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前編
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子供の頃に死んだ、母親の記憶はエセルにはほとんどない。
母親は病弱で、エセルが物心ついた頃からずっと部屋で寝たきりだったからだ。むしろ、父親が家事をさせるのに雇っていた、使用人の老婆の方が身近だった。
そんな母親はエセルが七歳の時に亡くなったが、その後も父親は使用人に家を任せて仕事ばかりしていた。とは言え、父親はエセルに後を継がせたいと思っていたのか、学校には通わせて貰えていたので別に寂しくはなかった。
こんな風に、勉強出来る生活が続くとぼんやり思っていたけれど、父親が過労で亡くなったことでエセルは絶望した。親族は誰もエセルを引き取らなかったので、エセルは孤児院に入ることになったからだ。
親のいない子供には、学問など必要ない。立派な労働者になれ。最低限の衣食住を与えるだけ、マシだと思われている場所だと聞かされた。
……けれど、そうではなかった。
いや、少なくとも領主の娘であり、侯爵令嬢であるアデライトがいるこのベレス領は違った。
「今までの環境だと、子供達が恩返しするには働くしかなかったけれど……私とミレーヌ先生が教えれば、子供達に出来ることが増えるでしょう?」
そう言ったというアデライトこそ、エセルより年下の子供なのだが。
おかげでエセルは、全く働かない訳にはいかないが、それでも勉強することが出来た。更に小さな子に読み聞かせなどしていたら、アデライトに目をかけて貰えるようになった。
「あのね? 来年、エセルには王立学園に入学して欲しいの。勿論、推薦状は出すし、その為の支援もさせて貰うわ」
それでもまさか孤児の自分が領内の学校をすっ飛ばして、王立学園に通えるとは思わなかった。しかも、ベレス侯爵家から推薦や支援までして貰えるなんて。
(授業のノートを送るなんて、ささやかで可愛いものだ。きっと、僕が気に遣わないようにあえて言ったんだろう。貴族とは、ああして困っている民を救うものなんだ……いや、でも)
そこで引っかかったのは、アデライトが言い出すまでは孤児院での学びが認められていなかったことを思い出したからだ。あとベレス侯爵家からの援助が決まった時の、孤児院の職員達の反応を見るとよくあることではなく、むしろ『アデライト様だからこそ』という感じだったことを。
(そうだよな。これが当たり前なら孤児院について、あんな噂すら出ないよな……じゃあ、王都は違うのか?)
王立学園に通うのは、貴族の令嬢令息だと聞いている。
周りの大人の反応を見る限り、アデライトが『特別』なのは解るのだが──逆に言えば、普通の貴族とはどんな存在なんだろうか?
(王立学園で、見てこよう。あと、アデライト様の同級生になる殿下や、その婚約者についても調べてみよう)
そう思って試験に合格後、寮に入って王立学園に通い出したのだが──そこで知った貴族や王族の姿に、エセルは呆れて幻滅することになる。
※
「学力は、問題ないわ。これならエセルも十分、首席を……仮に駄目だとしても、奨学生の条件である三位以内は十分、取れるでしょう」
「はい」
「エセルも、寮に入るわよね? あなたは頭が良いだけではなく、可愛らしいから……いいこと? もし、下級貴族の同級生や上級生に絡まれたら……」
王立学園に行くと決まった時、受験費用や交通費などの金銭面はベレス侯爵家から支援を受けたが、かつて首席で卒業したミレーヌは勉強と、あと平民が王立学園で過ごす為の心構えを教えてくれた。
そして無事、エセルは首席で王立学園に入学したが──最初、同じクラスになった子爵家や男爵家の子息が、昼休みや放課後にエセルを呼び出して無料(ただ)でノートを作らせようとしたり、学生寮で雑用を押しつけようとしてきたのには『ミレーヌから聞いていた通り』だったので、落ち着いて対応した。
「僕は、ベレス侯爵家のお嬢様に頼まれて授業ノートを送ったり、王立学園の様子を手紙で送るよう言われています」
「「「なっ!?」」」
「こづかい稼ぎに授業ノートを『売る』ことや、社会勉強として放課後や休みの日に仕事をするのは許可されていますが、それ以外の行動は僕だけでの判断では……あ、お嬢様に確認しましょうか?」
「必要ない!」
「いいか!? 余計なことを言うなよ!?」
「チッ」
エセルの言葉に憎々しげに顔を顰めつつも、子息達は立ち去った。そんな彼ら以外にも、首席の平民ということと見た目で興味を引いたのか、上級生の男女から取り巻きになるようにとも誘われた。もっとも、ベレス家は侯爵家なので、その名を出せば穏便に断ることが出来た。本当に、効果覿面だった。
(アデライト様とは、まるで違う。民を助けるどころか、民から搾取しようとするなんて)
その失望は、貴族について知りたくて新聞社の手伝いを始めたことでますます深くなった。ベレス領とはまるで違う孤児や浮浪者への扱いもだが、王太子であるリカルドの婚約者・サブリナの金遣いの荒さを知ったからである。
(美しいかもしれないが、高価なドレスや装飾品をたくさん買ったり見せびらかしたり……本当に、アデライト様と同じ年なのか? とても、いずれ王妃となる者の行動とは思えない)
……それこそ、同じ年ならアデライトの方が何倍も、何十倍も王妃に相応しいのではないか?
そしてアデライトなら、王妃になれば多くの民を救うのではないか?
