チキンさんの事始め

端本 やこ

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 自分の部屋を出た私に行く当てなんてない。
 良太のところしかない私が良太から逃げ出して、頼れる先は……友人の顔を順に思い浮かべる。紗也加は実家暮らしだし、理都子が夜間家に居る可能性は極めて低い。
 ──詩乃なら!
 学生時代には何度も一人暮らしの詩乃の部屋に泊めてもらった。一緒に課題の論文をやったり、遊びの計画を立てたり。詩乃なら大丈夫だと思えば、もう詩乃のところしか考えつかず足を向けていた。

 玄関前に立っても落ち着かなかった。インターフォンを押すと、私の指の動きから一拍以上置いて、ドアの向こうでのんびりした呼出し音が鳴った。タイムラグがもどかしい。
 インターフォンにキスをするのかってぐらい顔をくっつけて詩乃の応答を待つ。
 詩乃、お願い。家に居て!
 私の渾身の願いが届いたのかドアノブがガチャと音を立てる。

「しぃのぉおお。急にごめんっ! 今夜」

 泊めてといいかけて、抱き着いた身体の逞しさに気づいて体が強張る。
 違う。
 でかい。
 硬い。
 華やかな香りのするスレンダーな詩乃の抱き心地じゃない。
 違う、違う違う違うっ!!
 恐る恐る距離を取ると、体つきの割にあっさりした顔の男性が困り果てている。

「ひぃっ!」

 頭の中が真っ白で顔が引きつる。未だかつてないほど焦って固まるしかなかった。

「詩乃さーん」
「はーい。どうかした?」

 塩顔さんに呼ばれて、後ろからひょっこり出された詩乃の顔を見て、私は涙を堪えきれなかった。

「宇多!」

 詩乃は一秒も躊躇わず、私の肘あたりに手を伸ばした。泣きながら、私はここへくべきじゃなかったことだけを理解して、ニ歩三歩とよろけるように後ずさる。
 ゴンッという音とともに頭部に衝撃を受け、頭の中だけじゃなく目の前も一瞬白く飛ぶ。

「ぃったぁ」
「ちょっと大丈夫? とりあえず入って。ね?」

 詩乃の切れ長の目が優しくて、私はドアにぶつけた頭をさすって洟をすする。詩乃に手を取られて部屋に上げてもらうと、塩顔さんは私たちの背中で静かにドアにカギをかけた。
 ワンルームの真ん中に置かれた決して大きくないテーブルに、所狭しと食事が置かれている。ホームパーティでもするのかってぐらい肉もあれば魚もある。祝い事を連想させる豪華さだ。

「ちょうどよかった。宇多も食べてって」
「いや、そんな。本当ごめん、私」
「実家から盛りだくさん届いたの。作り過ぎちゃってどうしようかと思ってたとこ」

 柔らかい表情の塩顔さんが詩乃に合わせてうんうんと頷いた。
 そんなわけないじゃん。
 確かに詩乃の実家は漁師さんだけど、ローストビーフは詩乃が彼のために拵えたに決まってる。

「あ、彼は」
「健二くんの先輩。でしょ?」

 小さく驚く詩乃に「ちょっと前に紗也加とご飯行った」と種明かしをする。詩乃は目礼の動きで全てを察した。紗也加から私が聞いたことを理解したに違いない。

「初めまして。中井です」

 ケトルに水を入れながらも丁寧に挨拶をしてくれた。カケルくんとはまた違った好印象がある。人の良さが滲み出ているっていうのかな。穏やかな空気を持っていて、詩乃にぴったりだ。
 平静を取り戻しつつある私も挨拶を返して、先の無礼に突撃訪問の非礼も詫びようとして、詩乃に止められた。

「宇多はお酒の方がいいんじゃない?」

 詩乃の一言で、中井さんは冷蔵庫を開けていた。素早い。私が答える前に、お茶も酒もどっちも用意してくれちゃいそうだ。
 私に詩乃用であろうアルコール度数の低いカクテル缶を取り出して、詩乃にはハーブティの入ったマグをそっと手渡してから中井さんはバスルームに消えていった。

「乾杯」

 詩乃が茶目っ気を見せるものだから、私は遠慮なく缶を開けた。固辞してさらに気を遣わせるわけにはいかない。
 ゆっくりマグに口をつける詩乃は無理に聞き出そうとはしない。「宇多ならすぐ落ち着くでしょ」って心の声が聞こえるみたい。クールな印象から中身まで冷やかにみられがちな詩乃だけど、本当はとても思いやりがある。詩乃ほど一緒に居て落ち着ける友だちはいないぐらいだ。

「マンネリ通り越して拗らせちゃった。私、いまだに良太のことになると冷静でいられない」
「ふふっ。宇多は荒井君のこと大好きだもんね~」
「うっ」
「宇多はなにかとひとりで抱え込むからなぁ。荒井君だけだよね、上手に宇多を息抜きさせられるのって。荒井君はよく見てるよ。宇多のこと」
「そんなこと、、、あるかも。私だけ、いつまでも成長しなくて。ホントもう駄目」
「でも宇多はそうならないように努力してるんでしょう?」

 見た目の変化を含めだと視線が言っている。努力と変化、それぞれに対する詩乃流の褒め方だ。

「はじめは自分のためにって言い訳してたんだけど、ちゃんと楽しくなってるから、だから」
「うん。相手のせいだけにしないで、まずは自分で動けるのすごいことだよ。宇多の良いとこ」
「でもやっちゃった。不満全部ぶちまけて、言ったらダメなこと叫んで飛び出してきちゃった」

 そっか、と詩乃は肯定も否定もせず間を置いた。適当な慰めはできない子で、それこそ詩乃のよいところだ。
 だから、私は話せてしまう。

「あのー。お話の途中ごめんね」

 中井さんが出てきた。カジュアルに輪をかけてラフな格好に着替えている。

「俺、ちょっと走ってくるね。小一時間はかかるけど、いい?」

 そう詩乃に伺いを立てて、私に向かって軽く会釈をして玄関に向かう。

「あ! 待ってください。私、もうお暇するんで」

 取り乱していた私だけど、中井さんの気遣いに気づかないほど落ちぶれてはいない。
 つっかーこの人、いい人ってレベル超えてる。

「日課なんですよ、ランニング。詩乃さんとお留守番お願いしますね」
「え、でも。詩乃?」

 ぜってー日課じゃないね! だって、消防士さんなら日々訓練でじゅうぶん走り込んでいるはずじゃん。
 詩乃ならまだしも、男性にしては気遣いが細やかすぎて鼻血出そう。こんな男性ひと、存在するんだ……。良太とは大違い。

「逸登君、気を付けてね」
「うん。いってきます」
「いってらっしゃい」

 詩乃も! 嘘だって私にバレてるのわかってるくせにシレっと送り出すんだから。
 もうマジでそういうとこ好き。中井さんでなくても惚れるんだわ。

「詩乃、よかったの? ほんとに」

 詩乃はコロコロと喉を鳴らすだけだった。
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