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1st Inning/The Missing Ninth
1-③/Runner
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昼休み。グラウンドの端を囲む外周路には、春の風が抜けていた。
夏海はパンの袋を片手に、その道を歩いていた。購買の帰りではない。半分は、部員探しの巡回だった。
氷道が体験に来て、人数は一人増えた。それでも、まだ足りない。グラウンドに並ぶ人数を思い出すたび、胸の奥が落ち着かなかった。
そのときだった。
視界の端を、一人の男子生徒が横切った。
速い。
走っているわけではない。ただ歩いているだけなのに、前へ進む速度が妙に速い。歩幅が大きく、足の運びが軽い。
夏海は思わず振り返った。
「ちょっと待ってください!」
男子生徒が足を止める。振り向いた顔は、どこか困ったような表情だった。
「俺……ですか?」
「今の、速いですね」
「……歩いてただけです」
「歩いてただけで、あんな速くならないですよ」
男子は少しだけ笑った。
「まぁ、昔は走ってましたけど」
「陸上ですか?」
「長距離」
短い答えだった。
夏海は目を輝かせる。
「やっぱり!」
男子は首をかしげる。
「何がですか?」
「脚です。走る人の脚でした」
そう言われて、男子は少しだけ視線を逸らした。
「今はもう、やってないっす」
「どうしてですか?」
男子はフェンスの向こうのグラウンドを見た。遠くでフライが上がり、誰かが声を上げている。
「医者に止められて。運動誘発性の喘息で」
淡々とした声だった。
「長距離は無理だって言われました」
少し間が空く。
「短距離なら出来るかもしれないって。でも……」
男子は小さく笑った。
「俺、走るのが好きだったわけじゃないんです。あの距離を走るのが好きだったんで」
風がフェンスを鳴らした。
沈黙を破ったのは、やはり夏海だった。
「じゃあ、野球どうですか!」
男子が目を丸くする。
「……野球?」
「走るんです!」
夏海は真剣な顔で言う。
「実は野球部の勧誘中なんです。今、人が足りなくて」
男子は少し考えるように空を見上げ、それから息を吐いた。
「……まあ、ひとまず見るだけなら」
その言葉を聞いた瞬間、夏海の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げる。
「名前、教えてください!」
男子は少しだけ困ったように笑った。
「齋藤です」
◆◆◆
放課後。
グラウンドでは、二年生たちがすでにアップを始めていた。キャッチボールの音が乾いた空気に弾ける。氷道は相変わらず静かに列へ加わり、誰と話すわけでもなくグラブを整えていた。
そこへ、部室の扉が勢いよく開いた。
「失礼しまーす!」
聞き覚えのある声に、速水が振り返る。
「お、また来た」
橘は顔をしかめた。
「扉壊すなよ」
「壊しません!」
夏海は胸を張ると、背後の男子を前へ押し出す。
「体験入部の、齋藤 修くんでーす!」
部室の空気が一瞬だけ止まった。
「いや、見学だけ……」という本人の呟きに、夏海は全く気付かない。
橘が若干引き気味に、ゆっくり立ち上がる。
「お前……客引きとかの方が、向いてんじゃねぇの?」
「褒め言葉として受け取ります!」
後ろから、速水がにやにやしながら声をかける。
「ナツミン、営業成績いいじゃん」
夏海が眉を上げる。
「それ、私のことで合ってます?」
「他に誰いんの」
「初めて聞きましたけど」
「今つけた」
「雑すぎません?」
そんなやり取りを他所に、川埜が立ち上がり、柔らかく笑った。
「体験なんだよね。歓迎するよ」
齋藤は少し緊張した様子で頭を下げる。
「……よろしくお願いします」
橘が齋藤を一度見て、グラウンドの方を顎で示した。
「じゃあ、ひとまずアップからだな」
齋藤は一瞬だけ迷うように視線を落としたが、やがて小さく頷いた。
外野の芝は、まだ春の色が残っている。夕方の光が低く差し込み、長い影を引いていた。
一通り準備運動を終え、橘はボールを一つ手に取る。
それを軽くバットで打ち上げる。
「とりあえず、ボールが落ちる場所まで走ってみろ。捕らなくていい」
高いフライだった。右中間へ大きく伸びる。
速水が動く。丸尾も反応する。
その二人の横を、齋藤が抜いた。
フォームは野球の走り方じゃない。腕の振りも大きく、まるでトラックを走るときのままだ。それでも速い。落下点へ一直線に向かう。
ボールが、落ちる。
齋藤は、そこにいた。
グラブは持っていない。捕れるはずもない。ただ、落下点に立っている。
速水が目を丸くした。
「うわ、速っ」
丸尾も口笛を吹く。
「今の、俺より先行ってたぞ」
