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タンポポの話
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最低気温-45度。
最高気温10度。
からだが朽ちることさえ許されない、氷雪地帯。
たくさんの死が雪と氷の下に眠るこの地を、かつての人は『死の山』と呼んで恐れたという。
少年ピムは自然に潜む恐ろしさを実感しつつも、そのを後世まで伝え残してきた先人たちに感謝していた。
ふと疲労のあまり寒さを忘れたとき。
酸素メーターが残りわずかになったとき。
空腹で眠れぬ夜を過ごしたとき。
先人は恐れを知恵で克服してきた。
そして生き延びた者は、その達成感に浸れるのだ。
どんなに数多くの言葉にしたところで。
あぁ、やっぱりなにか物足りない。
生きるということは、薄っぺらじゃないのだ。
ピムは傾斜の続く雪と氷の山路を、しっかり足をつけながら歩いていた。
下山は、荷物の重みもあって転倒が怖い。足を踏み外してしまえば、そのまま転がって奈落の底である。太陽が空に出ている時間だって、わずか数時間でしかない(天候によっては3日も足止めされることだって!)。
光を求めて、あせらず。
じっくり、あわてず。
じれったいけどこれが確実であることを、ピムは自然から学んでいた。
年じゅうを猛烈な吹雪が止まないこの大地で、かつての人間らはドームと呼ばれる集落を形成し、絶滅から逃れていた。ピムが住まうドームはお屋敷サイズの小さなもので、よほどの人間嫌いが作ったのか、あるいは簡易的な避難所として設けられたのか。ともかく人間が住まうに適した温度を維持し、人工の光が作物を育て、氷を溶かした川まで流れるこの場所をピムは気に入っていた。
気に入ってる点は、それだけじゃない。
ドームの入口……滅菌室からくたくたになって内に戻ると、テラスでお茶の時間をしている、長い金髪を垂らしたサファイア色の瞳の少女が、あきれた顔をしてこう言うのだ。
「あらピム、今日もしぶとく生きてたじゃない」
「うん、ただいまリルム」
「おかえりなさい、といって欲しいのかしら。別にリルムは、ピムを待っていたわけではないのよ。たまたま本を読んでいたら、あなたが帰ってきただけだもの。まぁ同じドームに住むよしみよ、無事でよかったじゃない」
「よかった」
この会話をするために、自分は外に出ているのかもしれない。
そう、思うこともある。
最初はあんまりじゃないか、と口元を尖らせたものだ。
けどピムが帰ってくるときはいつだってあのオープンテラスで、お茶を飲むフリ(お茶はいつだって冷めていた)。だからちょっとひどいこと言われたって、ピムは決して怒らなくなかった。
こっちはいつも心配をかけているんだから。
ちょっとくらいはね、と。
ピムは腰に下げたポーチから、ペットボトル型収納ケースを取り出す。
中身を取り出す前に、細菌検査や放射線検査とか必要なので開封はまた後でだ。
喜びを抑えきれない彼は、真っ白な歯を見せびらかすように笑った。
「お土産をもってきたよ」
いつも不機嫌を装うリルムも、この時ばかりは喜びを隠しきれない。
わぁあぁぁ、と子どもみたいな笑顔のリルムを見ることができたとき、やったぞという気分になる。
死の山の、奥深く……かつてドームだった廃墟から、過去の遺物を発掘するのがピムの仕事だ。そのついで見たことのない花や草をプレゼントすると、彼女は三日間ほど上機嫌になるのだ。その間、ピムは装備の手入れをして、新しい本棚を作ったり、花の手入れや商いに来る旅人と交渉して過ごし、また廃墟へと足を向ける。そんな生活が何年も続いていた。
☆
シャワワァァァ――。
ピムは水槽タンクの水位に気をつけながら、熱いシャワーを浴びる。一週間ちかく山に滞在していたわけだから、嬉しくて、大笑いしてしまう。リルムはそんなピムを、いつも気持ち悪がっていたが、引きこもりのリルムにはわからない感覚だろう。
しばらくの汚れを洗い流して、たまった洗濯物を洗濯かごに押し込め、清潔感のある真っ白なシャツと青色ジーンズに着替えると、食堂で支度をしていたリルムが、テーブルの上に置かれたクッキー缶を指差して言った。
