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第二十五話 禁断の依頼 5

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「おっ、おっ、おれが……負けたぁ! 嘘だぁぁぁ! こんな子供にぃぃぃ!? あんなに訓練したのにぃ!」

 ラールセンの悲痛な声が山頂に響く。
 辺りでばさばさと野鳥が飛び立っていった。朝からいい迷惑だろう。

「みっともないぞ。お前の負けだ。こっちのお嬢ちゃんは、お前の半分くらいの時間しかかかってなかった。私が見た」
「嘘だぁぁっ! ウインドの手がかりがぁ! せっかく見つけたのにぃぃ!」
「いい加減にしろ!」

 ラッセルドーンの固い拳が、この世の終わりとばかりに嘆く男の後頭部に入った。クリティカルヒットだ。
 膝をついて、ぜえぜえ息を吐いていたラールセンが、糸が切れたように地面に顔をぶつけて動かなくなった。
 登ってきた僕らはそんな悲惨な場面を目の当たりにして、そっと視線をそらす。

「ハルマぁ、私勝ったよ! 楽勝!」

 ルルカナは弾けるような笑顔でブイサインだ。
 汗びっしょりで何枚もの葉っぱを頭につけたラールセンとは雲泥の差だ。
 ハストン並みの人間と競争した彼は不運としか言えない。
 もちろん――ルルカナも明日には悲鳴をあげるだろうが。

「この人、口だけで大したことなかった」
「こらっ! ルルカナ!」

 素早くおしゃべりな口を手でふさぐ。
 ラッセルドーンの前でなんてことを言うんだ。この人がキレたら山ごと消しとぶぞ。

「まあ、これが今のラールセンの実力ってことだ。情けない話しだな」

 強すぎる父親は、太い腕を組んで気絶した息子を見下ろす。別段怒った様子はない。
 苦笑いしているだけだ。

「この程度で、ウインドに近づけるなどと考えるのだから、困ったものだ。な? そこのハルマくん」
「え? ま、まあ、がんばってるんですから、そのうち近づける――じゃなくて、僕には全然わからないです」

 危なかった。口を滑らすところだった。
 なんてトラップを仕掛けてくるんだ。
 意外に、この人は要注意人物かもしれない。
 アネモネが不思議そうな顔をしている。
 彼女はラールセンの死に体を見て「負けたんだ」とぼそりと言ったあと、強い闘志を目に宿して、ラッセルドーンに近づいた。

「おじさん、ウインドって人のこと、どう思いますか?」
「どう、とは?」
「おじさんのダンジョンを奪ったんですよね? 私――捕まえたいんです」

 きっと、ここに来るまで熱く語っていたせいだ。アネモネはもう勝負の結果は気にしていないのだろう。
 隣で、ルルカナが体を強張らせた。
 そうっと視線を上げた彼女と、僕の視線がぶつかる。
 ――ハルマ、あの人に捕まるの?
 ――ノー、ノー、断じてノー。
 しっかり首を振っておいた。
 そんな未来はノーサンキューだ。

「ほう、アネモネちゃんは彼を捕まえたいのか」
「ちゃんづけで呼ぶのはやめてください。もう16なんですよ? 昔の私じゃないんです。もう立派な探闘者ですから」
「そうだったな。君は本気で戦えばラールセンより強いしな。失礼した。捕まえられるなら捕まえればいいが……ウインドをどう思うかというのは答えるのは難しいな……正直なところ、あのダンジョンの件はだまし打ちのようなもので、良い気分ではなかったが――」
「やっぱり!」

 アネモネが拳をぎゅっと握り込む。
 目がぎらぎらしていて怖い。教室で見てた頃の彼女でいてほしい。
 そしてラッセルドーンは余計なことを言わないでほしい。

「しかし、強さは一級だった。良いやつか悪いやつかは別にして……まったく、どんな男なのだろうな? 私も気になるな。そこのハルマくん、どう思う?」
「さあ……僕はよく知らないので」

 結構、かぶせてくるな。
 けど、二度目は驚かないぞ。色んな意味で要注意人物だとわかった。
 いつまでも動じるウインドじゃない。

「ふぅ……つまらん反応だ」
「おじさん、なんて?」
「独り言だ。気にしないでくれ。と、それより――そこのルルカナの件だ」

 ラッセルドーンが強引に話題を変える。
 興味深そうに、銀髪を揺らす少女を見つめた。

「ウインドと同じで、ずいぶん特殊なマナを持っているな」
「……えっ?」
「ここまで登ってくるまでの間に君が失ったマナは少ない。うちの息子なぞ半分以上も消費したというのに。マナの操作技術が卓越している。そして、そのあふれんばかりの含有量――君は逸材だ。将来、私に匹敵するほどの探闘者となれるかもしれない」
「ありがとうございます……」
「どうだろう? 私の養子にならないか?」
「お断りします」
「迷いない判断もすばらしいな」
「どうも……」

