Frail/Little Assassin

新田朝弥

文字の大きさ
34 / 35
第4章/千荊万棘 pointing towards us

4-⑩/逆鱗

しおりを挟む
 神谷 京香は、いつも正しかった。

 剣の握り。
 踏み込みの距離。
 仕掛ける“間”。

 無駄がない。
 賭けに出ない。
 それでいて、必ず勝ちに行く。

 だから、上に行ける。

 私は、違った。

 焦った。
 急いだ。
 強さを、証明しようとした。

 その結果、足を止めた。

 ──あなたの、すぐ後ろで。

 だから、見た。

 あなたが戦うたびに。
 刃を振るうたびに。
 “最善”を選び続ける、その思考を。

 記録した。
 解析した。
 再現した。

 貴女の美しく完璧な型──"千紫万紅せんしばんこう"。
 それを振るう姿は、まさに咲き乱れる花々。
 そんな美しさ……私には、とても真似出来ない。

 貴女が壱式から入る確率。
 弐式に繋ぐ条件。
 参式を切る“余裕”の有無。

 そこまで、全部。

 神谷 京香。

 あなたが強いことは、疑っていない。

 だからこそ──
 今日は、完璧に準備した。

 ◆◆◆

 視界が、軋んでいた。

 毒が、確実に回っている。
 呼吸が浅い。
 踏み込みが、半拍遅れる。

 それでも。

 京香は、刃を構えた。

「──肆式よしき

 声は、まだ揺れていない。

 刃先が、淡く震える。
 霊力が、花弁のように重なり、広がる。

「──”天竺牡丹ダリア”」

 一気に、踏み込む。

 "薔薇ロゼ"の直線。
 "紫苑シオン"の残像。
 " 白蝶草ガウラ"の地形制圧。

 それらを束ね、収束させた"終わらせる一撃"。
 “逃げ場を与えず、必ず仕留める”ための型。

 一振りの中に、高速の連撃。
 刃が、ワタリへと迫る。

 だが。

「……遅い」

 ワタリは、半歩も動かない。

 峨嵋刺が、わずかに傾く。

「肆式は、
 “勝てると判断した時”に使う」

 静かな声。

「でも今のあなたは、
 勝ちに行っているんじゃない」

 刃と刃が、擦れ違う。

 京香の一撃は、確かに鋭い。
 だが、ワタリの身体を捉えきれない。

「“終わらせたい”だけ」

 次の瞬間。

「──”棘環きょくかん”」

 空間が、閉じる。

 見えない棘が、円を描くように配置され、
 連撃を、全て弾く。

 間髪入れずに、追撃の棘。
 逃げ道を、完全に塞ぐ。

「……っ!」

 踏み出そうとして、
 足が、言うことを聞かない。

 膝が、わずかに落ちる。

「毒の進行、想定より三十秒も遅い。
 流石ね」

 ワタリは、感心したように言う。

「でも──
 それも、ここまで」

 京香の視界が、暗転しかける。

 刃を支える腕が、重い。
 呼吸をするたび、胸が焼ける。

 囲まれている。
 逃げ道はない。

 型は、すべて見せた。
 切れる手は、もう──

 ……いや。

 京香は、奥歯を噛み締めた。

 まだ。

 “使っていない”ものが、一つだけある。

 それを思い浮かべた瞬間、
 胸の奥が、ひどく冷えた。

 ──使いたくない。

 ──二度と。

 だが。

 このままでは、確実に終わる。

 刃を、落とすわけにはいかない。

 守ると、決めた。
 立ち続けると、決めた。

 京香は、ゆっくりと息を吸う。

 そして。
 刃を、逆手に握り直した。

 息が、浅い。

 毒の影響か。
 それとも、追い詰められているからか。

 京香は、刃を支えに、わずかに体勢を立て直す。

 正面。
 ワタリは、相変わらず距離を保ったまま、こちらを見ている。

 勝者の余裕。
 だが、慢心ではない。

