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……ヤバいだろ、昨日の私。
完全にどうかしてる。
朝方、寒さと体の軋みで目が覚めてからの~、碇ゲンドウポーズってやつだ。
散らかった部屋は小説やら学生時代の参考書が雑多に広げられている。歴史小説から現代文芸小説、資料は宗教学や心理学、生物学に及ぶ。書き殴ったメモが狭い机を占拠していて、縁に追いやられたノートパソコンやスマホをスリープから呼び覚ませば見慣れないコラムや広告が幾重にも開かれている。女性向け官能漫画や愛され女の仕草、彼が離したくなくなる女の条件だとか、健康食品、ビューティサロン、デリケートゾーンケア商品にダイエット商品ととりとめがない。
極めつけが「自分磨き頑張るリスト」ときたもんだ。
酔っていた。
昨日、私はワインに溺れたということにさせてくれんか。
でないと、つらい。
この惨状をどう受け止めていいのやら。
とりあえず、もう一回寝よう。せめて太陽が昇るまでは、ちゃんと眠らなきゃ。次に起きた時には、一縷の動揺も残さず適切に対処できるはずだ。
机上のメモをまとめてゴミ箱に突っ込んで、開かれた本を閉じ、資料は部類ごとにまとめる。それから端末の検索ページは全て閉じて、ベッドに潜り込んだ。
問題のイカれたリストだけは捨てられない。なんたって書き心地にこだわって作られた、お高めのスタイリッシュノートだ。今年のシステム手帳の代わりにしようと買って、その高級感からもったいなくておろさなかった逸品だ。
そんなわけで、ノートに関してはあまりの狼藉に怒りすら湧かず、ひたすら無の心境に努めるほかない。
数時間後の私なら、リストが書かれたページだけ綺麗に切り取るだとか、適切な処置を施してくれるだろう。
しばらく酒は飲むまい。
そう心に決めて、部屋に背を向け壁側を向いて目を閉じた。
数時間は寝た、と思う。時間の確認すら億劫で、ベッドに転がったままどこを見るでもなく焦点を合わさずにいる。部屋の明るさから、まだ午前中であるとだけわかる。
二度寝中、夢の中でも昨日の続きを反芻していた。良太にとって私は魅力があるのかと。
正直、自信がない。胸を張れることはひとつも見当たらない。
良太に好かれ続けるための──
「努力かあ」
布団から出たくなくて、妙に身体を捻って伸ばして、例の高級ノートに手を伸ばす。やっとの思いで爪の先に触れたノートをなんとか手繰り寄せた。
仰向けで「ふぅー」と息を整えて、胸の上に置いたノートを持ち上げる。変な折り目がつかないように半分だけ平げた。
昨夜の私が一心不乱に書き留めたリストに目を通す。
良太の興味を引くために頑張る自分を想像できない。
良太相手に効果があれば万々歳だし、仮に無意味だったとしても、次の出会いのために磨きをかけておくべきなような気はする。
田舎の信用金庫の預金通帳も再確認だ。月給や生活費などの普段使いとは別の口座だ。
小学生の頃にはもう手元にあった通帳で、いつかくるだろう「いざというときのため」にお年玉をこつこつ貯めてきた。我ながらつまらない子どもだった。未だに続けているのも如何なものか。実は、成人してからも帰省時に祖父母からお小遣いをもらったら、この口座に預けている。塵も積もればってやつで、自分でもちょっと引くぐらい貯め込んでいる。
軍資金には十分だ。
そして、今が「いざ」なのだ。
やる価値はある。
誰かのせいじゃなくて、私がやるかどうかだ。
誰のためでもなく、私自身のために。
「よっっしゃ」
両足で勢いをつけて上半身を上げた。
まずは無難な所から攻めよう。布団から勢いよく脱して、小さなテーブルに向かって座り直す。高級ノートをガバッと開いて、閉じないように掌でぐぐぐっと押した。
「もしもし。予約をお願いしたいのですが──」
歯の定期健診は会社近くのクリニックで面倒をみてもらっている。仕事帰りに寄ることにして、久々に眼科健診を予約した。幸運にも昼過ぎに空きがあり、軽く部屋を片付けてから向かうことにした。
少し早めに家を出て、駅ビルでぶらぶらする。雑貨屋の、普段は近寄らないコスメコーナーを入念にチェックすると、使い勝手の分からない化粧品がちらほら目につく。まずい。時代に取り残された浦島太郎な気分だ。パッケージの裏面を熟読しているとあっという間に眼科へ向かう時間になってしまった。ともあれ、時間に無駄なく動けるのは気持ちがいい。
「おお。小顔効果最高かよ」
眼科健診後、眼鏡を新調した。本当はコンタクトを買うつもりで受診したけれど、事務職の天敵、ドライアイ問題で断念した。
