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第4章/千荊万棘 pointing towards us
4-⑩/逆鱗
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神谷 京香は、いつも正しかった。
剣の握り。
踏み込みの距離。
仕掛ける“間”。
無駄がない。
賭けに出ない。
それでいて、必ず勝ちに行く。
だから、上に行ける。
私は、違った。
焦った。
急いだ。
強さを、証明しようとした。
その結果、足を止めた。
──あなたの、すぐ後ろで。
だから、見た。
あなたが戦うたびに。
刃を振るうたびに。
“最善”を選び続ける、その思考を。
記録した。
解析した。
再現した。
貴女の美しく完璧な型──"千紫万紅"。
それを振るう姿は、まさに咲き乱れる花々。
そんな美しさ……私には、とても真似出来ない。
貴女が壱式から入る確率。
弐式に繋ぐ条件。
参式を切る“余裕”の有無。
そこまで、全部。
神谷 京香。
あなたが強いことは、疑っていない。
だからこそ──
今日は、完璧に準備した。
◆◆◆
視界が、軋んでいた。
毒が、確実に回っている。
呼吸が浅い。
踏み込みが、半拍遅れる。
それでも。
京香は、刃を構えた。
「──肆式」
声は、まだ揺れていない。
刃先が、淡く震える。
霊力が、花弁のように重なり、広がる。
「──”天竺牡丹”」
一気に、踏み込む。
"薔薇"の直線。
"紫苑"の残像。
" 白蝶草"の地形制圧。
それらを束ね、収束させた"終わらせる一撃"。
“逃げ場を与えず、必ず仕留める”ための型。
一振りの中に、高速の連撃。
刃が、ワタリへと迫る。
だが。
「……遅い」
ワタリは、半歩も動かない。
峨嵋刺が、わずかに傾く。
「肆式は、
“勝てると判断した時”に使う」
静かな声。
「でも今のあなたは、
勝ちに行っているんじゃない」
刃と刃が、擦れ違う。
京香の一撃は、確かに鋭い。
だが、ワタリの身体を捉えきれない。
「“終わらせたい”だけ」
次の瞬間。
「──”棘環”」
空間が、閉じる。
見えない棘が、円を描くように配置され、
連撃を、全て弾く。
間髪入れずに、追撃の棘。
逃げ道を、完全に塞ぐ。
「……っ!」
踏み出そうとして、
足が、言うことを聞かない。
膝が、わずかに落ちる。
「毒の進行、想定より三十秒も遅い。
流石ね」
ワタリは、感心したように言う。
「でも──
それも、ここまで」
京香の視界が、暗転しかける。
刃を支える腕が、重い。
呼吸をするたび、胸が焼ける。
囲まれている。
逃げ道はない。
型は、すべて見せた。
切れる手は、もう──
……いや。
京香は、奥歯を噛み締めた。
まだ。
“使っていない”ものが、一つだけある。
それを思い浮かべた瞬間、
胸の奥が、ひどく冷えた。
──使いたくない。
──二度と。
だが。
このままでは、確実に終わる。
刃を、落とすわけにはいかない。
守ると、決めた。
立ち続けると、決めた。
京香は、ゆっくりと息を吸う。
そして。
刃を、逆手に握り直した。
息が、浅い。
毒の影響か。
それとも、追い詰められているからか。
京香は、刃を支えに、わずかに体勢を立て直す。
正面。
ワタリは、相変わらず距離を保ったまま、こちらを見ている。
勝者の余裕。
だが、慢心ではない。
ただ──
予定通りに事が進んでいるという顔だ。
「……一つ、聞かせて」
京香が、低く言った。
「九年前。
レイの村を襲った犯人に酷似した人物が、
下界で暗躍しているって噂……」
ワタリの視線が、僅かに揺れる。
だが、否定はしなかった。
「アンタね」
断定。
「……そうよ」
あっさりと、ワタリは認めた。
「噂を流したのは、私」
京香の胸が、強く脈打つ。
「なんで……そんなことを……」
「理由?」
ワタリは、小首を傾げる。
「簡単よ」
一歩、踏み出す。
棘が、空間にざわめいた。
「あの子──レイの成長は、目を見張るものがあったわ」
淡々とした声。
事実を述べるだけの口調。
