奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏

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『三河平定編』 天文十六年(一五四七年)

第66話 竹千代君は消息不明

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 それから数日して、田原城が陥落したという報が岡崎城に届けられた。山本勘助の手の者に散々調べさせ、竹千代君が運び込まれた痕跡無しと判断し、力攻めに移ったという事であった。
 戸田孫四郎は自刃して果てたのだが、家人が何人か捕縛できており、その者を問い詰めた所によると、今回の一件をそそのかして来たのは刈谷城の水野藤四郎であるらしい。

 藤四郎からの指示は、塩津の浜で竹千代君を強奪したら東条城へ輸送しろというものであったらしい。つまりは東条城の吉良上野介も一枚かんでおり、もしかしたら竹千代君は東条城にいるかもしれない。書状にはそう書かれていた。


 雪斎禅師、五郎八郎の二人はお館様に呼ばれ、どう思うかとたずねられた。
 雪斎禅師は書状を読むと五郎八郎に渡し、目の前に広げられた三河の勢力図を険しい表情で見つめている。五郎八郎も書状を読むと丁寧に折りたたんでお館様に返却し、同様に三河の勢力図を見つめた。

「まずは松平三郎に命じ東条城を調査させましょう。ただ、これはこれである意味好機かもしれませぬ。刈谷、安祥、東条、田原、これだけの領土を直接支配できれば、三河の動員の約半数を直轄でかけられます。三河を足掛かりとして尾張に攻め入る事も叶いましょう」

 田原城にそのまま朝比奈肥後守を入れて三河支配の最大の拠点を築かせる。
 東条城には浅井小四郎を配し、西尾城の吉良家を監視させる。さらにはその下に三浦左馬助を付けて謀略を担当させる。
 刈谷城は防衛拠点として遠江衆から誰かを。
 安祥城は松平家が欲しがっているので、正式に傘下に入る事を条件に引き渡して守らせれば良い。

 雪斎禅師が閉じた扇子で三河の地図をパシパシと小気味良く叩いて説明していく。一通り説明が済むと、雪斎禅師はどう思うかと五郎八郎にたずねた。

「ここまでの報告は全て水軍を使っての話です。恐らくですが、竹千代君は、知多の阿古居あぐい城辺りを経由して尾張、中でも熱田、津島といった辺りに既に送られているとみるべきでしょう。念のため松平殿の報告は待つべきでしょうが、軍を分散し、三城を一気に攻め落としてしまうのも手かと」

 五郎八郎の意見に雪斎禅師もお館様もうんうんとうなづく。

 「そういう事であれば、浅井小四郎と三浦左馬助を早急に呼び寄せた方が良いだろう」とお館様が二人に述べた。すると雪斎禅師は、「誰か遠江衆の中で三河の最前線を任せられそうな良き人材に心当たりは無いか?」と五郎八郎にたずねた。

「そうですねえ。匂坂さぎさか六右衛門の四男六郎五郎、久野三郎の三男の三郎左衛門あたりでしょうか。どちらもここまでそれなりに武功を重ねております。両者共に家人から慕われており、六郎五郎は勇に優れ、三郎左衛門は統に優れております」

 六郎五郎は花倉の乱で功があり、三郎左衛門は堀越討伐で功があった。どちらを選んでも遠江衆は納得するであろうと五郎八郎は推した。

 雪斎禅師もお館様も功績だけを見れば断然六郎五郎だとしながらも、役割を考えれば三郎左衛門の方が適役かもしれないと悩みだした。最終的に此度は役割重視という事で三郎左衛門とし、尾張攻略の橋頭保の城は六郎五郎に守らせようという事で落ち着いた。

****

 それから数日後、田原城を攻めていた岡部五郎兵衛と庵原右近の隊が岡崎城に入城した。同時に、ぽつぽつとではあるが竹千代君の消息情報が入り始めている。

 岡崎城の大広間に久々に諸将が集められた。
 中央奥にお館様、その両脇には雪斎禅師と五郎八郎。松平三郎と朝比奈備中守を左右の筆頭に、岡部美濃守、井伊内匠助など諸将が並んでいる。

 まず最初に報告を行ったのは松平三郎。

「竹千代ですが、家人の調査の結果、安祥城、刈谷城共に送られて来たという形跡はないようです。残念ながら左馬允も詳しい行方は聞かされていませんでした。東条城には確かに送られた形跡はあるものの、残念ながら既に何処かに送られてしまったようで……」

 そこまで報告すると松平三郎は唇を噛み苦痛に満ちた表情を浮かべた。それを見た諸将が「おいたわしや」と言い合っている。

「とすると、やはり久松家の阿古居城を経由して熱田、もしくは津島に送られたという事のようですね。こうなってくると織田家の中に内通者を作るか、織田一門を支援して外交で取り戻すしかないでしょう」

 五郎八郎の発言を聞き、雪斎禅師はそれしか無いであろうとうなづいた。
 両者の様子を見て、お館様がすっと立ち上がった。

「その前にまずは竹千代を誘拐した家の処罰をせねばならぬ。当家のを強奪したのだから、それすなわち当家に対し牙を向いたも同然!」

 お館様の口調は非常に力強い。その力強さに諸将は息を飲み、雪斎、五郎八郎、備中守は無言で頷いた。


 一つ一つ順になどと悠長な事はしていられないという雪斎の意見により、雪斎禅師、五郎八郎、朝比奈備中守が各々一軍を率いて、それぞれ安祥城、刈谷城、東条城を攻める事となった。