 ただ──
 予定通りに事が進んでいるという顔だ。

「……一つ、聞かせて」

 京香が、低く言った。

「九年前。
 レイの村を襲った犯人に酷似した人物が、
 下界で暗躍しているって噂……」

 ワタリの視線が、僅かに揺れる。

 だが、否定はしなかった。

「アンタね」

 断定。

「……そうよ」

 あっさりと、ワタリは認めた。

「噂を流したのは、私」

 京香の胸が、強く脈打つ。

「なんで……そんなことを……」

「理由?」

 ワタリは、小首を傾げる。

「簡単よ」

 一歩、踏み出す。
 棘が、空間にざわめいた。

「あの子──レイの成長は、目を見張るものがあったわ」

 淡々とした声。
 事実を述べるだけの口調。

「それこそ、あの時の貴女のように」

 京香の喉が、ひくりと鳴る。

「仕方なかったのよ」

 ワタリは、少しだけ肩をすくめた。

「このままだと、
 私の地位にまで、来てしまいそうだったもの」

 一瞬。
 京香の中で、何かが、音を立ててひび割れた。

「……あの子が」

 声が、震える。

「あの子が……
 どんな思いで、この九年間を生きてきたか……」

 刃を握る手に、力がこもる。

「アンタに、分かる?」

「知ってるわ」

 即答だった。

「復讐でしょう?」

 ワタリの声に、微かな愉悦が混じる。

「素晴らしいわよね。
 "復讐"という感情は」

 一歩、また一歩。
 棘が、さらに密になる。

「ここまで、人を強くする。
 ここまで、優秀な戦士を育て上げる」

 そして。

「それだけの力を引き出せるなら──」

 淡々と、言い切った。

「村の一つや二つ、安いものじゃない?」

 その瞬間。

「──黙れ」

 京香の声が、夜気を裂いた。

 低く。
 抑えきれない怒りを孕んで。

 ワタリの言葉が、止まる。

「もう……いいわ」

 京香は、刃を下ろしたまま、顔を上げる。

 その目にあったのは、迷いではない。

 嫌悪。
 怒り。
 そして──決意。

 ──は嫌いだ。

 自分が、自分でなくなる。
 積み上げてきたものを、全部無視する型。

 だから、使わないと決めていた。

 でも。

 この女だけは、違う。

 人の人生を弄び、
 復讐を“素材”と呼び、
 強さを“管理対象”と見る存在。

 そんなものに。

「……アンタみたいなのにだけは」

 京香の霊力が、変質する。
 これまでとは、質が違う。

「絶対に、負けられない」

 刃が、軋む。
 空気が、沈黙する。

 ワタリが、初めて目を細めた。

「……ああ、なるほど」

 初めて。
 計算ではない興味。

「それが、貴女の“逆鱗”なのね」

 京香は、深く息を吸う。

 そして──
 封じていたものに、手を伸ばした。

 ◆◆◆

 は、嫌いだ。

 あれは──
 勝つための型じゃない。

 迷いも、躊躇も、願いも。
 全部切り捨てて、結果だけを残す。

 それは、強い。
 そして、冷たい。

 だから、封じてきた。
 どれだけ追い詰められても、
 それだけは選ばないと、決めていた。

 ──けれど。

 人の人生を“素材”と呼び、
 復讐を“燃料”だと笑う存在を前にして。

 それでも使わない、なんて言えるほど、
 私は出来た人間じゃない。

 利用された九年。
 奪われた村。
 それを「よく育った」と総括する、その思想。

 ……それだけは。

 それだけは、否定しなければならない。

 脳裏に浮かぶ。

 慎重で、迷いながらも、
 最善を探し続ける葉月。

 剥き出しの感情で、
 それでも前に進こうとするレイ。

 "──ひとのころしかた………おしえて"