齋藤は膝に手をつき、息を整えている。喉の奥から、かすかに細い音が漏れた。本人は気づいていないふりをしている。
川埜がそっと近づく。
「大丈夫?」
「……平気です」
言葉は短いが、呼吸はまだ荒い。
橘が腕を組んだまま見下ろす。
「走れんじゃねぇか」
「短い距離なら」
「野球は短ぇぞ」
橘は淡々と言う。
「塁間、二十七メートルだ」
齋藤は少し驚いた顔をした。
橘は続ける。
「そんなもん、十秒もかからねぇだろ」
その言葉に、齋藤は少し黙った。グラウンドの土を見つめている。
「……逃げだと思ってます」
ぽつりと、口にする。
「陸上から逃げて、野球に来た」
速水が肩をすくめる。
「高校の部活なんて、そんな大層なもんじゃねぇよ」
「そうそう。俺なんて三日でバスケ部辞めたし」
丸尾が笑う。
「それはただの根性なしだろ」
速水がすぐに突っ込む。
そのやり取りに、齋藤の肩の力が少しだけ抜けた。
橘はグラウンドを見渡す。並んでいる人数は、昨日より確かに多い。それでもまだ、試合をするには足りない。
「……まぁ」
橘が短く言った。
「走れるなら、それだけで十分な武器だ」
齋藤が顔を上げる。
「体験でもいいんで!」
横から夏海が言った。
「入部じゃなくてもいいです。練習だけでも!」
勢いに押されるように、齋藤は小さく息を吐いた。
「……体験なら」
氷道が少し離れた場所からそのやり取りを見ている。相変わらず表情は動かない。ただ、齋藤の走ったラインを一度だけ見て、それからグラウンドへ視線を戻した。
並ぶ人数は、昨日より一人多い。
それでも、試合にはまだ遠かった。
◆◆◆
~夏海特製/選手メモ~
※夏海の独断と偏見だよ♪
【 氷道 雅也】
■所属/早川高校
■学年/一年
■ポジション/外野手(仮)
■投打/右投右打
■性格/謎多い
■パラメーター
・ミート/対右E、対左 E
・パワー/E
・走力/E
・捕球/D
・送球/D
・肩力/D
全てが平均的。可もなく、不可もなくといった印象。
■一言メモ
経験者というだけあって、ある程度のプレーは問題なくこなす。
でも、何か本気でやってないような……そんな感じ。
【齋藤 修】
■所属/早川高校
■学年/一年
■ポジション/外野手
■投打/右投左打
■性格/素直
■パラメーター
・ミート/対右?、対左?
・パワー/?
・走力/A
・捕球/D
・送球/?
・肩力/?
とにかく俊足。練習繰り返してやっと外野手っぽい走り方になった。捕球も問題ない。あとはまだ未知数。
■一言メモ
速水先輩に負けないぐらいの俊足。慣れてくればたぶん一番速い。将来はリードオフマン!
夏海はパンの袋を片手に、その道を歩いていた。購買の帰りではない。半分は、部員探しの巡回だった。
氷道が体験に来て、人数は一人増えた。それでも、まだ足りない。グラウンドに並ぶ人数を思い出すたび、胸の奥が落ち着かなかった。
そのときだった。
視界の端を、一人の男子生徒が横切った。
速い。
走っているわけではない。ただ歩いているだけなのに、前へ進む速度が妙に速い。歩幅が大きく、足の運びが軽い。
夏海は思わず振り返った。
「ちょっと待ってください!」
男子生徒が足を止める。振り向いた顔は、どこか困ったような表情だった。
「俺……ですか?」
「今の、速いですね」
「……歩いてただけです」
「歩いてただけで、あんな速くならないですよ」
男子は少しだけ笑った。
「まぁ、昔は走ってましたけど」
「陸上ですか?」
「長距離」
短い答えだった。
夏海は目を輝かせる。
「やっぱり!」
男子は首をかしげる。
「何がですか?」
「脚です。走る人の脚でした」
そう言われて、男子は少しだけ視線を逸らした。
「今はもう、やってないっす」
「どうしてですか?」
男子はフェンスの向こうのグラウンドを見た。遠くでフライが上がり、誰かが声を上げている。
「医者に止められて。運動誘発性の喘息で」
淡々とした声だった。
「長距離は無理だって言われました」
少し間が空く。
「短距離なら出来るかもしれないって。でも……」
男子は小さく笑った。
「俺、走るのが好きだったわけじゃないんです。あの距離を走るのが好きだったんで」
風がフェンスを鳴らした。
沈黙を破ったのは、やはり夏海だった。
「じゃあ、野球どうですか!」
男子が目を丸くする。
「……野球?」
「走るんです!」
夏海は真剣な顔で言う。
「実は野球部の勧誘中なんです。今、人が足りなくて」
男子は少し考えるように空を見上げ、それから息を吐いた。
「……まあ、ひとまず見るだけなら」
その言葉を聞いた瞬間、夏海の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げる。
「名前、教えてください!」
男子は少しだけ困ったように笑った。
「齋藤です」
◆◆◆
放課後。
