チキンさんの事始め

端本 やこ

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 外食後に料理なんてまっぴらだ。
 うちに来るなら弁当でも買ってこいだし、そのついでに良太にスイーツを買ってきてもらう手もあった。
 けれど私の口から出た言葉は、

「今日はやめて」

だった。
 良太が一拍飲み込んだのが分かったけれど、私はスルーした。

「狛ちゃんとなんかあったんか」
「別に何も」

 喰い気味に放ってから、さすがにきつい物言いだったかとヒヤリとする。大女優気どりかと笑われても嫌だった。

「色々聞きはしたよ。詩乃や理都子のこととか」

 紗也加からカケルくんを紹介されたこと言わなかった。というか、言えなかった。言ったら最後、どうしたって比較してしまうに決まってる。トゲトゲがダイナマイトに進化して大爆発しちゃう気がする。

「へぇ。あいつら相変わらずってことやな」
「にべないまとめ方せんでも」
「違った?」
「違くないけど」

 私の答えに、良太はふふっと息を吐いた。良太が物事を得心したときに漏らす音だ。愛想笑いでなく、何かを卑下するでもない、温かみのある笑い方。私が良太を好きになったきっかけでもある。
 派手めな友人たちの中で、ひとり平凡な私に向けられたほほ笑みは、私を特別だと思わせてくれた。人目を引く友だちあいつらをまとめるなんてすげーなって、お疲れさんって冗談めかして、私だけに笑いかけてくれたのは良太だけだった。

「それより、明日こっちおいでな。午前中は仕事入っちまったけど、近くだから早く帰れるはず。ここんとこずっと俺がそっち行ってたし、いいでしょ。ひさびさに宇多の餃子食いたい」

 午前出勤といえど帰宅は早くても15時頃になるはずだ。私に自分の部屋を掃除させ、夕食も作らせようって魂胆だ。
 私の厚意を当たり前と思われてやしないかと思う瞬間だ。

「気が向いたらね」
「……なんか機嫌悪い?」
「餃子ぐらい食べて帰れとは思ってる」
「そー言わず。宇多が作るやつの方が絶対うまいもん」

 電話の向こうの悪気のない良太の顔をありありと想像できてしまうのが悔しい。
 仕事柄か、良太は交渉の押しどころを心得ている。私なんぞ簡単に押し切られてしまう。
 もちろん、私だって嫌なものは嫌だと言う。良太を納得させられる理由を考えているうちに結論づけられてしまうっていうのがいつものオチだ。理由なんて気分ひとつなことってあるでしょ。
 説明立てるのに手間取ってねじ込まれる、という一連の流れが通常化している。
 これまた悔しくてたまんない。

「私にだって予定ってもんが」

 ない。予定と呼べるような予定はない。
 平日疎かにしている掃除だとか、片付けていどのことだけだ。いやいや、これだって立派な予定でしょ。
 天気が良ければ布団を干したい。折角だから散歩でもして、通りがかりのカフェに立ち寄ってブランチといこうじゃないの。
 そこらの雑誌に載っていそうな「OLの休日」を決め込んでやるわ。

「狛ちゃんと約束でもしたん?」
「そうじゃないけど」
「んじゃ、やっぱそっち行くかな~。俺の着替え乾いてる?」

 私のベッドを占領して、スマホいじって、高いびきで眠って、朝食付きサービス後に出勤して、ついでに洗濯とアイロンもかけさせようってか?

「乾いてない。つーか、洗ってない!」

 私はあんたのお母さんか!
 心の叫びを飲み込んだ私は偉い。ノーベル平和賞に表彰されていいレベルだ。
 余計な一言を付け加えたら、絶対の絶対にお母さん呼びしてくるもん。

「厳しいなー。更年期にはまだ早いぞ」

 っざけんな。
 遠慮も気遣いもあったもんじゃない。

「少しは自分でやんなさいよ!」

 苦情を申し立ててみるも、よろしくねと軽く受け流されて終わってしまった。いや、終わらせたのは私だ。
 この短い通話でどれだけ私の気持ちを踏み躙られたか。もういい、という諦めで話を畳んだ。
 ばっかみたい。
 私を苛立たせるのも、寂しくさせるのも良太で、結局私が救いを求めてしまうのも良太なんだ。無意味なコールをしてしまった時点で私は負けていた。
 長い付き合いの中で、私の中を占める良太のスペースが大きくなってしまったと思い知らされる。健全からかけ離れているような気がして、依存と紙一重じゃないのかって疑いが頭を過る。

 原因のひとつに付き合いの長さを挙げてしまうけれど、本当にそうだろうか。
 恋愛関係において「長すぎる」なんてことがあるのだろうか。
 恋愛が結婚に発展したなら、ますます人生の長きを共にすることになるのに。
 あー、ね。
 だから人は離婚と言う切り札を与えられているのか。別れってのは奥の手なんだ。

「奥義出すぞコノヤロー」

 仕事を終えたスマホに向かって強がってみる。どこにも繋がっていない真っ暗な画面に「何とか言ってみい」と悪態を重ねた。

「……」

 つまんない。
 幸せいっぱいな紗也加の姿にあてられて、良太に縋るように電話をかけて。そのくせ傍若無人な良太に嫌気がさして、腹を立てて投げやりに会話を切って。
 一体私は何がしたいんだか。
 孤独の寂しさが堪える。
 友達にも恋人にも裏切られたような気分だ。
 早く寝てしまおうと思って、薄化粧を落としてみたものの、直ぐに寝つけられるきがしなくてお風呂にお湯を張った。
 ざぶんと飛び込んで、頭を空っぽにすべく目を閉じる。
 空っぽになるどころか、脳内は本日のハイライト映像を流しだす。一旦停止させようとすればするほど、今日の出来事とは関係のないことまで、私自身の本音というやつが映される。
 紗也加の明るさ、詩乃の美しさ、理都子の奔放さは、どれも私にはないものばかり。本当は羨ましいのだけど、劣等感がプライドになって、表面上取繕って接している部分がある。彼女たちと付き合い出して軽く10年、私は口うるさく指摘することでなんとかプライドを守ってきた。

 中身がないまま30歳という節目を迎えようとして、急に結婚だの妊娠出産だのと現実的な問題を意識しはじめただけだ。
 年齢を考るのは自然なことだとは思う。女という生き物として、子どもを持つ将来を見据えたら避けて通れない問題なのだ。しかし、良太にとって、男性にとってはどうだろう。

 私だったら結婚なんてしたいと思わないのではないか。

 私はデートもセックスも結婚も良太から仕掛けて欲しいと願うだけで、自分は何もしてこなかった。
 言葉や態度に出さず、ただ頭の中で要求して、苛ついて、あまつさえ怒ったりと、なんて勝手なのだろう。
 良太が未だに私を好いてくれているかなんて考えたことがなかった。
 彼にとって私は価値のある存在かだなんて、考えたことがなかった。

 ……こっわ。

 今度は怖くて堪らない。
 ちらほら頭を過った別れる選択に、ふられるという項目が加わった。
 脳みそが震えて私はザバッと立ち上がる。

 ただただじっとしていられなかった。
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