 ラッセルドーンは大きく笑って表情を引きしめた。

「君は――ウインドの近い位置にいるらしいな」
「一番……とは、今は言えませんけど、三番くらいにはいるつもりです」
「なるほど。ウインドを先頭に、君と同じレベルの人間が他にもいるわけだ。これはうかうかしてられんな。うちの息子にも特別メニューを与えなければ。少々甘やかしすぎたからな」
「特別メニュー?」
「おっと、それは内緒だぞ。我が家に伝わる短期間育成メニューだ。養子になるというのなら――」
「嫌です」
「了解した。では勧誘も冷たく断られたことだし、私はこの辺で」

 ラッセルドーンはそう言って、地面でのびるラールセンを肩にかついだ。
 重さなど感じない風に。
 彼にとっては紙切れ同然だろう。
 そのまま、ちょいちょいと逆の手を動かす。

「私?」

 呼ばれたのはアネモネだ。
 訝しみつつ近づいた彼女は、がばっとラッセルドーンの太い腕に腰をとられた。
 ちょっとうらやましい。あんな大胆なことは僕にはできない。

「えっ!? ちょっ!? おじさん!」
「心配するな。落とさんよ」
「いや、そういう話じゃなくって!」
「大丈夫。昔はお漏らしを怒られて家出したアネモネをこうやって連れ帰ったものだ。私は誰よりも見つけるのが早かった。家につく頃はいつも気絶していたがな」
「さらっと変な話を暴露しないでください! 5歳になる前の話ですよね!? あっ、ハルっち、今の忘れて忘れて! お願いだから!」

 腰を抱え上げられたアネモネがバタバタと暴れる。
 顔を真っ赤にしたかと思えば、ラッセルドーンが今からしようとしていることを理解して青ざめ始めた。

「お、おじさん、まさか……」
「大丈夫。登るより、下る方が早い。距離を稼げるからな。とうっ!」
「とうっ、じゃなくてぇぇぇぇ!? いやぁぁぁぁぁっ!」

 ラッセルドーンが勢いよく走りだした。十分に加速をつけたあと、消えた。
 いや、空中に高く飛びあがって、落下していった。
 あの人は山を何だと思ってるんだ。小さな坂道でジャンプするんじゃないのだから。
 遠くまで飛べたぞ! なんて子供のすることが、抱えられた人間には災いだ。
 アネモネがぎゅうっと目をつむったまま手を合わせて祈っている。
 気持ちは痛いほどわかる。
 そして――
 浮遊感で目ざめたラールセンが、バタバタと暴れて――たぶん気絶した。
 ぐったりしたままラッセルドーンの肩に担がれ、また途中で目ざめて――気絶した。
 トラウマものの経験だろう。
 あんな人の特別メニューは嫌だな。
 かわいそうだから、もう見ないようにしよう。

「あっ、しまった!」

 今さら気づいた。
 ラッセルドーンが飛んでいってしまったら、ダンジョンを譲る手続きの話ができないじゃないか。
 早くしないとアネモネの心象がどんどん悪くなるというのに。

「ああ……もう、あの人は……色々すごすぎるよ」
「だね。まあ、いいんじゃない? 勝負には勝ったんだし。それに私が勝ったから、ラールセンはウインドを追いかけるのやめると思うし」
「え? なんで? あきらめるとは思えないけど……」

 ルルカナがにこりと笑って、自分を指さした。

「こんなところに手がかりがいるんだよ? やみくもに探すより、私に勝負を挑んだ方が確実でしょ? 勝ったら手がかりを教えろって、あの人なら言うと思う」
「あっ、そっか……」

 ラールセンはウインドを求めてルルカナに何度も勝負をしかける。
 そして、その度にルルカナはハストン譲りの魔力であしらう。
 全然考えてなかった。すごい、ルルカナ。

「ハルマ、あの人と相性悪そうだもん」
「……ルルカナにそんなこと言われるなんて」
「私はハルマともう二年も一緒なんだよ。見てればわかるもん」

 ルルカナが照れくさそうに視線を下げて、つま先で小石を蹴った。
 そして、気を取り直したように「そうだ」と顔を上げる。

「アネモネって人のことはどうするの?」
「どうするかな……正義のヒーローになっちゃったしなぁ」
「正義の?」
「ま、まあ……色々複雑な感じなんだ。とりあえず、すぐに正体がばれることはないだろうから――」

 僕は視線を遠くに投げた。
 太陽がゆっくり顔を出した。寒かった山頂が、ぽかぽかと心地いい。
 景色も最高だ。
 色々騒がしいけど、早起きもたまに悪くない。

「まずは<ホープ>に行って、ダンジョンを譲り受ける手続きをしようと思う。でもその前に――ルルカナ、パン屋にベーグルでも買いにいこっか。朝ごはんまだだよね? 一緒に食べよ」

 僕はそう言って、ルルカナの手を引いた。
 彼女は「うん!」とまぶしい笑顔でうなずいた。
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