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ーーとりあえず埋めてほしい。もちろん穴は自分で掘りますので。
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ぽーっとした顔のアンバーは、クリオラシュを眺めていた。
アンバーが絶頂した後、ひくひくとしなり続ける身体が落ち着くまでずっと抱きしめてくれた彼は、アンバーが落ち着いたことを感じ取ると、カウチの上に優しく降ろしてくれた。
「アンバーが喜んでくれると、私も嬉しい」
にこ、と微笑んだ彼はアンバーの服を直してくれる。
ジェミーのコーディネートにより、緩くカールを巻いた髪も下ろしているため、あとは手櫛でなんとかなるレベルだろう。
以前は、どこか不快に感じた微笑みも、今となっては、アンバーを安心させるものとなっていた。いかに彼を見下していたかよくわかる。そんなことを思いアンバーは赤面した。
長いようで短い逢瀬は、一方的なアンバーのみの癒しの空間として幕を下ろすようだった。
彼は何も望まないのだろうか、と考えたアンバーの耳に先ほどのクリオラシュの言葉が蘇る。
私の嫌がることはしないって…彼は言った、のよね?
それはつまり、自らの欲望については一切、見せない言わない触れさせないってことかしら?
余韻に浸り続けるアンバーがアホなことを考えている間に、クリオラシュはアンバーの髪を整え終えていた。
初対面では、決して認めなかったであろう距離感にも、違和感を感じずアンバーはされるがままである。
穏やかな時間が流れていた。クリオラシュが口を開くその瞬間までは。
「ーーっと。これで終わりました。ア・ン・バ・ー・様・、本日も、素敵なお時間でした。このクリオラシュ・ヘイザム、感謝の念に堪えません」
ーーえ?
アンバーは珍妙な顔でクリオラシュを見つめた。
「お気をつけてお帰りになってくださいね」
アンバーの表情に気づかなかったクリオラシュは穏やかに微笑むと、ジェミーを呼びに控え室の外へ向かった。
アンバーはその表情のまま固まり、いつものようにジェミーによる歩行介助にて馬車への帰還を果たしたのであった。
就寝前の身支度を整え、ベッドに潜り込む。
ぼすり、と柔らかなクッションに顔を埋めたアンバーは悶々と考え込んでいた。
本日のテーマは、『突然敬語に戻った小デブについて』である。
ーーた、確かに、私の嫌がることはしないとおっしゃったけど、それってつまりそういうこと?
あの気安い言葉は、前日に話していた俳優と、貴族の娘と野演技ということであの場かぎりのものなのかしら……
確かに、身分の差から考えても、妥当な関わり方、なのだと思う。もしかしたら遊ばれているのかもしれない。アンバーを翻弄して、楽しんでいるかも。
いや、彼に限ってそんなことはない気がする。
初対面のキラキラした顔も。
役名を変更された時の淋しい背中も。
彼そのもの、だと感じた。演技をしているとは、到底思えなかった。
そこまで考えてアンバーは、自嘲した。
ーー彼は俳優、よ。演技にかけてはお手の物に決まっているわ……。
むしゃくしゃとした気持ちは、男の真意ばかりを推し測ろうとさせる。しかし、重要なのはそこではなかった。アンバーが目を背けているのは、自身の感情そのものだった。
つまりは、寂しいのである。
誰よりも近い位置で受け入れてくれたはずの相手に掌を返されたような気がして、とてもしょんぼりとしたのである。
あれほどまでに見下していた相手に、のめり込んでしまった自分が恥ずかしい。
ほう、とため息が漏れる。
明日も観劇の予定を入れているが、ここらで距離を置こう。少し離れて、冷静になった方がいいかもしれない。
アンバーはそう考えて、デキる侍女を呼ぶため、ベルに手を伸ばした。
ーーとりあえず埋めてほしい。もちろん穴は自分で掘りますので。
アンバーは愕然としていた。
見慣れた光景に、見慣れた席。見慣れたオペラグラスに、見慣れた茶器。ついでに見慣れた侍女が後方に侍りアンバーに何やら、話しかけている。
「私は、なぜ、ここに、いるのかしら」
「お嬢様からご希望を頂いたので。お帰りになられますか」
そうね、残念だけど、今絶対顔を見たくない俳優がいるから今日のところは帰
「…くっ!!!相も変わらず!!ヒロインが!!!可愛いくてらっしゃる!!!」
