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第1章/暗号館の番人 a girl in sleet
1-⑤/in remembrance of one's mother
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「当時は小学生だったから前後の記憶が曖昧な部分もあるけど、あの日の出来事だけは、今でも鮮明に覚えてるんだ」
僕は噴水の水音を背景に、当時のことを思い出しながら話し始めた。
「──いや、正しくは、『忘れたくても忘れられない』、かな」
◆◆◆
──十年前の、ある雨の日。
空はまるで、何かを悼むように、泣き続けていた。
母──明智 楓の訃報が、何の前触れもなく告げられた。
何が起きたのか分からないまま、僕は父の背中について行った。
小学生だった僕には、考える余地すら、与えられなかった。
意味も分からないまま始まった通夜。棺の中の母は、眠っているだけのように見えた。驚くほど白い肌は、生きていた頃と変わらず、ただ静かだった。
不思議と、涙は出なかった。
現実が、まだ感情に追いついていなかったのだと思う。
隣に立つ父は、棺を見つめたまま一言も発さなかった。その横顔は、何かを必死に押し殺しているようにも見えた。
通夜が進むにつれ、集まった人々が母の思い出を語り始めた。
図書館司書だった母は顔が広く、多くの人に慕われていたらしい。
優しかった、気配りの人だった──
そんな言葉が重なるたび、胸の奥がじくりと痛んだ。
その夜、家に戻ると、家はひどく静かだった。笑い声も、台所の物音もない。
「蒼空、おかえり。ご飯できてるよ」
いつも聞こえていた声が、もうどこにもない。
寝床に入って目を閉じても、母の顔ばかりが浮かんだ。
天井に向けて伸ばした手は、何も掴めない。
もう届かない場所に行ってしまったのだと、その事実だけが、残酷なほど鮮明だった。
その日から、僕の心には、穴が開いたままだ。
時間が経てば、自然と埋まるものだと、思っていた。
その後、父は不自然なほど母の話を避けた。
遺品は早々に片づけられ、家の中は簡素になっていった。
まるで──
『明智 楓』という人が、最初から存在しなかったかのように。
僕たちは最低限の会話しかしなくなり、家は静まり返った。
何か大切な約束を忘れている気がする。
けれど、その“違和感”に目を向ける余裕すら、当時の僕にはなかった。
◆◆◆
いつだったかの五月初旬──『母の日』の何気ない会話の中だったと思う。ふと、学校の友達が、楓のことを話題に出した。「蒼空のお母さん、すごく優しかったよね。」その言葉が胸に刺さり、僕は思わず目を伏せた。友達はその反応に気づき、何か言いかけたが、言葉を飲み込んだ。
その瞬間、母の存在が、どれほど大きかったのかを、改めて実感した。彼女がどれだけ周りの人々に愛され、そして愛を注いでいたのか。そのことを知っているのは、僕と父だけではないのだと。
そんな頃だった。父が警察を辞め、探偵業に転職すると言い出した。会話を交わすには絶好のきっかけだった。
「──探偵? どうしてさ、いきなり」
「まぁ、知り合いにツテがあってな。心機一転ってやつだ」
──何故、ここにきて転職するのか、確信や証拠があった訳じゃないが、母の為だというのはすぐに解った。
表向きには『心不全』とされた母の死だったが、母は軽度の風邪すら滅多に引かない、僕が知る中でも無類の健康体な人だった。心臓病や高血圧等なんかとも無縁の人で、病死など考えられない。まだ、交通事故の方が納得がいく。
警察、ましてや父であれば、すぐにでも怪しんで捜査しそうなものだが、そういった様子は見られなかった。
理由は分からないが、警察にとって都合の悪い『何か』が絡んでいるのか……。子供ながらに、そんなことを考えていた。
