世にも甘い自白調書

端本 やこ

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福岡編

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 突然の帰省にかかわらず、兄は家族を集め、母親は早くから会食の準備を整えていた。
 徹は橙子を引き合わせさえできればよかった。実家に長居をするつもりはなかった。ただ、流れのまま居残っている。

 久我島家の台所に男の居場所はない。監督の母親と双子の妹にまざる橙子を気にして、橙子の存在を目で追う。延長線上にあるリビングで、仕事で現場に臨むのと同じ心持ちでいる。
 橙子なら上手く立ち回るだろう。徹が気になるのは悪魔の化身がふたりいることだった。
 現に、台所から聞こえてくるのは悪魔の喚きばかりだ。

「なんで徹ちゃんなの?」

 という縁の疑問を皮切りに、徹に対する双子の酷評がはじまった。
 何を考えているのかわからない、悪い意味で自由人、正の感情が死んでいる、父親似で口数が少ない、語彙力がない、むっつり、素っ気ない、不器用、無愛想、他人に興味なし、と言いたい放題だ。よくもまあそれだけ悪口が叩けるものだと感心するレベルである。

「兄ながらクソしょっぱい!」

 渚が吐き捨てた。
 双子の騒がしさだけで橙子の声まで届かない。橙子は反論めいたこと……は言わないだろう。
 橙子なら双子の意見はそのまま受け止める。
 そして、双子を黙らせるほどとんでもない爆撃をくらわすに決まっている。
 ──ほらみろ、と徹は妹たちの表情を見て悦に入る。
 絶句した双子に変わって、母親が口を開いたことで徹は警戒を解いた。

「それにしても橙子ちゃんの使い分けは凄いね。仕事ではパリッとしてんのに、プライベートではコロコロ表情変えて」

 仕事モードの橙子を知る誠が焼酎カップを手に染々と溢す。
 どうやら台所の様子を気に掛けていたのは徹だけではなかったらしい。

「働かせ過ぎだ。いい加減、帰せ」
「いや~、手放せない。どうにか引き抜けないもんか考えてる」
「うちの会社でも話題になっていました」

 兄弟の会話に口を挟んだのは、渚と同じ保険会社に勤める大輔だった。
 橙子が保険会社に足を運んだのは、山藤が取り扱う荷物の破損保証など大きな契約を更新するためだった。保険会社側の本部長クラスまで引っ張り出して、大幅な改正の最中だという。

「実際に会議室を出入りした渚さんの話とはかけ離れていて、正直驚いたと言うか」
「噂は噂通りで間違いないはず。俺は徹が別の女連れてこないかと期待してたんだけどねー」
「どういう意味だ」

 大輔の話はまだしも、誠の発言の、特に後半部分は、聞き捨てならなかった。
 
「橙子ちゃんが語った徹がまた別人でさぁ。人類の宝だとか存在が奇跡だとか言うもんだから、どこかで半信半疑だった。別の女連れて来てたら本気で口説きにかかったんだけどな」

 残念とヘラヘラする誠の目が鋭さを保っている。
 徹は無言で誠の深意を探る。が、易々と尻尾を掴ませないのが誠だ。知ったところで余計な心配が増えるだけだと結論付けて、誠と同じ焼酎を舌で転がした。

「飲み会でもほろ酔いの凶器振り回しちゃってさ。仕事の本気とアフターファイブの天然にギャップ萌えする輩は数知れず」
 
 あれはヤバイと、誠は思い出し笑いをする。
 昔から変わらない誠の鬱陶しさが甦るからだろうか、徹は飲み会があったことすら知らされておらずムッとしてしまう。
 揶揄われるにしても、捜査一課の同僚に面白がられるのとは全く違う。物理的な距離が問題なのか、ただの嫉妬なのかはどうでもいい。
 徹の知らない橙子の世界を受け入れ難い。

「さっきの告白も半端なかったっすね」
「あんなの言われたら堪んないね、うん」

 大輔と恭一郎はそれぞれパートナーと比べたに違いない。橙子の素直さの欠片でも双子にあれば望めるだろうが、来世に持ち越し確定だ。
 徹といえば、身内といえども橙子が男の興味を買うのは快くない。自然と剣呑な空気を身にまとってしまう。

「誠はともかく、他が大丈夫だとは限らんだろう。あちらさんに御挨拶する目処は立っているのか?」

 意外にも、徹の気配に勘付いたのは父親だった。
 普段余計なことは口にしない父親が打った釘が、徹の心配に突き刺さる。

「あいつが東京に戻ったら一緒に暮らす。名古屋はそれからだ」
「仕事にかまけていると逃げられるぞ」

 父親が揶揄うのは珍しい。一抹の驚きを持って見遣ると、その顔は真剣だった。
 急激に居心地が悪くなる。
 なんとなしに顔を背けてしまった先で、橙子と視線が絡まった。徹の苛立ちや不安を包み込むように微笑まれて救われる思いがした。
 
*** 
 
 食事の後片付けが終わっても、蟒蛇一家は飲み続けている。全員、泊まっていくのだろうか。橙子は暇を告げる機を逃したのではないかと気が気でない。

「やだやだやだ! とーこと入るうっ」

 お風呂に入りなさいと言いつけられた元気が駄々を捏ねる。あまりの騒がしさに、妊娠中で飲酒を控えていた渚が入れることになった。気が収まらない元気に付き添って、橙子も脱衣場までついて行く羽目になってしまった。

「元気くん、自分で脱げる? 偉いねぇ」

 渚の邪魔にならない位置で、橙子は膝をついて元気を見守る。
 長ズボンに悪戦苦闘する姿がなんとも微笑ましい。

「橙子ちゃん子どもの扱いに慣れてるよね」
「元気くんと同じ年頃の姪っ子がいるんです。可愛いんだけど、おしゃまさんで手を焼くんですよー」

 姪に元気のような無垢な可愛さはない。小生意気で口で負かされることもあるぐらいだ。
 床に座り込んで靴下を引っ張る元気が幼く感じられる。

「ああ、なんかわかるわ、それ。この子も姪御さんみたいになるかな」

 服を脱ぎ終えた渚が自身のお腹に手をやった。跪いている橙子とほぼ同じ高さにあるお腹は、細身な体にしては張り出しており、大きな卵を抱えているような丸みがある。
 大事そうに撫でる渚にも、撫でられるお腹も、神秘的な美しさで輝いて見えた。
 いつか自分も徹の胤を宿して、同じように清い愛情に満ちることがあるのだろうか。そんな風に未来を想像して少々気恥ずかしくなる。

「いっちばーん!」
「あ、こら元気! お風呂ではしゃがないの!」

 元気は渚の注意をものともしない。飛び跳ねるようにして湯船に向かい、桶で勢いよく頭からお湯を被る。顔にかかったお湯を両手で荒っぽく拭って、橙子に振り向いた。

「ぼく自分で頭洗えるんだよ。とーこ見ててね!」

 元気が見せた会心の笑顔に、橙子も口元がほころぶ。
 徹が抱く赤ん坊は男の子だろうと、なぜだかそんな気がした。
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