確かに昨夜、ジェミーを呼びつけたアンバーは、クリオラシュと距離を置きたいがために、観劇の予定をキャンセルするよう申し付けた。確かにそうした。
そして、朝になり、目覚めたアンバーは衝撃の事実を耳にした。当初の予定より、公演期間が大幅に短くなるとのことだった。なんと、今週末で終わってしまうという。
それを聞くなりアンバーは食い気味にジェミーに申し立てた。
やっぱり行きますわ!と。
掌返しが得意なのは自分でした。
アンバーは、盛大に埋まりたい気持ちになり、そしていつものように劇に魅入っていた。
……のだが。
「…彼女がどんな思いで、お前のために」
ヒーローに向かって憎々しげな表情を向け、まるで吐き捨て流ように声をかける姿も。
「君はどれだけ堪えたら気がすむんだ。もう十分頑張ったろう!あんな男より、俺の方が」
ヒロインを甘やかし、切なげな表情で問いかける声も。
「全く、君には敵わない」
困ったように笑う姿も。
全てを忘れてアンバーが魅入られたのは、クリオラシュの姿であった。
演技の中でヒロインに手を伸ばしかけた時は、思わず膝の上の両手を強く握りしめてしまったし、ヒロインに叶わぬ想いを告げた時は、胸がぎゆう、と苦しくなった。
その想いが儚く散った時は、切なさに胸が痛んだが、それと同時に何処か安堵した。
公演が終わり、ぼんやりしたアンバーの表情はいつもと違い、憂いを帯びた表情だった。
もちろんデキる侍女、ジェミーがそんな変化を見逃すわけがなく。
「お嬢様。ご気分がすぐれませんか?」
「……、いいえ。ジェミー。そうではないの」
なんと、アンバーが公演後に意識を保っている!
きちんと整合性のある返事があったことに、ジェミーは目を見張る。
「悲しげなご様子とお見受けしましたが、お気に入らない点でもございましたか?」
「悲しいわけではないのよ。自分の気持ちに気がついてしまっただけ」
間髪入れずアンバーは顔を上げる。一瞬にして場の空気が変わる。王族の一員に迎えいられられるはずだった娘の威厳を感じさせる視線が侍女に向けられた。
「ジェミー」
「は」
背筋を伸ばした侍女に、アンバーはキッパリと告げる。
「私、クリオラシュ様のところに伺いたいわ」
初めて、自らの意志を持ち告げた言葉であった。
アンバーは覚悟を決め、立ち上がった。
アンバーが絶頂した後、ひくひくとしなり続ける身体が落ち着くまでずっと抱きしめてくれた彼は、アンバーが落ち着いたことを感じ取ると、カウチの上に優しく降ろしてくれた。
「アンバーが喜んでくれると、私も嬉しい」
にこ、と微笑んだ彼はアンバーの服を直してくれる。
ジェミーのコーディネートにより、緩くカールを巻いた髪も下ろしているため、あとは手櫛でなんとかなるレベルだろう。
以前は、どこか不快に感じた微笑みも、今となっては、アンバーを安心させるものとなっていた。いかに彼を見下していたかよくわかる。そんなことを思いアンバーは赤面した。
長いようで短い逢瀬は、一方的なアンバーのみの癒しの空間として幕を下ろすようだった。
彼は何も望まないのだろうか、と考えたアンバーの耳に先ほどのクリオラシュの言葉が蘇る。
私の嫌がることはしないって…彼は言った、のよね?
それはつまり、自らの欲望については一切、見せない言わない触れさせないってことかしら?
余韻に浸り続けるアンバーがアホなことを考えている間に、クリオラシュはアンバーの髪を整え終えていた。
初対面では、決して認めなかったであろう距離感にも、違和感を感じずアンバーはされるがままである。
穏やかな時間が流れていた。クリオラシュが口を開くその瞬間までは。
「ーーっと。これで終わりました。ア・ン・バ・ー・様・、本日も、素敵なお時間でした。このクリオラシュ・ヘイザム、感謝の念に堪えません」
ーーえ?
アンバーは珍妙な顔でクリオラシュを見つめた。
「お気をつけてお帰りになってくださいね」
アンバーの表情に気づかなかったクリオラシュは穏やかに微笑むと、ジェミーを呼びに控え室の外へ向かった。
アンバーはその表情のまま固まり、いつものようにジェミーによる歩行介助にて馬車への帰還を果たしたのであった。
就寝前の身支度を整え、ベッドに潜り込む。
ぼすり、と柔らかなクッションに顔を埋めたアンバーは悶々と考え込んでいた。
本日のテーマは、『突然敬語に戻った小デブについて』である。
ーーた、確かに、私の嫌がることはしないとおっしゃったけど、それってつまりそういうこと?
