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第五章
第三二七話 日の出にて
しおりを挟む北町は大変だが、デカい無数のシロアリに対して自分にできることなど無い。
「地道に駆除していくしかないんでしょう?」
「はい。各町の増援が続々と到着しているようです。旦那様も先ほど現着したと連絡がありました」
「それで……どうなんです?」
「大丈夫です。内陸側の外皮の具合から見て、すぐに倒れるようなことはないと」
北町の大樹の幹は太い。
太さなら島一番らしいので、根付が中空になったぐらいでは揺らいでいないという。
もちろん、木へのダメージは重なっているのでより詳細な調査が必要だが、シロアリを駆逐しないことには始められない。
「あれだけの大木に巣食っていたのです。二、三日では終わりませんので、お嬢様は憂いなくご出立くださいませ」
「丁稚奉公ですわね……はぁ」
「なら予定通り明朝出発します。ヴァトラーさん、お世話になりました」
「またいつでもお越しください。チェーンお嬢様とソーヤお嬢様のこと、お頼み申し上げます」
客間に戻り荷物をまとめると、ベッドにドサリと横たわって身体を休める。
結局、木材の仕入れは一年後。折角ナツがお膳立てしてくれたサスティナ島の領主の座も辞退したことになる。
(……今もシロアリ退治してんだよなぁ。俺には無理だ)
地下ドックの本格稼働は来年になりそうだが、可能な限り急がなくてはいけない。アルロー貴族の反発は予想以上に強く、アジュメイル家には頼れない。
貴族の大使館への干渉は日に日に激しさを増し、特にギジュメイル派閥は見境が無くなってきた。
亡命を希望して入り込んだ人間が密偵だったり、外出中の職員が襲わるなどしょっちゅうで、子供の暗殺者を孤児に紛れ込ませたりと、より過激に、より巧妙にエスカレートしている。
「リヒト、大使館の方は?」
「銭湯の従業員の家族が拐われました。実行犯はスラムの闇組織。キサラ、カンナ両名の身柄の引き渡しを要求してきたと」
「銭湯の、従業員の、家族? 何を考えてんだ……馬鹿か」
「人質は無事救出。一家は亡命。実行犯は皆殺し終わりましたが、組織の壊滅には至っておりません。依頼したのはギジュメイル派閥の下級貴族家ですが、そんな伝手のある家ではないかと」
「その貴族は?」
「屋敷から死体で見つかりました。妻らと子供、複数の使用人が行方不明に」
「はぁ……派閥の中でも立場の弱い家か」
これは酷い部類だが、スラムを隠れ蓑とした事件が毎週のように起きており、いずれも証拠は残っていない。
わかりやすい不埒者も多いため警備員の手が回らず、バルトですら突っ込んだ調査をする時間が取れない。
具体的に誰の指示なのかまでを追うには、隠密技能を持った人材を補充しなければならなかった。
「採用の方は進んでる?」
「セントルーサ監獄に収監された人間とは接触できました。生き残りは十二人ですが、自力での脱獄は困難かと」
「そんなに厳重なの?」
「全員が隷属魔堰で行動を縛られていますし、拷問でボロボロです。自白剤の大量投与で私と同じくパーなのもいるそうで。親近感がパナイです」
「『脱獄禁止』って命令されたらどうしようもないか。誰が主人?」
「監獄を任されている貴族。サージュメイル派閥の家です」
ビクトリアによる一斉摘発で捕まった帝国情報部を含めた各国の諜報員、工作員をキャリア採用しようかと思っていたのだが、どうやら状況は厳しいらしい。
スラムをどうにかしないといけないのだが、件のセントルーサ監獄はスラムのど真ん中にあり、裏では闇組織と繋がって暗躍を助けている。
「地下ドックの近くだし、あまり大きな騒ぎにすると良くないしな」
「隊長の調査では監獄に正規の看守はいないそうです」
「は? じゃあ、誰が囚人を見てるの?」
「そこで胡座を掻いているのが、闇組織の幹部たちかと」
「……その貴族は何やってんだ?」
「看守を全員飼い殺しにして彼らの給金を「わかった。もういい」……アルロー政府のグダグダっぷりがよくわかるかと」
そういう現状にメスを入れられないのは、アウルムがサージュメイル派閥全体を見ているからだ。