「それ、食べてくれないかしら」
「どうしたの? うちにこんなのあったっけ」
「ふふっ。手作りなのよ」
「うそだ」
「……ピムが不在の間、渡りが来たのよ。補給品と引き換えに、嗜好品をいただいたのよ。期限切れをたくさん」
「いつのも人だった?」
「ええ。もちろん」
「なら、よかった」
ピムはほっと胸をなでおろす。
ちなみに『渡り』というのは定期巡回する旅人のことで、ルートを持たない者は『はぐれ』と呼ばれている。
たいていが外の環境にも耐えうる機械人形を従え、食料や嗜好品をタネに、酸素や水または燃料を交渉してくる。まれに見たこともない品物を持ってくることがあるため、『ドーム』に住まう人々にとっては、よき交渉相手でもあるが、なかには危険な連中もいるため油断はできない。
木製の椅子に座って(この座り心地、久しぶり!)、クッキーを噛みしめる。
ぼそぼそっ、とした触感は携帯食料のそれを思わせたが、美味しいことにかわりはない。
美味しいことにはかわりないんだけど、ピムは複雑な心境だった。
せっかく内に来たのだから、新鮮であったかいやつを、胃が求めている。
リルムはおかし作りの才能はなかったが、料理の腕前はなかなかだ。
まずは前菜、として出されたのはパンジーの花びらとタンポポの葉をつかったサラダだ。
瑞々しく、しゃきしゃきの触感に舌鼓をうつ。
タンポポは活用法が多くて、味も良い。ピムの好物だった。
「うっま、うま」
噛めば噛むほど、口のなかで広がる大地の味。
独特の苦さが、人工食料では再現できない旨さだ。
調理場でピムの様子をみていたリルムが、台所から採れたてのタンポポを持ってくる。
水洗いしてはいるが、根っこには若干の土が残っていた。
衛生か不衛生か問えば、それは間違いなく、後者であろう。
「ピムはタンポポが大好きよね。これ、家庭栽培したものだけど、もう一本いっとく?」
いたずらのつもりだったのだろう。
けど、好奇心に負けたピムは花のほうから、がぶっとかみついた。
花の味、茎の触感、葉の繊維具合などを楽しみながら噛んで、飲み込む。
「おいしい! なにこれ、一本満足!」
「なっ、ピムはリルムの料理に不満があったなんて!」
「えっ、そんなことは別に」
「ピムはしばらくタンポポ禁止!」
「えっ、なんでっ、ねぇなんでっ!」
食事はそのあとも続いた。
二人は一品ずつに笑い、ときに怒ったり、悩んだり。
乾燥とうもろこしのスープで身体を温め、人工ミートと水菜のピタサンドは安心の味だ。
とげぬきサボテンのステーキは、リルムの挑戦作品だったが、とても美味しかった。
管理もしやすいということで、しばらくはサボテン料理が中心になるのかなとピムは若干引きつった笑みを浮かべた。
改めてこの時間を、リルムと共有するこの瞬間を、なんて素晴らしいのだろうと思う。
タンポポコーヒーで一息(禁止されてなかった。嬉しい!)ついて、今日はのんびり眠れそうだなと考えていると、リルムが散歩に行かないかと声をかけてきた。
もちろん、ピムは大賛成だった。
保温ポットに熱く淹れたココアを、検査を終えた発掘品をリュックに詰め込んで、オープンテラスに出る。
人工の明かりは時間調節で暗くなっており、現在は夜の時間帯であることを知らせていた。
ほどよく寒さを感じさせ、天井で点となって光るライトの星々が、まさしく夜だ。
オープンテラスの椅子に腰をかけて、天井を見上げながらなんとなく過ごす。
「きれいだね」
「そうかしら」
「きれいだよ」
「ただのライトじゃない」
「本物を知れば、よさがわかるよ」
ドームの向こう側に目を向けるリルムの表情は、どこかさみしい。
分厚い雲の向こう側が無限の星空で広がっていることを、彼女は実際に見たことはない。
彼女はドームを出たことがなかった。
いつも難しい本ばかり読んで、花を愛で、草木を愛し、帰りを待つ。
昔からそうだった、らしい。
血縁上は弟であるピムが、冷凍睡眠から目覚めるまでの数年を、リルムは父親とこの場所で暮らしていた。
ある日、ちょっとした用事で出かけた父親は、そのまま二度と帰ってくることはなかったという。
リルムはずっと待っているのだ。
ずっと昔から、この場所で。
