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③/借りものの時間
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葛城が帰ったあと、部屋の空気がしばらく動かなかった。
煙草は吸っていなかったはずなのに、焦げたような匂いが抜けない。
「……何なんだよ、あの人」
思ったより、棘のある声が出た。
緋菜は少しだけ間を置いた。
「昔、仕事で関わってた人」
「仕事って」
分かっているくせに、聞く。
「……市場」
はっきりとは言わない。
でも、それで十分だった。
「まだ続いてるって、本当?」
「一部は、ね」
即答しないところが、余計に現実味を帯びる。
俺はソファに腰を落とす。
「じゃあ、何。
姉ちゃんの三年も、まだどこかで回ってるかもしれないってこと?」
言いながら、胃の奥が重くなる。
「分からない」
緋菜は首を振る。
「でも、ゼロとは言えない」
沈黙。
壁の時計の音が、やけに耳につく。
「……ふざけんなよ」
思わず、強い声が出た。
怒りなのか、何なのか、自分でも分からない。
「終わったんじゃなかったのかよ」
緋菜は何も言わない。
俺は勢いのまま、立ち上がる。
「俺さ」
言葉が荒くなっていくのが、自分でも分かる。
「会ったこともない人間の名前、勝手に名乗って」
一瞬、緋菜の表情が揺れる。
「勝手に三年もらって」
「裕翔」
「感謝しろって空気もあって」
止まらない。
……止められない。
「でも、俺に選択肢なんてあったか?」
静まり返る。
言ってしまってから、胸が痛む。
分かっている。
これは絶対に、姉に向ける言葉じゃない。
でも。
「俺は……頼んでない」
自分で言っていて、最低だと思う。
それでも、口に出てしまう。
緋菜はしばらく黙っていた。
怒るでもなく、泣くでもなく。
「……そうだね」
静かな声だった。
「あなたは、頼んでない」
その肯定が、逆にきつい。
「でもね」
ゆっくり続ける。
「私は、決めたの」
目が逸れない。
「私は、あなたが生きる未来を取った」
強い。
全く、揺れていない。
俺は視線を落とす。
何も、言い返せなかった。
◆◆◆
夜、ベランダで風に当たっていると、スマホが震えた。
『生きてる?』
透花だ。
『死んでたら返せないだろ』
『そういう冗談、嫌い』
既読がすぐに返る。
じゃあ、そんなメッセージ送ってくるなよと思いつつ、胸に秘めるだけに留める。
『──あの人、来たんでしょ?』
指が止まる。
背筋に悪寒が走る。
一瞬、辺りを見回すが、もちろん、近くには誰もいない。
『誰から聞いた』
『察する能力ぐらい、あるよ』
やっぱり、こいつは知っている。
『あなたは、動くの?』
『動くって?』
『市場のこと』
単刀直入だ。
『分からない』
『分からない、分からない。そればっかり』
苛立ちが混じる。
ホントに逆撫でするヤツだな、こいつ。
返す文に迷っていると、
『じゃあ、聞くけどさ』
続けて、送られてくる。
『あなたは、アレがあって良かったと思ってる?』
画面を見つめる。
──"良かった"。
その言葉は、あまりに軽い。
『俺は、生きてる』
『それは結果』
『それ以外に何がある』
少し間が空く。
『代わりに削られた人のこと』
短い。
それだけ。
俺は手すりを握る。
やけに、冷たい。
──三年を、失った人。
姉。
それから、もう一人。
会ったことのない男。
鷹宮 蓮。
腹の奥が、ざらつく。
『……知らないよ』
本音だった。
『俺は、知らない』
『なら、知りに行けば?』
すぐに返る。
『もし壊す気なら、ちゃんと全部見てからにしなよ』
透花は、憎んでいる。
でも、感情だけで動いている訳ではない。
それが余計に怖い。
◆◆◆
翌日。
大学近くの喫茶店に、葛城はいた。
煙草は吸っていない。
代わりに、ブラックコーヒーを前にしている。
「お、来たか」
「話があるって言ったの、そっちだろ」
向かいに座る。
葛城は俺をまじまじと見る。
「姉ちゃんに聞いたか」
「大体は」
「で?」
試す目だ。
心の中で深呼吸をして、
俺は意を決して問う。
「抜け道って、何だ」
葛城は、わずかに笑った。
「市場はな、完全な匿名じゃない」
指でテーブルを軽く叩く。
「血液の移動は、必ず医療機関を通る」
淡々と語るが、考えれば当たり前のことだ。
「表のデータと、裏のデータ。
照合すれば、必ず綻びが出る」
「それ、違法じゃないのか」
「まあな。当然、全部合法の顔してやってる」
尚も、淡々と言う。
「だから厄介なんだ」
葛城はコーヒーを一口飲む。
「潰すとなると、証拠がいる」
視線が上がる。
「君は医学生だ」
胸の奥が、わずかにざわつく。
「内部に近づける可能性がある」
それは、誘いだ。
同時に、利用でもある。
「俺に何をさせたい」
「まずは、見てみろ」
短い。
「君の三年が、どう扱われてるか」
喉が、渇く。
俺はまだ、
白鷺だ。
白鷺 裕翔。
でも。