いずれにせよ、警察という組織の中では、この件を追求できないと判断したに違いない。
母の死から約十年──父が頑なにこの話をしてこないのは、僕を危険に巻き込まない為だというのは分かっている。分かっているが……。
どんな理由であれ、母の存在を無かったことのように振る舞った父のことを、僕は許せないでいた。
母がいたからこその、明智家であり、家族が家族でいられる理由なのだから。
ただ、僕も母の死の真相を知りたい思いが強い。その一心で、あえて父の力を借りず、自分なりに母の死について調べている──。
◆◆◆
「──も~、バカじゃん」
話が一段落した途端、突如浴びせられる、ストレートな罵声。見ると、神津さんが呆れ顔を見せている。
「強がってないで協力し合えばいいじゃん。先輩スッゴイ頭良いのに、そんな先輩でもお父さんでも十年も分からない事なんでしょ? だったら二人で協力するしか選択肢ないじゃない」
「それは……そうなんだけどさ」と、僕は言葉を濁した。神津さんの言葉には一理ある。
事実、一般に公表されている情報が限りなく少ない為、自分に出来る事といえば近隣での聞き込みや、当日のニュースの洗い出しぐらいしかない。
これでは、すぐに行き詰まるのは必然だった。
一般人、しかも子どもが出来ることなどたかが知れている。
無論、そんなことは自分でも分かっている。『強がっている』というのも、まさしく、その通りだ。
父が僕を守ろうと秘密裏に動いているのを感じる度、意地でも頼りたくないと思ってしまっている自分が居る。
これでは、もはや反抗期を拗らせていると、言われても仕方ない。
神津さんは続ける。
「分かるよ、先輩の気持ち。私もパパとは最近疎遠だし、都合の悪い時だけ子ども扱いされることも多いしさ。正直、信用出来ないって思うこともある。だけど、もう一度話し合ってみるべきだよ。お父さんも、きっと心の中では先輩の為に色んなこと考えてるはずだから」
僕が押し黙ったままでいると、神津さんはムッとした表情で「シャキッとしなよ」とでも言うように、僕の背中を軽く叩く。
「それこそ、私はパパとはもう二年ぐらい顔合わせてないけど──」
神津さんはそう言って、腰掛けていた噴水の縁から、ひょいっと降り、こちらへ振り返る。
「──私と違ってさ、先輩達は話せる距離に居るんだから。心の距離だけ離れてるなんて、勿体無いよ」
神津さんの言葉には、真剣な響きと力強さがあった。彼女の目は、僕の心を見透かすようにまっすぐに向けられている。僕は少し戸惑いながらも、そのまっすぐな視線を受け止めた。
「ありがとう、神津さん。なんか……ダメな先輩だね」
「うん、そうだね。だったら、汚名返上しないと」
そう言うと、神津さんは悪戯っぽく笑った。彼女の元気な笑顔は、今の僕にとっては小さな希望の光のように感じられた。
心なしか、肩の荷が少し、降りた気がした。
今日会ったばかりの、しかも年下の高校生に諭されているようでは、母さんに笑われるだろうな……。
居場所の目処こそ立っていないが、父さんに会えたら、ちゃんと面と向かって話をしよう。
「じゃあ、この話はお終い! まだ料理全然食べてないし、食べよ!」
無邪気な笑顔で、神津さんは料理が並べられているテーブルへ小走りで向かう。
見ると、西園寺さんを囲むように人集りが出来ている。
自分もそこへ行こうとした瞬間、不意に後ろから呼び止められた。
「──おや、明智様」
振り返ると、見覚えのある背の高い執事服。正面入口に居た門番の男性だ。
「あ、門番の……」
「執事長をさせていただいております、『バトラー』と申します。お見知り置きを」
── butler(バトラー)、直訳で『執事』という意味だ。つまりは、この館での彼の使用人としての呼び名だろう。
深々と一礼する執事──バトラーさんに、僕も会釈で返す。
·········あれ、そういえば、僕、この人に名乗ったっけ?
