魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~

古道 庵

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墜天の章

第三十四話 開戦

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七月十七日、西国の諸大名らを大阪に集結させた石田三成は、現在残っている五奉行の三名に「内府ちがひの条々」を発布させた。

これは、家康がこれまで犯してきた豊臣への背反行為を列挙したものだ。
各国の諸大名に送られ、家康を討つべしと、石田軍への参陣を要請する内容だった。

そして翌日には家康の家臣・鳥居とりい元忠もとただが守る伏見城を攻め始めた。

伏見城は豊臣の政治の中心となる城。更に、守り手は僅かに二千と少しの軍勢。
寄せ手は万を超える大軍。一日と待たず降伏するだろうと三成は話していた。

しかし、鳥居元忠は決して降ることなく抗い続けた。
石田方の諸将が次々と到着し、寄せ手の数は膨れ上がっていく。

――それでも、伏見城は耐え続けたのだ。


本来の予定では二日程度で伏見城を陥とし、美濃大垣城、そしてこの岐阜城で本隊を待って合流し、東海道と信濃口へと別れて進軍する予定だった。

速やかに攻めていけば、徳川方の伝令が届いても戦闘態勢を取れずに倒せると踏んでいたからだ。


しかし、予想外の粘りを鳥居元忠らは見せた。
結局月が代わった八月一日にようやく落城したものの。二十倍もの軍勢で攻囲して実に十三日も掛かってしまったのだ。
あまりにも時間を掛け過ぎてしまっていた。

当然、徳川方に石田三成の挙兵の報せは届いてしまう。
それにより会津へと駆け上る前に軍は停止。それから家康は江戸に戻り、上杉征伐軍を対石田軍へと変えた。

その間に三成も居城である佐和山城に戻り、尾張・清州城の福島正則の説得に入った。
説得の成否で、一気に三河まで進めるか、清州城を攻めるかを決めるようだった。


「石田殿は、やはり戦が得手ではないな」
「秀則、言うな」

いつものように天守を眺めている時に、秀則が呟く。

「だってそうだろう。予定ではとっくに出陣して攻め上がる算段だったはずだ。留守の清州城と吉田城を攻めて尾張を取るはずだったのに、既に福島殿は関東から戻ってきてしまっている。しかも説得だと? 石田殿と福島殿は犬猿の仲だと僕でも知っているぞ」
「だから分かっている。言うな」

秀則はかなり苛立っている様子だった。
それも仕方がない。俺も歯痒い思いをしているのだ。

正直、福島殿や池田殿を正面から相手したくなかった。
それも、こちらが守りという形で戦うなど無謀以外に言いようが無い。
せめてこちらが攻める立場で戦いたかった。

加えて、毛利軍と宇喜多軍を中心とした本隊の動きもゆっくりとしたものだった。どうにも石田方の諸将の士気が高くないように思えてならない。

「挙兵したのだから、四の五の言わずに一斉に攻めかければいいんだ。僕ならそうする」
「石田殿は、なるべく被害を出さないまま徳川軍と対したいのだろう。あちらの軍も強力だ」
「だからと言って、福島殿を説得して頷くわけがないだろうに」

まったく、全てが同意見だった。
福島正則が、三成に靡くわけがない。どうせ突き返されて終わりだ。

「徳川方からも書状が来ているんだろう?」
「ああ。あの条々と似たようなものだ。恐らく石田方の諸将にも全て送られているな」
「くだらない……子供の喧嘩じゃないか」

秀則はそう吐き捨て、欄干を叩いた。

「……なあ、兄上。僕は不安だよ。本当に石田殿について大丈夫なのか? この戦、勝てるのか?」
「戦は勝てるべきに起こすもの、と兵法にはあったな。今回も勝てると目算を立てて始めている。しかし、現実は水ものだ。如何様にも変容するし、予想がつかない事も起きる」
「結局、運任せか」
「その運をどう引き寄せるか、だ」

俺の学んだ歴史書を見る限り、勝利を引き寄せるために手を尽くしている方が勝っていると、思った。
その点で言えば、三成も必死なのだろう。

「とにかく、今は待機だ。本隊が来ればすぐに動き始める。いつでも準備しておけよ」
「分かったよ」

まだ不服そうだが、秀則は了承したようだ。





伏見城を落城させてから既に半月が経過したが、何故か異様に両軍は静かだった。
どちらが攻めかかる事もなく、しかし、軍を着々と整えている様相だ。

石田三成は、岐阜城にほど近い大垣城に入城し、諸将もそちらに移動しつつある。
徳川方と言えば、未だ本隊が江戸を出たという報告が来ていない。
しかし、福島正則の清州城に武断派の諸将らが集結しており、既に数万の兵が駐屯しているようだ。

