カナリアを食べた猫

端本 やこ

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第3章 猟ある猫は爪を隠す

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 白だしをベースにした「明太豆乳うどん」は、本当にあっという間に完成した。調理時間は10分か、もしかしたら5分程度だったかも。

「ぁ、、、おいしい」

 明太子を包むまろやかなスープが、じんわり臓器に染み込んでいく。
 不思議と食べはじめてから空腹を感じる。本日初めてのまともな食事に胃袋が仕事を思い出したみたいだ。
 半玉で十分だと思っていたけれど、これなら一人前完食できるかもしれない。

「良かった。食べられるだけでいいからね」

 逸登君が私を凝視する。まるで、監視されているみたい。食堂のおばちゃんよろしく「お残しは許しまへんでぇ!」とでも言い出しそうな雰囲気がある。
 おいしくいただいていると証明すべく、ちゅるちゅると立て続けに吸い込んだ。

「逸登君食べないの? おうどん伸びちゃうよ?」
「え? あ、食べる。つい見惚れた」

 スイッチが入ったように、ずずずっと豪快に麺を啜り出した。
 今度は私が逸登君を見つめる番だった。

「はしご車に昇るの怖くない?」
「俺の場合、怖いと思う暇はないかな。訓練も実際の救助活動でも冷静でいなきゃだし、必死な部分もあるから」

 逸登君は「仕事」に集中して作業をするところ、私の意識は「高さ」に集中するという大きな違いが見えた。他に意識を散らすことができたなら、私でも慣れるのかもしれない。
 実際、逸登君が上空で目を合わせてくれたり励ましてくれたから、泣かずに、吐かずに済んだ。ある程度、落下への不安が解消されていたに違いなかった。

「治療受けようかな」
「普段の生活に支障がないなら気にしなくていいと思う」

 正直なところ、楽しめないで損をしていると感じることはある。
 綺麗な景色と素敵な想い出が直結するとしたら、展望台、夜景スポット、お洒落な高層レストランだってそう。苦手だからこそ、憧れている面もある。
 恐怖の対象を素晴らしいものだと思えたら、私の世界は変わるだろう。

「逸登君が一緒にいてくれたら克服できる気がする。せっかくなら同じ景色見たいもん」
「ごふっ」

 逸登君が急に咽て、カラーボックスのティッシュ箱に手を伸ばした。乱雑に数枚引き抜いた拍子に、はしご車のおもちゃがコロンと落ちた。

「大丈夫?」

 私の問いかけに、うんうんと頷き、口元を拭って、

「ぁー、もぅ!」

 と、少しだけ悪態をつきながら腰を上げた。
 キッチンの流しで手を洗う逸登君を横目で見ながら、はしご車を拾い上げた。

「食べよ。食べ終わるまでおしゃべり禁止」
「厳しっ」
「それはこっちの台詞。うどん食うだけで可愛さ大爆発とか反則もいいところ」
「は?」
「しっ! はい、スタート。おいしいうちに黙って食べる!」

 よくわかんないけど、麺が伸びるとは私が先に言ったことだ。スープが温くなりつつあるのも残念で大人しく食事に集中する。

 ズルズル。
 ちゅるちゅる。

 二人、向かい合ってうどんを啜る。
 手元しか見ないのはお互い様。

 ズルズル。
 ちゅる。
 ズルッ。

 八割ぐらい食べたところで私のお腹は限界を迎えた。
 逸登君はすでに麺を完食して、ご飯をスープにいれて食べきっている。

「よく頑張ったね」

 本日3度目の労いをかけて、私が残した分も平らげた。
 並んで洗い物をしながら、お風呂は私が後だと決めた。逸登君は不満気だったけど、所要時間の違いで納得してもらった。

「ゆっくり温まってくること。20分以内に出てきたら怒る」

 替えの部屋着を渡しながら真剣な顔で言うから、喉に隠した笑いを堪え切れなかった。
 シャワーならともかく湯船に浸かって20分以内だなんて早業もいいところ。
 自分をのろまだとは思わないけど、訓練で身に付いた感覚でいられたら……この先たくさん苛々させてしまいそうだ。
 心配はあるけれど、逸登君なら「しょうがないヤツ」と合わせてくれるような気もする。

 逸登君が一生懸命に世話を焼いてくれるのがくすぐったい。
 気遣いの温かさはもちろん、それ以上に彼自身が無理をしていないと分かるのが嬉しい。
 でもやっぱり甘えていいところをはき違えるわけにはいかなくて、お風呂はそこそこ・・・・で上がった。

 お風呂上がりは日課のストレッチ。
 今日は専属トレーナー付きという贅沢ぶりだ。

「睡眠の質っていうの? 変わった気がする」

 毎日続けている大きな理由の1つだ。

「よく寝れてる?」
「そうなの。寝付きに、寝起きも良くなったんだ」

 山鳩に起こされても不快指数が低い。自分でも驚くほどの効果が出ている。

「ちゃんと続けてるのが凄いよ。偉い」

 褒められて伸びるタイプだと読まれている。間違っていない。
 だって、素直に嬉しい。

「でも今日の訓練で走って階段上ったのはキツかったァ」
「はいダメー。避難訓練のお約束守って。『おはし』だか『おかし』って聞いたことあるでしょ」

 押さない。
 走らない。
 しゃべらない。
 園児でも知っている教訓だ。

「訓練前だからいいの! 遅刻だったんだから」

 逸登君が納得したのは、健二君に経緯を聞いたのだろう。

「じゃ、ちょっと転がって」

 ポンポンと指された床に、言われるがまま仰向けになった。
 私の足首を固定してふくらはぎと腿の裏側を伸ばしてくれる。
 ちょっと痛くて眉間に皺が寄るけれど、気持ち良さが上回って目を閉じた。
 意識してゆっくり呼吸をすれば、私の息遣いに合わせて負荷をかけてくれる。
 痛気持ちいい。
 この快感は一人のストレッチては手に入らない。

「超気持ちいぃー」

 おしまいと丁寧に脚を降ろされて、自然と言葉が零れた。
 蛍光灯の明かりが馴染むようにゆっくり目を開けて逸登君の姿を探す。足元にしゃがんだまま手を差し伸べてくれた。
 遠慮なく掴まって体を起こす。「ありがとう」を言えば、「うん」と頷きつつも若干目を逸らされてしまった。
 逸登君はそのまま視線を合わさず、誤魔化すように「お茶淹れるね」と立ち上がった。
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