海の彼方のトティアス 〜船員さん、異世界へゆく。海に沈んだ世界で絆を育み生き抜く、普通の男の物語~

万年ぼんく

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第一章

第八話 Zero Hour(± 0 hrs)

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 落ちていく――、真っ暗な中をどこまでもどこまでも落ちていく。

 いや、違う。違ってはいないが、正しくない。

 暗いのか、明るいのか。落ちているのか、上っているのか。判然としない。

 はて、全てが判然としているような気もするが、そんな気がした時にはもうグッチャグチャになっていて、ここに居るべきでないことだけは察する。

 しかし身体は動かず、何も感じられず、現状を認識できない――こともない。

 息はしているのか、心臓は動いているのか。生きているのか、死んでいるのか。自分とは何者で、この意識は何なのか。進む先は、黒か白か透明か。

 全てを認めているのに、同時に何も識らない。

 全て知るが故に何も知らず。全てあたうが故に何も能わず。無意の中に有意が在り、見つけた意味には何の意味も無い。

 何もかもが曖昧で、でも明瞭で。生きた心地がしなくて、でも死に瀕しているわけでもなくて。

 在りと凡ゆる可能性がごった返し、逆に全てが不可能に落とし込まれているようで、実のところなんでも出来る。


 ――こんなモノをヒトが得て、一体なんの意味がある。


 誰が誰に尋ねているのか分からないが、おそらく自問自答というやつだ。問題は、自分という概念がたった今戻ってきたという点で、同時に問答の内容が分からなくなった事だろう。

 行き先に光が、或いは闇が、小さくおもむろに、大きくまたたく。

 ソレは大きくなって、或いは自分が小さくなって。視界いっぱいに拡がり、或いは視界の中だけに収まり。全てが呑み込こまれ、全てを吐き出した。

 要するに――、要約なんか出来やしない。


**********


 やがて穂積は水中にいた。水中だと思う。

 目を開けると周囲には透明な水の空間が拡がる。底は見えず、どこまでも見通せる透明だった。不思議と目は痛くないし、呼吸もできるし、寒くも熱くもない。

 身体はふわふわと浮かび、救命胴衣ライフジャケットの浮力で上方向に吊り上げられているのがわかる。

 見上げると彼方に見える透明な水面みなもがゆらゆらと揺れていた。

 救命胴衣に引っ張られてどんどん浮上していく。かなりの深度のはずだが、水圧もまったく感じない。不思議な空間だった。

 揺らめく水面に近づくにつれて、穂積の胸にこみ上げる何かがある。それが何なのかわからないが、とても穏やかであり、鮮烈でもあり、得も言われぬ高揚感に包まれる。

 ダイビングをたしなむ者が海面から浮上する瞬間、まるで生まれ変わるような感動を得るという話を聞いたことがあるが、それに近い感覚なのかもしれない。

 そんなことを考えながら水面を見上げ、救命胴衣に身を任せていると――次の瞬間、そんな感動はどこかへ吹き飛んだ。

(なんだぁ!?)

 穂積の直上。何かが水面を突き破って落ちてきた。落下物の周囲に拡がる大量のあぶく。泡が消えていくと全体像が見えてくる。人だった。

(やばいだろ、アレ!)

 女性だ。高校生くらいだろうか。腰まで届くロングの黒髪が上に向かって流れて揺れる。

 丈の長い漆黒のワンピース、ドレスだろうか。実際にあんなドレスを見る機会はなかったが、映画の登場人物が着ているような、タイトな長袖のロングドレス姿。

 水中で濡れて、年の割には豊満な少女の肢体にぴったりと貼り付き、両足の自由を完全に奪っている。救命胴衣も着ていないようだ。

 少女はドレスの絡みついた足先を下に力なく落ちてくる。まぶたは閉じられ、口から気泡を吐き出していた。

(どうする!?)

 少女が落ちてきたのは穂積のほぼ真上。すれ違うまであと十メートルもない。

(捕まえて一緒に浮上するしかない! あの娘の体重くらいなら何とか上がれるはず)

 落ちてくる少女を見据え、両腕の広げて接触を待つ。少女は両腕を掲げたバンザイのような姿勢で、ちょうど穂積の正面に向かい合う。

 少女の足先が目の前を通過した瞬間、穂積は正面から太腿ふとももと尻を両腕に抱え込み、思いきり抱き寄せた。腕にのしかかる重さに耐える。

 ドレスがずり上がり、ももを抱えていた左腕に突き出た尻が乗り、尻を抱えていた右腕が腰を支える。

 穂積の顔が漆黒のドレスに包まれた大きめの乳房に埋まるが知ったことではない。

 尻を乗せた左腕を支点に少女の落下が止まる。とりあえず捕まえることはできたが。

(まいったな。上がらなくなった)

