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 第13章 メリア、師匠に差し入れをする

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 月に一度、満月の夜に、冥界と地上をつなぐ扉は開き、人外の者たちが集う市場も開かれる。シアに連れられて、メリアは再びその地に足を踏みいれた。

 彼女の舞の師匠となった青年は、いつも彼が食事をしている粗末な豆のスープを作る屋台の前にいた。
 そして、粗末な料理の代金としては見事すぎるほどの舞を披露するのだった。

 そして、食事のあとはかねてから約束していた通り、メリアに舞を教えてくれる。
 
 彼は毎月出会うたびに違う舞を教えてくれた。
 メリアは、青年の舞を見るたびに驚かされた。

 痛々しいまでの悲しみの舞。

 視えない恋人と踊る喜びの舞では、本当にそこに愛おしい誰かがいるように感じられるほどのはしゃぎようだった。
 そして、秋の収獲を喜ぶ舞。


 無表情な青年の表情とは裏腹に、彼の舞は、その動きが生き生きとした豊かな表情にあふれているようだった。
指の先、つま先までもがあらゆる感情を自在に表現していた。

 けれど、踊りを教える時以外の彼は無口だった。
 メリアが何度顔を合わせても、その態度は最初に会った時と変わらず淡々としていた。
 
 青年は、彼女が失敗しても、成功しても、少しも表情を変えることはなかった。
 けれど、決してやる気がないわけではなかった。
 メリアにわかるまで何度も繰り返しゆっくりと細かい動作を見せてくれたり、メリアの舞のどこを直したらいいのか、真剣に見てくれたりもした。
 息つぎのタイミングや、表情の作り方、メリアにも思いつきもしなかった、思いがけないコツを教えてくれたりもした。

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 メリアはふとした思いつきから、城の台所に頼んで間食用に作ってもらった食べ物を持っていった。
 そして、いつものように青年に踊りの稽古をつけても貰った後に、包みを差し出した。

「これは?」
「お菓子よ。お口に合えばと思って」
 メリアが包みを開き、中身を差し出した。
 それは、小麦粉と卵と牛乳を混ぜて焼いた焼き菓子だった。
 青年が動かないので、メリアはまず、自分が一つつまんで食べてみた。
「大丈夫よ。変なものは入ってないわ」
 それを見た彼は、怪訝そうな表情で一つをつまみ、口の中に入れた。

 次の瞬間、青年の目が大きく見開かれた。

「どう? おいしい?」
 メリアが尋ねると、青年はこくりと頷いた。
 そして、次の菓子に手を伸ばそうとしたので彼女は慌てて、その手から包みを遠ざけた。

「まって、これは日持ちがするものよ。そんな一気に食べなくても……。家に持って帰ってゆっくり食べればいいのに」

「ここに来ていることは、誰にも教えはいない。だから、何も持ち帰れない。」
 青年がそう言ったので、メリアは相手にかなりの無理を言って頼みを聞いてもらったことを思い出した。
 彼は稽古に必要なこと以外は何も語ろうとしないので、メリアは彼の名前も、どこに住んでいるのかも知らない。

 そもそも、たそがれの市に鳥の姿で現れる彼が、本当は何者なのかさえもわからない。
 シアのような冥府の生き物なのか、死者の国の住人なのか、本当のことは、何も知らない。

 けれど、舞に関する誠実なまでの指導。
 そして、メリアが押し付けたにも等しい一方的な約束を守って、彼はもう一年以上たつというのに、メリアに稽古をつけ続けていた。
 そして、満月のたびに新しい踊りを教えにやってくるその律儀さに、彼女は感心し、いつしか、彼を心から尊敬するようにもなっていた。

****

 いつも猛烈な勢いで、まずい豆のスープを飲む師匠のためにと、メリアが持ってきた食料は、大人が一週間ほど食いつなげるほどの量だった。
 そのため、さすがに早食いで大食らいの青年も一気に食べるというわけにもいかなかったらしい。

 保存がきくように水分の少ない生地でつくってあるために、青年は食べている途中でむせてしまった。
 持ってきたヤギの革で作った水筒を差し出したがそれでも足りず、すべて飲み干してしまった。

 そのために、メリアは急いでたそがれの市場で地上の食べ物を売っている例の商人の所まで行き、水を買ってきた。
 こんなこともあろうかと、あらかじめシアに代金の代わりになりそうな品物を教えてもらっていたので助かった。
 それは、メリアが小さい頃から持っていた小さな人形だった。愛着のある品だったが、いつもシアに迷惑をかけるわけにもいかないので、それを支払いに使った。

 たそがれの市場で水を買って戻る途中、いつのまにか東の空が白んできているのを知った。
 いつもなら、青年は夜が明ける前に鳥に姿を変えてどこかに帰ってしまう。
 もう、いなくなってしまったかもしれない、と思いながら、メリアは青年と舞の稽古をしていた空地まで戻った。

 しかし、彼はまだそこにいた。
 朝日の光を浴びて、その横顔がくっきりと浮き上がって見えた。

 メリアはその光景に胸がつぶれそうになった。
 彼は一人、この世の悲しみを一身に背負っているような表情でそこに立っていた。
 けれど、その重みに魂が押し潰されそうになっていることすら、自分では気がついていないようだった。

 メリアは、茫然とそこに立ち尽くしていた。
 なぜ、彼がそんな顔をしているのか、そして、そんな彼を見て、何故自分の胸がこんなにも痛むのかわからなかった。

 ふいに、彼女の視線に気がついたのか、青年が振り向いた。
 その時には、もういつもの無表情がその顔を覆い尽くしていた。
「水を買って来てくれたのか、すまない」
 青年がやって来て、メリアの手から水筒を受け取って一気に飲みほした。
「助かった」
 ようやく一心地ついたのか、青年は空になった水筒を返してよこした。

「あなたは、どうしていつも冥界に帰るの?」
 水筒を受けとりながら、メリアは尋ねた。
 それはいつも、メリアが不思議に思っていることだった。
 たそがれの市場に通い詰めるうちに、どの方角がどこに通じているのかわかるようになっていた。

 そのために、気がついたことがあった。
 青年が、鳥に姿を変えて帰るのはいつも西の方角だと。
 西にあるのは冥界。死者や魔物の住まう世界のはずだった。

 まるで、太陽の光が雲にさえぎられたときのように、青年の面から、表情らしい表情がかき消えた。

 
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