アンバーと小デブ

いちのにか

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「それパスで」「パスをパスします」

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 マーコット公爵家の長女として生を受けたアンバーは幼い頃から王妃になるための教育を施されてきた。


 腰の高さまである、白絹のような緩やかにウェーブがかった髪に、滑らかな白い肌、わずかに吊り目がかった目の中でその名を表す琥珀色の瞳が宝石のように光輝いている。
 デビュタントの場で妖精のようだ、と貴族たちの間で話題になった美しさは、年齢を重ねるごとにさらに上品、且つ優雅に洗練されていった。

しかし、そんな彼女の美しさは多くの人の目に触れることはなかった。それはなぜか。彼女が人前に姿を現さぬ理由、それは、偏に王妃教育の厳しさにあった。

 勉強内容は数カ国の語学やら歴史、特産物、また国内外の情勢、敷いては政学や法律について。夫となる相手を支えるため王政学の課題もしっかり積み上げられ、もちろんマナー講師にもみっちりしごかれる。日々の終わりは、王妃のありがたいお言葉で締め括られた。

 毎日毎日、アンバーにとって楽しいことなどひとつもない日々を送った。それが自分の賜ったお役目であると言い聞かせてきたが、学園に入ってから数ヶ月後、突如そのお役目から解放される日が来た。

 婚約者であった第一王子が婚約解消を叫んだためである。

 真実の愛を見つけた彼が平民上がりの娘の肩を抱きながら、アンバーにいくつかのセリフを言い放った。

 僕が悪いんだの、
 想いは止められないだの。

 散々歯の浮くようなセリフを吐き終えた金髪碧眼の王子は、認めてくれるか?と甘ったれた口調でアンバーに尋ねたため、反対する理由も特に見つからなかったアンバーが了承する形になった。

 公爵家は娘をコケにされたことに怒り、散々抗議の手紙を出したが、アンバー自身は辛いお役目をようやっと解放された、と安心感に満たされていた。

 王妃教育の妨げにならぬよう、入学前に単位は全て取り終えていたため、とっとと学園を卒業し、屋敷に引きこもる。
両親の怒りは全て王子に向いていたため、愛娘を不憫に思い好きなようにさせてくれる。それを良いことに、アンバーは燃え尽き症候群のようにダラダラと日々を過ごしていた。

以前は許されなかった自由時間を得たアンバーは小説を読み漁り、刺繍や庭の散歩など、思いつく娯楽を戯れに行った。
なんとなく何かをしているうちに日々は過ぎ去っていった。

 特にアンバーの興味を引いたのは、平民の書いた書籍だった。最初は馴染みのない言葉遣いやら、言い回しを解読するのに難儀したが、地頭が良かったこともありすぐにそれらは解決した。貴族間ではあり得ない明け透けな思いの飛び交う恋愛小説は胸がときめいたし、エッセイも、思いもよらない視点での日常が語られておりとても興味深かった。いつか読んだ国家転覆論。あれは傑作だった。

ーーこのままでは自国が滅んでしまう!

読み終えた後、アンバーを恐れ慄かせる程の鮮烈な文章の数々が並ぶそれをアンバーは震える手で抱きしめ、王の元へ報告に上ろうと思った程だ。しかし、王妃教育では真実を見極めるため、複数の事実を調べ総合的に判断すべきと口酸っぱく言い含められたことを思い出したアンバーは、慌てて関係書籍を手に入れるよう侍女に伝えた。

結論から転覆論などありもしない暴論であることがわかり、婚約解消後初めてアンバーはゲラゲラと笑い転げてしまった。こんな世迷いごとが本として出版されてしまうこと自体が面白くてたまらなかった。

平民たちの描く思いもよらない数々の発想はアンバーの固定概念を粉々に打ち崩した。貴族が絶対にしない言葉遣いのクセも面白い。

こうして、王妃教育で氷漬けにされていたアンバーの人間性が、少しずつ溶かされていった。



 侍女のジェミーが苦言を呈したのはアンバーが屋敷に引きこもって一月ほど経った頃である。

「お嬢様。外出しましょう」

 だらしなくベッドに転がるアンバーを不敬にも見下ろす形でお仕着せをビシッと決めたジェミーが言い放った。社会性を失ったお嬢様は伸び伸び過ごす反面、まるでご隠居のように人生を達観しかけていた。その病が進行しないよう危惧した侍女は、行動を起こしたのである。