 どうやら二人分の体重を救命胴衣が支え切れないようだ。上昇は止まり、ゆっくりとだが、落ちている気がする。

(水面まであと少しだ。とにかく浮上しよう)

 少女を抱えたままバタ足をして上昇する。穂積はなぜか呼吸できるし苦しくもないのだが、少女は溺れているように見える。水面が間近に迫ると一気に浮上した。

「はぁ、はぁ」

 別に苦しかったわけではないのだが、水面上に顔を出すと大きく息をつく。

 腕の中の少女に視線を落とす。整った美しい顔立ちをしている。色白の肌にはシミ一つなく、長く黒いまつげが、閉じられた目元に幽かな影を落としていた。

 薄い唇は軽く開けられ艶めかしい赤い舌先が覗く。彼女の手首を触って脈拍を確認し、口元に手をかざし呼吸を確かめる。

(脈拍はある。呼吸は……なし)

 立ち泳ぎの状態で人工呼吸などできるのか、わからなかったが、やるしかない。

 彼女の右側面に周り、抱え込むように左腕を首の後ろに回して引き上げ、体重を支えると同時に気道を確保する。右手で鼻をつまんで、大きく息を吸い込み唇を重ねた。

「ふぅ――――――っ!」

 一秒間、息を吹き込みつつ、横目で胸が膨らむことを確認する。

(なんか入ってきたような? 気のせいか)

 おかしな感覚があったが気にせず、五秒後、もう一回。


「ふぅ――――――っ!」

「――っゴホゴホ! ゲホ、オエ~っ」

 彼女の身体がビクンッと震え、咳き込みながら水を吐き出した。

「コホコホッ! ケホッ、ハァー、ハァー」

 何度か咳き込みながら徐々に呼吸が戻ってきたようだが、身体は力なく弛緩したままだ。そのまま落ち着くまで首に腕を回して支えてやった。

 立ち泳ぎをしながら上空を見ると、こちらも水中と同じく透明な空間だ。天井は無くどこまでも見通せるが、同時に空も見えない。

 周囲を見回すと透明な水面が揺れるのみ。自分たちの他に浮遊物はないようだ。周囲をぐるりと見渡すが陸地や船影も見当たらない。

「うっ……」

 何か違和感を感じたが、それを確かめる前に少女の意識が戻った。

「大丈夫か?」

 少女は身じろぎするとまぶたを震わせてそっと目を開けた。長い睫のなかに煙る二つの瞳は、まるで海のような群青色。光を映してゆらゆら揺れる。

 四肢をダラリと垂らしたまま、顔を傾け、その大きな瞳に自らの首を抱く穂積を捉えた。

「xxx?」

(……何語?)

「xxx? xxxxxx?」

「Hi, Nice to meet you. I'm Hozumi Niitaka. Are you okay?」(とりあえず英語で)

 こちらはつたない英語。それもフィリピン人にまれたフィリピンなまりのジャパンイングリッシュだ。発音もあやしいのでネイティブに通じるか微妙である。

「xxxxxx。xx、xxxxxxxxxx?」

 どうやら通じないらしい。どうしよう。日本語となんちゃって英語しか喋れない。そもそも、この娘がどこの国の言葉をしゃべっているのかもわからない。ならば。

「こんに~ちは!」

 日本語で何とか意思疎通を取ろうとしたら、変な外国人みたいなイントネーションになってしまった。もうやっちゃたので、諦めてその調子で押し通す。

「わた~し、ホヅミ・ニイタカ、といいます」

 全力で愛想笑いを浮かべ、救命胴衣の隙間から煙管服つなぎの左胸についていた名前入りのワッペンを見せ、自分の顔と交互に指差し、『いま自己紹介しています』という空気を出す。

「あなーたの、なまえ~は、なんでーすか??」

 彼女の可愛らしいお顔とワッペンを交互に指差し、クエスチョンマークを思いっきり強調して、『いま質問しています』という空気を出す。

 少女はきょとんとした顔をすると、「ぷふっ」と可愛くふき出した。

「xx、xxxxxxxx。xxxxx! xxxxx……」

 少女は笑みを浮かべると、力を込めて震える身体を起こそうとして、穂積の腕から滑り落ちちんしてしまう。

「ごぼぼぼぼっ!」

 慌てて少女の脇の下に手を入れて引き上げる。どうやらまだ身体に力が入らないらしい。それと、なんとなくだが、この娘、金づちの気配がする。

(しょうがない)

 脱力した金づちっぽい少女をこのままにしておくのは、あまりにも不憫だし危険だ。

 少女を支えたまま何とか救命胴衣を脱ぎ、頭からかぶらせて両腕を抜き出す。胸の前で締め紐を接続し、少女の身体に合わせて紐を引き絞っていく。形の良い美乳が潰れるが知ったことではない。

