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27話 境界渡り
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光矢の黒曜鎧は三分の一が吹き飛んでいた。
下の白い鎧が見えているが、五体は無事だ。
じわじわと鎧も修復されていく。
「ありがと、兄ちゃん!」
背後から相馬のお礼の声が聞こえた。
けれど、光矢は視線を佐垣から離さなかった。気を抜けば、光矢を排除し、もう一度相馬を撃とうとすることは明らかだったからだ。
「葛切、お前、何したかわかってるか?」
「相馬は、やめてくれって言ってる。強い意思を尊重するのがニンブルマキアじゃないのか?」
「……海馬さんの受け売りだろうが、あの人とお前には決定的に覚悟に差があるんだよ。何も知らないやつが、自分のことすら決められないやつが、たった一度の相馬を止めるチャンスをふいにしたんだぞ」
佐垣は諦めた表情で《揺り影》と共に消えていく相馬を眺めている。
相馬が、まだ手を振っていた。
「可能性があるんだろ」
「はっ、そんな簡単に《揺り影》から戻ってこられるなら、俺たちは必死に《世無》を助けちゃいない。何度も戦って、仲間を《揺り影》にとられて――その結末を知って、相馬を消すのが最善だと判断したんだ」
佐垣は相馬から受け取ったメモ帳を顔の前で振った。
「前にも言ったよな。強くなれる《世無》なら、こんなに訓練する前に、とっくに《世得》になれてる。意思だけじゃどうにもならない現実がある」
「相馬は戻ってくるって言った。佐垣がどんな経験をしてきたかは知らないけど、あいつの意思を押し付けで勝手に潰すべきじゃない」
光矢がそこまで言って言葉を切った。
地鳴りのような音が山間に響いたからだ。
空中に、巨大な黒い棒が二本現れた。
佐垣が疲れの溶け込んだ思いため息を吐いた。
「言いたいことはわかった。だが、それを押し通したいなら、どんな結果もお前は受け止めないとな。いや、それはあいつを救えなかった俺もか」
「佐垣、これは?」
「本当の《境界渡り》だ。選択の結果がすぐに返ってきたってことだ」
声が虚ろな反響のようだ。
そうこうしているうちに、鉄の棒が左右に離れた。
間に暗い空間ができあがった。
その中から大きな手が現れた。足が、体が、そして胸の部分についた顔が見えた。頭部はない。
真っ黒な胴の中心に存在する表情が、泣きそうにくしゃっと変化した。
「《境界渡り》ってのは、境界を渡るからそう呼ばれてる。人間が死後に生まれ変わって産まれる《境界渡り》は似てるが本物じゃない。そして――こいつが相馬だ」
佐垣は憐憫の情を乗せた瞳を向けた。
光矢が見開くようにまばたきをした。
「こっちに戻りたい。連れ去られたくない。心残りがでかいやつほど、境界を越えた瞬間に、化け物になるらしい」
――無事に戻ってきた《世無》はいないので、わかりません。
光矢の脳裏に海馬の言葉がよぎる。
「俺は、あれ以上、相馬を苦しめたくはなかった。こうなる可能性があったからだ。だがお前は、相馬の意思を汲んで攻撃を止めた。その結果が《境界渡り》――正解はどっちだったと思う?」
「そんな比較無意味だろ。相馬が願う方を後押しするのが――ニンブルマキアなんだろ?」
佐垣が目を丸くした。
その答えは頭に無かったからだ。
けれど、ニンブルマキアの方針を思い出せば、そうなるかもしれない。
もし海馬が同じ場面に立ったなら、「私は忠告しましたよ」と言いつつ、相馬を見送ったかもしれない。
その後は、たぶん全力で――
「目の前にあるのは、相馬の選択の結果……ってか。ひどい自己責任だ」
「佐垣、相馬を救うためには、どうすればいい?」
光矢はまじまじと佐垣を見つめていた。
この状況で、光矢はできることを精一杯やろうとしていた。
佐垣が短く息を吸う。
「相馬を消す」
「俺は何をすればいい?」
「本物の《境界渡り》は強い。元が《世無》だったとか考えるな。あの大きさなら相当のはずだ。俺がメインで攻撃するから、隙があったら葛切もやれ。狙うのは足な」