「それこそ、あの時の貴女のように」
京香の喉が、ひくりと鳴る。
「仕方なかったのよ」
ワタリは、少しだけ肩をすくめた。
「このままだと、
私の地位にまで、来てしまいそうだったもの」
一瞬。
京香の中で、何かが、音を立ててひび割れた。
「……あの子が」
声が、震える。
「あの子が……
どんな思いで、この九年間を生きてきたか……」
刃を握る手に、力がこもる。
「アンタに、分かる?」
「知ってるわ」
即答だった。
「復讐でしょう?」
ワタリの声に、微かな愉悦が混じる。
「素晴らしいわよね。
"復讐"という感情は」
一歩、また一歩。
棘が、さらに密になる。
「ここまで、人を強くする。
ここまで、優秀な戦士を育て上げる」
そして。
「それだけの力を引き出せるなら──」
淡々と、言い切った。
「村の一つや二つ、安いものじゃない?」
その瞬間。
「──黙れ」
京香の声が、夜気を裂いた。
低く。
抑えきれない怒りを孕んで。
ワタリの言葉が、止まる。
「もう……いいわ」
京香は、刃を下ろしたまま、顔を上げる。
その目にあったのは、迷いではない。
嫌悪。
怒り。
そして──決意。
──あの型は嫌いだ。
自分が、自分でなくなる。
積み上げてきたものを、全部無視する型。
だから、使わないと決めていた。
でも。
この女だけは、違う。
人の人生を弄び、
復讐を“素材”と呼び、
強さを“管理対象”と見る存在。
そんなものに。
「……アンタみたいなのにだけは」
京香の霊力が、変質する。
これまでとは、質が違う。
「絶対に、負けられない」
刃が、軋む。
空気が、沈黙する。
ワタリが、初めて目を細めた。
「……ああ、なるほど」
初めて。
計算ではない興味。
「それが、貴女の“逆鱗”なのね」
京香は、深く息を吸う。
そして──
封じていたものに、手を伸ばした。
◆◆◆
あの型は、嫌いだ。
あれは──
勝つための型じゃない。
迷いも、躊躇も、願いも。
全部切り捨てて、結果だけを残す。
それは、強い。
そして、冷たい。
だから、封じてきた。
どれだけ追い詰められても、
それだけは選ばないと、決めていた。
──けれど。
人の人生を“素材”と呼び、
復讐を“燃料”だと笑う存在を前にして。
それでも使わない、なんて言えるほど、
私は出来た人間じゃない。
利用された九年。
奪われた村。
それを「よく育った」と総括する、その思想。
……それだけは。
それだけは、否定しなければならない。
脳裏に浮かぶ。
慎重で、迷いながらも、
最善を探し続ける葉月。
剥き出しの感情で、
それでも前に進こうとするレイ。
"──ひとのころしかた………おしえて"
あの時のレイの言葉が、
ずっと、耳から離れない。
……後悔している。
この組織に、巻き込んだこと。
この戦いに、巻き込んだこと。
だからこそ──
この場所に、立たせてはいけない。
だからこそ──
この戦いは、負けて終われない。
京香は、静かに息を吸った。
嫌いな自分になる。
それでもいい。
この女を、ここで止められるなら。
「……終式」
そして、告げる。
「──" 百花斉放"」
その瞬間。
世界が、歪んだ。
否。
歪んだのは、京香自身だ。
霊力が、外へと溢れ出す。
抑え込んでいたものが、堰を切ったように解き放たれる。
痛みが、来た。
筋肉が、悲鳴を上げる。
骨の内側が、軋む。
呼吸に合わせて、全身がきしり音を立てた。
それでも。
京香は、前を向く。
「何を……する気?」
ワタリが、静かに告げた。
これまでなかった“警戒”。
得体の知れない"気配"が、膨れ上がる。
霊力の質が、違う。
制御されていない。
整っていない。
──美しくない。
ワタリが、初めてそう判断した瞬間。
「──"春紅ノ舞"」
京香の姿が、弾けた。
地面を蹴る音が、遅れて届く。
否。
一つではない。
上。
下。
横。
背後。
視界のあらゆる方向に、
京香の残像が、咲き乱れる。
「……っ!」
ワタリが、峨嵋刺を振るう。
だが、刺した感触がない。
斬撃が、降る。
跳ねる。
交差する。
防いだはずの位置から、
遅れて、血が噴き出す。
「攪乱……?