 あの時のレイの言葉が、
 ずっと、耳から離れない。

 ……後悔している。
 この組織に、巻き込んだこと。
 この戦いに、巻き込んだこと。

 だからこそ──
 この場所に、立たせてはいけない。

 だからこそ──
 この戦いは、負けて終われない。

 京香は、静かに息を吸った。

 嫌いな自分になる。
 それでもいい。

 この女を、ここで止められるなら。

「……終式しゅうしき

 そして、告げる。

「──" 百花斉放ひゃっかせいほう"」

 その瞬間。
 世界が、歪んだ。

 否。
 歪んだのは、京香自身だ。

 霊力が、外へと溢れ出す。
 抑え込んでいたものが、堰を切ったように解き放たれる。

 痛みが、来た。

 筋肉が、悲鳴を上げる。
 骨の内側が、軋む。
 呼吸に合わせて、全身がきしり音を立てた。

 それでも。

 京香は、前を向く。

「何を……する気?」

 ワタリが、静かに告げた。
 これまでなかった“警戒”。
 得体の知れない"気配"が、膨れ上がる。

 霊力の質が、違う。
 制御されていない。
 整っていない。

 ──美しくない。

 ワタリが、初めてそう判断した瞬間。

「──"春紅ノ舞しゅんこうのまい"」

 京香の姿が、弾けた。

 地面を蹴る音が、遅れて届く。
 否。
 一つではない。

 上。
 下。
 横。
 背後。

 視界のあらゆる方向に、
 京香の残像が、咲き乱れる。

「……っ!」

 ワタリが、峨嵋刺を振るう。
 だが、刺した感触がない。

 斬撃が、降る。
 跳ねる。
 交差する。

 防いだはずの位置から、
 遅れて、血が噴き出す。

「攪乱……?
 いえ、これは……」

 ワタリは、歯噛みした。

 これは、戦術じゃない。
 ──暴風だ。

 配置も、距離も、意味を失う。
 研究してきた“京香の戦い方”が、
 次々と、無効化されていく。

「……っ、く……!」

 ワタリが、距離を取ろうとした瞬間。

 空気が、張り詰めた。

 全ての残像が、
 一点へと、収束する。

「──"争鳴ノ舞そうめいのまい"」

 一閃。

 音が、遅れて来た。

 それほどの速度。
 一直線。

 逃げ道も、読みも、関係ない。

 ワタリは、咄嗟に身体を捻る。
 致命は避けた。

 ──だが。

「……っ!」

 肩口が、抉られる。
 骨に、衝撃が走る。

 ワタリの表情が、初めて歪んだ。

「……なるほど」

 低い声。

「感情を、推進力に……」

 理解は、できる。
 だが。

「……合理的じゃない」

 その言葉に。

 京香は、笑った。

 血を吐きながら。
 肩を震わせながら。

「でしょうね……」

 足が、震える。
 既に、限界が近い。

 それでも。

「だから、嫌いなのよ……この型……」

 霊力が、さらに跳ね上がる。

 ワタリの瞳が、細くなった。

「……やめなさい」

 初めての、命令口調。

「その身体じゃ、次は──」

「──分かってる」

 京香は、遮った。

 視界の端が、白く滲む。

「だから……これで、終わらせる」

 足に、力を込める。

 その瞬間。
 ──筋肉が、切れた。

 鈍い音。
 内側から、何かが裂ける感覚。

 それでも。

 京香は、止まらない。

「──"繚乱ノ舞りょうらんのまい"」

 世界が、砕けた。

 無数の京香が、同時に現れる。
 前後左右、上下。

 壱式の鋭さ。
 弐式の残像。
 参式の制圧。
 肆式の踏み込み。

 すべてが、重なり合い、
 一瞬にして、解き放たれる。

「……っ!!」

 ワタリが、防御を捨てた。

 棘を、全方位に展開。
 空間そのものを、要塞に変える。

 だが。

 斬撃は、止まらない。

 一つ。
 二つ。
 三つ。

 血が、舞う。

 棘が、砕ける。

 計算が、崩れる。

「……そんな……!」

 ワタリの声が、初めて揺れた。

「身体が……もたないはず……!」

「ええ……」

 京香の声は、かすれている。

 足は、もう動かない。
 視界も、ほとんど白い。

「……もたないわ」

 それでも。

 最後の一太刀を、振り抜く。

「だから……」

 刃が、ワタリの正面を捉える。

「これで……いい……」

 衝撃。

 空間が、沈黙した。

 次の瞬間。

 ワタリの身体が、吹き飛ぶ。

 結界の内壁に叩きつけられ、
 鈍い音と共に、地面へと落ちた。

 京香は、その場に崩れ落ちる。

 刃が、手から零れる。

 呼吸が、できない。
 身体が、動かない。

 それでも。

 視線だけは、逸らさなかった。

 ワタリは、倒れていた。
 全身に、無数の裂傷。

 それでも、まだ──生きている。

「……ふふ」

 ワタリが、笑った。

 血を吐きながら。
 それでも、目だけは、光を失っていない。

「……なるほど……」

 息を、整えながら。

「確かに……研究不足だったわ……」

 京香は、答えない。
 答えられない。

 ただ、思った。

 ──これで、いい。

 嫌いな自分になった。
 壊れかけた。

 それでも。

 この女は、止めた。

 結界の中。
 花は、散り。

 そして。

 静かに、夜が戻ってきた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

この離婚は契約違反です【一話完結】

鏑木 うりこ
恋愛
突然離婚を言い渡されたディーネは静かに消えるのでした。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

ねえ、テレジア。君も愛人を囲って構わない。

夏目
恋愛
愛している王子が愛人を連れてきた。私も愛人をつくっていいと言われた。私は、あなたが好きなのに。 (小説家になろう様にも投稿しています)

道化たちの末路

希臘楽園
ファンタジー
母亡き後、継承権もない父と愛人母娘が公爵家を狙い始めた。でも私には王太子という切り札がいる。半年間、道化たちが踊るのを、私たちは静かに楽しんで見ていた。AIに書かせてみた第3弾。今回も3000文字程度のお気楽な作品です。

後の祭り 

ねこまんまときみどりのことり
ライト文芸
 母親を馬車の事故で亡くしたナズナは、馬車に乗っていた貴族の男性に、義理の娘として引き取られた。引き取られた先の子爵邸では、義母や義妹に傷付けられて泣いて過ごすこともあったが、懸命に生きていく。引き取られた裏には、別の理由もあったようで。  小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています。

出戻り娘と乗っ取り娘

瑞多美音
恋愛
望まれて嫁いだはずが……  「お前は誰だっ!とっとと出て行け!」 追い返され、家にUターンすると見知らぬ娘が自分になっていました。どうやら、魔法か何かを使いわたくしはすべてを乗っ取られたようです。  

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

短編)どうぞ、勝手に滅んでください。

黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。 あらすじ) 大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。 政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。 けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。 やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。 ーーー ※カクヨム、なろうにも掲載しています

処理中です...