「単純で良かった」
「じゃあ、行くぞ」
***
「さあ来い、相馬。お前が憧れてた《世得》が相手になってやる」
佐垣が空中で停止した。
彼の黒曜鎧は腰からウイングのようなものが左右に伸びている。時折、《清浄線》を浮かべるそれが、《境界渡り》の腕のスイングに合わせて光を増した。
「こんなもんか」
巨大な腕は佐垣が止めていた。
《境界渡り》の胸に浮かぶ顔が驚いたように見える。
佐垣が空中を蹴って肉薄する。
腕を合わせ、掌の中に膨大な《曜力》を溜めた。
「くらえ」
光が弾けた。
極太の光線が《境界渡り》の胸に放たれたが、寸前で紅い障壁が現れて弾いた。そして、遥か後ろの山肌に衝突した。
遅れてやってくる衝撃音と突風が、あたり一面の木々を散り散りにして巻き上げる。
「《断弾》」
空中から刀の雨が降ってきた。
《境界渡り》の腕と肩と首に蒼い刃が降り注ぐ。
しかし、これも紅い障壁が邪魔をする。
「《旗艦斬刀》」
左手に長大な剣が現れた。
佐垣は空間ごと断ち切るような勢いで真横に一閃。
初めて、《境界渡り》が防御した。肘を曲げて肩の部分に飛来する軌道を受け止める。
ガラスが割れる音と共に、巨体が空を舞った。
しかし、その途中、反対の腕が逆くの字に曲がる。肘関節がぽっかり開き、現れたのは黒い空間。
繋ぎ合わせた人形のような構造なのか。
「――っ」
その瞬間、周囲に黒い光線が爆ぜた。
辺り一帯を薙ぎ払うような攻撃で佐垣が吹き飛ぶ。
そこに、チャンスを窺っていた光矢が飛び込んだ。
《境界渡り》のがら空きの脇腹に向けて、一気に突進する。
イメージするのは北大我が帯留辺に放った、あの一撃だ。
腕に《曜力》を巻きつけ、それを解放しながら拳をぶつける。
ドンっ――
ガラスを割るような音のあとに巨大な鐘でもなぐったような奇妙な感触が拳に伝わった。
だが、光矢は構わず振り切った。
《境界渡り》が体を曲げて真横に吹き飛ぶ。
「やったか」
喜ぶのは早かった。
上半身が空中で光矢の方を向いている。
泣いているような表情と目が合った。
がぱっと黒い口が開いた。中に見えたのは渦巻くなにか。
視界が突然暗転した。と――トラックにでもはねられたような衝撃が全身を襲った。
光矢は軽々吹き飛び、森の中を轟音とともに転がった。
佐垣が素早く飛来する。
「生きてるか?」
「なんとか……」
「足にしとけって言っただろ。どんなやつも上半身はたいていやばい攻撃が来る」
「《境界渡り》ってこんなに強いんだ」
率直な気持ちでそう言った光矢に、佐垣は亀裂の入った頭部を近づけて言った。
「言った意味がわかっただろ」
「一度戦って、少しは自信があったんだけど」
「お前が戦ったのは《世得》とか《世無》だろうが。本物の《境界渡り》を一緒にするな。でも攻撃は悪くなかった。見ろ」
佐垣が視線を向ける。
《境界渡り》はゆっくりと身体を起こしている。
その横腹には小さな亀裂があった。
そして、佐垣の攻撃を受け止めた片腕にはさらに大きな亀裂が入っていた。
「まあ、治るけどな」
佐垣の言うとおり、《境界渡り》が立ち上がると亀裂が綺麗に消えていった。
「無駄じゃない。繰り返せば修復できなくなって、いずれは消せる」
「ずっと今のを続けるのか? それともいい案があるのか?」
「ある。ただ、力の消費が大きいから、もう少し弱らせたい。葛切――」
「なに?」
「お前、まだ重殻は使えないんだな?」
「重殻?」
「黒曜鎧の下にある、その白い鎧の力だ」
佐垣が光矢の右腕を指した。
黒曜鎧が一部剥がれ、白い鎧が覗いている。
「これは……よくわからない。海馬さんたちと戦ったときは、思い通りに動けなかった」
「そうか。なら俺がやるしかないな。いや……ちょっと待て――相馬……お前……」
《境界渡り》を見た佐垣の声色に緊張が混じった。
視線の先で、巨体がのろのろと動き始めたのだ。
その方向は学校――
一連の攻撃で、校舎は全壊している。グラウンドとわずかの基礎杭のあとだけが残っているその場所は、地下室が丸見えだった。
《境界渡り》が、暗い黒色の口から《粘手》らしきものを素早く伸ばした。
そして――
一人の女子を捕らえた。