いえ、これは……」
ワタリは、歯噛みした。
これは、戦術じゃない。
──暴風だ。
配置も、距離も、意味を失う。
研究してきた“京香の戦い方”が、
次々と、無効化されていく。
「……っ、く……!」
ワタリが、距離を取ろうとした瞬間。
空気が、張り詰めた。
全ての残像が、
一点へと、収束する。
「──"争鳴ノ舞"」
一閃。
音が、遅れて来た。
それほどの速度。
一直線。
逃げ道も、読みも、関係ない。
ワタリは、咄嗟に身体を捻る。
致命は避けた。
──だが。
「……っ!」
肩口が、抉られる。
骨に、衝撃が走る。
ワタリの表情が、初めて歪んだ。
「……なるほど」
低い声。
「感情を、推進力に……」
理解は、できる。
だが。
「……合理的じゃない」
その言葉に。
京香は、笑った。
血を吐きながら。
肩を震わせながら。
「でしょうね……」
足が、震える。
既に、限界が近い。
それでも。
「だから、嫌いなのよ……この型……」
霊力が、さらに跳ね上がる。
ワタリの瞳が、細くなった。
「……やめなさい」
初めての、命令口調。
「その身体じゃ、次は──」
「──分かってる」
京香は、遮った。
視界の端が、白く滲む。
「だから……これで、終わらせる」
足に、力を込める。
その瞬間。
──筋肉が、切れた。
鈍い音。
内側から、何かが裂ける感覚。
それでも。
京香は、止まらない。
「──"繚乱ノ舞"」
世界が、砕けた。
無数の京香が、同時に現れる。
前後左右、上下。
壱式の鋭さ。
弐式の残像。
参式の制圧。
肆式の踏み込み。
すべてが、重なり合い、
一瞬にして、解き放たれる。
「……っ!!」
ワタリが、防御を捨てた。
棘を、全方位に展開。
空間そのものを、要塞に変える。
だが。
斬撃は、止まらない。
一つ。
二つ。
三つ。
血が、舞う。
棘が、砕ける。
計算が、崩れる。
「……そんな……!」
ワタリの声が、初めて揺れた。
「身体が……もたないはず……!」
「ええ……」
京香の声は、かすれている。
足は、もう動かない。
視界も、ほとんど白い。
「……もたないわ」
それでも。
最後の一太刀を、振り抜く。
「だから……」
刃が、ワタリの正面を捉える。
「これで……いい……」
衝撃。
空間が、沈黙した。
次の瞬間。
ワタリの身体が、吹き飛ぶ。
結界の内壁に叩きつけられ、
鈍い音と共に、地面へと落ちた。
京香は、その場に崩れ落ちる。
刃が、手から零れる。
呼吸が、できない。
身体が、動かない。
それでも。
視線だけは、逸らさなかった。
ワタリは、倒れていた。
全身に、無数の裂傷。
それでも、まだ──生きている。
「……ふふ」
ワタリが、笑った。
血を吐きながら。
それでも、目だけは、光を失っていない。
「……なるほど……」
息を、整えながら。
「確かに……研究不足だったわ……」
京香は、答えない。
答えられない。
ただ、思った。
──これで、いい。
嫌いな自分になった。
壊れかけた。
それでも。
この女は、止めた。
結界の中。
花は、散り。
そして。
静かに、夜が戻ってきた。
剣の握り。
踏み込みの距離。
仕掛ける“間”。
無駄がない。
賭けに出ない。
それでいて、必ず勝ちに行く。
だから、上に行ける。
私は、違った。
焦った。
急いだ。
強さを、証明しようとした。
その結果、足を止めた。
──あなたの、すぐ後ろで。
だから、見た。
あなたが戦うたびに。
刃を振るうたびに。
“最善”を選び続ける、その思考を。
記録した。
解析した。
再現した。
貴女の美しく完璧な型──"千紫万紅"。
それを振るう姿は、まさに咲き乱れる花々。