「それパスで」
平民の言葉が完全に染みついたアンバーが速攻拒否する。
「パスをパスします」
アンバーの読書会に付き合わされていたジェミーはとりつく島を与えずに無表情で答えた。



 ジェミーに連れ出されたのは、とある舞台だった。貴族たちの間で流行っているというそれは、純愛モノの演劇らしい。婚約解消後に恋愛小説を読み耽り、そこで人間らしい感情を学んだと言っても過言ではないアンバーは、コロッと方針を変えて、わくわくと劇場へ足を踏み入れた。

すぐに貴族たちがアンバーに気づくが、第一王子に婚約解消をされたとしても、アンバー自身に後ろ暗いところは一切ない。背筋を伸ばし堂々とエントランスを横切った。集めたのは同情の視線のみで、特にヒソヒソされないのが救いであった。

公爵家のツテによるものか一等席に案内されたアンバーはゆったり寛ぎながらオペラグラスをジェミーから受け取った。
荘厳な音楽が流れ始め、すぐに劇が始まる。

そしてその劇でアンバーは運命と出会ってしまった。








 公演後。アンバーは滂沱の涙を溢れさせ、びしょ濡れになったハンカチをジェミーに渡した。デキる侍女ジェミーは顔色ひとつ変えず5枚目の新しいハンカチを手渡す。準備万端である。
アンバーはピーッと鼻を噛みながら、観劇の余韻にズブズブに浸っていた。

 なんて素晴らしいの!
 これは歴史に残る名作だわ……!!

 まず脚本が良かった。報われない悲恋一直線の恋がたった一つのきっかけで最高のハッピーエンドへ終着した。
ストーリーが大成功したのは、それを演じる俳優たちの演技力があってこそだ。ヒロインの健気さ、無邪気なその一方で芯が強くて。そして、ヒーローの力強い包容力。どう転んでも、ヒロインを決して諦めない強い想いにはグッと来てしまう。
どこかのクソ王子とは雲泥の差である。

 熱く惹かれ合う2人の物語にスパイスを加えるのが、ヒール役の脇役俳優である。ヒロインを悪戯に翻弄し、ヒーローは狡猾に嵌める。まるで本当の悪役のような小憎たらしい小デブの男は、まさにその役にうってつけであった。

 ほぅ、と恍惚のため息をつく主に痺れを切らしたジェミーが音もなく立ち上がる。

「お嬢様、今作はお気に召しましたでしょうか」
「……ええ、とっても」
「今月末までの上演とのことですが、明日もお席をお取りしましょうか」
「……ええ、おねがい」
「大変お気に召したようでございますね」
「……ええ、とっても」

未だ夢見心地な主に、ジェミーは最後の質問を伝える。

「そこまでお気に召したのでしたら、俳優の方にご感想をお伝えしては如何でしょう」
「……ええ、とっても」

ーー僅かに食い違った反応であるがまあ、いいだろう。

ジェミーはひとつ頷いて、未だ余韻に耽っている主の背に手を添え、その実、浮き足立つ主の歩行介助をしながら、俳優の控え室に向かった。


 そして、向かった俳優の部屋で、アンバーは本日第二回目の運命に出会った。

「それでは失礼します。外に控えておりますので、何かありましたらお呼びください」

いつものジェミーの硬質な声が聞こえ、アンバーはふと我に帰った。ドアが閉じ、部屋にはアンバーと目の前の男二人だけになる。

 えーっと、なんの話でしたっけー。

頭の中でぼやきながらも、曖昧な笑みを浮かべることは忘れずに顔を上げたアンバーはカッチンと固まった。
なぜか小デブの俳優がだらしない笑みを浮かべて、アンバーの目の前に立っていた。

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