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第一章
第六話 Zero Hour(+ 6 hrs)
しおりを挟む「ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ」
全身を覆いつくす悪寒に震え、穂積は現実に帰還した。最低の現実だ。
体勢は変わらず即席の浮き具に補助された背浮き。腹の上で手を組み、脇を引き絞った両腕も、交差して股間を締めた両足もそのままに悴み硬直している。
「――ゴクっ、ヒハッ、ヒュッ、ヒュッ」
呼吸はできているが、ひどく喉が渇く。咳き込みそうになりながら慌てて唾を飲み込み耐える。呼吸を止めると沈んでしまう。咳をすればより速く沈んでしまう。
寒い。冷たい。四肢が痺れる。
全身がブルブルと震える。恐怖からではなく生理現象だ。
低体温症の初期症状、シバリングが始まっていた。
「ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ」
呼吸だけは続けている。止まったら沈んでしまう。これまでに何度か失敗を繰り返していた。咳き込んで空気を吐き出して沈み、手足を無理やり動かして息継ぎし体勢を整えた。
次、沈んだら手足が動くか分からない。
(……救命艇から吹っ飛ばされて、着水と同時に意識を失った、と)
わけが分からない。なにかとんでもない力で横方向に引っ張られたことは覚えている。
(救命艇が急加速した?)
だがエンジンは動いていなかったし、まだダビットに吊られていたはず。それに真横に加速する道理がない。
(本船が動いた?)
仮に本船がいきなり主機を回したとしても、救命艇は本船の舷側に平行に降下したのだから、やはり真横に加速するなどありえない。
(……大型の海洋生物?)
とある船で、突然、船速が落ち主機負荷が増大。気象海象に変化はなく、どれだけ調査しても原因不明というトラブルが発生した。止むなく、そのまま入港してみると、球状船首の先端にクジラが突き刺さっていた、という冗談のような事例がある。
(今回もその類の……あり得ない。満載のVLCCを真横に動かせる生物ってなんだよ。ゴジ〇かよ)
「ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ」
寒い。冷たい。恐ろしい。先ほどからとても眠い。眠ってはいけない。なにか考え続けていなければ気が狂いそうだ。
……あのシリーズで俺が好きなのはゴ〇ラvsビオ〇ンテだ。植物がどんどん進化して巨大化し溶解液を浴びせかける。そんな怪獣がなぜか印象に残っている。
……メカ〇ジラとかメカ〇ング〇ドラも好きだった。対〇兵器も脇役ながらシリーズを通じていい味を出していたな。メー〇ー戦車にスー〇ーX。スー〇ーX2なんかゴジ〇の熱線を反射して攻撃するんだぜ? あれは燃えたね。
……極めつけは轟〇号だな。なんたって艦首がまるごとドリル。ドリルは漢のロマンだ。実際、船首にドリルをつけて高速回転させて突撃したらどうなるんだろう? 敵にめり込んでいくのだろうか? 普通のハンドドリルでも刃先がヘタっていたり手の保持が甘いと逆方向に持っていかれるもんな。船体が反作用でぐるぐる逆回転する可能性も……シュールだな。
……あと好きなのは宇宙戦艦ヤ〇トだ。最近の絵がきれいなリメイク版じゃなくて、オリジナルの方。保育園の時に養父がヤ〇トのビデオテープを買ってくれた。
……劇場版、しかも完結篇。いきなり完結篇を見せるのもどうかと思うが、当時はストーリーなんて分かっていなかった。主砲を打ち合う戦闘シーンや波〇砲をぶっ放しての大逆転劇を喜んで見ていたと思う。
……普通の子供なら主砲や艦載機、波〇砲発射口をカッコイイと思うのだろうが、俺はヤ〇ト艦首の球形船首がお気に入りだった。
……初めて乾ドックに入って球形船首の実物を間近で見たときは、『おー! ヤ〇トだ!』と興奮したものだ。
「ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ」
寒い。冷たい。恐ろしい。眠い。眠ってはいけない。
……腹になにか入れたいな。熱い緑茶がほしい。食後には急須から緑茶を注いで一服するのが常だった。真面目なミーティングでは決まらないことが、そういう時間にいろいろと話がまとまったりするから不思議だ。
……今なら司厨長のおかしな創作料理も美味しくいただける気がする。納豆のかき揚げは最悪だったが、なんであんな物を出してきたのだろう。味見すれば不味いことくらいわかりそうなものだ。
……嫌がらせか。嫌がらせなのか。くそ不味いもの食わせやがって! 苦いんだよ。歯にグニグニしたのが詰まるし、酸化した油が染み出してくるし! ていうか揚げ油変えろよ。機関室に捨てに来る頻度が少な過ぎんだろ。どれだけ使いまわしてんだよ!
……せっかくの刺身もすぐダメにしやがって。刺身好きなのに。もったいない。なんで内地で積んだ刺身が一か月も出てこないんだよ! おかしいだろ! 魚は鮮度が命だろうが! その頃には水分が抜け切ってご臨終してんだよ!