「パーティーは楽しんでおられますか?」
「ええ、楽しいですよ。料理も豪華だし、この噴水も凄く迫力あって、圧倒されます」
「当館の名物みたいな物ですからね。この噴水の由来は聞きましたか?」
「はい、若いメイドさんから少し」
「『アリサ』ですかね。まだ若く新人なので、お客様に失礼がなければいいのですが……」
あのメイドさん、アリサさんっていうのか。そっか、僕の名前もアリサさんから聞いたのかもしれない。などと考えていると、
「では、少し余興でもしましょうか」
そう言って、バトラーさんは一枚の紙を取り出す。手渡されたそれには、絵が描かれている。色鉛筆で綺麗に着色されており、恐らく小学生ぐらいの子どもが描いたものだろう。
「えーっと、太陽と……なんだこれ?」
そこに書かれていたのは、赤く描かれた太陽と思われる絵と、その隣に青を基調とした髭の老人のような人物。手に持っているのは……フォークだろうか? いや、大きさ的にこれは──。
「──それは、今は亡き美雪お嬢様が残したとされている、暗号の一つです」
「……亡き?」
反射的に聞き返していた。
バトラーさんは一瞬だけ視線を伏せ、静かに頷く。
「ええ。以前この館に住まわれていた旦那様のご令嬢でして。残念ながら、お嬢様は病で亡くなられています」
亡くなっている──その言葉が、妙に重く胸に残った。
それなのに、この暗号からは、生きていた頃の、どこか無邪気な温度が感じられる。
子どもの描いた絵。遊び心のある謎。
まるで、“まだここにいる”とでも、言うように。
「その旦那様は、今どうしてるんですか?」
「お嬢様が亡くなられて、すぐに館を売却されました。行先も特に告げられなかったので、今は何処に居るかも分かりません」
なるほど。さっきアリサさんから聞いた話と大体同じだ。
「そうですか……。じゃあバトラーさんは、主人が変わっても、変わらずここに仕えてるんですね」
「ええ。見習い時代からずっとですね。かれこれ十五年、私にとっては、この館は生まれ故郷も同然なんです」
「なるほど。すみません、個人的な事まで聞いてしまって」
「いえ、お客様としっかり会話する機会など滅多にないので。むしろ光栄です」
バトラーさんは柔らかい表情で頬笑みを浮かべる。
背が高く威圧感こそあるが、話してみれば温厚で良い人だ。人は見かけによらないとはまさにこの事か。
僕はここで、先程から引っ掛かっていたことを聞いてみる。
「もしかしてなんですけど……二階の星座の暗号も、美雪さんが作ったものだったりしますか?」
「おや。何故そう思われたのです?」
僕は一度、頭の中で整理してから答えた。
「星座のマークの位置が、妙に低かったんです。大人が描いたにしては不自然で……子どもの背丈に近い高さだった」
一瞬の沈黙。
それから、バトラーさんは感心したように目を細めた。
「素晴らしい。まさにその通りです」
胸の奥で、小さく、何かが噛み合う音がした。
暗号は、誰かに見せるためのものじゃない。
“遊び”の延長だったのだ。
「美雪お嬢様は、当時暗号作りに夢中でしてね。新しく出来たご友人の影響だとか。よく出来ていたもので、僭越ながら今回、お客様への余興の一環として使用させていただきました」
バトラーさんは感嘆の言葉と共に拍手を送ってくれた。面と向かって褒められると、なんだか照れくさい。
館中に残された暗号。
それは、彼女が確かにここで生きていた証だった。
「ちなみに、二階の暗号は旦那様の書斎の場所、この暗号は一階にある美雪お嬢様の部屋の場所を、それぞれ表しています」
「なるほど、美雪さんの部屋。中々に凝ってますね」
バトラーさんは頷きながら続ける。
「ええ、この館にはお嬢様の思い出が詰まっています。旦那様も使用人の者達も、お嬢様の意志を継ぎ、訪れた方々にも楽しんでもらいたいと思い、こうした工夫をしています。この館に隠された暗号の殆どが、美雪お嬢様考案のものですからね。ほぼ全てが、当時のまま残されています」