そんな美しさ……私には、とても真似出来ない。
貴女が壱式から入る確率。
弐式に繋ぐ条件。
参式を切る“余裕”の有無。
そこまで、全部。
神谷 京香。
あなたが強いことは、疑っていない。
だからこそ──
今日は、完璧に準備した。
◆◆◆
視界が、軋んでいた。
毒が、確実に回っている。
呼吸が浅い。
踏み込みが、半拍遅れる。
それでも。
京香は、刃を構えた。
「──肆式」
声は、まだ揺れていない。
刃先が、淡く震える。
霊力が、花弁のように重なり、広がる。
「──”天竺牡丹”」
一気に、踏み込む。
"薔薇"の直線。
"紫苑"の残像。
" 白蝶草"の地形制圧。
それらを束ね、収束させた"終わらせる一撃"。
“逃げ場を与えず、必ず仕留める”ための型。
一振りの中に、高速の連撃。
刃が、ワタリへと迫る。
だが。
「……遅い」
ワタリは、半歩も動かない。
峨嵋刺が、わずかに傾く。
「肆式は、
“勝てると判断した時”に使う」
静かな声。
「でも今のあなたは、
勝ちに行っているんじゃない」
刃と刃が、擦れ違う。
京香の一撃は、確かに鋭い。
だが、ワタリの身体を捉えきれない。
「“終わらせたい”だけ」
次の瞬間。
「──”棘環”」
空間が、閉じる。
見えない棘が、円を描くように配置され、
連撃を、全て弾く。
間髪入れずに、追撃の棘。
逃げ道を、完全に塞ぐ。
「……っ!」
踏み出そうとして、
足が、言うことを聞かない。
膝が、わずかに落ちる。
「毒の進行、想定より三十秒も遅い。
流石ね」
ワタリは、感心したように言う。
「でも──
それも、ここまで」
京香の視界が、暗転しかける。
刃を支える腕が、重い。
呼吸をするたび、胸が焼ける。
囲まれている。
逃げ道はない。
型は、すべて見せた。
切れる手は、もう──
……いや。
京香は、奥歯を噛み締めた。
まだ。
“使っていない”ものが、一つだけある。
それを思い浮かべた瞬間、
胸の奥が、ひどく冷えた。
──使いたくない。
──二度と。
だが。
このままでは、確実に終わる。
刃を、落とすわけにはいかない。
守ると、決めた。
立ち続けると、決めた。
京香は、ゆっくりと息を吸う。
そして。
刃を、逆手に握り直した。
息が、浅い。
毒の影響か。
それとも、追い詰められているからか。
京香は、刃を支えに、わずかに体勢を立て直す。
正面。
ワタリは、相変わらず距離を保ったまま、こちらを見ている。
勝者の余裕。
だが、慢心ではない。
ただ──
予定通りに事が進んでいるという顔だ。
「……一つ、聞かせて」
京香が、低く言った。
「九年前。
レイの村を襲った犯人に酷似した人物が、
下界で暗躍しているって噂……」
ワタリの視線が、僅かに揺れる。
だが、否定はしなかった。
「アンタね」
断定。
「……そうよ」
あっさりと、ワタリは認めた。
「噂を流したのは、私」
京香の胸が、強く脈打つ。
「なんで……そんなことを……」
「理由?」
ワタリは、小首を傾げる。
「簡単よ」
一歩、踏み出す。
棘が、空間にざわめいた。
「あの子──レイの成長は、目を見張るものがあったわ」
淡々とした声。
事実を述べるだけの口調。
「それこそ、あの時の貴女のように」
京香の喉が、ひくりと鳴る。
「仕方なかったのよ」
ワタリは、少しだけ肩をすくめた。
「このままだと、
私の地位にまで、来てしまいそうだったもの」
一瞬。
京香の中で、何かが、音を立ててひび割れた。
「……あの子が」
声が、震える。
「あの子が……
どんな思いで、この九年間を生きてきたか……」
刃を握る手に、力がこもる。
「アンタに、分かる?」
「知ってるわ」