……それになんでブロックで使い続けてんだ。柵に分けろよ。毎回まるごと解凍して切り分けてるから身がスッカスカになってんだろうが。魚に謝れ。あと俺にも。
「ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ」
寒い。寒い。冷たい。冷たい。恐ろしい。こわい。眠い。ねむい。……眠ってはいけない。
……それにしても本船はなにしてんだ! 確かに意味不明に吹っ飛ばされて水中転落した。だけどあれは不可抗力だ俺は悪くない。シートベルトを外したのだってエンジンが回らなかったから仕方なかった。離席するまえに艇長にだって許可はとった。その時点であんなことが起こるなんて予想できるわけがない!
……なんの情報共有もなかったじゃないか。救命艇の中にいては外の様子はわからないんだ。外でなにかトラブルがあったのならすぐに連絡しろよ。なんのためのトランシーバーだ。一等航海士はなにをしてたんだ!
……本船はどこ行ったんだよ! 俺がいなくなってエンジンが復旧できないのはわかる。推進力のない救命艇は離せない。なら、すぐに揚収して、他の人間で右舷艇を出せ! ブリッジなんて船長だけいればいいだろうが。二等航海士使って動けよ。
……数百メートルは吹っ飛ばされた気がするが、何マイルも離されたわけじゃない。近くにいるはずだろ! こっちは死にかけてんだよ!! 船長! 頼むよ! 飲み過ぎて二日酔いかよ!!
「ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ」
寒い。寒い寒い。さむい。こわいこわい。眠い。ねむい。…………眠っては……いけない。
……だいたいなんで俺が救命艇に乗らなきゃいけないんだ。ボートエンジンなんて三等機関士の担当だろ。しかもエンジン動かねえし。あいつちゃんと週例点検してたんだろうな? まさかサボってたのか? でも右舷は動いたしな。おかしい。
……二等機関士が余計なことしたか? この前、三等機関士と一緒に救命艇でゴソゴソやっていた気がする。なんかトラブってた? それを俺に報告しなかった? あり得る……か? いや、あり得る。たかがボートエンジンと思って自分たちだけで勝手に判断して治した気になっていたのだ。そうにちがいない。まったく、こっちはそのせいで、ひどい目にあっているというのに。二等機関士はまともだと思っていたが。
……ひょっとして機関長には報告していたのか? その線もあり得るな。俺にも身に覚えがある。馬の合わない主任者を半ば無視して、機関長に直接話しを通していたことがあった。
……そうか。俺は二等機関士に嫌われていたのか。こんなことになるまで気が付かないとは、俺の空気読めない加減もひどいもんだ。たしかに最近は三等機関士に付きっ切りで、二等機関士はほとんど放任していた。
……だが、これは陰湿じゃあないか。まさか死に至る罠を仕掛けたつもりではないにせよ、救命艇降下して、さあ走り出そうとしたところでエンジンが回らなかったら恥ずかしい。別に嫌ってもらって一向に構わないが、仕事に絡ませるなよ。卑怯だぞ。
……機関長もそうならそうと言ってくれればいいのに。なんならダメ出ししてくれてもいい。俺もアンタの部下でしょうよ。
「ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ」
さむいさむいさむいさむいさむい。こわいこわいこわいしぬのこわい。ねむい…………ねむって……いけ……ない。
……本当に運が悪い。こんな事故に巻き込まれたのもそうだし、あの時シートベルトを外したのもそう。あのタイミングで救命艇を降下したのもそうだ。不安定な救命艇にいなければ、本船上にいれば、今頃こんなところに居なかったはずだ。
……あんなに急いでやる必要なんか全くなかった。右舷艇を揚収したら、一服してから、改めて左舷艇にかかればよかったんだ。
……三等航海士がやけに張り切っていた。早く次に行こうと急かしてきた。あいつ、調子にのりやがって! ちょっと操船させてもらえて舞い上がってんじゃねぇよ!
……一等航海士も止めねぇし! あいつは俺の部下じゃない。アンタの部下だ。二人が一緒にいるところで俺に命令する権利はないんだ。ちゃんと手綱とれよ! あいつがあんなに急がなければ、俺はこんな目に合ってない!
……いざという時には何にもできないじゃないか! なにがオフィサーだ! 前々から上の連中は気に入らないやつが多かったんだ。手足のように使ってきやがって! コレが壊れました、アレが漏れました、コッチが不調です、アッチは前から動きません。ふざけんな! バルブの摺り合わせぐらい自分らでやれ! 前から動きません? 知ったことか! 縁の下の力持ちイコール下僕と勘違いしているやつが多すぎる!
「ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ」
さむいこわいしぬねむいねむ……い……いけ……な。
……なんで! 俺が! こんな目に! なんで俺は、こんな! 救命艇になんて乗らなければよかった! なぜ俺は乗ったんだ!? 乗る必要なんかないだろ! 俺の仕事じゃない!
………………あいつだ。本来これは三等機関士の仕事だ。あいつがもたもたしていなければ、俺がフォローしてやる必要もなかったんだ。そうすれば船酔いで気持ち悪くもならなかったし、痛い思いをせずに済んだんだ! こんな海のど真ん中で寒い思いもせずに済んだ! だれも助けになんか来ないのに必死に浮き続けることもなかった! たった一人で、孤独に、冷たくなっていくことも、なかったんだ!! 全部あいつのせいだ! 俺は、あいつの、身代わりになったんだ! 始めからあいつが乗っていれば! せめて左舷艇であいつと交代していれば、今頃ここにいるのはあいつのはずだったんだ!! くそ! ちくしょう!!
「ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ」
太陽が西の空へと傾いていく。
日没が迫っていた。
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