Brain/緑の章

新田朝弥

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第1章/世にも奇妙な贈り物 Chain of Misfortune

1-②/Chain of Misfortune

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 ──待って!

 ──どこ行くの!

 ──今はやめろって!

 静止を振り切って、私は扉を開ける。

 外は、雨。
 風こそ無いけど、雲行きからして、荒れそうな気配だ。

 ……やめた方が、いい?

 ううん。
 あの人が見たいって言ってた。
 だから私は、見せたい。

 オルゴールを、胸の中で握り締める。
 冷たいはずの木が、掌の熱で少しだけあたたかくなる。

 ──私から彼への、贈り物。






 ── Chain of Misfortune

 ◆◆◆

 西園寺邸は、異様なまでの静かさだった。

 住宅街の奥。
 檻のような鉄柵。
 無駄に広い敷地に、無駄に重厚な門構え。
 煉瓦造りの外壁に、尖った屋根。
 日本に建っているくせに、どう見ても日本の家じゃない。

 門をくぐった瞬間から、空気が変わる。

 足元は石畳。
 靴底が当たるたび、乾いた音がやけに響いた。

「……落ち着かねぇな」

 俺がぼそりと漏らすと、前の薊が肩越しに手だけ振った。

「静かに歩きな」

「はいはい」

 玄関扉は、分厚い木製だった。
 ノブに手をかけた薊が、躊躇なく押し開ける。
 ——きぃ、と低い音。

 中は、さらに別世界だ。
 高い天井。
 赤絨毯。
 壁には年代物らしい絵画と、鹿の剥製。

 生活感はある。
 だが、人の気配が薄い。

 俺の足音だけが、やけに大きい。
 廊下を進むにつれ、
 胸の奥が、じわじわ冷えていく。

「ここ」

 薊が立ち止まった。
 突き当たりの、重厚な扉。
 取っ手は真鍮製で、手入れが行き届いている。
 ノックもなしに、薊は扉を押し開けた。

「連れてきた」

「どうぞ」

 低く、落ち着いた声。

 扉の向こうは、書斎だった。

 そこは、重かった。
 言葉じゃない。
 空気そのものが、そう感じさせた。

 窓際には、重たいカーテン。
 昼間だというのに、光は最小限しか入らない。

 部屋の中央には、重厚なオーク材のデスク。
 天板には、磨かれた万年筆、真鍮のペーパーウェイト、
 そして、年代物のシガーボックス。
 煙草の匂いはしない。
 だが、吸っていた過去は、はっきり分かる。

 壁一面の本棚。革装丁の洋書。
 その間に、背表紙が日本語の経営書が数冊だけ混じっている。
 デスクの端には海外企業の年次報告書。開いたままのページに付箋。

 仕事場だ、と一目で分かる。

 椅子に腰掛けていた男が、立ち上がった。

 薊の夫──西園寺 豊春さいおんじ とよはる
 スーツは仕立てがいいが、派手さはない。
 体格はがっしりしていて、肩幅が広い。
 無駄な肉は一切なく、鍛えられているのが分かる。

 俺を見ても、すぐに視線を逸らさない。
 それだけで、
 「この人は、相手を測る側だ」と分かった。

「久しぶりだな、翠人あきと

 声は低く、落ち着いている。
 感情が混じらない。

「……どうも」

 返すだけで、喉が少し乾いた。

 豊春は、
 書斎の端に置かれたサイドテーブルへ向かった。
 そこには、
 銀のトレイと、陶器のティーセット。
 湯気が、わずかに立っている。

「飲むか?」

「……ああ」

 断る理由はなかった。
 カップを差し出される。
 紅茶だ。
 砂糖もミルクも入っていない。
 一口含む。
 苦みが強い。
 だが、後味はすっと消える。

「好みは変わってないようだ」

「覚えてたんすね」

義弟おとうとの好みは、忘れないさ」

 それだけ言って、椅子に戻る。

 机の上にはすでに一通の封筒が開かれていた。
 豊春宛ての依頼人の手紙だと分かる。薊が勝手に読んだんだろう。

 その横に、布包み。

「それが案件?」

 薊が肩越しにこっちを見る。

「そう。あの人が前から相談受けてたやつ」

「手紙だけ先に来てたんだよ」

 豊春が封筒を指で押さえた。

「依頼人からは、断片しか出てこなかった。物の話ばかりでね。肝心の名前も住所も出さない」

 淡々としている。
 なのに、話の中身だけが湿っている。

「じゃあ、この包みも依頼人が持ってきた……?」

「いや」

 薊が食い気味に切る。

「“届いた”」

 豊春が頷く。
 机の引き出しを開け、そこから紙を一枚取り出して差し出した。
 宅配便の伝票の控え。
 差出人欄は空白。
 筆跡もない、印字だけの無機質な紙。

「送り主不明。前触れもない。なのに、これだけ丁寧だ」

 包みを指先で弾く。
 布は古いのに、汚れていない。
 保管されていた匂いがする。
 人の家の匂い、というより、長い間“出番を待っていた匂い”。

「……やっぱり、いやな予感しかしねぇ」

 ため息混じりに言うと、薊が鼻で笑った。

「珍しく同意」

 豊春が、ようやく紐をほどいた。
 音を立てない。布を開くと、内側から小さな木箱が現れた。
 手のひらに乗る程度。古びているのに、角が不自然に滑らかで、触れるのをためらわせる艶がある。