グラウンドでは、二年生たちがすでにアップを始めていた。キャッチボールの音が乾いた空気に弾ける。氷道は相変わらず静かに列へ加わり、誰と話すわけでもなくグラブを整えていた。
そこへ、部室の扉が勢いよく開いた。
「失礼しまーす!」
聞き覚えのある声に、速水が振り返る。
「お、また来た」
橘は顔をしかめた。
「扉壊すなよ」
「壊しません!」
夏海は胸を張ると、背後の男子を前へ押し出す。
「体験入部の、齋藤 修くんでーす!」
部室の空気が一瞬だけ止まった。
「いや、見学だけ……」という本人の呟きに、夏海は全く気付かない。
橘が若干引き気味に、ゆっくり立ち上がる。
「お前……客引きとかの方が、向いてんじゃねぇの?」
「褒め言葉として受け取ります!」
後ろから、速水がにやにやしながら声をかける。
「ナツミン、営業成績いいじゃん」
夏海が眉を上げる。
「それ、私のことで合ってます?」
「他に誰いんの」
「初めて聞きましたけど」
「今つけた」
「雑すぎません?」
そんなやり取りを他所に、川埜が立ち上がり、柔らかく笑った。
「体験なんだよね。歓迎するよ」
齋藤は少し緊張した様子で頭を下げる。
「……よろしくお願いします」
橘が齋藤を一度見て、グラウンドの方を顎で示した。
「じゃあ、ひとまずアップからだな」
齋藤は一瞬だけ迷うように視線を落としたが、やがて小さく頷いた。
外野の芝は、まだ春の色が残っている。夕方の光が低く差し込み、長い影を引いていた。
一通り準備運動を終え、橘はボールを一つ手に取る。
それを軽くバットで打ち上げる。
「とりあえず、ボールが落ちる場所まで走ってみろ。捕らなくていい」
高いフライだった。右中間へ大きく伸びる。
速水が動く。丸尾も反応する。
その二人の横を、齋藤が抜いた。
フォームは野球の走り方じゃない。腕の振りも大きく、まるでトラックを走るときのままだ。それでも速い。落下点へ一直線に向かう。
ボールが、落ちる。
齋藤は、そこにいた。
グラブは持っていない。捕れるはずもない。ただ、落下点に立っている。
速水が目を丸くした。
「うわ、速っ」
丸尾も口笛を吹く。
「今の、俺より先行ってたぞ」
齋藤は膝に手をつき、息を整えている。喉の奥から、かすかに細い音が漏れた。本人は気づいていないふりをしている。
川埜がそっと近づく。
「大丈夫?」
「……平気です」
言葉は短いが、呼吸はまだ荒い。
橘が腕を組んだまま見下ろす。
「走れんじゃねぇか」
「短い距離なら」
「野球は短ぇぞ」
橘は淡々と言う。
「塁間、二十七メートルだ」
齋藤は少し驚いた顔をした。
橘は続ける。
「そんなもん、十秒もかからねぇだろ」
その言葉に、齋藤は少し黙った。グラウンドの土を見つめている。
「……逃げだと思ってます」
ぽつりと、口にする。
「陸上から逃げて、野球に来た」
速水が肩をすくめる。
「高校の部活なんて、そんな大層なもんじゃねぇよ」
「そうそう。俺なんて三日でバスケ部辞めたし」
丸尾が笑う。
「それはただの根性なしだろ」
速水がすぐに突っ込む。
そのやり取りに、齋藤の肩の力が少しだけ抜けた。
橘はグラウンドを見渡す。並んでいる人数は、昨日より確かに多い。それでもまだ、試合をするには足りない。
「……まぁ」
橘が短く言った。
「走れるなら、それだけで十分な武器だ」
齋藤が顔を上げる。
「体験でもいいんで!」
横から夏海が言った。
「入部じゃなくてもいいです。練習だけでも!」
勢いに押されるように、齋藤は小さく息を吐いた。
「……体験なら」
氷道が少し離れた場所からそのやり取りを見ている。相変わらず表情は動かない。ただ、齋藤の走ったラインを一度だけ見て、それからグラウンドへ視線を戻した。
並ぶ人数は、昨日より一人多い。
それでも、試合にはまだ遠かった。
◆◆◆
~夏海特製/選手メモ~
※夏海の独断と偏見だよ♪
【 氷道 雅也】
■所属/早川高校
■学年/一年
■ポジション/外野手(仮)
■投打/右投右打
■性格/謎多い
■パラメーター
・ミート/対右E、対左 E
・パワー/E
・走力/E
・捕球/D
・送球/D
・肩力/D
全てが平均的。可もなく、不可もなくといった印象。
■一言メモ
経験者というだけあって、ある程度のプレーは問題なくこなす。
でも、何か本気でやってないような……そんな感じ。
【齋藤 修】
■所属/早川高校
■学年/一年
■ポジション/外野手
■投打/右投左打
■性格/素直
■パラメーター
・ミート/対右?、対左?
・パワー/?
・走力/A
・捕球/D
・送球/?
・肩力/?
とにかく俊足。練習繰り返してやっと外野手っぽい走り方になった。捕球も問題ない。あとはまだ未知数。
■一言メモ
速水先輩に負けないぐらいの俊足。慣れてくればたぶん一番速い。将来はリードオフマン!
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