7 / 8
⑦/逆流
しおりを挟む
緋菜が眠っているあいだ、俺は窓際の椅子に座っていた。
三か月。
数字にすると短い。
だが、呼吸の数にすれば、まだ無数にある。
無数にあるはずなのに、足りない。そんな感覚。
市場に入った日のことを思い出す。
妹の手を握りながら、何もできなかった夜。
金があれば救えた、と本気で思った。
だから、こちら側に来た。
延ばせる命があるなら、値段がついても構わないと。
だが今は違う。
延ばしたいのは、目の前の一人だ。
数字じゃない。
大きく息を吐いて、俺は立ち上がった。
やることは決まっている。
◆◆◆
地下の階段は、いつもより重く感じた。
赤いランプの部屋に入ると、葛城はすでに座っていた。
「来たのか」
氷を揺らす音が、小さく響く。
「三年は消えたな」
確認でもなく、事実の提示。
「弟は安定した」
「そうか」
興味がないわけではないが、深入りもしない声だ。
俺は真正面に立った。
「契約書を出せ」
葛城が眉を上げる。
「どの契約だ」
「寿命売買基本条項、第三章」
一瞬の沈黙のあと、葛城は薄く笑った。
「わざわざ読んだのか」
「何度もな。お前は読まな過ぎだ」
市場の契約は複雑だが、根幹は単純だ。
寿命は“個人資産”。
売却可能。
譲渡可能。
ただし一度市場を経由すること。
「"第三章第八条"」
俺は続ける。
「"取得した寿命の再売却は、同意のもと自由とする"」
葛城の目が、わずかに細くなる。
「つまり?」
「俺の寿命を市場に売る」
「……ほう」
「それを、白鷺 緋菜名義で買い戻す」
部屋の空気が、わずかに張りつめる。
「理屈は通るな」
葛城は背もたれに体を預けた。
「だが、お前·····正気か」
「勿論、正気だ」
「四十年はあるぞ」
「ああ、知っている」
葛城はしばらく黙っていた。
赤いランプが、ゆっくりと明滅する。
「全部か」
「ほとんどだな」
「端数は?」
その問いに、わずかに口元が動く。
「少し残す」
葛城が鼻で笑う。
「何だかんだで、似てきたな」
「うるさい」
葛城はウイスキーを飲み干し、空のグラスをテーブルに置く。
氷がグラスの中で転がる音が、虚しく響く。
「お前が死ねば、市場は面倒を抱える」
葛城は淡々と言う。
「管理者の一人が突然消えれば、当然調査も入るぞ」
「消えない」
「保証は?」
「残す分で、当分は生きる」
数字で言えば、数か月。
だが、それで足りる。
「お前がそこまでする義理はないだろ」
「義理じゃない」
言い切る。
義理でも、人情でもない。
これは──
「俺の意思だ」
葛城は視線を逸らさなかった。
「……情が移ったな」
「みたいだな」
否定しない。
沈黙が落ちる。
やがて葛城は、机の下から端末を引き出した。
「正式にやるなら、俺が立ち会う」
「監視か」
「見届けだ」
皮肉でもなく、事実のように言う。
◆◆◆
契約画面が開く。
売却者:鷹宮 蓮
売却年数:三十九年九か月
数字が並ぶ。
長い。
だが、不思議と怖くはなかった。
軽い、とは思わなかった。
ただ、重くもなかった。
「確認しろ」
葛城の声。
俺は目を通す。
全額、即時市場口座へ。
その後、再取得申請。
「実行する」
指を押し当てる。
一瞬、体の奥が軋むような感覚が走る。
血が、抜けるのとは違う。
時間が、剥がれるような感覚。
立っているのが、わずかに辛い。
「平気か」
「まだな」
視界が揺れるが、倒れはしない。
市場口座に、膨大な数値が反映される。
「次だ」
"白鷺 緋菜、再取得申請"。
葛城が操作を引き継ぐ。
「同意は」
「俺が持つ」
緋菜の電子署名は、事前に取ってある。
彼女は、まだ知らない。
「強引だな」
「今さらだ」
承認ボタンが押される。
数秒の沈黙。
赤いランプが、一度、強く灯った。
「──完了だ」
葛城が告げる。
俺は息を吐く。
力が抜ける。
膝が、わずかに折れる。
葛城が支える。
「立てるか」
「問題ない」
強がりではない。
本当に、まだ立てる。
「お前、馬鹿だな」
「知ってるよ」
「後悔するぞ」
「しない」
即答だった。
それだけは、自信を持って言えた。
地下を出る。
階段を上がるたびに、足が重くなる。
だが、不思議と胸は軽い。
三か月。
その数字は、もう変わっている。
病院へ向かう途中、端末を開く。
"白鷺 緋菜"。
"残存寿命"
──"四十年零か月"。
思わず、笑いそうになる。
数字が、初めて嬉しい。