あの気安い言葉は、前日に話していた俳優と、貴族の娘と野演技ということであの場かぎりのものなのかしら……
確かに、身分の差から考えても、妥当な関わり方、なのだと思う。もしかしたら遊ばれているのかもしれない。アンバーを翻弄して、楽しんでいるかも。
いや、彼に限ってそんなことはない気がする。
初対面のキラキラした顔も。
役名を変更された時の淋しい背中も。
彼そのもの、だと感じた。演技をしているとは、到底思えなかった。
そこまで考えてアンバーは、自嘲した。
ーー彼は俳優、よ。演技にかけてはお手の物に決まっているわ……。
むしゃくしゃとした気持ちは、男の真意ばかりを推し測ろうとさせる。しかし、重要なのはそこではなかった。アンバーが目を背けているのは、自身の感情そのものだった。
つまりは、寂しいのである。
誰よりも近い位置で受け入れてくれたはずの相手に掌を返されたような気がして、とてもしょんぼりとしたのである。
あれほどまでに見下していた相手に、のめり込んでしまった自分が恥ずかしい。
ほう、とため息が漏れる。
明日も観劇の予定を入れているが、ここらで距離を置こう。少し離れて、冷静になった方がいいかもしれない。
アンバーはそう考えて、デキる侍女を呼ぶため、ベルに手を伸ばした。
ーーとりあえず埋めてほしい。もちろん穴は自分で掘りますので。
アンバーは愕然としていた。
見慣れた光景に、見慣れた席。見慣れたオペラグラスに、見慣れた茶器。ついでに見慣れた侍女が後方に侍りアンバーに何やら、話しかけている。
「私は、なぜ、ここに、いるのかしら」
「お嬢様からご希望を頂いたので。お帰りになられますか」
そうね、残念だけど、今絶対顔を見たくない俳優がいるから今日のところは帰
「…くっ!!!相も変わらず!!ヒロインが!!!可愛いくてらっしゃる!!!」
確かに昨夜、ジェミーを呼びつけたアンバーは、クリオラシュと距離を置きたいがために、観劇の予定をキャンセルするよう申し付けた。確かにそうした。
そして、朝になり、目覚めたアンバーは衝撃の事実を耳にした。当初の予定より、公演期間が大幅に短くなるとのことだった。なんと、今週末で終わってしまうという。
それを聞くなりアンバーは食い気味にジェミーに申し立てた。
やっぱり行きますわ!と。
掌返しが得意なのは自分でした。
アンバーは、盛大に埋まりたい気持ちになり、そしていつものように劇に魅入っていた。
……のだが。
「…彼女がどんな思いで、お前のために」
ヒーローに向かって憎々しげな表情を向け、まるで吐き捨て流ように声をかける姿も。
「君はどれだけ堪えたら気がすむんだ。もう十分頑張ったろう!あんな男より、俺の方が」
ヒロインを甘やかし、切なげな表情で問いかける声も。
「全く、君には敵わない」
困ったように笑う姿も。
全てを忘れてアンバーが魅入られたのは、クリオラシュの姿であった。
演技の中でヒロインに手を伸ばしかけた時は、思わず膝の上の両手を強く握りしめてしまったし、ヒロインに叶わぬ想いを告げた時は、胸がぎゆう、と苦しくなった。
その想いが儚く散った時は、切なさに胸が痛んだが、それと同時に何処か安堵した。
公演が終わり、ぼんやりしたアンバーの表情はいつもと違い、憂いを帯びた表情だった。
もちろんデキる侍女、ジェミーがそんな変化を見逃すわけがなく。
「お嬢様。ご気分がすぐれませんか?」
「……、いいえ。ジェミー。そうではないの」
なんと、アンバーが公演後に意識を保っている!
きちんと整合性のある返事があったことに、ジェミーは目を見張る。
「悲しげなご様子とお見受けしましたが、お気に入らない点でもございましたか?」
「悲しいわけではないのよ。自分の気持ちに気がついてしまっただけ」
間髪入れずアンバーは顔を上げる。一瞬にして場の空気が変わる。王族の一員に迎えいられられるはずだった娘の威厳を感じさせる視線が侍女に向けられた。
「ジェミー」
「は」
背筋を伸ばした侍女に、アンバーはキッパリと告げる。
「私、クリオラシュ様のところに伺いたいわ」
初めて、自らの意志を持ち告げた言葉であった。
アンバーは覚悟を決め、立ち上がった。
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