即答だった。
「復讐でしょう?」
ワタリの声に、微かな愉悦が混じる。
「素晴らしいわよね。
"復讐"という感情は」
一歩、また一歩。
棘が、さらに密になる。
「ここまで、人を強くする。
ここまで、優秀な戦士を育て上げる」
そして。
「それだけの力を引き出せるなら──」
淡々と、言い切った。
「村の一つや二つ、安いものじゃない?」
その瞬間。
「──黙れ」
京香の声が、夜気を裂いた。
低く。
抑えきれない怒りを孕んで。
ワタリの言葉が、止まる。
「もう……いいわ」
京香は、刃を下ろしたまま、顔を上げる。
その目にあったのは、迷いではない。
嫌悪。
怒り。
そして──決意。
──あの型は嫌いだ。
自分が、自分でなくなる。
積み上げてきたものを、全部無視する型。
だから、使わないと決めていた。
でも。
この女だけは、違う。
人の人生を弄び、
復讐を“素材”と呼び、
強さを“管理対象”と見る存在。
そんなものに。
「……アンタみたいなのにだけは」
京香の霊力が、変質する。
これまでとは、質が違う。
「絶対に、負けられない」
刃が、軋む。
空気が、沈黙する。
ワタリが、初めて目を細めた。
「……ああ、なるほど」
初めて。
計算ではない興味。
「それが、貴女の“逆鱗”なのね」
京香は、深く息を吸う。
そして──
封じていたものに、手を伸ばした。
◆◆◆
あの型は、嫌いだ。
あれは──
勝つための型じゃない。
迷いも、躊躇も、願いも。
全部切り捨てて、結果だけを残す。
それは、強い。
そして、冷たい。
だから、封じてきた。
どれだけ追い詰められても、
それだけは選ばないと、決めていた。
──けれど。
人の人生を“素材”と呼び、
復讐を“燃料”だと笑う存在を前にして。
それでも使わない、なんて言えるほど、
私は出来た人間じゃない。
利用された九年。
奪われた村。
それを「よく育った」と総括する、その思想。
……それだけは。
それだけは、否定しなければならない。
脳裏に浮かぶ。
慎重で、迷いながらも、
最善を探し続ける葉月。
剥き出しの感情で、
それでも前に進こうとするレイ。
"──ひとのころしかた………おしえて"
あの時のレイの言葉が、
ずっと、耳から離れない。
……後悔している。
この組織に、巻き込んだこと。
この戦いに、巻き込んだこと。
だからこそ──
この場所に、立たせてはいけない。
だからこそ──
この戦いは、負けて終われない。
京香は、静かに息を吸った。
嫌いな自分になる。
それでもいい。
この女を、ここで止められるなら。
「……終式」
そして、告げる。
「──" 百花斉放"」
その瞬間。
世界が、歪んだ。
否。
歪んだのは、京香自身だ。
霊力が、外へと溢れ出す。
抑え込んでいたものが、堰を切ったように解き放たれる。
痛みが、来た。
筋肉が、悲鳴を上げる。
骨の内側が、軋む。
呼吸に合わせて、全身がきしり音を立てた。
それでも。
京香は、前を向く。
「何を……する気?」
ワタリが、静かに告げた。
これまでなかった“警戒”。
得体の知れない"気配"が、膨れ上がる。
霊力の質が、違う。
制御されていない。
整っていない。
──美しくない。
ワタリが、初めてそう判断した瞬間。
「──"春紅ノ舞"」
京香の姿が、弾けた。
地面を蹴る音が、遅れて届く。
否。
一つではない。
上。
下。
横。
背後。
視界のあらゆる方向に、
京香の残像が、咲き乱れる。
「……っ!」
ワタリが、峨嵋刺を振るう。
だが、刺した感触がない。
斬撃が、降る。
跳ねる。
交差する。
防いだはずの位置から、
遅れて、血が噴き出す。
「攪乱……?