この仕事を始めてから、こんな感情を得られる日が来るなんて、思わなかった。
少し、ほんの少しだけ、胸の奥の何かが、ようやくほどけた。
◆◆◆
病室の前で、深く息を吸う。
扉を開けると、緋菜は起きていた。
「……おかえりなさい」
「ああ」
ベッドの横に立つ。
「どうでした、仕事」
少しだけ、からかうような声。
俺は椅子を引き、腰を下ろす。
「終わった」
「早いですね」
「長かった」
緋菜が首を傾げる。
俺は端末を差し出した。
「確認しろ」
彼女は画面を見る。
そして、固まる。
「……え?」
指が震える。
「四十……?」
息が荒くなる。
「何を、したんですか……」
「売った」
「何を……」
「俺の分」
沈黙。
言葉が見つからない。
だから少し、からかうことにした。
「端数だけは、残しておいた」
緋菜の目に、涙が滲む。
「バカ……」
かすれた声。
「変なところ、真似しないでよ……」
俺は、肩をすくめる。
「俺の人生の大半は、人から奪う仕事だった」
視線を逸らさずに言う。
「せめてもの罪滅ぼし——っていうのは建前だな」
正直に続ける。
「本当は、君に生きてほしかった。それだけだ」
緋菜の涙が、零れる。
「自分が、死んでまで……?」
「ああ」
即答。
嘘は無い。全部本心だ。
緋菜が、首を振る。
「嫌だよ……。鷹宮さんがいなかったら、私……」
そこで、俺は初めて名前を呼ぶ。
「緋菜」
彼女が、息を止める。
「強く、生きろ」
ゆっくりと言う。
「理不尽はなくならない。市場も、金も、病気も」
胸が、少し痛む。
「でも、生きていれば、選べる」
言葉が途切れそうになる。
「俺の分も、しっかり生きろ」
静かに。
命令でも、願いでもなく。
ただの、本音として。
視界が、わずかに揺れる。
体の奥が、空っぽに近い感覚。
だが、後悔はない。
緋菜の残存寿命は、もう数字じゃない。
これからの、未来だ。
俺は、ゆっくりと目を閉じた。
端数が、どれくらい持つかは分からない。
そんなことは、もうどうでもいい。
今はそれよりも、この清々しい気分に、浸っていたかった。
三か月。
数字にすると短い。
だが、呼吸の数にすれば、まだ無数にある。
無数にあるはずなのに、足りない。そんな感覚。
市場に入った日のことを思い出す。
妹の手を握りながら、何もできなかった夜。
金があれば救えた、と本気で思った。
だから、こちら側に来た。
延ばせる命があるなら、値段がついても構わないと。
だが今は違う。
延ばしたいのは、目の前の一人だ。
数字じゃない。
大きく息を吐いて、俺は立ち上がった。
やることは決まっている。
◆◆◆
地下の階段は、いつもより重く感じた。
赤いランプの部屋に入ると、葛城はすでに座っていた。
「来たのか」
氷を揺らす音が、小さく響く。
「三年は消えたな」
確認でもなく、事実の提示。
「弟は安定した」
「そうか」
興味がないわけではないが、深入りもしない声だ。
俺は真正面に立った。
「契約書を出せ」
葛城が眉を上げる。
「どの契約だ」
「寿命売買基本条項、第三章」
一瞬の沈黙のあと、葛城は薄く笑った。
「わざわざ読んだのか」
「何度もな。お前は読まな過ぎだ」
市場の契約は複雑だが、根幹は単純だ。
寿命は“個人資産”。
売却可能。
譲渡可能。
ただし一度市場を経由すること。
「"第三章第八条"」
俺は続ける。
「"取得した寿命の再売却は、同意のもと自由とする"」
葛城の目が、わずかに細くなる。
「つまり?」
「俺の寿命を市場に売る」
「……ほう」
「それを、白鷺 緋菜名義で買い戻す」
部屋の空気が、わずかに張りつめる。
「理屈は通るな」
葛城は背もたれに体を預けた。
「だが、お前·····正気か」
「勿論、正気だ」
「四十年はあるぞ」
「ああ、知っている」
葛城はしばらく黙っていた。
赤いランプが、ゆっくりと明滅する。
「全部か」
「ほとんどだな」
「端数は?」
その問いに、わずかに口元が動く。
「少し残す」
葛城が鼻で笑う。
「何だかんだで、似てきたな」
「うるさい」
葛城はウイスキーを飲み干し、空のグラスをテーブルに置く。
氷がグラスの中で転がる音が、虚しく響く。
「お前が死ねば、市場は面倒を抱える」
葛城は淡々と言う。
「管理者の一人が突然消えれば、当然調査も入るぞ」
「消えない」
「保証は?」
「残す分で、当分は生きる」
数字で言えば、数か月。
