カナリアを食べた猫

端本 やこ

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第3章 猟ある猫は爪を隠す

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 熱いから気を付けてと、マグカップを渡された。
 コーヒーに口をつける湯気の向こう、逸登君はテーブルを挟んで腰を下ろす。

「ねぇ、逸登君」
「なぁに」

 逸登君も、一口飲んだ。

「あのさ……さっきから私のこと避けてない?」

 抱きとめて髪を撫でてくれたのは本当に心地が良かった。
 幸せな感覚として刻まれたのに、それ以降はなんとなく余所余所しさがある。
 ソファだって、私の横だって、二人並ぶのに十分なスペースがあるのに、ご飯を食べる時もテーブルの向いに落ち着いた。

「っ、、、避けてない。避けてはない」

 二回言ったね。
 大事なことというよりは、自身に対しての確認作業であるみたい。いずれにしても無意識の行動ではないとしたら、理由あっての距離感ということになる。

「だったら、そっち行っていい?」

 机に駐車していたミニカーを押し出した。私の想いを乗せたはしご車は一直線に力強く走っていく。

「行く。行きます。俺が」

 指先ではしご車を受けて、すっくと立ちあがった。

「詩乃さん笑いすぎ」
「笑ってない」
「めっちゃ笑ってんじゃん!」

 隣に腰を下ろしてもなお、逸登君は視線は泳がせたまま。掌の中でくるくるとはしご車を弄って、コーヒーを飲んだりと落ち着かない。
 真摯な告白を決めてくれた時とは別人のような緊張ぶりに、ついつい悪戯心が芽吹いてしまう。

「嫌われたかと思った」
「絶対ない! ……分かってて言ってるでしょ」

 ようやくこっちを見たのはジト目。
 私も目を細めて受けて立つ。

「自然体でいて欲しいな」

 私の軽い挑発を受けて、意を決した棋士のように音を立ててミニカーを置いた。
 
「はい。無駄な抵抗は止めます」
 
 意外にもあっさりと降参して、目つきをふわりと弓なりにさせた。
 釣られて微笑んでしまったから、この勝負、実質私の負け。

「ベタつかれるの嫌いなタイプ?」
「めちゃくちゃ好きなタイプ」
「それは良かった」
「とか言って、詩乃さんあまりイチャついてくれなそうだよね」
「それで避けてた?」

 笑いがぶり返す。

「違っ、遠慮してたの! すげぇ疲れてんの知ってるだけに、帰るって言われるかもだし、早々にウザいとか思われたらお仕舞いじゃん」

 シノサンタイセツ、と急にカタコトで呟くもんだから我慢ならず噴き出してしまった。
 逸登君は笑うなと文句をつけながら、両脚に挟むようにして私を囲った。

「呆れるでしょ? 大切なのに、俺、結局は自分のことしか考えてない」

 恥ずかしそうに私の肩に額をつけてため息を吐く。逸登君のしたいようにさせて、私はマグで両手を温めながらちびちびとコーヒーを飲む。

「ごめんね。かなり浮わついてる自覚ある。再会できると思ってなかったから、詩乃さんとこうしてるのが信じられない」

 言葉とは裏腹に、私の肩端の骨に頬を当てて背中に向かって話す逸登君の声は拗ねている。
 合コンの後、連絡先すら交換せずにプラトニックに過ごした私たちをムラ君に相当いじられたというのは、、、彼らのを思い出すと納得できる。

「私が理都みたいにできないから」

 詩乃さん、と逸登君にぎゅっと引き寄せられて密着する。
 理都のことは置いておけと言ってくれているのか、私は私と言ってくれているのか。私の発言が不適切だったことは確かだ。

「ん、そうだね。私を受け入れてくれてるって思っていいんだよね?」

 今度は私が凭れかかって肩を借りる。

「俺、詩乃さんじゃなかったら送ってなかった。電車が運転見合わせでもう少し一緒に居られるかなって、本当は嬉しかった。なんなら、うちに誘ったのも下心ありありだった」
「仕方なくじゃなかったんだ」
「まさか。清水さんだっけ? あの日あの人に会ってなかったら手ぇだしてた」
「清水さんって、やっぱり害しかないな」
「……それは、あの時点でOKしてくれたってこと?」

 あの日の私の選択は分からない。
 求めてくれたのなら応えたとは思う。
 私のダメなところやコンプレックスは隠したまま付き合うことになっただろう。
 だとしたら、いずれ息苦しさに潰されたとしても不思議じゃない。
 だから、あの日の私たちは間違っていなかった。

「もちろん」

 ほんのちょっとだけ不安そうな逸登君にキスをした。
 私たちの初めてのキス。
 短く触れるだけのキス。
 私の恋心を伝えるキス。

「ぁ、、、また不覚……」

 後れをとったと反応するだろうことは分かっていた。
 不甲斐無さを悔やむ逸登君には悪いけど、私は私で受け身の恋愛はやめようと心に決めたんだ。
 
「逸登君、隙だらけ」
「いい。詩乃さんが埋めてくれるから」
「ぅんっ、、、」

 こめかみを掻いた手で、私の頬を支えてキスをする。
 記念すべき二回目のキス。
 長く吸い付く優しいキス。
 開き直った彼からのキス。

「止まらなくなるって分かってたから遠慮したのに」

 「もう知らない」と、生っぽい感触が口内の粘膜を這いだした。
 舌を絡め合いながら、お風呂は短いのにキスは長いのかなんて思う。
 私の唇を濡らす戯れが夢中にさせる。
 望み通り溺れさせてくれる予感に背筋がぞくぞくする。

「詩乃様専用になれて幸栄です」

 息継ぎを許してくれた彼がいたずらっぽく囁いた。
 もう一度ゆっくり唇を合わせて引くと、しっとりした唇が後を追うようにして離れた。
 もう既に、名残惜しさで舌が痺れている。
 彼の気遣いにほだされて、彼のキスに夢中にさせられた。
 ほんの数時間前、野良でいいだなんて強がったくせに、

「私も逸登君専用だよ?」

 拾ってくださいと言わんばかりに瞳の奥に訴える。
 無音のまま、逸登君の大きな喉仏が大きく嚥下した。
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