荒魂遊戯抄 -本から現れた自称・魔族と、短命の宿命を覆す-

スイケイ

文字の大きさ
3 / 16
楸の祟り

本の中にいた人外

しおりを挟む
『それに私はそこそこ強い。この土地にとって強い力を持つ異物は危険だ。タタリにどんな影響を与えるか分からない』
 一呼吸置いて
『杳の成長を邪魔しないためにはこれが最良だったんだ』
 静かに言ったその声は、不思議な優しさと温かさを帯びたものだった。
 知らぬところで、見えぬ形で自分はずっと守られていたのか、そう思うと胸の裡が軋みを上げた。

 怜悧な声がわずかに低くなる。
『望めば剣にも盾にもなろう。だがその代わり、槐さん――お祖父さんのやり残しを引き継ぐことになる』
「……祖父さんの、やり残し……?」
『話せば長くなる。出してくれたら話すよ。それにもう時間がないんだろう?』
 図星を突かれ、杳は言葉を呑んで奥歯を噛み締めた。外にはあの怒り狂った鹿の仔がいる。一刻を争うのだ。
「……本当に力を貸してくれるのか」
「誰にも危害を加えないか」
 わずかに目を細め、相手の奥底を射抜くように問いを重ねた。
『佐伯家に誓う』
 三度目の即答だった。
『私も問う。「約束」を聞く気はあるか?』
 杳は目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、叔父から伝え聞いた両親と祖父の最期、そして、この土地を守るために命を削ってきた先祖たちの影だった。
「……祖父さんのやり残しは佐伯に関係あることのはずだ。家に課されたことは当主が引き取らなきゃいけない」
『――なら、開けろ』

 杳は書棚に手を伸ばし、その本を引き抜いた。
 表紙の古びた革が淡い光を帯び、脈打つように輪郭が揺れる。留め金がひとりでに外れ本が開いた。
 溢れ出した淡い光はやがて緩やかに人の形を象っていく。光が収まった時、そこに立っていたのは一人の人物だった。暗紅色の長い髪が肩から背へと流れ落ち、無造作に後ろに一つにまとめられている。色白の肌は、人のものに似ていながらどこか冷たく、金の瞳は獣のような鋭さを宿している。尖った耳がその存在が明確に人外であることを示していた。
 おそらく女性だが、性別を断じさせない中性的な顔立ちと子供のような佇まい。
 身に纏っているのは臙脂色の異国めいた僧衣のような衣装で、布は古風でありながらこの国のものではないと直感させる。
 その存在を前に、杳の本能が告げる。

 ――人ではない。

 その者は静かに杳を見据え、視線が包帯の巻かれた肩に落ちた瞬間、表情が一変した。
「……なんだその傷は」
 怒りと焦りがはっきりと浮かぶ。不意に手をかざされ、杳は思わず身を強張らせた。だが、そこから温かな光が流れ込むと焼けるような痛みが引いて、みるみるうちに傷が塞がっていく。
 その者は傷が完全に治癒したか、他に異常がないかを確かめるように杳の周りを一回りし、大きく息を吐いた。杳は目まぐるしい展開に追いつけず、されるがままになっていたが、聞こえた吐息に張り詰めていた警戒がほんの少しだけ緩むのを感じた。
「……おまえの、名は?」
 問いかけると金の瞳がわずかに細められた。
「イツキ。『及己』と書く」
 それだけ名乗り、指先で空に字を書いて見せた。
「及己か……この土地らしい名前だな」
 杳はその名がこの地の森にも自生する、静かに白く咲く植物を指していることに気づいた。
「槐さんにもらったんだ」
 懐かしむように答える及己に、杳は少しだけ毒気が抜かれる。古びた洋書から現れた異質の存在に、あえて森の静寂に紛れるような花の名を与えた祖父の意図――この者を、土地の一部として受け入れる優しさを感じたような気がした。