いえ、これは……」
ワタリは、歯噛みした。
これは、戦術じゃない。
──暴風だ。
配置も、距離も、意味を失う。
研究してきた“京香の戦い方”が、
次々と、無効化されていく。
「……っ、く……!」
ワタリが、距離を取ろうとした瞬間。
空気が、張り詰めた。
全ての残像が、
一点へと、収束する。
「──"争鳴ノ舞"」
一閃。
音が、遅れて来た。
それほどの速度。
一直線。
逃げ道も、読みも、関係ない。
ワタリは、咄嗟に身体を捻る。
致命は避けた。
──だが。
「……っ!」
肩口が、抉られる。
骨に、衝撃が走る。
ワタリの表情が、初めて歪んだ。
「……なるほど」
低い声。
「感情を、推進力に……」
理解は、できる。
だが。
「……合理的じゃない」
その言葉に。
京香は、笑った。
血を吐きながら。
肩を震わせながら。
「でしょうね……」
足が、震える。
既に、限界が近い。
それでも。
「だから、嫌いなのよ……この型……」
霊力が、さらに跳ね上がる。
ワタリの瞳が、細くなった。
「……やめなさい」
初めての、命令口調。
「その身体じゃ、次は──」
「──分かってる」
京香は、遮った。
視界の端が、白く滲む。
「だから……これで、終わらせる」
足に、力を込める。
その瞬間。
──筋肉が、切れた。
鈍い音。
内側から、何かが裂ける感覚。
それでも。
京香は、止まらない。
「──"繚乱ノ舞"」
世界が、砕けた。
無数の京香が、同時に現れる。
前後左右、上下。
壱式の鋭さ。
弐式の残像。
参式の制圧。
肆式の踏み込み。
すべてが、重なり合い、
一瞬にして、解き放たれる。
「……っ!!」
ワタリが、防御を捨てた。
棘を、全方位に展開。
空間そのものを、要塞に変える。
だが。
斬撃は、止まらない。
一つ。
二つ。
三つ。
血が、舞う。
棘が、砕ける。
計算が、崩れる。
「……そんな……!」
ワタリの声が、初めて揺れた。
「身体が……もたないはず……!」
「ええ……」
京香の声は、かすれている。
足は、もう動かない。
視界も、ほとんど白い。
「……もたないわ」
それでも。
最後の一太刀を、振り抜く。
「だから……」
刃が、ワタリの正面を捉える。
「これで……いい……」
衝撃。
空間が、沈黙した。
次の瞬間。
ワタリの身体が、吹き飛ぶ。
結界の内壁に叩きつけられ、
鈍い音と共に、地面へと落ちた。
京香は、その場に崩れ落ちる。
刃が、手から零れる。
呼吸が、できない。
身体が、動かない。
それでも。
視線だけは、逸らさなかった。
ワタリは、倒れていた。
全身に、無数の裂傷。
それでも、まだ──生きている。
「……ふふ」
ワタリが、笑った。
血を吐きながら。
それでも、目だけは、光を失っていない。
「……なるほど……」
息を、整えながら。
「確かに……研究不足だったわ……」
京香は、答えない。
答えられない。
ただ、思った。
──これで、いい。
嫌いな自分になった。
壊れかけた。
それでも。
この女は、止めた。
結界の中。
花は、散り。
そして。
静かに、夜が戻ってきた。
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母親を馬車の事故で亡くしたナズナは、馬車に乗っていた貴族の男性に、義理の娘として引き取られた。引き取られた先の子爵邸では、義母や義妹に傷付けられて泣いて過ごすこともあったが、懸命に生きていく。引き取られた裏には、別の理由もあったようで。
小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています。
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※カクヨム、なろうにも掲載しています
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