Pim Reim

Crazy-tom

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flower

ある喫茶の集い

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 6月23日。木曜日。
 雨、ただし午後から晴れる予想あり。
 店内で軽い体操をしてから店を開ける。
 こんな日の音楽は何が良いか選曲していると、入り口から元気よく鈴の音が鳴った。
 常連の女子は「グッモーニッ!」と独特なあいさつをしてから「わかった! マンハッタンでしょ! かえってきたマンハッタン! Returned.Manhattanだ!」と言った。僕は一考する素振りをみせてから、いつもと同じ言葉を返す。

「ぜんぜん違います」
「ええっマジ!? 自信あったのに」
「本気ですか?」
「うんにゃ。これで当たったらどうしようって思ってた。はぁ――33戦33敗かぁ」
「おや。もうそんなになりましたか」

 初めての来店から今日まで、彼女は『喫茶REM』の略称を当てようと僕に解答を投げかけてくる。幸い、彼女がそれを当てたことはまだないが、いつか彼女は当てるのだろう。そしたら当店でもっとも高いコーヒーを僕が奢る約束だ。残念ながら本日は解答権を失ってしまったようだが。

「ご注文は?」
「んっ。いつもので」
「少々、お待ちくださいませ」
「ごゆっくりどーぞ」
「それはこちらの台詞です。ごゆっくり」

 いつものやりとり。彼女にとっては儀式の時間だ。カウンター席の端に座ってノートパソコンを取り出す。屋根から零れ落ちた雨が日よけシェードをぽつんと叩きつける音、不定期に通り過ぎる車の音、エスプレッソが抽出される音、それらが生み出すリズムが『女子』から『作家』へとスイッチさせる。日々あらゆる事象から物語を紡ぐ彼女は誰よりも自由人だが、誰よりも縛られた人間だ。そんな彼女の一杯は、ハードワーカーのためのカフェインドリンク。

「お待たせしました、レッドアイです」
「んっ。ありがとう」

 ある国の東海岸では一般的なコーヒーだ。ドリップしたコーヒーと濃厚なエスプレッソが合わさった一杯を口にすれば、迫りくる睡魔も裸足で逃げ出すだろう。作家は砂糖も入れずにグビッと飲み干す。それから両目を見開いて「うぉおお」と声を上げるのだ。僕は内心、開店からすぐに行列のできない店で安堵していた。と同時に本日のBGMが頭に浮かんだ。本日は無性にボサノバ気分である。

「お作家様、BGMをかけてもよろしいですか?」
「いやあんたの店でしょ。私に気を使わなくていーってば」
「お客様あっての当店ですから」
「んっ。じゃあボサノバかな」
「……お作家様は人の心が読めるのですか?」
「人間観察は作家の基本だよ、君ぃ。まぁ私は常連だからね、マスターの傾向はだいたい把握してるよ。意識してるかわからないけど、マスターって降る雨の勢いで選曲ががらっと変わるんだよ。ちょっとした雨ならボサノバ、鬱屈とする長雨ならジャズに走る傾向があるね。客の入り具合によってはポップ路線に走ったり、もしかして夜だったらクラシックな気分?」
「鋭い洞察力ですね」
「あっ。当たってた? ちょっと自信なかったんだけど」
「その調子なら今月中にREMの名称を当ててほしいものです」
「ぐっ。なぜ当たらないのか」
「当てられても僕が困りますけど」
「ただで飲むコピ・ルアクはさぞ美味しいでしょうね~」
「でもそれジャコウネコのふ…」
「あーあー! 集中するから黙ってマスター!」
「す、すみません……」

 つい余計なことを口走ってしまったと反省する。さて新しいアレンジドリンクの作成か、一向に読み進まない小説の続きでも読もうか考えていると再び鈴の音が鳴った。「いらっしゃい」と僕が声をかけるとそのふたりはきょとんとした表情でこちらを見ていた。高校生ぐらいだろうか。顔立ちや背丈は瓜二つの少年と少女。どうやらヨソの人らしい。

「いらっしゃいませお客様、当店のご利用は初めてですね。僕はこの店のマスターです。テーブル席とカウンター、お好きな席をご利用ください。メニューが決まりましたら、お気軽に声をかけて下さい」

 僕がそういうと少年と少女は理解したようで窓際のテーブル席に座る。
 お冷を持っていくと「えっと、その、まだ頼んでないんですが」と少年が慌てはじめた。
 隣では少女がメニュー表と睨めっこしている。
 二人の様子が可愛らしくて、失礼ながら僕はつい笑ってしまった。