「やめろ、相馬!」
叫んだ佐垣はその場を飛び出した。
吞み込まれたのは、浦元千衣だった。
下の白い鎧が見えているが、五体は無事だ。
じわじわと鎧も修復されていく。
「ありがと、兄ちゃん!」
背後から相馬のお礼の声が聞こえた。
けれど、光矢は視線を佐垣から離さなかった。気を抜けば、光矢を排除し、もう一度相馬を撃とうとすることは明らかだったからだ。
「葛切、お前、何したかわかってるか?」
「相馬は、やめてくれって言ってる。強い意思を尊重するのがニンブルマキアじゃないのか?」
「……海馬さんの受け売りだろうが、あの人とお前には決定的に覚悟に差があるんだよ。何も知らないやつが、自分のことすら決められないやつが、たった一度の相馬を止めるチャンスをふいにしたんだぞ」
佐垣は諦めた表情で《揺り影》と共に消えていく相馬を眺めている。
相馬が、まだ手を振っていた。
「可能性があるんだろ」
「はっ、そんな簡単に《揺り影》から戻ってこられるなら、俺たちは必死に《世無》を助けちゃいない。何度も戦って、仲間を《揺り影》にとられて――その結末を知って、相馬を消すのが最善だと判断したんだ」
佐垣は相馬から受け取ったメモ帳を顔の前で振った。
「前にも言ったよな。強くなれる《世無》なら、こんなに訓練する前に、とっくに《世得》になれてる。意思だけじゃどうにもならない現実がある」
「相馬は戻ってくるって言った。佐垣がどんな経験をしてきたかは知らないけど、あいつの意思を押し付けで勝手に潰すべきじゃない」
光矢がそこまで言って言葉を切った。
地鳴りのような音が山間に響いたからだ。
空中に、巨大な黒い棒が二本現れた。
佐垣が疲れの溶け込んだ思いため息を吐いた。
「言いたいことはわかった。だが、それを押し通したいなら、どんな結果もお前は受け止めないとな。いや、それはあいつを救えなかった俺もか」
「佐垣、これは?」
「本当の《境界渡り》だ。選択の結果がすぐに返ってきたってことだ」
声が虚ろな反響のようだ。
そうこうしているうちに、鉄の棒が左右に離れた。
間に暗い空間ができあがった。
その中から大きな手が現れた。足が、体が、そして胸の部分についた顔が見えた。頭部はない。
真っ黒な胴の中心に存在する表情が、泣きそうにくしゃっと変化した。
「《境界渡り》ってのは、境界を渡るからそう呼ばれてる。人間が死後に生まれ変わって産まれる《境界渡り》は似てるが本物じゃない。そして――こいつが相馬だ」
佐垣は憐憫の情を乗せた瞳を向けた。
光矢が見開くようにまばたきをした。
「こっちに戻りたい。連れ去られたくない。心残りがでかいやつほど、境界を越えた瞬間に、化け物になるらしい」
――無事に戻ってきた《世無》はいないので、わかりません。
光矢の脳裏に海馬の言葉がよぎる。
「俺は、あれ以上、相馬を苦しめたくはなかった。こうなる可能性があったからだ。だがお前は、相馬の意思を汲んで攻撃を止めた。その結果が《境界渡り》――正解はどっちだったと思う?」
「そんな比較無意味だろ。相馬が願う方を後押しするのが――ニンブルマキアなんだろ?」
佐垣が目を丸くした。
その答えは頭に無かったからだ。
けれど、ニンブルマキアの方針を思い出せば、そうなるかもしれない。
もし海馬が同じ場面に立ったなら、「私は忠告しましたよ」と言いつつ、相馬を見送ったかもしれない。
その後は、たぶん全力で――
「目の前にあるのは、相馬の選択の結果……ってか。ひどい自己責任だ」
「佐垣、相馬を救うためには、どうすればいい?」
光矢はまじまじと佐垣を見つめていた。
この状況で、光矢はできることを精一杯やろうとしていた。
佐垣が短く息を吸う。
「相馬を消す」
「俺は何をすればいい?」
「本物の《境界渡り》は強い。元が《世無》だったとか考えるな。あの大きさなら相当のはずだ。俺がメインで攻撃するから、隙があったら葛切もやれ。狙うのは足な」
「単純で良かった」
「じゃあ、行くぞ」
***
「さあ来い、相馬。お前が憧れてた《世得》が相手になってやる」
佐垣が空中で停止した。