それがピムにとっては嬉しくもあり、悲しいことでもあった。
「ココア飲む?」
「そうね。さむいわね、いただこうかしら」
「うん」
どんな気持ちだったろうか。
きっともう、二度と帰ることのない父親を待つというのは。
何日も、何週間も、このオープンテラスで本を携えながら。
ずっと、ずっとひとりで待つ気持ちというのは。
父親の顔すら見たこともないピムには、わからない。
父親に変わって外に出たピムには、わからない。
ほんとうに、寒い夜だった。
リルムはふぅふぅと湯気のたつカップを冷ましながら、不意に止める。
「ピムはどこにも行かないわよね。わたしを独りにしないわよね」
「えっ」
「や、いまのナシよ。リルムはそんなこと言わないわ。言ってない、今のは他人の空似ってやつよ」
「それ、ちがうと思うけど」
「ちがってない、あーもうっ、忘れてっ!」
リルムの言葉に悲しい気持ち半面、嬉しい気持ちになる。
誰かに必要とされているのは、こそばゆいけど、とにかく嬉しい。
ピムはリュックサックから取り出した、ペットボトル型収納ケースを開封する。
死の山の奥地、わずかに太陽の光が溜まりやすい場所で採取したタンポポの花だ。
どんな厳しい環境下でも、命を咲かせるそのエネルギーに、ピムは何度も勇気をもらった。
花言葉が好きになれない、とリルムが言ってたけれど。
ピムは、こんなとき勇気の一歩をくれるタンポポが好きだった。
顔を真っ赤にして唇をとがらせるリルムに、彼は言った。
「ぼくさ」
「うん……」
「いつか、みたい空があるんだ。揺らめく光のアーチ、煌きらめく空の幻想を」
「えっ」
「いつか、みたい雪がある。透き通る海の底、溶けない雪の幻想を。灼熱しゃくねつの黄砂、湯が湧きたつ泉、ほかにもいっぱい」
「そう、あんたも……」
表情が陰るリルムの手を、ピムはつよく握った。
「いつか、ふたりで旅に出ない?」
「旅に? ふたりで? でもリルムはお父さんを待ってなくちゃ」
「なら探しに行こうよ。待っていたところで、時間は解決しちゃくれない」
「それは、そうかもしれないけれど」
「答えは、気が向いたら声をかけてほしい。どっちでもいいんだ。リルムが好きなほうを、選んでよ。どっちにせよ、ぼくの居場所は君のとなりなんだから。それだけは約束する」
わっ、とこみ上げる感情をピムは震える彼女から感じ取った。
それはどんなに数多くの言葉にしたところで。
あぁ、やっぱりなにか物足りない。
共に費やした時間は、薄っぺらじゃないのだ。
☆
結局、一年も費やした。
いや、一年で決断したんだから、すごいことなのかもしれない。
ふたりが住んでいたドームは、そのまま残しておくことにした。
こんな辺境の地に、わざわざ住みたいと思うと人もいないだろうが、渡りの人が来たらゆっくり休んで行ってもらえるようドームの入口は自由に開閉できるように設定しておいた。
大変だったのが、リルムの荷物と移動手段だ。
建物内の書物を全部持っていこうとするリルムを慌てて制し、必要なものとそうでないものを分別。
環境下適応スーツの新調。
それに倉庫から引っ張り出した小型だが頑丈な空飛ぶ船の整備点検その他もろもろを、ピムが一人でやらなきゃいけなかったから、山積みの仕事を始めた頃と、終えた頃には「旅に出よう」発言を激しく後悔していた。
ともあれ。
そうして。
準備は整った。
船に最後の荷物を積み込んだピムは、ドームの光景を焼き付けようとするリルムを最後まで待った。
どんな表情かはわからなかったが、顔を見なくたってわかる。
誰だって、別れは寂しいものだ。
誰かと、同じ時間を共有した場所なら、なおさらだ。
でも。
どこにいったって、きっとうまくやっていける。
ピムにはリルムが、リルムにはピムがいるのだから。
船に乗る直前、リルムが言った。
「タンポポにお別れは言わなくていいのかしら?」
きっとどこかで会えるよ、とピムは言った。
そのたびにあの小さな花の、内に秘めた気高さと勇気をもらうことになるだろう。
だから安心して、いまは一歩を踏み出すときだ。
最高気温10度。
からだが朽ちることさえ許されない、氷雪地帯。
たくさんの死が雪と氷の下に眠るこの地を、かつての人は『死の山』と呼んで恐れたという。