だが、それで足りる。
「お前がそこまでする義理はないだろ」
「義理じゃない」
言い切る。
義理でも、人情でもない。
これは──
「俺の意思だ」
葛城は視線を逸らさなかった。
「……情が移ったな」
「みたいだな」
否定しない。
沈黙が落ちる。
やがて葛城は、机の下から端末を引き出した。
「正式にやるなら、俺が立ち会う」
「監視か」
「見届けだ」
皮肉でもなく、事実のように言う。
◆◆◆
契約画面が開く。
売却者:鷹宮 蓮
売却年数:三十九年九か月
数字が並ぶ。
長い。
だが、不思議と怖くはなかった。
軽い、とは思わなかった。
ただ、重くもなかった。
「確認しろ」
葛城の声。
俺は目を通す。
全額、即時市場口座へ。
その後、再取得申請。
「実行する」
指を押し当てる。
一瞬、体の奥が軋むような感覚が走る。
血が、抜けるのとは違う。
時間が、剥がれるような感覚。
立っているのが、わずかに辛い。
「平気か」
「まだな」
視界が揺れるが、倒れはしない。
市場口座に、膨大な数値が反映される。
「次だ」
"白鷺 緋菜、再取得申請"。
葛城が操作を引き継ぐ。
「同意は」
「俺が持つ」
緋菜の電子署名は、事前に取ってある。
彼女は、まだ知らない。
「強引だな」
「今さらだ」
承認ボタンが押される。
数秒の沈黙。
赤いランプが、一度、強く灯った。
「──完了だ」
葛城が告げる。
俺は息を吐く。
力が抜ける。
膝が、わずかに折れる。
葛城が支える。
「立てるか」
「問題ない」
強がりではない。
本当に、まだ立てる。
「お前、馬鹿だな」
「知ってるよ」
「後悔するぞ」
「しない」
即答だった。
それだけは、自信を持って言えた。
地下を出る。
階段を上がるたびに、足が重くなる。
だが、不思議と胸は軽い。
三か月。
その数字は、もう変わっている。
病院へ向かう途中、端末を開く。
"白鷺 緋菜"。
"残存寿命"
──"四十年零か月"。
思わず、笑いそうになる。
数字が、初めて嬉しい。
この仕事を始めてから、こんな感情を得られる日が来るなんて、思わなかった。
少し、ほんの少しだけ、胸の奥の何かが、ようやくほどけた。
◆◆◆
病室の前で、深く息を吸う。
扉を開けると、緋菜は起きていた。
「……おかえりなさい」
「ああ」
ベッドの横に立つ。
「どうでした、仕事」
少しだけ、からかうような声。
俺は椅子を引き、腰を下ろす。
「終わった」
「早いですね」
「長かった」
緋菜が首を傾げる。
俺は端末を差し出した。
「確認しろ」
彼女は画面を見る。
そして、固まる。
「……え?」
指が震える。
「四十……?」
息が荒くなる。
「何を、したんですか……」
「売った」
「何を……」
「俺の分」
沈黙。
言葉が見つからない。
だから少し、からかうことにした。
「端数だけは、残しておいた」
緋菜の目に、涙が滲む。
「バカ……」
かすれた声。
「変なところ、真似しないでよ……」
俺は、肩をすくめる。
「俺の人生の大半は、人から奪う仕事だった」
視線を逸らさずに言う。
「せめてもの罪滅ぼし——っていうのは建前だな」
正直に続ける。
「本当は、君に生きてほしかった。それだけだ」
緋菜の涙が、零れる。
「自分が、死んでまで……?」
「ああ」
即答。
嘘は無い。全部本心だ。
緋菜が、首を振る。
「嫌だよ……。鷹宮さんがいなかったら、私……」
そこで、俺は初めて名前を呼ぶ。
「緋菜」
彼女が、息を止める。
「強く、生きろ」
ゆっくりと言う。
「理不尽はなくならない。市場も、金も、病気も」
胸が、少し痛む。
「でも、生きていれば、選べる」
言葉が途切れそうになる。
「俺の分も、しっかり生きろ」
静かに。
命令でも、願いでもなく。
ただの、本音として。
視界が、わずかに揺れる。
体の奥が、空っぽに近い感覚。
だが、後悔はない。
緋菜の残存寿命は、もう数字じゃない。
これからの、未来だ。
俺は、ゆっくりと目を閉じた。
端数が、どれくらい持つかは分からない。
そんなことは、もうどうでもいい。
今はそれよりも、この清々しい気分に、浸っていたかった。
0
あなたにおすすめの小説
可愛らしい人
はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」
「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」
