上 下
52 / 70

052

しおりを挟む

 
 まさかだろ!

 どこをどう歩けば出発点に戻って来るんだよ。
 少々考え事をしていたのは認めるよ。
 だけど、まったく同じ場所に出て来るとか。あり得ん。

 それにしても、ブツが消えているのはどうしてなんだ。
 子猫が迷い込んで、持って行ったのか。
 まず、身体のどの部位もあの隙間には入らないだろうな。
 動物の線は消えるとして。

「やっぱり人間の仕業だ。手に取って広げたなら文字に目を通すよな。読めないとしたら持って行かないよな。読める人間だとして、あれを何につかうんだ?」


 整理すると。


 駒次郎と茶屋で別れた後、彼の帰りを素直に待てなくてふらふらと歩き出した。
 気づけば神社に来ていた。
 俺は自然と祠の前に立つ。
 そこしか知る場所がないから当然だ。

 任命書は、祠の下の木組みの台座の隙間に入れて置いたので敢えて確認しなかった。

 待ち合わせの神社の境内を求めて西の方向にひたすら歩いた。
 段差もなく、曲がり角もない。
 ずっと山の裏手のようで人気もなかった。

 時間にして三分ほど。歩数にして千二百程度。
 足早に過ぎた。

 それなのに不思議と元の祠の場所へと戻ってきていた。
 かろうじて迷子にはならなかったが。
 別の場所だったなら、街道にでないし、置石にも会えないはずだ。

 だが、それで間違いなく最初の地点だと判明した。


「…なんど見回しても、どこにもない。どこ行ったんだろ、あの任命書…」


 べつに宝物を隠したわけじゃないけど。
 なにか損をした気分だ。
 こんなことにならない為にも火に入れておけば良かったな。

「文面は百パー、覚えたんだから。……ただ里に行くのなら、あれは手元にあった方がいいと思う。本当にサスケは俺のことか…」
 
 そこのところが不安で堪らないというのが本音でもある。
 里に行く予定が本来なかったので、その心配をしないようにしていたが。
 まさか必要になるとはな。

 うかつに里に近づいて「見覚えのない怪しい奴め」などと言われたら、任命書を見せて俺だよサスケだよって押し通すんだろうか。
 百両もらわなきゃいけないんだ。諦めるわけには行かない。

 だが俺はどこに所属していた忍者なのかまだ未確認なわけだし。
 疑われて捕まりでもしたら、詰むじゃないか。

 死ぬより怖い目には遭いたくない。

「──にしても。この界隈の人たちは皆、綱の印を結べるの、以外だったな」


 
 印を結ぶ──【女神エンジン】!!



「うーん。なるほど。寺の修行僧がやっていたことが始まりか…」


 しかし、なぜ。
 綱の印は綱隠れの忍びたち専用の印の筈だろ。
 一般の人が知っていたり、使用できたら不都合が出るはずだ。

 そうだ!

 なぜ気づけなかったんだ。
 伝家の宝刀を会得し放題になるじゃないか。


「印を結んだだけでは何も起きないってことだ」


 駒次郎が結んで見せてくれたのだから。
 ほかに何かが必要なのだとすれば、あの任命書しかないことになる。


「やばいっ!! コマさんはやっぱ勘が良すぎる」


 駒次郎がやってきてあれを見たら、超忍術を横取りされてしまう。
 だけど生憎だったね、コマさん。
 任命書は紛失中だよ。

 書簡が手元にあっても、現代人の俺は火さえ起こせないんだ。
 書を火であぶる。
 なんだかぜんぶ燃やしてしまいそうだ。
 そういうことはやり慣れていない。

 火遊びなんてお仕置きの元だからな。


 祠の扉の前で、あれこれ考えていると。
 不意に足音が聞こえた。
 距離はまだ遠いが。


「なんだ!?」


 人の近づく足音のようだけど。
 この足音、聞き覚えがある!

 これはまさか!?

 は、速い!


「こ、コマさん……? どうして!?」


 俺の背後から迫ってくる足音は駒次郎のものだ。
 彼が必死に走る足音は、出会った時にも聞いているからな。

 だが、ここへ近づく足音はあの時とは比較にならない。
 もたついていた鈍くさい足取りではない。

 こんな俊足を持っているのにどうしてゴロツキからは逃げ切れないんだ。
 いや振り切っていたか。

 彼の何かがおかしいと思える瞬間だった。

 ほかに足音は聞こえない。彼は単独で走っている。
 とくに誰かに追われているわけでもないのに。
 全力で盤次郎に力説して茶屋の前に戻って、俺の姿が見当たらないのでここへ急いで来たのだろうか。

 恐らく時間的に茶屋には寄っていないと思われる。
 盤次郎の宿から直通で飛んできたのだろう。

 俺に聞かせた情報は疑いを持たせないためだったのか。
 迷子というワードで自然と待ち合わせ場所を提示したのだ。

 最初からこの神社へ先に来るつもりで居たのか?
 だとすると、それはいったい何のために。

 まさか、読んでいたのか。

 会話の中で「遠くに隠した」と言っていたな。
 一連の会話は俺のなにかを探り出すためなのか。
 まあ忍者だと疑っていたのは明かしてもらったからな。

 そもそも俺を忍者だとする彼の疑念にもっと気を置くべきだった。
 隠密かどうかではない。
 のではないか。
 任命内容に触れても、さして動じない。
 百両の対価を支払っても取り戻したい頭領の形見に肉薄もしなかった。

 あいつの目的が最初から「伝家の宝刀」の方だったとすれば。
 俺の身のこなしだけで忍者と見抜く目の持ち主。その忍者の俺に張り付いてそれを横取りしたい奴。
 そんな奴だからこそ「綱の印」を知っていた……。

 その場合の俺の答えは一つだけだ。

「あいつ、綱隠れの場所もふつうに知っていた。地元の人間も近寄らないのにその奥の景色をどうやって覗き視たんだよ。コマさん……きみは味方じゃないのか」

 そして──。
 
 隠し場所がこの辺りだということを。
 出会う前に、遠目にこの街道へ出るところを見られていた可能性もある。

 本来なら、俺が後に到着する筈だったのではないか。
 俺がこの場所に注意を引かれる点は、なにも任命書だけではない。
 女神の祠の奥は異次元空間だ。いまは扉はビクともしないが俺と女神の部屋でもあるからな。


 当初の疑問点がふたたび頭をかすめた。


「結局のところ、ここへ俺をいざなったのも……彼だ」


 そして時間を置くと「疑えば切りのないことだ」と悟るのだろうが。
 思いのループをたったいま体験したばかりだ。

 駒次郎は最初から、任命書に執着していた。
 俺も取られそうで不安をいだいていた。
 その不安が俺をここまで引き寄せわけではない。

 そんなに勘が養われている俺ではない。
 俺は単純に彼の家族と彼に嫉妬していただけなのだ。
 結果的に女神が俺に味方をしたようだ。

 今度こそ、疑いを捨てるな。
 捨ててはならない気がしてきた。


しおりを挟む

処理中です...