姉が俺の為に削った時間を、
何も知らないまま使い続ける気はない。
それは、卑怯だと思うから。
煙草は吸っていなかったはずなのに、焦げたような匂いが抜けない。
「……何なんだよ、あの人」
思ったより、棘のある声が出た。
緋菜は少しだけ間を置いた。
「昔、仕事で関わってた人」
「仕事って」
分かっているくせに、聞く。
「……市場」
はっきりとは言わない。
でも、それで十分だった。
「まだ続いてるって、本当?」
「一部は、ね」
即答しないところが、余計に現実味を帯びる。
俺はソファに腰を落とす。
「じゃあ、何。
姉ちゃんの三年も、まだどこかで回ってるかもしれないってこと?」
言いながら、胃の奥が重くなる。
「分からない」
緋菜は首を振る。
「でも、ゼロとは言えない」
沈黙。
壁の時計の音が、やけに耳につく。
「……ふざけんなよ」
思わず、強い声が出た。
怒りなのか、何なのか、自分でも分からない。
「終わったんじゃなかったのかよ」
緋菜は何も言わない。
俺は勢いのまま、立ち上がる。
「俺さ」
言葉が荒くなっていくのが、自分でも分かる。
「会ったこともない人間の名前、勝手に名乗って」
一瞬、緋菜の表情が揺れる。
「勝手に三年もらって」
「裕翔」
「感謝しろって空気もあって」
止まらない。
……止められない。
「でも、俺に選択肢なんてあったか?」
静まり返る。
言ってしまってから、胸が痛む。
分かっている。
これは絶対に、姉に向ける言葉じゃない。
でも。
「俺は……頼んでない」
自分で言っていて、最低だと思う。
それでも、口に出てしまう。
緋菜はしばらく黙っていた。
怒るでもなく、泣くでもなく。
「……そうだね」
静かな声だった。
「あなたは、頼んでない」
その肯定が、逆にきつい。
「でもね」
ゆっくり続ける。
「私は、決めたの」
目が逸れない。
「私は、あなたが生きる未来を取った」
強い。
全く、揺れていない。
俺は視線を落とす。
何も、言い返せなかった。
◆◆◆
夜、ベランダで風に当たっていると、スマホが震えた。
『生きてる?』
透花だ。
『死んでたら返せないだろ』
『そういう冗談、嫌い』
既読がすぐに返る。
じゃあ、そんなメッセージ送ってくるなよと思いつつ、胸に秘めるだけに留める。
『──あの人、来たんでしょ?』
指が止まる。
背筋に悪寒が走る。
一瞬、辺りを見回すが、もちろん、近くには誰もいない。
『誰から聞いた』
『察する能力ぐらい、あるよ』
やっぱり、こいつは知っている。
『あなたは、動くの?』
『動くって?』
『市場のこと』
単刀直入だ。
『分からない』
『分からない、分からない。そればっかり』
苛立ちが混じる。
ホントに逆撫でするヤツだな、こいつ。
返す文に迷っていると、
『じゃあ、聞くけどさ』
続けて、送られてくる。
『あなたは、アレがあって良かったと思ってる?』
画面を見つめる。
──"良かった"。
その言葉は、あまりに軽い。
『俺は、生きてる』
『それは結果』
『それ以外に何がある』
少し間が空く。
『代わりに削られた人のこと』
短い。
それだけ。
俺は手すりを握る。
やけに、冷たい。
──三年を、失った人。
姉。
それから、もう一人。
会ったことのない男。
鷹宮 蓮。
腹の奥が、ざらつく。
『……知らないよ』
本音だった。
『俺は、知らない』
『なら、知りに行けば?』
すぐに返る。
『もし壊す気なら、ちゃんと全部見てからにしなよ』
透花は、憎んでいる。
でも、感情だけで動いている訳ではない。
それが余計に怖い。
◆◆◆
翌日。
大学近くの喫茶店に、葛城はいた。
煙草は吸っていない。
代わりに、ブラックコーヒーを前にしている。
「お、来たか」
「話があるって言ったの、そっちだろ」
向かいに座る。
葛城は俺をまじまじと見る。
「姉ちゃんに聞いたか」
「大体は」
「で?」
試す目だ。
心の中で深呼吸をして、
俺は意を決して問う。
「抜け道って、何だ」
葛城は、わずかに笑った。
「市場はな、完全な匿名じゃない」
指でテーブルを軽く叩く。
「血液の移動は、必ず医療機関を通る」
淡々と語るが、考えれば当たり前のことだ。
「表のデータと、裏のデータ。
照合すれば、必ず綻びが出る」
「それ、違法じゃないのか」
「まあな。当然、全部合法の顔してやってる」
尚も、淡々と言う。
「だから厄介なんだ」
葛城はコーヒーを一口飲む。
「潰すとなると、証拠がいる」
視線が上がる。
「君は医学生だ」
胸の奥が、わずかにざわつく。
「内部に近づける可能性がある」
それは、誘いだ。
同時に、利用でもある。
「俺に何をさせたい」
「まずは、見てみろ」
短い。
「君の三年が、どう扱われてるか」
喉が、渇く。
俺はまだ、
白鷺だ。
白鷺 裕翔。
でも。
姉が俺の為に削った時間を、
何も知らないまま使い続ける気はない。
それは、卑怯だと思うから。
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