石田方の大垣城と、徳川方の清州城。その両城に挟まれた形で、岐阜城は突出してしまっている。
これは、想定できる中でも最悪の形だった。

城内の様子が酷く張りつめており、皆に余裕が無くなっている。誰もが思うはずだ、「この城が見捨てられる」という可能性に。

「殿、川瀬殿らが到着しました」
「そうか」
綱家が伝えに来たのは、三成に要請していた援軍だった。
およそ三千の隊を、使者として来たあの川瀬かわせ佐馬助さまのすけが率いてきた。

「清州にはどれ程の軍が集結している?」
「……凡そ四万程と」
「笑えてくるな。そんな大軍があそこに」
「それも、士気が非常に高いようです」
「そうか……では、そろそろかもな。よし、軍評定を行い、決定を各々の支城に伝えろ。まず真っ先にここを陥としにかかるはずだ」
「殿は、どれ程の軍が来ると思われますか?」
「常道で言えば、ここと大垣城に軍を二分する。それに福島正則は居城の留守居なども置くであろうからな。二万程度だろうか」
「それであれば、城に籠る事で守り切れますかな」
「いや……」





「……いや、籠城戦は考えない方がいい」
和田信盛の提案に首を振る。

「いくつか理由はあるが、この城は険阻な山城であるが、長期間の籠城には向かない。水源が無いからだ。加えて寄せ手からすれば道の選択肢が多い。いざ守るとなれば、兵力を細かく分散して配置しなければならない」

地図を指し、いくつかの進軍路を示す。

「そして、あちらには池田照政が居る。かつての岐阜城主、この城の地形は全て把握しているだろう。つまり防衛の備えが筒抜けになっている可能性が高い。城に籠れば、一日と保たないかもしれぬ」
「そんな……」

「だが、望みはある」
そこで、大垣城を指し示す。

「既に石田殿は入城していて石田軍が駐屯している。更に後方からは毛利軍と宇喜多軍を中心とした西国諸将らの大軍も控えている。数日耐えれば救援を望めるだろう」
「しかし、敵は四万。恐らく大垣城にも差し向けられるのでは」
「だから数日、だ。本隊と合流できなければあれだけの軍を破る事はできないだろう」

評定の場が沈黙に支配される。

「さて、ここから具体的な配置を伝える。皆、よく聞いてくれ」
大小様々な駒を取り出し、配置していく。

「先も伝えた通り、籠城戦は下策だ。最終的にはここまで退却する必要が出るかもしれないが、その時は終わりだと思え。敵の進軍路は東から南にかけてで間違いないのは分かるだろう。西は石田方陣営が、北は長良川に阻まれ渡河できない」
西と北を指し、それから岐阜城の南方に広がる木曽川とその細かな支流を指し示す。

「敵はこの木曽川を渡らなければ岐阜にも大垣にも行けぬ。そして、夏季は水が多い。渡河できる渡しは限られている」
「軍馬が通れるとなれば……岐阜に程近い河田こうだの渡しと、下流のおこしの渡し、ですかな」
綱家の言に頷く。

「そうだ。この二点を重点的に防御すれば、攻め手を限定する事ができる。下手に城に籠るよりも戦いやすいだろう」
「たしかに……」
「起の渡しについては、竹ヶ鼻城が近い。重勝を大将とし、防衛してもらう。至急、援軍を送り陣立ても伝える。そして河田の渡しについては、残る全軍で防衛する。本陣はここ、閻魔堂えんまどうに構え、河田と起の両戦線の情報が入りやすいようにしたい」
「全軍、でございますか」
「ああ。こちらの手勢は石田殿の援軍を含んでも九千に満たない。敵は恐らく二万からの軍だ。全軍で相対すべきだ」
やや不服そうな飯沼長実の目を見て答える。

「……城を完全に空けるのは、危のうございます。もし上流から渡河する別働隊があれば、北からも攻められる可能性が」
「あまり戦力は割きたくないが、長実の話も分かる。……では斎藤父子、留守居を頼めるか?」
「我々が、でございますか」
「この岐阜城に最も詳しいのはお前達だと思ってる。避難している民共々、背中を守ってくれ」