彼の黒曜鎧は腰からウイングのようなものが左右に伸びている。時折、《清浄線》を浮かべるそれが、《境界渡り》の腕のスイングに合わせて光を増した。
「こんなもんか」
巨大な腕は佐垣が止めていた。
《境界渡り》の胸に浮かぶ顔が驚いたように見える。
佐垣が空中を蹴って肉薄する。
腕を合わせ、掌の中に膨大な《曜力》を溜めた。
「くらえ」
光が弾けた。
極太の光線が《境界渡り》の胸に放たれたが、寸前で紅い障壁が現れて弾いた。そして、遥か後ろの山肌に衝突した。
遅れてやってくる衝撃音と突風が、あたり一面の木々を散り散りにして巻き上げる。
「《断弾》」
空中から刀の雨が降ってきた。
《境界渡り》の腕と肩と首に蒼い刃が降り注ぐ。
しかし、これも紅い障壁が邪魔をする。
「《旗艦斬刀》」
左手に長大な剣が現れた。
佐垣は空間ごと断ち切るような勢いで真横に一閃。
初めて、《境界渡り》が防御した。肘を曲げて肩の部分に飛来する軌道を受け止める。
ガラスが割れる音と共に、巨体が空を舞った。
しかし、その途中、反対の腕が逆くの字に曲がる。肘関節がぽっかり開き、現れたのは黒い空間。
繋ぎ合わせた人形のような構造なのか。
「――っ」
その瞬間、周囲に黒い光線が爆ぜた。
辺り一帯を薙ぎ払うような攻撃で佐垣が吹き飛ぶ。
そこに、チャンスを窺っていた光矢が飛び込んだ。
《境界渡り》のがら空きの脇腹に向けて、一気に突進する。
イメージするのは北大我が帯留辺に放った、あの一撃だ。
腕に《曜力》を巻きつけ、それを解放しながら拳をぶつける。
ドンっ――
ガラスを割るような音のあとに巨大な鐘でもなぐったような奇妙な感触が拳に伝わった。
だが、光矢は構わず振り切った。
《境界渡り》が体を曲げて真横に吹き飛ぶ。
「やったか」
喜ぶのは早かった。
上半身が空中で光矢の方を向いている。
泣いているような表情と目が合った。
がぱっと黒い口が開いた。中に見えたのは渦巻くなにか。
視界が突然暗転した。と――トラックにでもはねられたような衝撃が全身を襲った。
光矢は軽々吹き飛び、森の中を轟音とともに転がった。
佐垣が素早く飛来する。
「生きてるか?」
「なんとか……」
「足にしとけって言っただろ。どんなやつも上半身はたいていやばい攻撃が来る」
「《境界渡り》ってこんなに強いんだ」
率直な気持ちでそう言った光矢に、佐垣は亀裂の入った頭部を近づけて言った。
「言った意味がわかっただろ」
「一度戦って、少しは自信があったんだけど」
「お前が戦ったのは《世得》とか《世無》だろうが。本物の《境界渡り》を一緒にするな。でも攻撃は悪くなかった。見ろ」
佐垣が視線を向ける。
《境界渡り》はゆっくりと身体を起こしている。
その横腹には小さな亀裂があった。
そして、佐垣の攻撃を受け止めた片腕にはさらに大きな亀裂が入っていた。
「まあ、治るけどな」
佐垣の言うとおり、《境界渡り》が立ち上がると亀裂が綺麗に消えていった。
「無駄じゃない。繰り返せば修復できなくなって、いずれは消せる」
「ずっと今のを続けるのか? それともいい案があるのか?」
「ある。ただ、力の消費が大きいから、もう少し弱らせたい。葛切――」
「なに?」
「お前、まだ重殻は使えないんだな?」
「重殻?」
「黒曜鎧の下にある、その白い鎧の力だ」
佐垣が光矢の右腕を指した。
黒曜鎧が一部剥がれ、白い鎧が覗いている。
「これは……よくわからない。海馬さんたちと戦ったときは、思い通りに動けなかった」
「そうか。なら俺がやるしかないな。いや……ちょっと待て――相馬……お前……」
《境界渡り》を見た佐垣の声色に緊張が混じった。
視線の先で、巨体がのろのろと動き始めたのだ。
その方向は学校――
一連の攻撃で、校舎は全壊している。グラウンドとわずかの基礎杭のあとだけが残っているその場所は、地下室が丸見えだった。
《境界渡り》が、暗い黒色の口から《粘手》らしきものを素早く伸ばした。
そして――
一人の女子を捕らえた。
「やめろ、相馬!」
叫んだ佐垣はその場を飛び出した。
吞み込まれたのは、浦元千衣だった。
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