「おとうさん、そろそろお休みになっては? 無理はよくありませんので」
「そうだな……考えても埒があかない。リヒトも休め」
「そうですか? では。ゴソゴソ」
「……口でゴソゴソって言う?」
「モゾモゾ。私はおとうさんの情婦ですのでぇえ~。これも義父娘のスキンシップかとぉお~~」
「……その貌が堪らなく可愛く見えてきた自分が怖い」
「可愛いですかぁ、そうですかぁ~。サービスしま……いただきむぁああ~んっ! ふぅうう~! うむぅうう~んん~!」
「……齧りたくなったら事前に言えよ?」
「ふぁ~い……おとうさん……」
「ん?」
「ありがとう」
リヒトが望むなら狂った父娘を演じるのもいいと、左手で優しく薄紫の髪を撫でる。
「んあ……あーん」
左腕を引き寄せられ噛まれるかと思ったが、「はむはむ」と口で言いながら軽く甘噛みし、傷口に舌を這わせるだけだった。
**********
明くる日の早朝、身支度を整えて客間を出ると、玄関先が騒がしい。
「それで旦那様は!?」
「ご健在ですが……! 領軍だけでは抑え切れません! 憲兵に応援を要請! 南方管区にも救援を求めよと!」
階段を降りると、玄関扉にもたれかかるチェーンがいた。領主館の役人と話すヴァトラーを震えながら見ている。
「ふぅ……そうか。状況は良くないが、住民は?」
「港へ避難していますが、巡視船に乗り切れません」
「むぅ……可能な限り乗せて隣町へ移送。これを繰り返すしかない。他の巡視船は?」
「憲兵の移送準備中です。すぐには回せません」
ヴァトラーは留守居役として役人に対応を指示すると、玄関を振り返って一礼。すぐに視線を戻し、駆け寄ってきた憲兵の報告を聞いている。
「チェーン? 大丈夫か?」
「あ、ああ……ニイタカ大使。おはようございます」
「おはよう。何があった?」
「北の大木が……お母様の町が……」
日の出とともに、北町の情勢は大きく変化していた。
町の奥に空いた大穴から出てくるシロアリの封じ込めには成功していたのだが、何発かの『風刃』を巣の中に撃ち込んだのが良くなかったのだろう、外界から刺激されたシロアリは人の想像を超えて活発になった。
町に削られ下水で腐食した外皮の最も脆い部分、外壁の内側に掘られた下水路を地下から食い破って出てきたのだ。夜間のことで発見が遅れ、朝日が登る頃には外壁は穴だらけになっていた。
「山師小屋が食われていると……、何匹かは土場まで侵入してきたそうですわ」
「……倉庫街は?」
「まだ無事ですが、山師小屋を囮に防衛線を……! しかし、それでは先が無いではありませんか!」
山師小屋には林業に必要なあらゆるものが詰まっている。多くが木製の道具であり、すべてを新調し小屋を再建するにも金と時間がかかるだろう。
「――なんだと!? そんなっ……馬鹿なぁ!」
玄関先のヴァトラーから悲鳴のような叫びが響いた。
「同様の報告が複数! 間違いありません……!」
「何と愚かなっ……ふざけた真似を!」
「ターマイ様が全員処分したと! 怒りに我を忘れておられるようです!」
「ありったけの人員を送れ! 住民の避難も後回しだ!」
「は、はい!」
ヴァトラーがあれほど慌てるとは穏やかでない。
「ヴァトラー!」
チェーンが玄関から駆け出した。
「何があったのです!? これ以上に何が!?」
「お嬢様……北町はダメかもしれません……」
「どういうこと!?」
ヴァトラーは鬼のような形相で歯軋りしながら報告された事実を告げた。
「ギジュメイルの連中が巣に火を放ちました」
膝から崩れ落ちたチェーンの内心は複雑に入り乱れる。
母を縛りつけ、今度は自分を縛ろうとする鎖であり、同時に変化を望む気持ちに嘘はなく、父とは違う森づくりを目指す、母の故郷。
「巣の中は乾燥しているようで火の回りが速く。大多数のシロアリは焼け死ぬでしょうが、煙に燻し出された大群の勢いが凄まじく……防衛線も破られそうです」
じっくりと時間をかけて駆除すべきところを何を思ったのか、交渉に来ていた多くの貴族や間者が巣穴目掛けて熱量魔法を斉射した。
シロアリの群れのせいで消火活動も出来ないという。
「チェーン、行くぞ」
「……」
「飛行魔堰は螺旋坂の出口に置いてある。すぐ出発できる」