生まれて初めて流行を意識したデザインを選んだ。ラウンド型のオーバーサイズで、レンズが大きくなる分、フレームは細い金属で軽い。ゴールドのパーツがやぼったさを消してくれている、というのは店員さんの受け売りだ。
眼鏡が出来上がるまで小一時間、お茶でも飲んで時間を潰すことにする。結局駅ビル方面に戻るしかないのが難点だけど近距離だからよしとする。
「新規オープンでぇす。よろしくお願いしまぁす」
駅前で信号待ちをしていると、先に私が選んだものよりさらに攻めた丸眼鏡をかけた女性にチラシを渡された。彼女の視線は微妙に私の頭部に外れている。ビラ配りに凝視されること数秒、青信号のピヨピヨ音で私もビラ配りの女の子も動きを再開した。
「あのっ! カットモデルしませんか?」
「えっ」
モデルと言う無縁の単語に引っかかってしまった。小柄な丸眼鏡ちゃんにがっしり腕を掴まれて、歩道の脇に移動させられる。
聞けばカットモデルとは美容師見習いの練習台ということだった。練習カット後に現役スタイリストが手直しをして、かつカット料金は無料らしい。さらにカラーモデルならば2000円で毛染めをしてもらえるというのはそそる。
「一時間後でよければ」
眼鏡の受取後ならばというつもりで言ったけれど、丸眼鏡ちゃんは少し驚いて、私の袖を軽く摘んだまま空いている手で先輩スタイリストに電話をかけはじめた。
「大丈夫~」
大丈夫ってなんだ、大丈夫って。会社の後輩なら「あのねぇ」と一言物申すところ、ぐっと堪えて正解だった。カットモデルはあくまで練習なので美容院の営業時間外にするものらしい。世間知らずは私も同じだった。
今回は新規オープンで予約もなく、閑散としているがためにOKが出たのだ。私も丸眼鏡ちゃんもついている。
タイミングってあるんだよ、何事も。
「あ。宇多? 俺、俺」
良太からの電話にも言えることだった。このタイミングで? と思わざるをえない。
「詐欺ですね。さようなら」
「ちょ! なんでだよ。切るなって」
「オレオレ言うんじゃないよ」
「ははっ。予定よりちょっと遅くなったんだけど、今から帰るわー」
「へぇ。私、これから美容院」
「マジで? ホントに予定あったんか」
「マジ。じゃ」
良太が何か言っていたけれど、私は構わず電話を切った。
断じてトゲトゲのせいではない。
良太は良太で、私は私ってことで、これでいい。
え、なにこれ。
めっちゃスッキリなんですけどーっ!
完全にどうかしてる。
朝方、寒さと体の軋みで目が覚めてからの~、碇ゲンドウポーズってやつだ。
散らかった部屋は小説やら学生時代の参考書が雑多に広げられている。歴史小説から現代文芸小説、資料は宗教学や心理学、生物学に及ぶ。書き殴ったメモが狭い机を占拠していて、縁に追いやられたノートパソコンやスマホをスリープから呼び覚ませば見慣れないコラムや広告が幾重にも開かれている。女性向け官能漫画や愛され女の仕草、彼が離したくなくなる女の条件だとか、健康食品、ビューティサロン、デリケートゾーンケア商品にダイエット商品ととりとめがない。
極めつけが「自分磨き頑張るリスト」ときたもんだ。
酔っていた。
昨日、私はワインに溺れたということにさせてくれんか。
でないと、つらい。
この惨状をどう受け止めていいのやら。
とりあえず、もう一回寝よう。せめて太陽が昇るまでは、ちゃんと眠らなきゃ。次に起きた時には、一縷の動揺も残さず適切に対処できるはずだ。
机上のメモをまとめてゴミ箱に突っ込んで、開かれた本を閉じ、資料は部類ごとにまとめる。それから端末の検索ページは全て閉じて、ベッドに潜り込んだ。
問題のイカれたリストだけは捨てられない。なんたって書き心地にこだわって作られた、お高めのスタイリッシュノートだ。今年のシステム手帳の代わりにしようと買って、その高級感からもったいなくておろさなかった逸品だ。
そんなわけで、ノートに関してはあまりの狼藉に怒りすら湧かず、ひたすら無の心境に努めるほかない。
数時間後の私なら、リストが書かれたページだけ綺麗に切り取るだとか、適切な処置を施してくれるだろう。
しばらく酒は飲むまい。
そう心に決めて、部屋に背を向け壁側を向いて目を閉じた。
数時間は寝た、と思う。時間の確認すら億劫で、ベッドに転がったままどこを見るでもなく焦点を合わさずにいる。部屋の明るさから、まだ午前中であるとだけわかる。
二度寝中、夢の中でも昨日の続きを反芻していた。良太にとって私は魅力があるのかと。
正直、自信がない。胸を張れることはひとつも見当たらない。
良太に好かれ続けるための──
「努力かあ」
布団から出たくなくて、妙に身体を捻って伸ばして、例の高級ノートに手を伸ばす。やっとの思いで爪の先に触れたノートをなんとか手繰り寄せた。
仰向けで「ふぅー」と息を整えて、胸の上に置いたノートを持ち上げる。変な折り目がつかないように半分だけ平げた。
昨夜の私が一心不乱に書き留めたリストに目を通す。
良太の興味を引くために頑張る自分を想像できない。
良太相手に効果があれば万々歳だし、仮に無意味だったとしても、次の出会いのために磨きをかけておくべきなような気はする。
田舎の信用金庫の預金通帳も再確認だ。月給や生活費などの普段使いとは別の口座だ。
小学生の頃にはもう手元にあった通帳で、いつかくるだろう「いざというときのため」にお年玉をこつこつ貯めてきた。我ながらつまらない子どもだった。未だに続けているのも如何なものか。実は、成人してからも帰省時に祖父母からお小遣いをもらったら、この口座に預けている。塵も積もればってやつで、自分でもちょっと引くぐらい貯め込んでいる。
軍資金には十分だ。
そして、今が「いざ」なのだ。
やる価値はある。
誰かのせいじゃなくて、私がやるかどうかだ。
誰のためでもなく、私自身のために。
「よっっしゃ」
両足で勢いをつけて上半身を上げた。
まずは無難な所から攻めよう。布団から勢いよく脱して、小さなテーブルに向かって座り直す。高級ノートをガバッと開いて、閉じないように掌でぐぐぐっと押した。
「もしもし。予約をお願いしたいのですが──」
歯の定期健診は会社近くのクリニックで面倒をみてもらっている。仕事帰りに寄ることにして、久々に眼科健診を予約した。幸運にも昼過ぎに空きがあり、軽く部屋を片付けてから向かうことにした。
少し早めに家を出て、駅ビルでぶらぶらする。雑貨屋の、普段は近寄らないコスメコーナーを入念にチェックすると、使い勝手の分からない化粧品がちらほら目につく。まずい。時代に取り残された浦島太郎な気分だ。パッケージの裏面を熟読しているとあっという間に眼科へ向かう時間になってしまった。ともあれ、時間に無駄なく動けるのは気持ちがいい。
「おお。小顔効果最高かよ」
眼科健診後、眼鏡を新調した。本当はコンタクトを買うつもりで受診したけれど、事務職の天敵、ドライアイ問題で断念した。
生まれて初めて流行を意識したデザインを選んだ。ラウンド型のオーバーサイズで、レンズが大きくなる分、フレームは細い金属で軽い。ゴールドのパーツがやぼったさを消してくれている、というのは店員さんの受け売りだ。
眼鏡が出来上がるまで小一時間、お茶でも飲んで時間を潰すことにする。結局駅ビル方面に戻るしかないのが難点だけど近距離だからよしとする。
「新規オープンでぇす。よろしくお願いしまぁす」
駅前で信号待ちをしていると、先に私が選んだものよりさらに攻めた丸眼鏡をかけた女性にチラシを渡された。彼女の視線は微妙に私の頭部に外れている。ビラ配りに凝視されること数秒、青信号のピヨピヨ音で私もビラ配りの女の子も動きを再開した。
「あのっ! カットモデルしませんか?」
「えっ」
モデルと言う無縁の単語に引っかかってしまった。小柄な丸眼鏡ちゃんにがっしり腕を掴まれて、歩道の脇に移動させられる。
聞けばカットモデルとは美容師見習いの練習台ということだった。練習カット後に現役スタイリストが手直しをして、かつカット料金は無料らしい。さらにカラーモデルならば2000円で毛染めをしてもらえるというのはそそる。
「一時間後でよければ」
眼鏡の受取後ならばというつもりで言ったけれど、丸眼鏡ちゃんは少し驚いて、私の袖を軽く摘んだまま空いている手で先輩スタイリストに電話をかけはじめた。
「大丈夫~」
大丈夫ってなんだ、大丈夫って。会社の後輩なら「あのねぇ」と一言物申すところ、ぐっと堪えて正解だった。カットモデルはあくまで練習なので美容院の営業時間外にするものらしい。世間知らずは私も同じだった。
今回は新規オープンで予約もなく、閑散としているがためにOKが出たのだ。私も丸眼鏡ちゃんもついている。
タイミングってあるんだよ、何事も。
「あ。宇多? 俺、俺」
良太からの電話にも言えることだった。このタイミングで? と思わざるをえない。
「詐欺ですね。さようなら」
「ちょ! なんでだよ。切るなって」
「オレオレ言うんじゃないよ」
「ははっ。予定よりちょっと遅くなったんだけど、今から帰るわー」
「へぇ。私、これから美容院」
「マジで? ホントに予定あったんか」
「マジ。じゃ」
良太が何か言っていたけれど、私は構わず電話を切った。
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