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第1章 猫にまたたび
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やっぱり。
振り返ると、清水 恒志が中性的な微笑みを湛えて立っていた。
「……お疲れさまです」
清水さんもアトウッドの社員だ。私とは事業部が違って基本的にコスメショップの管理をする立場だけど、スクールの一階にあるショップの店長が欠員のため、ここ数ヶ月は兼任している。
私が企画する講座の必要物品を届けてくれたりと、スクール業務に関わることが多い。
「参ったね。仕事帰りについてない」
同意を求める視線が絡みつく。
清水さんを前にして、ムラ君の視線を思い出した。
似てる。
いくら相手が好意を乗せてくれても、私が好感を持つかどうかは別。
ねちっこい視線に寒気を感じ、何気なくマフラーを巻いて急所を隠す。
「猫ちゃん、一緒にタクらない? 並ぶならお互い話相手いたほうがいいでしょ」
「せっかくですけど」
逸登君を背後に匿ってみたけれど、体格差でカバーしきれていない。
清水さんが品定めするように逸登君をチラ見した。
「たまには仕事以外の話もいいじゃん」
「特に話すことなんかありません」
清水さんはそこそこ美形。ただし、安っぽくて胡散臭くもある。営業職には十分に力を発揮する笑顔も、私にはいかがわしいものに見える。
「俺は聞きたいけどなー。秀治から離れたって聞いたけど、実際は違うみたいだし?」
逸登君を意識しながら秀治の名前を出すなんて、完全に面白がっている。
こういうところ、嫌い。
マフラーに口元を隠して、歪めた唇を噛み締めた。
「清水さんには関係のない話です」
強気で突っぱねてみたものの、秀治が相談した可能性はある。
元彼の秀治と清水さんは同期で同じ本社勤務なのだから、いつどこで顔を合わせていてもおかしくない。
「そう? 良かったー。俺、これでも反省してたんだよねー」
「は?」
「いやね。秀治に猫ちゃんの親友を引き合わせちゃったからさぁ」
この人、何言ってんの?
清水さんの言葉を拾う耳から順に、頬、首、肩と筋肉が固まっていくのを感じる。
「猫ちゃんも遊んでるなら、遠慮して損したな」
緊張が全身を巡り、微動だにできない。
秀治と親友?
頭では清水さんの言葉を繋げて、必死に理解しようとする。
心は理解すべきでないと、必死に抵抗する。
この男の話を聞いてしまったら──
「詩乃さん」
ハンドバッグを握り締める冷えた手が、生温かい大きな掌に覆われた。
じんわり伝わる体温が、失った感覚を取り戻させてくれる。
「終わったことです」
清水さんへの断りと、逸登君への取り繕い。
そして何より、私自身に言い聞かせた。
「失礼します。行こ」
一秒でも早くここを離れたい。
縋れるものならなんだって構わなかった。
手近にある逸登の指を絡めとって、来た道を引き返し始めた。
***
浮気の可能性は考えていなかった。
愛想を尽かされたものだとばかり思っていた。
清水さんの発言ひとつに大きく揺さぶられている。
悔しくてたまらないけれど、思考も感情も巧くコントロールができない。
逸登君は、満員の地下鉄内で、私が潰されないように守ってくれている。
何も訊かず、何も話さないでいてくれて救われた。
何かしないと泣いてしまいそうで、逸登君の大きな喉仏に集中していた。
「なんでも好きな物選んで」
ぼーっとしたまま立ち寄ったコンビニで、目に付いた栄養ドリンクの小瓶に手を伸ばした。
「詩乃さんがまさかの選択なんだけど」
「大打撃の後は回復ポーション」
「ウコンじゃなくて?」
「……さっきの人、同じ会社で」
どこから説明すべきか迷いながら口火をきった。何も訊かないのは、私からの説明を待っているんだって思ったから。
それに、巻き込んでおいて無視だなんてありえない。
「うん。大丈夫、無理に話さなくて」
取っ掛かりを探し出したところで、あっさりと芽を摘まれてしまった。
あ、そうか。
私ってば、何を期待して、、、馬鹿みたい。
逸登君の静かな拒絶は、言い訳を並べようとしていただけの私に釘を刺した。
知り合って数時間の逸登君が、私の色恋沙汰に興味を示さないのは当たり前だ。
「ごめんなさい」
考えてみれば、たった数時間の間に迷惑ばかりかけている。
私のやるせない気持ちは、聞こえないふりで応えてくれた。
罪なぐらい優しい。
もう一度ごめんと唱えて歯ブラシセットを手に取った。
「いっくんセンパーイ」
「っす」
「お疲れーっす」
不意に数人の男性に囲まれた。
若い集団は、誰しもスウェットにジャンバーを羽織ったラフな身なりだ。柔い素材が、くまちゃんみたいな逞しさを浮き彫りにしている。
「こんばんは!」
「こ、こんばんは」
元気のよい挨拶に圧倒されながらも、なんとか返事ができた。体の大きさだけでなく歯切れの良い口調も、私が出会ったことのないタイプだ。
「えっと、中井さんのお仕事関係の方ですよね?」
「そうです!」
「関係者です!」
にやついた反応は間違いなく誤解を与えている。逸登君に助けを求めると、苛ついているのか照れているのか判断に苦しむ溜息をついた。
「やかましくてごめん。こいつら、寮住まいの後輩」
逸登君たちは官舎に住んでいると、先の飲み会で聞いた。紗也の弟みたいに自宅から通う人もいるけれど、家賃が優遇されるため独身者は官舎住まいが多いらしい。
「んなことより、こちらの超美人のお姉さんは?」
「先輩たち合コンって言ってなかったっけ」
「は! まさか!」
キャッと両手の握りこぶしを口元に宛てがった――のはチャラめで大きな成人男性だ。
逸登君が心底嫌そうに舌打ちをした。男性同士の間合いで繰り広げられる遣り取りは、私や紗也との会話とは違う。優しい印象しかなかった逸登君の素が見えて、思わず笑い出してしまった。
「あーもう! お前ら、買い物終わったなら帰れ!」
笑いの効果は抜群だ。
引き続きふざけ合う彼らの馬鹿馬鹿しさがほっとさせてくれた。
逸登君が後輩を追い払っている隙を見計らってレジに向かった。
振り返ると、清水 恒志が中性的な微笑みを湛えて立っていた。
「……お疲れさまです」
清水さんもアトウッドの社員だ。私とは事業部が違って基本的にコスメショップの管理をする立場だけど、スクールの一階にあるショップの店長が欠員のため、ここ数ヶ月は兼任している。
私が企画する講座の必要物品を届けてくれたりと、スクール業務に関わることが多い。
「参ったね。仕事帰りについてない」
同意を求める視線が絡みつく。
清水さんを前にして、ムラ君の視線を思い出した。
似てる。
いくら相手が好意を乗せてくれても、私が好感を持つかどうかは別。
ねちっこい視線に寒気を感じ、何気なくマフラーを巻いて急所を隠す。
「猫ちゃん、一緒にタクらない? 並ぶならお互い話相手いたほうがいいでしょ」
「せっかくですけど」
逸登君を背後に匿ってみたけれど、体格差でカバーしきれていない。
清水さんが品定めするように逸登君をチラ見した。
「たまには仕事以外の話もいいじゃん」
「特に話すことなんかありません」
清水さんはそこそこ美形。ただし、安っぽくて胡散臭くもある。営業職には十分に力を発揮する笑顔も、私にはいかがわしいものに見える。
「俺は聞きたいけどなー。秀治から離れたって聞いたけど、実際は違うみたいだし?」
逸登君を意識しながら秀治の名前を出すなんて、完全に面白がっている。
こういうところ、嫌い。
マフラーに口元を隠して、歪めた唇を噛み締めた。
「清水さんには関係のない話です」
強気で突っぱねてみたものの、秀治が相談した可能性はある。
元彼の秀治と清水さんは同期で同じ本社勤務なのだから、いつどこで顔を合わせていてもおかしくない。
「そう? 良かったー。俺、これでも反省してたんだよねー」
「は?」
「いやね。秀治に猫ちゃんの親友を引き合わせちゃったからさぁ」
この人、何言ってんの?
