世にも甘い自白調書

端本 やこ

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東京編

俊樹の休日(下)

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 俊樹が予想したよりずっと早く解放された。ありがたい、などと思ってしまう程度には自分も組織に毒されている。

「お疲れ様」

 乾杯をする橙子のほほ笑みで、昼間のクサクサした気分が昇華される。
 
「買い物、任せちゃって悪かったな」
「ホントそれ。何見てもかわいくて、なかなか決められなかったんだから」
「で、何にした?」

 これだよと、差し出されたスマホを覗き込む。包装前の商品の写真だ。
 熊フードのバスタオルと人形、クリームと思しきセットが籠に詰められている。

「子ども用か」

 徹もちらりと見て呟いた。

「同級生の出産祝い。何人かで贈ることにしたから探しに行ってきたの」

 小さく頷いたところをみると、徹は納得したらしい。が、すでに興味を失ったらしく、ビールを流し込んでつまみに手を伸ばしている。

「てか、なんで先輩居るん?」
「こっちが聞きたい。誰の家だと思ってんだ」

 冷たい視線を投げつけてくるも、徹の顔は諦めが出ている。
 文句を言うのも煩わしいといったところだろうが、結果的に俊樹にがあったというわけだ。

「スナック橙子でしょ、ここ。ママお代わり~」
「ネーミングよ。場末感出ちゃうから止めて」

 コロコロと明るく笑うママは、機嫌良く台所に立った。「お客さーん、次何するぅ?」と冷蔵庫を開ける姿にほっこりさせられる。

「……連れて帰ろっかな」
「この客、もう帰るってよ」
「あらそう。徹さんはお代わりどうする?」 

 あらそうって納得すんなよ!
 俊樹は徹と橙子を同時に突っ込めずぐうの音を出すしかない。
 徹の早く帰れオーラを無視して二本目の缶ビールを受け取った。
 マジ、何でこうなったんだろーなぁ。
 今頃、俊樹の家で世話を焼かれていてもおかしくないはずで……奇妙なことが起こるものだ。
 
「俺もお泊りするからね、とーるさん♡」

 俊樹が上目遣いで瞬きしてみせると、ぐしゃりと缶が潰れる音がした。

「ちょっと!」

 開けて間もない缶を盛大に握りしめたのは徹だ。そして、橙子が飛び散ったビールにまみれてしまった。
 タオルもティッシュも見当たらず、俊樹はハンカチを差し出した。

「大丈夫。臭うから洗ってくる」
 
 ハンカチを固辞した橙子は当たり前のように風呂場へ消えていく。

「あーあー。もう何やってんの」
「お前が悪い」

 俊樹が手を洗いに立つと、ついでに蹴られた。徹の長い脚はどこからでも飛んでくる。
 その上、タオルを放り投げられ掃除もやらされる。渋々ながらも体が動いてしまうのは、上下関係が厳しい体育会系の成すところだ。

「ねぇ、先輩」

 ラグを叩きタオルに水分を吸い込ませながら、俊樹が低い声を出した。

「何だ」
「本気なんだよね?」

 俊樹はラグを見つめたままで、徹も俊樹を見てはいないだろう。

「何が言いたい?」
「あいつ我慢強いから我儘言わない。いつでも自分より他人」
「それで?」
「大切にしてやって。……本当、頼みます」

 俊樹は徹の顔を見ずとも、真意を探られていることを感じ取っていた。
 会話を途切れさせた徹がどう出るかわからない。ただ、茶化すような男でないことはわかっている。女心に疎くとも、俊樹の雰囲気を読み取るぐらいはする先輩なのだ。

「とぉるさーん! 私のバッグ取ってぇ。着替え~」

 絶妙なタイミングで橙子の呑気な声が響いた。
 徹が「ああ」と、俊樹にしか聞こえない声で返事をする。
 俊樹も徹も救われた……のだと思う。
 橙子に動きを促された徹が俊樹の肩を触れた。

「そうしている」

 ひどく素っ気ない返しだった。
 が、手は解っていると言っていた。
 不意に俊樹は泣きそうになってしまう。
 徹という男は、無愛想で、言葉足らずな癖に、勘は悪くなくて、実は情に厚いところもあったりして、安心感を与える。橙子が包容力に惹かれるのは痛感するし、誰よりも深く理解できるのだ。
 ちっ。
 俊樹は泣きそうになっている自分が嫌でたまらなかった。

「あ、素っぴん」
「汚い顔晒して悪いけど我慢して」

 化粧っけのなかった高校生の頃が思い出される。
 俊樹のときめきは過去の中なのか現実なのか判断がつかない。

「いや。変わらないな」

 それだけは確かだ。
 橙子は照れくさそうに、髪を拭くタオルで微妙に隠した。

「先輩は?」
「シャワー交替した」
「んじゃ、久しぶりに膝枕してー」
「嫌」
「休日出勤して頑張ったからいいでしよ」

 俊樹は押し付けられた大判クッションを挟んで、問答無用に橙子の膝めがけて転がった。
 しゃーないと溜め息を吐いて受け入れてくれるのは想定済みだ。

「なぁ、橙子。今、幸せ?」
「お陰さまで。トッシーは?」
「どうかな。幸せって何だろな?」
「知らんわ」
「幸せって言ったくせに」
「忙しくて不満があっても、それに見合った充実感があれば私は幸せ」
「なるほどね。なら、俺も悪くないかも」
「仕事人だもんね」

 真面目に答えてくれるとわかっているから、こっぱずかしい会話も橙子となら自然に交わせる。
 ペチペチと額を叩く手をとって握ると、久々に触れる人肌に安心し睡魔に襲われた。

「よいしょっと」

 橙子はそっとクッションを押し上げ、膝から俊樹を降ろした。そして、静かに寝息を立てる俊樹に毛布を掛ける。
 手持無沙汰に片付けを始めると、徹が戻ってきた。

「起こせ」
「泊めてあげれば?」
「一回許すと居着く」
「寂しがりだもんねぇ。まぁ、それもいいんじゃない?」

 橙子が徹の眉間に指を伸ばして皺を解す。尚も「最悪だ」と小言を吐く徹に、笑いが込み上げる。

「なぜか憎めないよね、トッシーって」
「どこが」
「可愛いい後輩、大切にしてやって。その、、、お願いね」

 橙子には、徹が一瞬驚いたように見えた。変なことを言ってしまったのかと思ったが、直ぐに徹が柔らかく目を細めたのを見て取れ安堵する。
 橙子は自分が満足そうに微笑んでいることに気がついていない。

「そうしている」

 それだけ呟いて、徹は明かりを落とす。暗闇の中、ソファに寝そべった俊樹を見遣るが微動だにしない。

「片付けはそいつにさせろ」

 徹は橙子の柔らかい手を引いて寝室に向かった。
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