愛は優しく、果てしなく

端本 やこ

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夫、成悟の愛しき憂い

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 定例会議は予想以上に時間がかかった。課員のみんなで定食屋に流れ着いたのは、お昼休みも終わろうかという頃合いになってしまった。
 ランチには遅い時間帯だが、安い・早い・うまいで人気の定食屋は満席だ。ついていない。
 出入り口付近の待合でメニュー表を渡される。席に案内される前に注文をし、座るとすぐに食事が提供される。この無駄を省いたシステムもビジネス街でうけている理由のひとつだ。

「佐藤さん、決まりました?」

 奥村さんが横から俺の持つメニューを覗き込んだ。小柄な彼女のために、俺はメニューを胸より下にさげる。

「親子丼も気になるけど、おすすめのミックスフライかなぁ」

 本日のおすすめは、なかでも一番素早く出てくる。
 腹が減っているときはありがたい。

「やっぱり! 私も同じにしよっかな」

 女性にはちと重めなんじゃないかと思うものの、若さでカバーされるのかもしれない。若くても百華だったら残してしまうだろう。俺の女性基準はいつだって百華だ。
 百華ならグリルチキンを選ぶだろうな。交換しようって、俺に大きめの一切れを寄越して、百華は俺のアジフライを一口だけ齧るに違いない。
 定食屋のメニュー表ひとつで百華を思って遊べてしまう。楽しい。つまらん定例会を耐えたのだから許してほしい。

「チキンおすすめです。ハニーマスタードのソースでおいしいですよ」

 あ。
 百華。
 外回りのなくなった百華は、パンツスーツだけでなく、オフィスカジュアルなスカートで出勤することもある。長さのあるタイトスカートがよく似合っている。
 客観的に見ても上品だ。
 そんな百華と出先で遭遇すると、ちょっと浮かれる。午後からいいことありそうだとすら思ってしまう。

「おつかれ~。仕入れのご一行様はこれからランチか」

 杉浦さんもいる。ということは業務部と入れ替わりで座ることになりそうだ。
 それより百華だ。なんとなく目が笑ってないような……たぶん俺にしか気づけない違和感がある。作り笑顔を張りつけているような? 
 
「これ、よかったら皆さんで使ってください」

 そう言って、百華がソフトドリンク無料サービス券の束を差しだした。

「いいの?」
「今しがたレジでいただいたんだけど、期限までに消費できそうにないので」

 あー、はいはい。百華だけの特別対応ってやつね。
 レジ係のご厚意の恩恵に預からせていただきまっす。

「ありがと」

 察する俺が受け取ると、百華は「どういたしまして」と今度は柔らかい笑顔に変えた。
 うーん。違和感は気のせいだった? 
 今一度、百華の目を確認する。念のため。何事もなければそれでいい。
 俺たちに軽く会釈をして、杉浦さんたちと一緒にさっさと出て行った。特に変わった所作は見受けられなかった。
 百華と一緒に食べられなかったから、せめて一緒のものを。奥村さんは宣言通りミックスフライを、俺はひよって百華おすすめのチキン定食を注文した。ついでに人数分のドリンクチケットも利用させてもらう。
 
「お腹いっぱい。もうむり」

 奥村さんが音を上げた。俺を含む大半はすでに食べ終えて無料のアイスコーヒーを飲んでいる。奥村さんを微笑ましく見る目と、残さず食べなさいという意地悪が入り混じる。

「早くジュース飲んで。そろそろ行くよ」
「もうちょっとだけ待ってくださいよぉ」
「百華さんのおかげだからな」

 百華がくれたドリンクチケットのおかげで、みんなこうして食後の一杯に残っているだけだ。普段だったら、食べ終えたらさっさと会社に戻る。

「本当に美人って得するんだね」 
「私サービス期間内でもチケット配るの忘れられたりするのに!」

 キャンペーン中に食事すると、定食1食分につき1枚のチケットがもらえる。要するに、基本的にひとり1枚ってことだ。
 それを束でもらって、かつ配布キャンペーンはすでに終わっているのだから、百華の美人力が働いたとしか考えられない。

「レべチが過ぎてやっかむ気もおこらないよねー」

 女性陣もカラッとしたものだ。
 基本的に、色恋沙汰が絡まなければ百華に災難はふりかからない。百華の勤務態度が評価でもあり、会社に馴染んだっていうことでもある。
 厄介なのは男。百華たち業務部に続いて店から出ていったビジネスサポート部が気にかかる。業務部付属とでもいわんばかりの言動が目立つ。
 誰も気にしていなくとも俺は気になる。
 百華に感じた違和感が平井たちと関係がないことを祈った。
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