫んでいる彼女と目が合った気がした。


 背中を打ち付ける感覚と同時に、穂積の意識は暗転した――。
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