Brain/青の章

新田朝弥

文字の大きさ
14 / 16
第2章/人形屋敷の呪い melting of snow

2-③/still dolls never sleep

しおりを挟む
 静形堂の奥へと続く廊下は、思った以上に長かった。

 床は丁寧に磨かれているが、軋む音一つしない。
 古い建物特有の“生き物の気配”が、ここには無かった。

「こちらです」

 管理人に案内され、襖の前で足を止める。
 ゆっくりと開かれた先は、畳敷きの広間だった。

 部屋の中央。
 低い台座の上に、白布が掛けられている。

「供養は、本日中に執り行えます」

 管理人は淡々と言った。

「儀式自体は簡素です。ただ……」

 そこで一拍、間を置く。

「供養される人形は、この部屋で一晩、過ごしていただきます」

「……一晩?」

 アリサさんが、静かに聞き返す。

「ええ。人形に宿った想いを、落ち着かせるために」

 その説明は、理屈としては理解できる。
 だが、僕の中で何かが引っかかった。

 ——落ち着かせる?

「夜の間、誰かが立ち会うんですか」

 僕が尋ねると、管理人は首を横に振った。

「いいえ。人形は、人の目が無い方が、静かになりますから」

 人の目が、無い方が。

 その言い回しに、微かな寒気を覚える。

「では、こちらへ」

 管理人は、白布をそっと捲った。

 現れたのは、小さな人形だった。
 陶器のような肌。
 淡い色のワンピース。
 控えめに結ばれたリボン。

 ——覚えがある。

 胸の奥が、ひくりと引き攣れた。

「……」

 アリサさんが、息を呑む音がした。

「姉が……いつも、持っていました」

 声が、わずかに揺れる。

 僕は、人形から目を離せなかった。
 理由ははっきりしている。

 それは、僕が昔、美雪に贈った人形だった。

 店先で、散々悩んで。
 結局、「似てるから」という理由で選んだ。

 ——あまりに、安直な理由だ。

 それでも、美雪は笑った。
 「ありがとう」と、何度も言った。
 美雪の「たからもの」に入れられていた、その人形。
 その無機質な瞳には、どんな想いが映っているのだろう。

「……大切に、されていたんですね」

 管理人が言う。

「想いが、よく染みています」

 その言葉と同時に、管理人の指が、人形の頬に触れた。

 ——触れるな。

 反射的に、そう思った。

 だが、声には出さなかった。
 出せなかった。

 アリサさんが、一歩前に出る。

「供養が終わったら……この人形は、どうなるんですか」

「ここに残ります」

 即答だった。

「役目を終えた人形は、再び人の手に戻ることはありません」

「……二度と?」

「ええ」

 穏やかな声。
 だが、そこには選択肢が存在しない。

 アリサさんの表情が、わずかに強張る。

「姉の存在も……ここで、終わりになる、ということですか」

 管理人は、少しだけ微笑んだ。

「忘れる、ということではありません」

 否定から入るのが、かえって不自然だった。

「ただ、形として残る必要が、なくなるのです」

 その言葉に、僕は確信した。

 ——この人は、“残す”ことを否定している。

 想いも、記憶も。
 動き続けるものを、止めようとしている。

 ふと、部屋の隅に目が留まった。

 積み重ねられた箱。
 供養待ちなのだろう。
 だが、その数が異様に多い。

 視線を下げると、畳に、僅かな擦れ跡があった。
 箱を、引きずったような痕。

 新しい。

 昨日、いや——今日かもしれない。

「……」

 僕は、何も言わず、畳の縁にしゃがみ込んだ。

「蒼空くん?」

 アリサさんが、不安そうに声を掛ける。

「すみません。ちょっと……」

 畳に手を触れる。
 冷たい。
 そして、微かに湿っている。

 ——水?

 いや、違う。

 鼻を掠めたのは、甘ったるい匂いだった。

 香だ。
 焚き過ぎた線香の、残り香。

「……おかしい」

 思わず、零れた。

「何が、ですか」

「この部屋……」

 立ち上がり、改めて周囲を見る。

 人形。
 箱。
 香の匂い。

 ——供養は、“一晩”だけのはずだ。

 それなのに、ここには“溜まっている”。

 想いが。
 人形が。
 時間が。

「──供養とは」

 管理人の声が、少し低くなった。

「……静かに、手放す行為です」

 諭すように。

「深入りは、なさらぬ方がよろしい」

 その瞬間。
 アリサさんが、僕の袖を掴んだ。

 小さな力。
 だが、はっきりとした意思。

「……蒼空くん」

 その目が、訴えていた。

 ——見て。
 ——感じて。
 ——逃げないで。

 胸の奥で、何かが音を立てて、噛み合った。

 探偵役は、終わったはずだった。
 それでも。

「……管理人さん」

 僕は、顔を上げた。

「今夜、この屋敷には、僕たち以外に誰がいますか」

 一瞬。
 管理人の視線が、揺れた。

 ほんの、刹那。

 だが、それで十分だった。

 ——もう、戻れない。

 供養のための場所だと、思っていた。
 だが、ここは違う。

 静形堂は、
 “終わらせる”ための場所だ。

 人形も。
 想いも。
 そして——人間さえも。

 その予感は、嫌なほど静かに、確信へと沈んでいった。

「……定刻です」

 管理人が、短く呟く。
 スマホの時計は、十六時ちょうどを示している。

「──供養を、始めます」













 2-③/still dolls never sleep~動かない人形は、眠らない~
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

処理中です...