なるほど、感心するばかりだ。
事前情報とはだいぶ違う。この館の『暗号館』という異名と、西園寺 豊春という人物に纏わる噂から、主人の西園寺さんが暗号を考えて出題していると思っていたが、どれもこれも美雪お嬢様が作った物だったということか。
館全体で、彼女の残した暗号を、十年もの間、守り続けている。差し詰め、『暗号館の番人達』といったところか。
「ありがとうございます。俄然興味が湧いてきました」
暗号文片手に、僕は中庭を後にする。
神津さんはまだ食事に夢中になっている。まあ、少しの間なら放っておいても問題ないだろう。
1-⑤/in remembrance of one's mother~母の記憶~
僕は噴水の水音を背景に、当時のことを思い出しながら話し始めた。
「──いや、正しくは、『忘れたくても忘れられない』、かな」
◆◆◆
──十年前の、ある雨の日。
空はまるで、何かを悼むように、泣き続けていた。
母──明智 楓の訃報が、何の前触れもなく告げられた。
何が起きたのか分からないまま、僕は父の背中について行った。
小学生だった僕には、考える余地すら、与えられなかった。
意味も分からないまま始まった通夜。棺の中の母は、眠っているだけのように見えた。驚くほど白い肌は、生きていた頃と変わらず、ただ静かだった。
不思議と、涙は出なかった。
現実が、まだ感情に追いついていなかったのだと思う。
隣に立つ父は、棺を見つめたまま一言も発さなかった。その横顔は、何かを必死に押し殺しているようにも見えた。
通夜が進むにつれ、集まった人々が母の思い出を語り始めた。
図書館司書だった母は顔が広く、多くの人に慕われていたらしい。
優しかった、気配りの人だった──
そんな言葉が重なるたび、胸の奥がじくりと痛んだ。
その夜、家に戻ると、家はひどく静かだった。笑い声も、台所の物音もない。
「蒼空、おかえり。ご飯できてるよ」
いつも聞こえていた声が、もうどこにもない。
寝床に入って目を閉じても、母の顔ばかりが浮かんだ。
天井に向けて伸ばした手は、何も掴めない。
もう届かない場所に行ってしまったのだと、その事実だけが、残酷なほど鮮明だった。
その日から、僕の心には、穴が開いたままだ。
時間が経てば、自然と埋まるものだと、思っていた。
その後、父は不自然なほど母の話を避けた。
遺品は早々に片づけられ、家の中は簡素になっていった。
まるで──
『明智 楓』という人が、最初から存在しなかったかのように。
僕たちは最低限の会話しかしなくなり、家は静まり返った。
何か大切な約束を忘れている気がする。
けれど、その“違和感”に目を向ける余裕すら、当時の僕にはなかった。
◆◆◆
いつだったかの五月初旬──『母の日』の何気ない会話の中だったと思う。ふと、学校の友達が、楓のことを話題に出した。「蒼空のお母さん、すごく優しかったよね。」その言葉が胸に刺さり、僕は思わず目を伏せた。友達はその反応に気づき、何か言いかけたが、言葉を飲み込んだ。
その瞬間、母の存在が、どれほど大きかったのかを、改めて実感した。彼女がどれだけ周りの人々に愛され、そして愛を注いでいたのか。そのことを知っているのは、僕と父だけではないのだと。
そんな頃だった。父が警察を辞め、探偵業に転職すると言い出した。会話を交わすには絶好のきっかけだった。
「──探偵? どうしてさ、いきなり」
「まぁ、知り合いにツテがあってな。心機一転ってやつだ」
──何故、ここにきて転職するのか、確信や証拠があった訳じゃないが、母の為だというのはすぐに解った。
表向きには『心不全』とされた母の死だったが、母は軽度の風邪すら滅多に引かない、僕が知る中でも無類の健康体な人だった。心臓病や高血圧等なんかとも無縁の人で、病死など考えられない。まだ、交通事故の方が納得がいく。
警察、ましてや父であれば、すぐにでも怪しんで捜査しそうなものだが、そういった様子は見られなかった。