少年ピムは自然に潜む恐ろしさを実感しつつも、そのを後世まで伝え残してきた先人たちに感謝していた。
ふと疲労のあまり寒さを忘れたとき。
酸素メーターが残りわずかになったとき。
空腹で眠れぬ夜を過ごしたとき。
先人は恐れを知恵で克服してきた。
そして生き延びた者は、その達成感に浸れるのだ。
どんなに数多くの言葉にしたところで。
あぁ、やっぱりなにか物足りない。
生きるということは、薄っぺらじゃないのだ。
ピムは傾斜の続く雪と氷の山路を、しっかり足をつけながら歩いていた。
下山は、荷物の重みもあって転倒が怖い。足を踏み外してしまえば、そのまま転がって奈落の底である。太陽が空に出ている時間だって、わずか数時間でしかない(天候によっては3日も足止めされることだって!)。
光を求めて、あせらず。
じっくり、あわてず。
じれったいけどこれが確実であることを、ピムは自然から学んでいた。
年じゅうを猛烈な吹雪が止まないこの大地で、かつての人間らはドームと呼ばれる集落を形成し、絶滅から逃れていた。ピムが住まうドームはお屋敷サイズの小さなもので、よほどの人間嫌いが作ったのか、あるいは簡易的な避難所として設けられたのか。ともかく人間が住まうに適した温度を維持し、人工の光が作物を育て、氷を溶かした川まで流れるこの場所をピムは気に入っていた。
気に入ってる点は、それだけじゃない。
ドームの入口……滅菌室からくたくたになって内に戻ると、テラスでお茶の時間をしている、長い金髪を垂らしたサファイア色の瞳の少女が、あきれた顔をしてこう言うのだ。
「あらピム、今日もしぶとく生きてたじゃない」
「うん、ただいまリルム」
「おかえりなさい、といって欲しいのかしら。別にリルムは、ピムを待っていたわけではないのよ。たまたま本を読んでいたら、あなたが帰ってきただけだもの。まぁ同じドームに住むよしみよ、無事でよかったじゃない」
「よかった」
この会話をするために、自分は外に出ているのかもしれない。
そう、思うこともある。
最初はあんまりじゃないか、と口元を尖らせたものだ。
けどピムが帰ってくるときはいつだってあのオープンテラスで、お茶を飲むフリ(お茶はいつだって冷めていた)。だからちょっとひどいこと言われたって、ピムは決して怒らなくなかった。
こっちはいつも心配をかけているんだから。
ちょっとくらいはね、と。
ピムは腰に下げたポーチから、ペットボトル型収納ケースを取り出す。
中身を取り出す前に、細菌検査や放射線検査とか必要なので開封はまた後でだ。
喜びを抑えきれない彼は、真っ白な歯を見せびらかすように笑った。
「お土産をもってきたよ」
いつも不機嫌を装うリルムも、この時ばかりは喜びを隠しきれない。
わぁあぁぁ、と子どもみたいな笑顔のリルムを見ることができたとき、やったぞという気分になる。
死の山の、奥深く……かつてドームだった廃墟から、過去の遺物を発掘するのがピムの仕事だ。そのついで見たことのない花や草をプレゼントすると、彼女は三日間ほど上機嫌になるのだ。その間、ピムは装備の手入れをして、新しい本棚を作ったり、花の手入れや商いに来る旅人と交渉して過ごし、また廃墟へと足を向ける。そんな生活が何年も続いていた。
☆
シャワワァァァ――。
ピムは水槽タンクの水位に気をつけながら、熱いシャワーを浴びる。一週間ちかく山に滞在していたわけだから、嬉しくて、大笑いしてしまう。リルムはそんなピムを、いつも気持ち悪がっていたが、引きこもりのリルムにはわからない感覚だろう。
しばらくの汚れを洗い流して、たまった洗濯物を洗濯かごに押し込め、清潔感のある真っ白なシャツと青色ジーンズに着替えると、食堂で支度をしていたリルムが、テーブルの上に置かれたクッキー缶を指差して言った。
「それ、食べてくれないかしら」
「どうしたの? うちにこんなのあったっけ」
「ふふっ。手作りなのよ」
「うそだ」
「……ピムが不在の間、渡りが来たのよ。補給品と引き換えに、嗜好品をいただいたのよ。期限切れをたくさん」
「いつのも人だった?」
「ええ。もちろん」
「なら、よかった」
ピムはほっと胸をなでおろす。
ちなみに『渡り』というのは定期巡回する旅人のことで、ルートを持たない者は『はぐれ』と呼ばれている。