「……こんな時に! 丁稚奉公なんか!」
「何言ってんだ? 見に行かないのか?」
「――え?」
報告された情報を元に考え対応するのは正しいが、事件は現場で起こっている。
「お母さんが生まれ育った大樹だ」
何事も現場を見なければ始まらないというのは真理だと、船員としての経験則なので森で通じるかは分からないが、きっと同じだろう。
「お前の根っこが燃えている」
そうでなくてはバッサスが森に入り浸っている理由がない。
「どうなるにせよ、自分の目で見届けた方がいい」
チェーンは自分の顔面をガッと握って気合いを入れると、震える脚で立ち上がり、淑女らしい綺麗なカーテシーを贈った。
「わたくしを北町へ。お願いいたします」
そう言って、穂積とリヒトの二人に頭を下げた。
**********
後部座席に穂積とチェーンを乗せて飛行魔堰は密林を越えていく。大樹は煙って見えにくいが、立ち昇る煙は黒々と天高く昇っている。
「ああ……」
やがて到着し、煙を避けて北町の大樹を旋回すると、チェーンから絶望の声が漏れた。
火は巣から街中に燃え広がり、煙とともに外皮を舐めている。まるでトレントが口から怒りの炎を吐いているようだ。
「住民は……港か」
「向かいます」
積み木に沿って港から大樹までをぐるりと囲む白い河は包囲網のように人間たちの逃げ場を塞ぐ。
山師小屋は半分以上消えて無くなり、残りにも白い虫がびっしりと集っている。餌にありつけなかったシロアリが目指すのは土場に積まれた材木だ。
そこは主戦場だった。
地面にはあちこちに赤い血痕と虫の体液が飛び散り、負傷兵を担いで退却する兵士も見える。
「……積極的に襲われなくてもあの顎で咬まれると重症だな」
「私のより凶悪な顎かと」
「俺もアレに齧られるのは勘弁だ」
「おとうさんを齧っていいのは私だけですので!」
「はいはい」
最前線で丸太を振り回している大男はターマイだろう。
群れを殴り飛ばし、払い退けて、集団の中に丸太を投擲すると、それに群がるシロアリが足を止める。
『ギュイィイイイイイイイ――――ン!』
集まったシロアリ目掛けて大きな『風旋斧』を水平に顕現させ一気に輪切りにした。
「上手い戦法です。材木はまだあるようですし……魔力さえ持てば」
「食欲が半端じゃない。あっという間に……この数はヤバいだろ」
「あっ! お父様!」
山師小屋の屋根にバッサスが立っていた。
立ち並ぶ小屋の両脇にはシロアリの死骸が山のように転がっている。
食い残した山師小屋に新たな群れが襲い掛かった。同族の死骸や食事中の仲間を踏み台に屋根まで群がるシロアリがバッサスに迫る。
『ギュリリリリリリイィイイイ――――ン!』
深緑の聖痕が走り、小屋を丸く囲む『風旋斧』が地面から生えた。
横並びの長屋のような小屋に沿って、それぞれの小屋に合わせて径を変化させる円環が横移動。小屋に群がるシロアリだけを切り刻みながら払い落とす。
「地面から直接砂利を供給してんのか?」
「あれほど精密な遠隔操作は並じゃありません。地中は見えないのでイメージし難いはずなのに」
「チェーン。親父さん、北町の山師小屋を守ってるぞ」
「お、お父様ぁ――っ!」
一体、何度目の魔法なのだろう。肩で息をするバッサスが上空に気付いた。
「お父様~っ!」
「……」
寡黙に会釈だけ送ってきたが、遥か遠くの山師小屋にも同じ魔法を行使し始めた。
地中どころか小屋の裏側も見えないだろうに、シロアリだけがキレイに払われ、小屋には傷一つ付いていない。
「チェーン。親父さん、娘にいいトコ見せようとしてるぞ」
「お父様ぁああ~!」
「おとうさぁ~ん!」
「いや、リヒトは何でよ?」
奮戦する二つのウッズメイルだが、やはり数が多すぎる。各所で山師の『風旋斧』の音が鳴り響き、領軍や憲兵の『風刃』が群れを切り裂く。
「大樹から後続が出てきてます。焼け死ぬのではなかったので?」
「巣穴の中では酸欠で鎮火してるのかもな」
港には多くの住民がごった返し、倉庫街にまで人が溢れている。
桟橋に船は無く、彼らに逃げ場は無かった。
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