清水さんの言葉を拾う耳から順に、頬、首、肩と筋肉が固まっていくのを感じる。
「猫ちゃんも遊んでるなら、遠慮して損したな」
緊張が全身を巡り、微動だにできない。
秀治と親友?
頭では清水さんの言葉を繋げて、必死に理解しようとする。
心は理解すべきでないと、必死に抵抗する。
この男の話を聞いてしまったら──
「詩乃さん」
ハンドバッグを握り締める冷えた手が、生温かい大きな掌に覆われた。
じんわり伝わる体温が、失った感覚を取り戻させてくれる。
「終わったことです」
清水さんへの断りと、逸登君への取り繕い。
そして何より、私自身に言い聞かせた。
「失礼します。行こ」
一秒でも早くここを離れたい。
縋れるものならなんだって構わなかった。
手近にある逸登の指を絡めとって、来た道を引き返し始めた。
***
浮気の可能性は考えていなかった。
愛想を尽かされたものだとばかり思っていた。
清水さんの発言ひとつに大きく揺さぶられている。
悔しくてたまらないけれど、思考も感情も巧くコントロールができない。
逸登君は、満員の地下鉄内で、私が潰されないように守ってくれている。
何も訊かず、何も話さないでいてくれて救われた。
何かしないと泣いてしまいそうで、逸登君の大きな喉仏に集中していた。
「なんでも好きな物選んで」
ぼーっとしたまま立ち寄ったコンビニで、目に付いた栄養ドリンクの小瓶に手を伸ばした。
「詩乃さんがまさかの選択なんだけど」
「大打撃の後は回復ポーション」
「ウコンじゃなくて?」
「……さっきの人、同じ会社で」
どこから説明すべきか迷いながら口火をきった。何も訊かないのは、私からの説明を待っているんだって思ったから。
それに、巻き込んでおいて無視だなんてありえない。
「うん。大丈夫、無理に話さなくて」
取っ掛かりを探し出したところで、あっさりと芽を摘まれてしまった。
あ、そうか。
私ってば、何を期待して、、、馬鹿みたい。
逸登君の静かな拒絶は、言い訳を並べようとしていただけの私に釘を刺した。
知り合って数時間の逸登君が、私の色恋沙汰に興味を示さないのは当たり前だ。
「ごめんなさい」
考えてみれば、たった数時間の間に迷惑ばかりかけている。
私のやるせない気持ちは、聞こえないふりで応えてくれた。
罪なぐらい優しい。
もう一度ごめんと唱えて歯ブラシセットを手に取った。
「いっくんセンパーイ」
「っす」
「お疲れーっす」
不意に数人の男性に囲まれた。
若い集団は、誰しもスウェットにジャンバーを羽織ったラフな身なりだ。柔い素材が、くまちゃんみたいな逞しさを浮き彫りにしている。
「こんばんは!」
「こ、こんばんは」
元気のよい挨拶に圧倒されながらも、なんとか返事ができた。体の大きさだけでなく歯切れの良い口調も、私が出会ったことのないタイプだ。
「えっと、中井さんのお仕事関係の方ですよね?」
「そうです!」
「関係者です!」
にやついた反応は間違いなく誤解を与えている。逸登君に助けを求めると、苛ついているのか照れているのか判断に苦しむ溜息をついた。
「やかましくてごめん。こいつら、寮住まいの後輩」
逸登君たちは官舎に住んでいると、先の飲み会で聞いた。紗也の弟みたいに自宅から通う人もいるけれど、家賃が優遇されるため独身者は官舎住まいが多いらしい。
「んなことより、こちらの超美人のお姉さんは?」
「先輩たち合コンって言ってなかったっけ」
「は! まさか!」
キャッと両手の握りこぶしを口元に宛てがった――のはチャラめで大きな成人男性だ。
逸登君が心底嫌そうに舌打ちをした。男性同士の間合いで繰り広げられる遣り取りは、私や紗也との会話とは違う。優しい印象しかなかった逸登君の素が見えて、思わず笑い出してしまった。
「あーもう! お前ら、買い物終わったなら帰れ!」
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引き続きふざけ合う彼らの馬鹿馬鹿しさがほっとさせてくれた。
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