Tの事件簿

端本 やこ

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お仕事体験編

07

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 橙子に誘導され女性専用シートに腰を下ろす。美穂の心情は複雑だった。
 徹への片想いから、橙子に反発心がある。だが、それは勝手な感情をあてこすっているに過ぎない。
 橙子はTPOに合わせた身なりや言動もお手の物で、察しが良くて、優しくて、気立てが良くて、美人でスタイルも良くて──今のところ短所のひとつ見当たらない。
 頑張っても無駄。
 言葉だけでなく、現実を突き付けられて目元が熱くなる。

「お待たせ。本当にオレンジジュースで良かった?」

 美穂は咄嗟に返答できず、顔を隠すように頷いた。細長いグラスを受け取り、一気に半分を吸い上げた。

「ごめんなさい」
「悪いのは不埒なバカでしょ。忘れよ!」

 ジュースじゃ無理かと笑い飛ばしているのは、やはり優しさだと美穂は確信する。冗談を言っているが、橙子の目は慈悲深く気遣っているのがじゅうぶんにわかる。

「と、橙子さん」
「んー?」

 ビール瓶を傾ける橙子も決まって見える。勢いよくジュースに吸いついた自分が恥ずかしい。

「どうしたら橙子さんみたいになれますか?」
「へ?」

 橙子はキョトンとしてから冗談を吹き飛ばすかのように笑い出した。

「これでも真剣なんですが」
「ごめんごめん。何年も前に同じセリフ聞いたなって思い出しちゃって」

 亜紀と重なったと微笑む。美穂からしたら、亜紀は可愛らしく天真爛漫の具現で悩みとは無縁に見えた。
 橙子は亜紀との過去を語り、軽く職についても触れた。橙子は職場ではまた違った顔を持っているようだ。
 美穂は女性として憧れ、亜紀は職場の先輩として憧れる。橙子に対する亜紀の憧れは自分のものと似て非なるものだと感じた。

「損な性格なのよー。だから私のようになっちゃダメ」

 そう亜紀にも言い聞かせていると、初めて嫌そうな声色を出した。
 美穂の問いに微妙にずれた答えを導き出したのもまた橙子の気遣いであった。しかし美穂はチャンスを逃すまじと喰い下がる。

「色気とか女性らしさとか、そういう話なんです」
「美穂ちゃんはそれ以上どうなりたいの?」
「逸らさないでください」
「さっきのも、たくさんナンパされたのも、美穂ちゃんの魅力あってこそじゃん」

 わからないとは言わせないと、橙子の寄越した視線は鋭さがある。
 美穂にとってナンパは初めての経験だった。ひとり、ふたり、と声を掛けられ気分は悪くなかった。橙子のお供え物状態だと自覚していても、だ。
 夢見心地。まさにそんな気分を味わった。

「自信持って。逆に羨ましいぐらいなんだから」
「ぇっ」
「私、ピンク似合わないもの。ラメグロス使った時なんて『油物食ったのか』って言われた」

 眉を寄せた橙子の物真似は、徹に寄せたつもりだったのだろう。全く似ていないのが面白くて、可愛くて、美穂は噴き出してしまった。

「ちょ! 美穂ちゃんまで酷くない!?」

 子どもっぽく膨れたと思ったら、また艶っぽくビールを飲む。コロコロ変わる魅力に憑りつかれ、徹と俊樹に亜紀の気持ちも理解した。

「そろそろ戻りましょう」

 何気なくイヤホン側の髪に手を当てた美穂を見て、何かしらの指示が出たであろうことは橙子にも分かった。
 女性専用席は人の流れが少ない。長く居座っても意味がないと納得し、美穂と並んでフロアに出る。
 DJイベントは最高潮を迎え、ホールに人が入り切っていないほどだ。男女比率は7対3といったところで、その半数以上が20代前半に見える。橙子がこの大衆に混ざるには色々な意味できつい。

「もう一杯飲まない?」

 曲調が変われば入り込む隙が生まれる可能性がある。いずれにしても今は身動きがとれないと美穂も同意した。

***

 ヒットの合図とともに、配置変更の指示がなされた。
 地下階にあるトイレでディーラーと接触し、買付けの現場を押さえるに成功した。平行して、ホールにも動きがあった。一般客に声を掛けるギャング構成員に注意をしマークしなければならない。
 本部からの通達に、徹が的確な修正を効かせる。
 事を荒立てることなく迅速に処理を行ったのは地下に向かった俊樹の采配だった。

「全員無事。非常階段から出ます」

 俊樹から現場完了の報告が上がり、外部から任せろとの応答がある。引き渡すまでが潜入要員の仕事だ。

「森下さんの引率者、用意願います」

 見事に売買担当を釣り上げた亜紀の功績は大きい。本人は遊び足らないだろうが、組織外の協力者に聴取は必須である。

「全部引き受けるぞぉ。尾野は残れ~」
「全員、森下さんの件は川原には伏せておけ」

 緊迫した空気を感じさせない日野の指示に徹が被せた。短く「動揺させるな」と続き、直ちに「了解」と幾重の声が掛った。

***

 橙子はバーカウンターから徹と国枝の姿を捉えた。美穂に渡すぶんのほか、ビールを2本買い足した。人ごみの中を持ち運ぶには瓶が適している上に、ちょっとしたアイテムになる。美穂に追加分を託し、意気揚々と長身の男に近づいた。

「おにーさんたちっ。一杯いかが?」

 橙子に冷たい流し目を向けたのは国枝の方だった。
 本日何度目かの逆ナンに面倒臭さを覚え、しかもオッサン目当てだろうと腐った部分も含まれていた。

「おねぇさんの奢り?」

 見知った顔に安堵し、一瞬で作り笑いに変える。オッサン目当ての部分は変わらないが、探す手間が省けただけラッキーだ。美穂にフロアに戻るよう指示が出ていたが、混雑の中からなかなか見つけ出せずにいた。

「もちろん。どーぞ」
 
 柔らい表情の橙子と対照的に、美穂は表情筋を引き攣らせて見える。

「どうかした?」
「いえ」

 徹の圧に慄いているのだとしたら、国枝には痛いほど良く解る。徹の険しい顔はデフォで、渋々であった今日の作戦に橙子まで巻き込んでしまったのだから、機嫌の悪さは底なしだ。
 過度の緊張は視野を狭め、凡ミスを引き起こし兼ねない。
 国枝は受け取った瓶を軽く美穂のそれに合わせ、緊張を解せと言外に示した。
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