理由は分からないが、警察にとって都合の悪い『何か』が絡んでいるのか……。子供ながらに、そんなことを考えていた。
いずれにせよ、警察という組織の中では、この件を追求できないと判断したに違いない。
母の死から約十年──父が頑なにこの話をしてこないのは、僕を危険に巻き込まない為だというのは分かっている。分かっているが……。
どんな理由であれ、母の存在を無かったことのように振る舞った父のことを、僕は許せないでいた。
母がいたからこその、明智家であり、家族が家族でいられる理由なのだから。
ただ、僕も母の死の真相を知りたい思いが強い。その一心で、あえて父の力を借りず、自分なりに母の死について調べている──。
◆◆◆
「──も~、バカじゃん」
話が一段落した途端、突如浴びせられる、ストレートな罵声。見ると、神津さんが呆れ顔を見せている。
「強がってないで協力し合えばいいじゃん。先輩スッゴイ頭良いのに、そんな先輩でもお父さんでも十年も分からない事なんでしょ? だったら二人で協力するしか選択肢ないじゃない」
「それは……そうなんだけどさ」と、僕は言葉を濁した。神津さんの言葉には一理ある。
事実、一般に公表されている情報が限りなく少ない為、自分に出来る事といえば近隣での聞き込みや、当日のニュースの洗い出しぐらいしかない。
これでは、すぐに行き詰まるのは必然だった。
一般人、しかも子どもが出来ることなどたかが知れている。
無論、そんなことは自分でも分かっている。『強がっている』というのも、まさしく、その通りだ。
父が僕を守ろうと秘密裏に動いているのを感じる度、意地でも頼りたくないと思ってしまっている自分が居る。
これでは、もはや反抗期を拗らせていると、言われても仕方ない。
神津さんは続ける。
「分かるよ、先輩の気持ち。私もパパとは最近疎遠だし、都合の悪い時だけ子ども扱いされることも多いしさ。正直、信用出来ないって思うこともある。だけど、もう一度話し合ってみるべきだよ。お父さんも、きっと心の中では先輩の為に色んなこと考えてるはずだから」
僕が押し黙ったままでいると、神津さんはムッとした表情で「シャキッとしなよ」とでも言うように、僕の背中を軽く叩く。
「それこそ、私はパパとはもう二年ぐらい顔合わせてないけど──」
神津さんはそう言って、腰掛けていた噴水の縁から、ひょいっと降り、こちらへ振り返る。
「──私と違ってさ、先輩達は話せる距離に居るんだから。心の距離だけ離れてるなんて、勿体無いよ」
神津さんの言葉には、真剣な響きと力強さがあった。彼女の目は、僕の心を見透かすようにまっすぐに向けられている。僕は少し戸惑いながらも、そのまっすぐな視線を受け止めた。
「ありがとう、神津さん。なんか……ダメな先輩だね」
「うん、そうだね。だったら、汚名返上しないと」
そう言うと、神津さんは悪戯っぽく笑った。彼女の元気な笑顔は、今の僕にとっては小さな希望の光のように感じられた。
心なしか、肩の荷が少し、降りた気がした。
今日会ったばかりの、しかも年下の高校生に諭されているようでは、母さんに笑われるだろうな……。
居場所の目処こそ立っていないが、父さんに会えたら、ちゃんと面と向かって話をしよう。
「じゃあ、この話はお終い! まだ料理全然食べてないし、食べよ!」
無邪気な笑顔で、神津さんは料理が並べられているテーブルへ小走りで向かう。
見ると、西園寺さんを囲むように人集りが出来ている。
自分もそこへ行こうとした瞬間、不意に後ろから呼び止められた。
「──おや、明智様」
振り返ると、見覚えのある背の高い執事服。正面入口に居た門番の男性だ。
「あ、門番の……」
「執事長をさせていただいております、『バトラー』と申します。お見知り置きを」
── butler(バトラー)、直訳で『執事』という意味だ。つまりは、この館での彼の使用人としての呼び名だろう。
深々と一礼する執事──バトラーさんに、僕も会釈で返す。
·········あれ、そういえば、僕、この人に名乗ったっけ?