 救命胴衣をきっちりと着せて、ゆっくり手を離すと、少女は肩のあたりまで水面上に出た状態でぷかぷか浮かんだ。

「これでよし」

 立ち泳ぎをしながら問題ないことを確認する。水中で救命胴衣を着せるのは骨が折れたが、正しく着られているようだ。

「xxxxx? xxxx?」
「ちょっと苦しいかもしれないが、きついくらいじゃないとダメなんだ。我慢してくれ」
「xxx、xxxxxxx?」

 少女が複雑な表情で立ち泳ぎをする俺を見つめてくる。

「俺なら大丈夫だ。泳げるし、金づちのお嬢さんよりはマシだ」
「xxxxxx。xxxxxx」

 少女が懸命に右手を突き出して手招きしている。こっちに来いと言っているようなので近づいていく。

「xxxx、xxxxxxxx? xxxxxx」

 少女は右手で穂積の額に触れると目を閉じて、なにやら集中しだした。

「なにやって、――!?」

 少女の全身に瞳と同じ色の群青色の筋が幾重にも重なり走っては消える。同時に頭の中に何かが流れ込んできた。眼前に群青色の光が溢れて目をつむる。

 数瞬後、目を開けると何事もなかったように微笑む少女がいた。わけがわからず、強い口調で問いただす。

「一体なんなんだ! 何をした!」
「……よし。成功したみたいだね」
「…………」
「わたしの言葉、理解できてるよね?」

 もちろん分かる。日本語だもの。

「……ああ」
「始めての概念だったけど上手くいったでしょ。流石わたし! 兎にも角にも、助けてもらったみたいで、どうもありがとうね! あとこれすごいねぇ! こんな浮く服どこで手に入れたの? というかもらっちゃっていいの?」
「…………」
「ん? どうしたの? ああ、そっか。今の時代、概念魔法は馴染みがないか。いきなり見たらびっくりしたでしょ。あはは。まぁ、助けてくれたお礼だと思ってよ! もしあのままだったら、わたし、たぶん消えてたし」

 やけにテンションが高い。さっきまで死にかけていたとは思えない。

「……魔法?」
「そう。言語理解の概念を組み込んでみた。トティアス語がまったく通じないんだもの。どれだけなまればそうなっちゃうのよ? キミ、一体どこの田舎の島から来たのよ?」
「…………」
「……あら? …………ねぇ、ほうけてるところ申し訳ないんだけどね。どうやらキミはこの空間に長くはいられないみたい。わたしもここがどこかはわからないけど、どういう場所かは何となくわかるから。たぶん、もうすぐパージされちゃうと思う」

 よく分からないことを言って煙に巻こうとする少女に、現状の危うさに、苛々が募っていく。

「……はぁ~。あのなぁ、お嬢さん。さっきからよくわからないんだが、言葉がわからないフリまでしてなんのごっこ遊びだ。ついさっき死にかけたんだぞ? それに俺はお嬢さんにキミなんて呼ばれる歳じゃないし、不愉快だ」
「……何言ってるの? それにわたしは悪名高き海の魔女。一万年以上前に時空結界に囚われたまま、今なお生きる伝説だよ? 概念魔法を使った時点でわかるでしょ」

(こいつは、アレだな。まったく……)

「お嬢さんの趣味を否定する気はないが、いつまでも中学二年生みたいなこと言ってるんじゃない。俺にもそういう時代があったから気持ちはわからんでもないが、忠告してあげよう。黒歴史は短いほうが将来の傷は浅くて済む。お嬢さんの場合、もう手遅れな気もするが。悪いことは言わない。溺れて救助された直後くらいちゃんとしなさい。あと、これはどうでもいいが、二つ名も考え直したほうがいい。金づちの海の魔女っ子」
「…………」

 穂積はヘルメットを脱ぎ、ひっくり返して、その中に右の胸ポケットから出した塩飴を放り込んで魔女っ子に渡した。

「これでも舐めて落ち着きなさい。きっと気持ちが高ぶってるんだ」
「…………」

 魔女っ子は大人しくヘルメットを受け取ると、塩飴と穂積をしげしげと見比べる。

「さて、救助が来るまでその場で留まるのがセオリーなんだが、なんだここは?」
「…………」
「魔女っ子はどこから来たんだ? 俺は船から落ちて気付いたらここの水中にいたんだが」

 事情を尋ねた、その時、魔女っ子が鬼気迫る様子で警告する。

「――っキミ、気をつけて! パージされるよ!」
「は? ――!?」

 楽に立ち泳ぎできていたはずなのに、突然、底が抜けたように水の感触が無くなった。

 瞬間、穴に落ちるように水中に全身が沈み、頭上の水面があっという間に遠ざかっていく。

 錐揉きりもみしながら流されて。


 穂積は海上に放り出された。
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