「こちらはお金を取りませんよ。ごゆっくりどうぞ」

 トレイをお決まりの位置に戻すとカウンター越しから作家が小声で言った。

「なにあの子たち……外国の旅行客かしら? かわいー子たちね」
「こういった店には慣れていない様子だね。ずいぶん遠くから来たんだろうか」
「ふうん。例えば、愛の逃避行とか?」
「親を探して三千里、かもしれない」
「なんていうか、大変そうね」
「そうだね」
「助けてあげることはできないかしら」
「僕らは一介の、店のマスターと常連の作家だ。それ以上ではない。できることなんて限られている。少なくとも僕にできることは、この日最良のドリンクを提供してあげることくらいさ」
「んー。それってちょっと薄情じゃない?」
「そうかもしれない。けど僕にはそれくらいしかできない」
「はいはい。最良の一杯、期待してるわね」

 そこで少年が手を挙げたので近づく。
 彼は申し訳なさそうに顔を背けながら言った。

「あの、ごめんなさい。ぼくたち、何を頼んだらいいかわからなくて……」
「ふぅ。『らて』とか『もかぁ』とかさっぱりなのよ! どうせ本物なんて口にしたことないのよ! 模造品だって高くてなかなか手が出せないっていうのに! 見なさいよ、あんまり緊張して手が震えちゃってるわ! わ、わたしは大丈夫かしら……ピムのほうがね、生まれたばかりの小鹿ってやつなのよ!」
「……その、そんなわけなので、お任せしたいのですが」
「そう。仕方ないから、一緒にお任せかしら!」

 かしこまりました、と僕は頭を下げた。
 初対面のお客様にお出しする最高の一杯。これを考えるのはなかなかに有意義で、マスター冥利につきる。これまでの会話から性格や嗜好を汲み取ってカップに注ぐのだ。作家以上の洞察力と創造性を求められる。カップにお湯を注ぎ温めているなか、作家が再び声をかけてくる。

「メニューは決まった?」
「そうだね。飲みなれないドリンクは除外、シンプルにうちの定番を提供するよ」
「へぇ。あえてそれ以上は聞かないわ。席、移動してもいい?」
「あんまり迷惑をかけないで下さいよ」
「ちょっと。わたしがこれまで迷惑なんてかけたことあった?」
「本気で言ってますか」
「いつもご迷惑おかけしています」

 そう言い残して作家は少年と少女のテーブル席へと向かった。最初こそ戸惑う二人だったが、文学好きらしいリルムという女の子が気を許したのか、トラブルなく会話を続けているようだ。
 さて、僕は自分の仕事に集中する。カップにエスプレッソを注ぎ温めた牛乳からスチームミルクとフォームミルクを注ぐ。牛乳たっぷりのカプチーノだ。表面のデザインを描いて完成。トレイに乗せて席に向かう。

「お待たせしました、カプチーノです」
「うわぁ。すっごい、泡立ってる……飲んで大丈夫なのかなぁ」
「ふふん。これが本に書いてあった『かふぇ』なのね」

 ラテアートのイメージは雪山を駆ける船。二人に「ごゆっくりどうぞ」と声をかけて席を離れた。なかなか手をつけない少年と、すぐさま口につけて「美味しいわ!」と笑みをこぼす少女。
 作家も追加で注文を頼んできたので、僕はそれに応じてドリンクを作る。ホイップクリームたっぷりのカフェモカがテーブルに置かれると、二人は目を丸くしていた。

「それにしても作家に出会えるなんて驚きなのよ。あなたの書いた本をぜひとも読んでみたいものだわ。ピムはこれ以上は本棚に収まらないって言うけれど、ピムの部屋はまだ余裕があるのに使わせてくれないのよ。ひどいと思わない?」
「んっ。本は人を豊かにするのよピムくん」
「それはそうかもしれません。けど認めてしまうとリルムの歯止めが効かなくなるんです。ぼくらの船は荷が多ければ速度が落ちます。船の速度が落ちれば、悪漢に襲われたとき逃げることができなくなります。ここは譲れませんよ」
「……ねぇ。君ら一体どんな環境で育ったのよ」
「バカねピム。悪漢なんてリルムがやっつけてあげるわ」
「ねぇリルム、お願いだからやめて。骨すら残らないでしょ……」
「ふぅ。ラブロマンスな逃避行を書こうと思っていたのに、これじゃあ冒険活劇かSFものになりそうね。嫌いじゃないけど、ちょっと苦手なジャンルだわ。あっ、リルムちゃんわたしの原稿、途中までなんだけど読んでくれる?」
「もちろんなのよ!」

 僕はすこし離れた場所からその様子を静かに見守り、読みかけの小説をひも解く。
 それから時間が経ち、少年と少女は店から出ることになった。「貴重な時間をありがとうございます」と口にする少年に「機会があればまたお越しくださいませ」と返す。
 作家と少女はあれから感想会で意気投合したらしく、最後はお互い泣きながら抱きついてお別れをしていた。本当に客の少ない店でよかったと思う。
 急に静かになった店には作家と僕の二人きり。
 なにか注文するかい、と僕が訊ねると彼女は満足げな表情で「今日はもう帰ろうかな」と言った。
 たしかに。
 今日はもう店じまいだろう。
 