「パーティーは楽しんでおられますか?」
「ええ、楽しいですよ。料理も豪華だし、この噴水も凄く迫力あって、圧倒されます」
「当館の名物みたいな物ですからね。この噴水の由来は聞きましたか?」
「はい、若いメイドさんから少し」
「『アリサ』ですかね。まだ若く新人なので、お客様に失礼がなければいいのですが……」
あのメイドさん、アリサさんっていうのか。そっか、僕の名前もアリサさんから聞いたのかもしれない。などと考えていると、
「では、少し余興でもしましょうか」
そう言って、バトラーさんは一枚の紙を取り出す。手渡されたそれには、絵が描かれている。色鉛筆で綺麗に着色されており、恐らく小学生ぐらいの子どもが描いたものだろう。
「えーっと、太陽と……なんだこれ?」
そこに書かれていたのは、赤く描かれた太陽と思われる絵と、その隣に青を基調とした髭の老人のような人物。手に持っているのは……フォークだろうか? いや、大きさ的にこれは──。
「──それは、今は亡き美雪お嬢様が残したとされている、暗号の一つです」
「……亡き?」
反射的に聞き返していた。
バトラーさんは一瞬だけ視線を伏せ、静かに頷く。
「ええ。以前この館に住まわれていた旦那様のご令嬢でして。残念ながら、お嬢様は病で亡くなられています」
亡くなっている──その言葉が、妙に重く胸に残った。
それなのに、この暗号からは、生きていた頃の、どこか無邪気な温度が感じられる。
子どもの描いた絵。遊び心のある謎。
まるで、“まだここにいる”とでも、言うように。
「その旦那様は、今どうしてるんですか?」
「お嬢様が亡くなられて、すぐに館を売却されました。行先も特に告げられなかったので、今は何処に居るかも分かりません」
なるほど。さっきアリサさんから聞いた話と大体同じだ。
「そうですか……。じゃあバトラーさんは、主人が変わっても、変わらずここに仕えてるんですね」
「ええ。見習い時代からずっとですね。かれこれ十五年、私にとっては、この館は生まれ故郷も同然なんです」
「なるほど。すみません、個人的な事まで聞いてしまって」
「いえ、お客様としっかり会話する機会など滅多にないので。むしろ光栄です」
バトラーさんは柔らかい表情で頬笑みを浮かべる。
背が高く威圧感こそあるが、話してみれば温厚で良い人だ。人は見かけによらないとはまさにこの事か。
僕はここで、先程から引っ掛かっていたことを聞いてみる。
「もしかしてなんですけど……二階の星座の暗号も、美雪さんが作ったものだったりしますか?」
「おや。何故そう思われたのです?」
僕は一度、頭の中で整理してから答えた。
「星座のマークの位置が、妙に低かったんです。大人が描いたにしては不自然で……子どもの背丈に近い高さだった」
一瞬の沈黙。
それから、バトラーさんは感心したように目を細めた。
「素晴らしい。まさにその通りです」
胸の奥で、小さく、何かが噛み合う音がした。
暗号は、誰かに見せるためのものじゃない。
“遊び”の延長だったのだ。
「美雪お嬢様は、当時暗号作りに夢中でしてね。新しく出来たご友人の影響だとか。よく出来ていたもので、僭越ながら今回、お客様への余興の一環として使用させていただきました」
バトラーさんは感嘆の言葉と共に拍手を送ってくれた。面と向かって褒められると、なんだか照れくさい。
館中に残された暗号。
それは、彼女が確かにここで生きていた証だった。
「ちなみに、二階の暗号は旦那様の書斎の場所、この暗号は一階にある美雪お嬢様の部屋の場所を、それぞれ表しています」
「なるほど、美雪さんの部屋。中々に凝ってますね」
バトラーさんは頷きながら続ける。
「ええ、この館にはお嬢様の思い出が詰まっています。旦那様も使用人の者達も、お嬢様の意志を継ぎ、訪れた方々にも楽しんでもらいたいと思い、こうした工夫をしています。この館に隠された暗号の殆どが、美雪お嬢様考案のものですからね。ほぼ全てが、当時のまま残されています」
なるほど、感心するばかりだ。
事前情報とはだいぶ違う。この館の『暗号館』という異名と、西園寺 豊春という人物に纏わる噂から、主人の西園寺さんが暗号を考えて出題していると思っていたが、どれもこれも美雪お嬢様が作った物だったということか。
館全体で、彼女の残した暗号を、十年もの間、守り続けている。差し詰め、『暗号館の番人達』といったところか。
「ありがとうございます。俄然興味が湧いてきました」
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