たいていが外の環境にも耐えうる機械人形を従え、食料や嗜好品をタネに、酸素や水または燃料を交渉してくる。まれに見たこともない品物を持ってくることがあるため、『ドーム』に住まう人々にとっては、よき交渉相手でもあるが、なかには危険な連中もいるため油断はできない。
木製の椅子に座って(この座り心地、久しぶり!)、クッキーを噛みしめる。
ぼそぼそっ、とした触感は携帯食料のそれを思わせたが、美味しいことにかわりはない。
美味しいことにはかわりないんだけど、ピムは複雑な心境だった。
せっかく内に来たのだから、新鮮であったかいやつを、胃が求めている。
リルムはおかし作りの才能はなかったが、料理の腕前はなかなかだ。
まずは前菜、として出されたのはパンジーの花びらとタンポポの葉をつかったサラダだ。
瑞々しく、しゃきしゃきの触感に舌鼓をうつ。
タンポポは活用法が多くて、味も良い。ピムの好物だった。
「うっま、うま」
噛めば噛むほど、口のなかで広がる大地の味。
独特の苦さが、人工食料では再現できない旨さだ。
調理場でピムの様子をみていたリルムが、台所から採れたてのタンポポを持ってくる。
水洗いしてはいるが、根っこには若干の土が残っていた。
衛生か不衛生か問えば、それは間違いなく、後者であろう。
「ピムはタンポポが大好きよね。これ、家庭栽培したものだけど、もう一本いっとく?」
いたずらのつもりだったのだろう。
けど、好奇心に負けたピムは花のほうから、がぶっとかみついた。
花の味、茎の触感、葉の繊維具合などを楽しみながら噛んで、飲み込む。
「おいしい! なにこれ、一本満足!」
「なっ、ピムはリルムの料理に不満があったなんて!」
「えっ、そんなことは別に」
「ピムはしばらくタンポポ禁止!」
「えっ、なんでっ、ねぇなんでっ!」
食事はそのあとも続いた。
二人は一品ずつに笑い、ときに怒ったり、悩んだり。
乾燥とうもろこしのスープで身体を温め、人工ミートと水菜のピタサンドは安心の味だ。
とげぬきサボテンのステーキは、リルムの挑戦作品だったが、とても美味しかった。
管理もしやすいということで、しばらくはサボテン料理が中心になるのかなとピムは若干引きつった笑みを浮かべた。
改めてこの時間を、リルムと共有するこの瞬間を、なんて素晴らしいのだろうと思う。
タンポポコーヒーで一息(禁止されてなかった。嬉しい!)ついて、今日はのんびり眠れそうだなと考えていると、リルムが散歩に行かないかと声をかけてきた。
もちろん、ピムは大賛成だった。
保温ポットに熱く淹れたココアを、検査を終えた発掘品をリュックに詰め込んで、オープンテラスに出る。
人工の明かりは時間調節で暗くなっており、現在は夜の時間帯であることを知らせていた。
ほどよく寒さを感じさせ、天井で点となって光るライトの星々が、まさしく夜だ。
オープンテラスの椅子に腰をかけて、天井を見上げながらなんとなく過ごす。
「きれいだね」
「そうかしら」
「きれいだよ」
「ただのライトじゃない」
「本物を知れば、よさがわかるよ」
ドームの向こう側に目を向けるリルムの表情は、どこかさみしい。
分厚い雲の向こう側が無限の星空で広がっていることを、彼女は実際に見たことはない。
彼女はドームを出たことがなかった。
いつも難しい本ばかり読んで、花を愛で、草木を愛し、帰りを待つ。
昔からそうだった、らしい。
血縁上は弟であるピムが、冷凍睡眠から目覚めるまでの数年を、リルムは父親とこの場所で暮らしていた。
ある日、ちょっとした用事で出かけた父親は、そのまま二度と帰ってくることはなかったという。
リルムはずっと待っているのだ。
ずっと昔から、この場所で。
それがピムにとっては嬉しくもあり、悲しいことでもあった。
「ココア飲む?」
「そうね。さむいわね、いただこうかしら」
「うん」
どんな気持ちだったろうか。
きっともう、二度と帰ることのない父親を待つというのは。
何日も、何週間も、このオープンテラスで本を携えながら。
ずっと、ずっとひとりで待つ気持ちというのは。
父親の顔すら見たこともないピムには、わからない。
父親に変わって外に出たピムには、わからない。