いつしか、エセルはそう思うようになっていた。
母親は病弱で、エセルが物心ついた頃からずっと部屋で寝たきりだったからだ。むしろ、父親が家事をさせるのに雇っていた、使用人の老婆の方が身近だった。
そんな母親はエセルが七歳の時に亡くなったが、その後も父親は使用人に家を任せて仕事ばかりしていた。とは言え、父親はエセルに後を継がせたいと思っていたのか、学校には通わせて貰えていたので別に寂しくはなかった。
こんな風に、勉強出来る生活が続くとぼんやり思っていたけれど、父親が過労で亡くなったことでエセルは絶望した。親族は誰もエセルを引き取らなかったので、エセルは孤児院に入ることになったからだ。
親のいない子供には、学問など必要ない。立派な労働者になれ。最低限の衣食住を与えるだけ、マシだと思われている場所だと聞かされた。
……けれど、そうではなかった。
いや、少なくとも領主の娘であり、侯爵令嬢であるアデライトがいるこのベレス領は違った。
「今までの環境だと、子供達が恩返しするには働くしかなかったけれど……私とミレーヌ先生が教えれば、子供達に出来ることが増えるでしょう?」
そう言ったというアデライトこそ、エセルより年下の子供なのだが。
おかげでエセルは、全く働かない訳にはいかないが、それでも勉強することが出来た。更に小さな子に読み聞かせなどしていたら、アデライトに目をかけて貰えるようになった。
「あのね? 来年、エセルには王立学園に入学して欲しいの。勿論、推薦状は出すし、その為の支援もさせて貰うわ」
それでもまさか孤児の自分が領内の学校をすっ飛ばして、王立学園に通えるとは思わなかった。しかも、ベレス侯爵家から推薦や支援までして貰えるなんて。
(授業のノートを送るなんて、ささやかで可愛いものだ。きっと、僕が気に遣わないようにあえて言ったんだろう。貴族とは、ああして困っている民を救うものなんだ……いや、でも)
そこで引っかかったのは、アデライトが言い出すまでは孤児院での学びが認められていなかったことを思い出したからだ。あとベレス侯爵家からの援助が決まった時の、孤児院の職員達の反応を見るとよくあることではなく、むしろ『アデライト様だからこそ』という感じだったことを。
(そうだよな。これが当たり前なら孤児院について、あんな噂すら出ないよな……じゃあ、王都は違うのか?)
王立学園に通うのは、貴族の令嬢令息だと聞いている。
周りの大人の反応を見る限り、アデライトが『特別』なのは解るのだが──逆に言えば、普通の貴族とはどんな存在なんだろうか?
(王立学園で、見てこよう。あと、アデライト様の同級生になる殿下や、その婚約者についても調べてみよう)
そう思って試験に合格後、寮に入って王立学園に通い出したのだが──そこで知った貴族や王族の姿に、エセルは呆れて幻滅することになる。
※
「学力は、問題ないわ。これならエセルも十分、首席を……仮に駄目だとしても、奨学生の条件である三位以内は十分、取れるでしょう」
「はい」
「エセルも、寮に入るわよね? あなたは頭が良いだけではなく、可愛らしいから……いいこと? もし、下級貴族の同級生や上級生に絡まれたら……」
王立学園に行くと決まった時、受験費用や交通費などの金銭面はベレス侯爵家から支援を受けたが、かつて首席で卒業したミレーヌは勉強と、あと平民が王立学園で過ごす為の心構えを教えてくれた。
そして無事、エセルは首席で王立学園に入学したが──最初、同じクラスになった子爵家や男爵家の子息が、昼休みや放課後にエセルを呼び出して無料(ただ)でノートを作らせようとしたり、学生寮で雑用を押しつけようとしてきたのには『ミレーヌから聞いていた通り』だったので、落ち着いて対応した。
「僕は、ベレス侯爵家のお嬢様に頼まれて授業ノートを送ったり、王立学園の様子を手紙で送るよう言われています」
「「「なっ!?」」」
「こづかい稼ぎに授業ノートを『売る』ことや、社会勉強として放課後や休みの日に仕事をするのは許可されていますが、それ以外の行動は僕だけでの判断では……あ、お嬢様に確認しましょうか?」
「必要ない!」
「いいか!? 余計なことを言うなよ!?」
「チッ」
エセルの言葉に憎々しげに顔を顰めつつも、子息達は立ち去った。そんな彼ら以外にも、首席の平民ということと見た目で興味を引いたのか、上級生の男女から取り巻きになるようにとも誘われた。もっとも、ベレス家は侯爵家なので、その名を出せば穏便に断ることが出来た。本当に、効果覿面だった。
(アデライト様とは、まるで違う。民を助けるどころか、民から搾取しようとするなんて)
その失望は、貴族について知りたくて新聞社の手伝いを始めたことでますます深くなった。ベレス領とはまるで違う孤児や浮浪者への扱いもだが、王太子であるリカルドの婚約者・サブリナの金遣いの荒さを知ったからである。
(美しいかもしれないが、高価なドレスや装飾品をたくさん買ったり見せびらかしたり……本当に、アデライト様と同じ年なのか? とても、いずれ王妃となる者の行動とは思えない)
……それこそ、同じ年ならアデライトの方が何倍も、何十倍も王妃に相応しいのではないか?
そしてアデライトなら、王妃になれば多くの民を救うのではないか?
いつしか、エセルはそう思うようになっていた。
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