「それにあいつはひとりで生きていけるから」
女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。
けれど、
「エレナ嬢」
「なんでしょうか?」
「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」
その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。
「……いいえ」
当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。
「よければ僕と一緒に行きませんか?」
短編)どうぞ、勝手に滅んでください。
黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。
あらすじ)
大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。
政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。
けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。
やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。
ーーー
※カクヨム、なろうにも掲載しています
走馬灯に君はいない
優未
恋愛
リーンには前世の記憶がある。それは、愛を誓い合ったはずの恋人の真実を知り、命を落とすというもの。今世は1人で生きていくのもいいと思っていたところ、急に婚約話が浮上する。その相手は前世の恋人で―――。
愛のゆくえ【完結】
春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした
ですが、告白した私にあなたは言いました
「妹にしか思えない」
私は幼馴染みと婚約しました
それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか?
☆12時30分より1時間更新
(6月1日0時30分 完結)
こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね?
……違う?
とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。
他社でも公開
断罪された薔薇の話
倉真朔
恋愛
悪名高きロザリンドの断罪後、奇妙な病気にかかってしまった第二王子のルカ。そんなこと知るよしもなく、皇太子カイルと彼の婚約者のマーガレットはルカに元気になってもらおうと奮闘する。
ルカの切ない想いを誰が受け止めてくれるだろうか。
とても切ない物語です。
この作品は、カクヨム、小説家になろうにも掲載中。
あなたのことなんて、もうどうでもいいです
もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。
元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。
偽りの愛の終焉〜サレ妻アイナの冷徹な断罪〜
紅葉山参
恋愛
貧しいけれど、愛と笑顔に満ちた生活。それが、私(アイナ)が夫と築き上げた全てだと思っていた。築40年のボロアパートの一室。安いスーパーの食材。それでも、あの人の「愛してる」の言葉一つで、アイナは満たされていた。
しかし、些細な変化が、穏やかな日々にヒビを入れる。
私の配偶者の帰宅時間が遅くなった。仕事のメールだと誤魔化す、頻繁に確認されるスマートフォン。その違和感の正体が、アイナのすぐそばにいた。
近所に住むシンママのユリエ。彼女の愛らしい笑顔の裏に、私の全てを奪う魔女の顔が隠されていた。夫とユリエの、不貞の証拠を握ったアイナの心は、凍てつく怒りに支配される。
泣き崩れるだけの弱々しい妻は、もういない。
私は、彼と彼女が築いた「偽りの愛」を、社会的な地獄へと突き落とす、冷徹な復讐を誓う。一歩ずつ、緻密に、二人からすべてを奪い尽くす、断罪の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる