チキンさんの事始め

端本 やこ

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《久しぶり。元気? ちょっと聞きたいことがあって》

 と、私からやり取りを始めた。雑談混じりな理都子の反応は普段と変わらないように感じる。話し言葉と変わらない語尾の伸ばし具合や、顔文字の使い方にスタンプの数も。話題に男が上がらないのだけが、いつもと違うと言えばそうかもしれない。さておき、理都子から詩乃という単語は出てこないから、私はあえて触れないようにする。

《それで聞きたいことって?》
《医療脱毛に興味があって。理都子やってたでしょ?》
《うん、完了済み。医療ってことはアンダー?》
《含め、全身。もちろん条件によりけりだけど。自分にお金つかうなら今のうちかなーって》

 生理時の処理がらくだとか、昨今は介護される将来に備えて施術を受ける人が増えているらしいことは調査済みで、それらしくやんわり理由付けにした。
 初めこそ理都子は意外に感じたようだったけれど、私の言い分に納得した。私は私で、良太が云々とは言わなかった。

《じゃぁ私が予約したげるね。友達紹介制度でお得になるから任せて~》

 事前に詳細を聞けたのはありがたい。ついでに予約までしてもらえるなら勢いでいける。いまだかつてこれほど理都子に感謝をしたことがあるだろうか。私は直ちに予定を確認して理都子に「何卒!」の土下座スタンプと共に送信した。

「では施術日のご予約を」

 あれよあれよと話がまとまって、私は「しっかりツルスベコース」を契約した。やるなら薄毛でなくツルスベが目標だ。
 事前に剃毛の準備が必要だとか、施術にはある程度痛みが伴うことも、もろもろ了承済みである。理都子の話通りのことをサロンで聞かされて、嘘偽りなしと判断して契約の決め手になった。
 判子を捺すと、ホットヨガに入会したときのようなワクワク感に加え、赤の他人に体を任せるドキドキを早くも感じた。

 良太とはろくに会わないまま、なんだかんだと日々が過ぎて行く。

 家で一人、ウジウジしているぐらいならヨガに行こうと思えるし、マンネリ解消術を検索するぐらいならお化粧の仕方を勉強する。少なくとも、自分の為に時間を使うことを覚えてからネガティブ思考の連鎖からは抜け出た。

「お疲れ様でしたー。んじゃ、移動しましょっか」

 たった今、寿退社をする後輩の送別会を終えたところである。
 会社の飲み会は習慣的に若い子が幹事を押しつけられる。今回は主役が女性かつ慶事ということで、仲の良い女性社員たちは幹事を免れた。必然的に若手男性社員ばかりが請け負うことになった。退職記念品やら店のチョイスやらに気掛かりが重なって、私にお目付け役が回ったというわけ。

「いってらっしゃい」

 一次会の清算をして店を出たところで、控え目に左右に首を振る。お目付け役として幹事に混じって居残って正解だった。けれど私の役目はここまで。二次会に流れた面々は若手ばかりだろうから遠慮するのが最適解だ。

「若鶏さん二次会行かないんすか?」
「うん。いいよ、私は」
「え、なんで?」

 なんでって。そんなの察しなさいよ。
 今日は祝い事というせっかくの機会だから新しいシャツ型ワンピースを着てきた。普段の通勤用パンツよりいいかなって、TPOってやつを意識してみた。それがプラスに働いたんだと思う。私たちの会話を横で聞いていたひとりが気をきかせてくれた。

「僕、駅まで送りましょうか」
「そんなんいいって」

 談笑しながら雑居ビルを出て──足が竦む。
 良太がなんでこんなところに。
 道路を挟んだ向かいのカフェのソファ席で微笑む良太を、私が見間違えるわけがない。向かいに座る女性は私と同年代か、もしかしたら少し上。落ち着いた雰囲気だけど、なんだか頼りなさ気な疲れが見え隠れしている。
 足を止めた私が凝視していると、良太は女性に書類を提示した。良太の説明に合わせ、女性がページをめくる。おずおずといった感じの女性に良太が柔らかい姿勢で対応する。

──あ。

 良太がテーブル縁に避けられていたシュガーポットに手を伸ばした瞬間に目が合ってしまった。一秒に満たない僅かな時間だった。良太の目が見開かれた。けど、それだけで、また仕事の顔つきに変えた。
 シュガーポットを女性の前に押し出して、書類の束に目を戻す。

「みんな、早く行きな」

 私も後輩たちに顔を戻したけれど、表情も声を力無いものになってしまった。
 良太が仕事中なのは明らかなのに、気持ち悪いぐらい胸がざわつく。
 私は適当な言葉を残して後輩の集団から離れた。カッカッカカッといまにも縺れそうな自分の足音がやけに耳障りだ。
 初めて見る良太のよそ行き顔は別人だった。私の知らない良太だった。私が仕事用の顔を知らなくて当たり前なのに、切なさが静かに面積を広げていく。
 クライアントの女性は、自営業者か大切な人を亡くした遺族かどちらかだと予想がつく。アンニュイなオーラで良太に頼るような視線を向けていたから、多分後者だろう。
 そこまで分かるのにこんな気持ちになるなんて。
 やましいことなんてないのに、どうしてこんなにも苦しいのだろう。

 いやだ。
 いやだいやだ!

 マイナス思考に陥る予感を振り払うように走り出した。
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