 雨が次第にひどくなってきた。
 モノクロの雨が、全てを流していく。
 色も、形も、なにもかも。

 お気をつけてお帰り下さい、ヨソのお客様。
 いつかまた、夢の中で、お会いしましょう――



 ピピピッと騒がしいアラーム音に目を覚ましたピム少年は人間がすっぽり収まってしまうほどの繭の揺りかごから起き上がって大きく背伸びをした。
 ここは20ノットの風速が駆ける荒野に、ぽつんとたたずむ旧時代の博物館だ。凍てつく氷雪地帯から始まったあてのない旅の途中、長らく続いた大雨の影響でそこでの滞在をせざるをえないピムとリルムだったが、館内の探索して見つけたのがこれだった。Rapid eye movement sleep room……夢をみせる睡眠ベッドといえばいいのだろうか。脳が眠ることができず疲労感が増したり、現実での事実錯誤が問題となり商品化はされなかったという骨董品だと、展示プレートに彫られていた。
 あまりに暇だったピムは得意の機械いじりで復活させて体験してみたわけなのだが、たしかに身体が重くてだるい。
 あくびをしながらモニタールームに向かい外の気候を確認するが、雨はまだ降り続いている。天気予報ではあと2日は『酸性雨ときどき竜巻』だそうだ。幸いなことに、施設内は機械人形に管理されて常にクリーンな状態であり、地下に小規模ながら自律生産設備があり食料や燃料に困ることはない。
 フロントロビーという場所に置かれた椅子に座っておぼろげな夢を思い出そうとするが、どうにも頭が働かない。しばらくするとリルムが本を携えてやってきた。彼女も同じ機械を使って就寝したはずだが、明らかに熟睡した顔つきである。Rem睡眠を誘導する機能は備わっていたが、必ずしも効果があるわけではないらしい。

「おはようリルム、よく眠れた?」
「おはよう、と言っておくわ。もちろんばっちり熟睡よ。リルムにとってここは楽園だわ。本棚はあるし、水も食料も豊富だなんて、ねぇピムいっそここで暮らさないかしら?」
「ボクはやだよ。すでに飽きてるから。リルムも本を読みつくしたらきっと退屈だよ」
「それもそうかも」
「でも良い場所だね」
「そうね」

 どしゃぶりの雨。静かに流れる音楽。不定期に紙のこすれる音。重たい瞼。そのまま眠ってしまいそうだったが、この時間がなんともなく愛おしくて、もう少しだけ堪能したいとピムは考えた。
 少し歩いた先にカフェスペースがあったことを思い出して、読書中のリルムには声をかけずそちらへ向かう。スイッチひとつでボトルに入ったドリンクが出てきたが、なんとなく気分になれずカウンター棚をあさってみるとドリップ型のタンポポコーヒーを見つけた。
 ピムはポットでお湯を沸かし、ティーカップやソーサーを用意する。見慣れない食器ばかりというのに、動作に迷いは生まれなかった。まずは少量のお湯で蒸らし、のの字を描くようにお湯を注ぐ。
 
「お待たせしました、タンポポコーヒーでございます」
「んっ。気が利くじゃないピム」
「砂糖と粉末ミルクもあったけど使う?」
「そうね……今日は遠慮しておくわ。なんだかとってもブラックな気分なの」
「うん」
「どれどれお味は……あら美味しいかしら」
「それはよかった」
「ねぇピム知ってるかしら、その昔世界で一番美味しいコーヒーがあってね」
「コピ・ルアクのことだね」
「ちょっと! 話を折るのが早すぎるでしょ!」
「ジャコウネコのフンから作ったっていうけど、昔の人ってすごいよね。ボクはタンポポで十分だよ」
「ピムの舌はきっとお子様で貧乏舌なのよ」
「それで結構」

 この場所を離れる際には積めるだけの物資を船に乗せて、どこかで売りさばいて生活費にする必要があるが需要があるのは燃料か食料か。そういえばコピ・ルアクのインスタントコーヒーが地下で生産されていたが、あれは高値で取引されるのだろうか。
 
「あらピム、また難しい顔しているわね。せっかくの退屈よ。本でも読んでリラックスしなさいな」
「うん。なにかおススメはある?」
「ふふっ。それならこれを読んでごらんなさい」
「ええと、題名は『ある喫茶の集い』……詩集かな」
「オムニバスの短編集だわ。なんていうか、リルムの波長に合った文章なのよね。作者はきっと素敵なお姉さんね。教養を感じるわ。ピムももっと感性を豊かにするべきよ」
「わかった」

 雨はまだ降り続ける。時間はいくらでもある。
 せっかくの退屈を楽しまないのは損だ。
 ピムは表紙をめくり、目次をめくってイメージを起こす。
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