ほんとうに、寒い夜だった。
リルムはふぅふぅと湯気のたつカップを冷ましながら、不意に止める。
「ピムはどこにも行かないわよね。わたしを独りにしないわよね」
「えっ」
「や、いまのナシよ。リルムはそんなこと言わないわ。言ってない、今のは他人の空似ってやつよ」
「それ、ちがうと思うけど」
「ちがってない、あーもうっ、忘れてっ!」
リルムの言葉に悲しい気持ち半面、嬉しい気持ちになる。
誰かに必要とされているのは、こそばゆいけど、とにかく嬉しい。
ピムはリュックサックから取り出した、ペットボトル型収納ケースを開封する。
死の山の奥地、わずかに太陽の光が溜まりやすい場所で採取したタンポポの花だ。
どんな厳しい環境下でも、命を咲かせるそのエネルギーに、ピムは何度も勇気をもらった。
花言葉が好きになれない、とリルムが言ってたけれど。
ピムは、こんなとき勇気の一歩をくれるタンポポが好きだった。
顔を真っ赤にして唇をとがらせるリルムに、彼は言った。
「ぼくさ」
「うん……」
「いつか、みたい空があるんだ。揺らめく光のアーチ、煌きらめく空の幻想を」
「えっ」
「いつか、みたい雪がある。透き通る海の底、溶けない雪の幻想を。灼熱しゃくねつの黄砂、湯が湧きたつ泉、ほかにもいっぱい」
「そう、あんたも……」
表情が陰るリルムの手を、ピムはつよく握った。
「いつか、ふたりで旅に出ない?」
「旅に? ふたりで? でもリルムはお父さんを待ってなくちゃ」
「なら探しに行こうよ。待っていたところで、時間は解決しちゃくれない」
「それは、そうかもしれないけれど」
「答えは、気が向いたら声をかけてほしい。どっちでもいいんだ。リルムが好きなほうを、選んでよ。どっちにせよ、ぼくの居場所は君のとなりなんだから。それだけは約束する」
わっ、とこみ上げる感情をピムは震える彼女から感じ取った。
それはどんなに数多くの言葉にしたところで。
あぁ、やっぱりなにか物足りない。
共に費やした時間は、薄っぺらじゃないのだ。
☆
結局、一年も費やした。
いや、一年で決断したんだから、すごいことなのかもしれない。
ふたりが住んでいたドームは、そのまま残しておくことにした。
こんな辺境の地に、わざわざ住みたいと思うと人もいないだろうが、渡りの人が来たらゆっくり休んで行ってもらえるようドームの入口は自由に開閉できるように設定しておいた。
大変だったのが、リルムの荷物と移動手段だ。
建物内の書物を全部持っていこうとするリルムを慌てて制し、必要なものとそうでないものを分別。
環境下適応スーツの新調。
それに倉庫から引っ張り出した小型だが頑丈な空飛ぶ船の整備点検その他もろもろを、ピムが一人でやらなきゃいけなかったから、山積みの仕事を始めた頃と、終えた頃には「旅に出よう」発言を激しく後悔していた。
ともあれ。
そうして。
準備は整った。
船に最後の荷物を積み込んだピムは、ドームの光景を焼き付けようとするリルムを最後まで待った。
どんな表情かはわからなかったが、顔を見なくたってわかる。
誰だって、別れは寂しいものだ。
誰かと、同じ時間を共有した場所なら、なおさらだ。
でも。
どこにいったって、きっとうまくやっていける。
ピムにはリルムが、リルムにはピムがいるのだから。
船に乗る直前、リルムが言った。
「タンポポにお別れは言わなくていいのかしら?」
きっとどこかで会えるよ、とピムは言った。
そのたびにあの小さな花の、内に秘めた気高さと勇気をもらうことになるだろう。
だから安心して、いまは一歩を踏み出すときだ。
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息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
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別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
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