すると元忠もとただ徳元とくげん双方が頷く。
「では岐阜城の留守はお任せ下され。各登り口にて布陣します故」
「頼んだ。墨俣すのまたを空けてしまう事、申し訳なく思う」
「なんの、我らの主城はこの岐阜城。そして斎藤家の魂とも呼べる城ですからな。必ずや守り通しまする」
力強い言葉に、頷きを返す。

「では留守居は斎藤家配下の八百を割く。異存は無いな」
見回すと皆が頷いたり手を叩いたりと、賛同の様子だったので問題ないものとした。

「杉浦殿への援軍はどう致しますか」
「竹ヶ鼻城へは、鉄砲衆の梶井と花村に行ってもらおうと思う。河田の渡しよりも、起の方が鉄砲が使いやすいだろう。それに、石田殿の増援の者にも行ってもらおうと思うが、川瀬殿、如何か?」
「それでしたら五百人隊を率いております、そこの毛利もうり広盛ひろもりを向かせましょう」
頷いた男は家康と同じ年の頃に見える老将で、非常に落ち着いた佇まいをしていた。

「では、竹ヶ鼻城へはおよそ千を援軍として向かわせるという事で」
「ああ。状況によっては更に増援を送る、と伝えておいてくれ」
「はっ」

杉浦の手勢五百と合わせて千五百。心許ないが、あちらは泥濘が多い湿地。それ程大勢で一挙に渡れるとは思えないので、何とかこれで踏ん張ってもらいたい。
それに、竹ヶ鼻城の方が大垣城とは近い。三成がすぐに援軍を出してくれれば、先に救援してもらえる筈だ。

「河田の渡しの方だが、こちらは中州が多く広範囲に展開が可能だ。恐らく主力はこちらに来る。万の軍勢と相対する覚悟をしておけよ」
言うと、皆の表情が引き締まり、場が張り詰めるのが分かる。

「まずは渡しのきわ……つまり米野こめの。ここを第一防衛線として横陣を敷く。数の不利は、兵の遊びを無くす事で埋める。全員が槍を持っておけよ」
「残る全軍をここに展開するのですか?」
「……いや」

そう言って駒を幾つかに分けて配置する。

「先も言ったが、浅瀬が多い地だ。無理をすれば渡れる箇所が幾つかある。……これを知る者が敵方に居ないとは限らない。主力は河田に置くが、本陣にも兵が欲しい。これは突破された箇所を埋める為に俺が率いる」
「殿自身が、ですか」
「俺が働かないでどうする。米野への布陣だが綱家と長実、侍衆を率いて二千五百騎を指揮しろ」
「はっ」
「長政は手勢の千を率いて、東の中野村に展開。これは万一東側から渡河してきた場合の備えとする」
「お任せを」
「方政、五百を預けるから手勢と併せて千人隊とし、遊軍として新加納村に布陣してくれ。木曽川を渡られた場合、北の境川を第二の防衛線とする。その時は主力となって迎え討て」
「承知しました」

鉈尾山城の城主である佐藤さとう方政かたまさだが、指揮の能力自体は高い。千人を率いても問題ないと見ていた。

「川瀬殿ら援軍は伏屋に布陣。西方から渡られた場合の備えと、米野の軍が不利になった際にすぐに駆けつけて欲しい」
「相分かり申した」
「残る千七百は俺と一緒に上川手村の閻魔堂だ。伝令は細かく配置するように。救援、撤退の報せはすぐに出せ」
諸将が口々に短く返事する。

「ここが正念場だ。石田殿は、この木曽川を主戦場に考えていた。俺達がここで二日も持ち堪えれば本隊が来て、正面から対する事になるだろう。そうなればこの西と東を別つ大戦の一番槍の誉れはこの織田軍にある。分かるか? 第一の武功を挙げる好機だ。皆、猪の如く突っ込んでくれるなよ?」

そう言うと笑い声が上がる。

「……最後に。戦は必ず犠牲が出るものだ。それは分かっている。だが、俺としてはこの後を考えると……ここの誰にも、欠けて欲しくはない。命を懸けてこその戦働きだが、己の命はひとつ限りだ。戦線が維持できない時、崩れる前に撤退しろ。ここはお前達が命を散らす場所ではない。いいな、生きて戻ってこい」

「はっ」

と皆が応え、姿勢を正す。

「では、各々持ち場につけ! この戦、生き残るぞ!」

「おう!」

男たちの野太い声が響き、甲冑の擦れる音と足音で慌ただしくなる。

さあ、戦の始まりだ。
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