「それで、私は何をすればいい?」
 及己は居住まいを正し、まっすぐに杳を見据えた。託された役目を必ず果たすという、静かで強い意志がその眼差しにある。

 杳は戸惑いを振り切るようにして、これまでの経緯を語った。
 沢の異変、森の亡骸、そしてタタリを纏い人間を憎悪する異形の鹿の仔のことを。
「わかった」
 すべてを聞き終え、及己は短く答え、出口へと歩き始める。
 地下倉庫を出ると亘が近くで待っていた。及己の姿に一瞬目を見張るが杳の様子を見て何も問わなかった。
 家を出る間際、及己は亘に向き直り、静かに深く一度だけ頭を下げた。
 亘は驚きながらも穏やかに微笑み、小さく会釈を返した。

 夕暮れの道に西の森へ向かって二人分の影が長く伸びていく。鹿の仔の元へ向かいながら、杳はどうしても消えない違和感を口にした。
「……なぜ、あの状況で鹿の仔は止まったんだろう」
 死んでもおかしくなかったのに、と訝しむ杳に及己は取り立てて重要でもないことのように、「佐伯の血のためだ」と言った。
 傷口から流れた血。その血に宿る気配が、他者のそれより遥かに「死」から遠かったのだという。
 
 佐伯の一族には、血を伴う行為を極力避ける風習がある。
 タタリとは流血を伴う死への苦しみが変質したもの――それと同化してはならない。そのためにも死を与える存在であってはならない。
 それは、土地の穢れをその身に引き受ける佐伯に課せられた、古くからの戒めだった。その一環として――肉を喰らわない。命を奪わない。
 その戒律が意識するまでもなく身体に染みつき、結果として「死」から遠い気配を形作っていた。あの瞬間、その気配が鹿の仔を迷わせ、踏みとどまらせたのだと及己は淡々と語る。

「それも祖父さんから聞いたのか」
 そう問う杳に及己は言葉を返さず、ただ小さく首肯した。

 森の空気は昼間よりもさらに冷たく、重く沈んでいる。
 夕闇が迫るにつれ、木々の影は不自然に歪み、足元から立ち上る怨嗟の気配が黒い靄となって漂っていた。その奥、その中心に異形の黒鹿が佇んでいた。

 輪郭は定まらず、全身が黒いもやに包まれ、巨大な影だけがそこに存在している。本来の鹿よりもはるかに大きく、歪に伸びた角は闇を引き裂くように天を突いていた。
 頭部の瞳があったであろう落ち窪んだ場所が、杳とその隣に立つ及己を捉えた瞬間、もやが脈打ち、憎悪が波のように溢れ出す。
 低い唸り声が森全体を震わせた。それは警告ではなく、理性を失った憎悪の衝動だった。地を蹴る轟音とともに黒い影が突進してくる。
 狙いは明白、目の前に現れた人間を力の限り薙ぎ払うこと。
 
 その瞬間、杳の前に及己が滑るように一歩踏み出した。
 迫り来る大鹿を視界に捉え、す、と目を細める。
 次の瞬間、突進の勢いが見えない壁に叩きつけられたかのように止まった。

 大鹿の巨体が宙に浮き、黒いもやが激しく揺らぐ。締め上げられるような力に大鹿は苦悶の声を上げた。周囲に鋭い音が響く。それは獣のものではなく何かが内側から締め上げていくような音に似ていた。
 続いて、轟音。
 見えない何かに叩き落とされるように大鹿の体が地面へと叩きつけられる。大地が揺れ、土と靄が舞い上がった。
 異形の巨体は地に伏し硬直している。黒いもやは薄れ、自身に何が起こったのか理解できないまま、驚愕に震えているようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

夫の妹に財産を勝手に使われているらしいので、第三王子に全財産を寄付してみた

今川幸乃
恋愛
ローザン公爵家の跡継ぎオリバーの元に嫁いだレイラは若くして父が死んだため、実家の財産をすでにある程度相続していた。 レイラとオリバーは穏やかな新婚生活を送っていたが、なぜかオリバーは妹のエミリーが欲しがるものを何でも買ってあげている。 不審に思ったレイラが調べてみると、何とオリバーはレイラの財産を勝手に売り払ってそのお金でエミリーの欲しいものを買っていた。 レイラは実家を継いだ兄に相談し、自分に敵対する者には容赦しない”冷血王子”と恐れられるクルス第三王子に全財産を寄付することにする。 それでもオリバーはレイラの財産でエミリーに物を買い与え続けたが、自分に寄付された財産を勝手に売り払われたクルスは激怒し…… ※短め

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...