 お館様、浅井小四郎、三浦左馬助、久野三郎左衛門は岡崎城に残って戦況報告を受ける。大将は雪斎禅師、五郎八郎、朝比奈備中守。そこまでは問題無い。問題は誰が誰を率いてどこを担当するかであった。

 雪斎禅師にしろ、五郎八郎にしろ、朝比奈備中守にしろ、ある程度の敵城の情報は入っているし、さらに味方の各部隊の兵数はほぼ押さえている。そこで、三人によって順番に各部隊を取り合うという方式で軍別けは行われた。

 雪斎禅師は、庵原右近、岡部美濃守、天野安芸守と共に安祥城へ。
 五郎八郎は、松井兵庫助、井伊内匠助、岡部五郎兵衛と共に刈谷城へ。
 朝比奈備中守は匂坂六右衛門、大沢左衛門佐と共に、西尾城の吉良三郎と合流し東条城へ。

 最終的に三軍の中では五郎八郎の軍が最も兵数が少ないという編成になってしまったのだった。

 今回攻略する三城はどれも規模が小さい。ただし少しづつだが懸念点がある。安祥城は守将の統率が高い、東条城はちょっとした山城。刈谷城は規模が少し大きく、おまけに尾張との国境である。

 本来であれば三つの城の中で刈谷城が最も攻略に兵数が必要なはずである。雪斎禅師も備中守もそれがわかっているので、何度もそんな兵数で大丈夫なのかと心配した。

 だが五郎八郎は、まともに攻略してはその間に織田軍の援軍が到着しかねないと、あえて兵数よりも部隊長の武勇を優先させた。それはつまるところ、まともに攻略する気はさらさら無いという事である。その為に、松平三郎から服部半三の隊と内藤甚一郎の隊を借りてきている。

****

 刈谷城は尾張との国境、逢妻あいづま川のいわゆる自然堤防に建てられた城である。城の機構としては川の水を引いてきたちょっとした堀しかない。曲輪も本丸と二の丸しかない。城門は二の丸が南北で一か所づつ、本丸は一か所のみ。西に逢妻川が流れ、東は堀となっている。

 刈谷城を前にして、五郎八郎は松井兵庫助、井伊内匠助、岡部五郎兵衛、服部半三、内藤甚一郎、蒜田孫二郎、長坂九郎を集めて軍議を開いた。

「以前、土方城を落とした時に感じたのだけど、城攻めというのは兵数じゃないんだよ。いかに細い通路を少人数で効率良く制圧していけるかなんだよ。ものを言うのは個々の武勇。ここにいるのはそういう点では最良の人選だと思うんだ」

 基本的には敵は精鋭のみであり、城攻めは相手の三倍以上の兵が必要と言われている。だが、それはあくまで力押しした場合の話。
 いくら城門を固く閉じようが、城内で工作され混乱をきたしたら門を守るどころでは無くなるし、守備隊長を弓で狙撃されたら指揮が執れなくなり守備も何もあったものでは無くなる。

 そこで攻撃は南門からの一点に絞って基本は力押しをしてもらう。その間に服部隊には郎党を使って内部に混乱をもたらしてもらう。手段は任せる。
 櫓が占拠できたら内藤隊に敵の指揮官を片っ端から狙撃してもらう。城門が開いたら服部隊は敵に紛れて本丸になだれ込んでもらう。

「他の諸将は敵味方の分別さえ付けてくれてれば、とにかく好きに暴れてくれて構わないから。思う存分暴れてくれ」

 五郎八郎の指示に諸将は一斉に笑い出した。「さすが舅殿、わかりやすくて良い!」と岡部五郎兵衛が笑い出すと、井伊内匠助が五郎兵衛を見て「若造には負けん!」と鼻息を荒くした。


 翌朝、いよいよ攻城戦が始まろうという時であった。城から一人の武者がこちらに向かって歩いて来た。

 武者は名を高木主水助と名乗った。

「我が殿は城を開城し、以降今川家に従属しても良いと考えております。そこで、今後の待遇その他について交渉をさせていただければと思い、まかり越しました」

 主水助ははっきりそれとわかる作り笑顔でそう述べた。
 陣幕に集まっている諸将は、これからという所で機先を制されたような形になり非常に機嫌が悪い。長坂九郎に至っては露骨に不機嫌そうな顔をし首を右に左にと傾けている。

「当家が水野藤四郎に求める選択肢はただ二つだけだ。自害して果てるか、城を枕に討死するかだ。これまでの事は全て耳に入ってきておる。どうせそなたも単なる時間稼ぎにここに来ただけなのであろう? 見苦しいぞ! 帰ってさっさと籠城の支度をせよ」

 「なんならそなたを血祭にあげて最初の功としても良いのだぞ?」そう脅す五郎八郎に善次郎は腰を抜かし、這うようにして陣幕を出て行った。

 主水助が城内に戻ったのを見た五郎八郎は、全軍に総攻撃を命じたのだった。
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