 蓋には飾りも銘もない。
 なのに、目が離れない。

「開けるぞ」

 豊春はそう短く断って、蓋を持ち上げた。

 中にあったのは、オルゴールだった。

 黒ずんだ金具、擦れた塗装。
 古いのに、捨てられた物の顔じゃない。
 むしろ、手放したくなくて何度も握りしめられてきた痕のある顔。

 薊が一歩、近づいた。腕組みを解かないまま、覗き込む。

「……これ、高いやつじゃないの?」

「いや、よく出来ているが、アンティーク調に加工されているだけの安物だな」

 豊春が説明する横で、俺はじっくりとそれを観察する。
 
「触ってもいい?」

 豊春は答える代わりに、引き出しから白い手袋を出して机に置いた。

「それを使え」

 差し出された手袋をして、オルゴールのネジを回す。
 流れてきたのは──「きらきら星」。
 何の捻りもない選曲に、肩透かしを食らう。

「──“これを所持した者は、一週間以内に不幸に見舞われる”」

 薊が、憶えた台詞を吐き出すみたいに言う。

 見ると、依頼人の物と思われる手紙を読み上げている。
 すかさず隣の豊春が、補足を入れる。

「しかも、段階が上がるそうだ。最初に送られた人は落し物。次の人は転倒。次は怪我。……その次は、事故」

「じゃあ……前回の人は?」

 俺の問いに一拍置いて、豊春の視線がオルゴールへと向けられる。

「交通事故。『九死に一生』の大事故だったそうだ」

 空気が、ぴしりと張る。

 薊の目が豊春に向く。豊春は目を逸らさないが、表情が動かない分だけ怖い。

「つまり」

 俺は、ストレートに思ったことを口にする。

「次は、確実に死ぬレベルってこと?」

 薊が舌打ちする。

「言い方」

「でもそうだろ」

 豊春が、息を一つ吐いた。

「可能性は高い。前の被害者は受け取って六日後に事故に遭った。……そして、これは」

 伝票控えを机に置く。

「三日前に届いている」

 背中に冷たいものが走った。

「残り四日?」

「最長で一週間。だが平均はもっと短い。
 届いた当日に事故に遭った被害者もいる」

 豊春の声は静かだった。静かなのに、もう“時間がない”と決まっている声だった。

 薊が、苛立ちを隠さずに言う。

「……だから私は言ったんだよ。放っておけって」

「呪いなんて、ねぇだろ」

 俺は口ではそう言いながら、オルゴールから目を離せなかった。理屈じゃない。これ、嫌な奴が仕掛けた“道具”の匂いがする。

「それと、もう一つ」

 豊春が、薊の持つ依頼人からの手紙に目を向ける。

「“公式に贈られてこない場合がある”」

 薊が改めて手紙を見返し、眉をひそめる。

「どういうこと?」

「不幸に見舞われた被害者の近くに、気づいたらオルゴールが置いてあった。そう証言している例がある」

「……それ、都合よすぎねぇ?」

 俺が言うと、豊春が小さく頷いた。

「そう。だから私は“呪い”ではなく、“人”を疑っている」

 言葉の最後が、少しだけ硬い。豊春はここで、探偵役の顔になる。でも今回は、その探偵役が標的でもある。

 薊が、机を指で叩く。

「で、あんたはどうするの」

「予定は変えない」

 豊春は迷わず答えた。

「これから母校で講演がある。外せない」

 その言葉に、薊の視線が一瞬だけ落ちたのを見逃さなかった。

 母校。

 俺には関係ない場所のはずなのに、妙に引っかかる。

 “交通事故の次”
 “車移動”
 “残り四日”

 偶然にしては揃いすぎだ。

 俺は立ち上がった。椅子の脚が床を擦る音がやけに大きい。

「どこ行くの」

 薊の声が追ってくる。俺は振り返らずに答えた。

「ガレージ」

「……は?」

「呪いなら止められねぇ。でも、仕組まれた事故なら止められる」

 豊春が一瞬だけ目を細めた。止めるでも笑うでもない。ただ、判断を委ねる目。

「頼む」

 その一言で、体が軽くなる。

 嫌な予感が、やる理由に変わった。













 1-②/Chain of Misfortune~不幸の連鎖~
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