残影の艦隊~蝦夷共和国の理想と銀の道

谷鋭二

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【第一章】榎本蝦夷をゆく(一)

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(一)



 徳川幕府が、ようやくアメリカとの間に日米和親条約を締結した頃、幕府の外交交渉の相手は、アメリカだけではなかった。北方の大国ロシアもまた、虎視眈々と日本をうかがっていた。
 ロシアの歴史は、たえざる他国との領土紛争と侵略の歴史であった。特に十九世紀前半、ナポレオンとの祖国戦争に勝利いて以降は、その領土的野心は次第に露骨になっていく。
 その勢力版図は、西側ではフィンランド大公国、バルト海沿岸地域、ポーランド会議王国を支配して、ヨーロッパと接するまでになった。南部ではコーカサスを支配して、ペルシアやオスマン・トルコと対峙するまでになる。
 一方で極東への進出も十九世紀には開始されていた。一八〇六年には、露米会社総支配人レザノフが樺太に上陸。勝手に領有宣言を行う。さらにエトロフ島、利尻島等を繰り返し襲撃し、現地の日本人を拉致するという暴挙にでた。
 以降も蝦夷地すなわち現在の北海道は、日露両国の係争地として紛争がたえなかった。
 そして、アメリカのペリー提督とほぼ時を同じくして、ロシアのプチャーチン提督もまた長崎に上陸。ついに日露和親条約を締結させるに至るのであった。



 さて、こうして北方の情勢も怪しくなる最中、榎本は幕府目付・堀利熙に従い、蝦夷地視察のための長い旅に出ることとなった。
 堀は三十六歳。蝦夷への同行者として、あの伊能忠敬と縁があるということで、最初は榎本武揚の父・円兵衛に話しが持ち上がった。しかし円兵衛は自らが高齢で、長旅には耐えられないということで、息子の武揚を推挙したのだった。
 武揚は、江戸からはるか遠い蝦夷の地理・人情・風俗を知ることができるということで、この旅の話を喜んで引き受けた。
 ちなみにこの旅の一行は総勢十二人ほどだったといわれる。一行の中にはペリーとの通訳にもあたった蘭語通訳の平山謙二郎や、後に札幌の都市開発に携わり「北海道開拓の父」といわれることになる佐賀藩の島義勇もいた。さらには、後年箱館に五稜郭を設計することとなる、武田斐三郎なども混じっていた。榎本は表向きは雑用係としての同行であった。


 一行は蝦夷の厳しい寒気を考慮して、嘉永七年の春が明けてからの出発となった。津軽までは陸路の旅で、そこからは、かって高田屋嘉兵衛が考案したといわれる「箱館型」といわれる、二本マストの帆船に乗っての長い旅だった。
 蝦夷で最初に上陸したのは、最南端の松前という土地である。松前は、今でこそJRもろくに通過していない過疎地であるが、江戸時代にはここに、蝦夷地で唯一といって日本国の政府があった。
 まず榎本が松前の地において最初に驚いたのは、そこが日本のどこにでもある、普通の城下町であったことである。
 日本式の屋敷が立ち並び神社もあった。山里深くに分け入れば、竹も群生している。そしてなによりも榎本達が松前の地に降り立った頃、ちょうど桜の開花期にあたっていた。なにしろ松前の春といえば、約二五〇種、一万本もの桜が咲き乱れる。これほどの桜も名所は、日本内地においても滅多にない。
 松前、そして蝦夷地を事実上統治する松前藩の経済は、寒冷地ゆえ米がとれない代わりに、もっぱら先住民たるアイヌとの交易に頼っていた。交易場において鮭、ニシン、アワビ、あざらし、熊皮、ラッコ、昆布などを、アイヌの欲する米、酒、タバコなどと交換するのである。特にニシンは重要であり、主に近江商人などを仲立ちとして、本土にも出荷され、その儲けにより藩財政は潤い「松前の春は江戸にもない」とまでいわれた。
 そこは、荒涼たる凍てついた大地を想像していた榎本の予想とは、まったく違った世界だった。


 
 そして松前藩のシンボルとでもいえる存在が、福山といわれる高台についぞ去年建造された福山城(松前城)だった。
 松前城は、面積約七万七八〇〇平方メートルほどであった。本丸、二の丸、三の丸があり、楼櫓六、城門十六、砲台七座を備えていたといわれる。
 別に戦国時代に建造された城ではない。わずか数年前の嘉永二年(一八四九)に、当時の三大兵学者の一人である高崎藩の市川一学の設計により、五年の歳月をかけて築城された城である。
 まさに日本最後の日本式城郭である。なぜ江戸時代も末期になり、このような城郭が建造されたかというと、まさに北辺の防備のため、特にロシアの脅威に備えるためであった。


 
 榎本達は城に通され、松前藩第十二代当主松前崇広に目通りを許された。崇広は二十四歳である。才気煥発にして視野が広く、松前藩の三百年以上にも渡る歴史の中でも、名君中の名君といっていいだろう。乗馬の達人であり、また電気機器、写真、理化学等、西洋の文物にも深い興味をしめした。
「江戸から来たと申すはその方達のことか? まずは楽にするがよい」
 と崇広は笑みをたやさずにいう。
「榎本武揚と申すはその方のことか? 蘭学に昨今は英語も学んでおるそうだな。実は余も同様に蘭学と英語を学んでおるところじゃ」
「蘭学に英語と学びましたが、まだまだ未熟者にてさしたるものではありませぬ。また朱子学も学びましたが、これは肌にあいませんでした」
 と、榎本は多少謙遜してみせた。
「うむその方、この蝦夷の地をどう思った?」
「左様でございますなあ。蝦夷の地と申すは冬が長く、そして想像を絶するほど過酷で、人が住むには生存条件があまりにも厳しい土地と聞いておりました。さりながら城下に住まう者達は皆、生き生きとしておりまする。活況をていし、決して人が住めぬ土地ではござりませるな」
「うむ、そちも蘭学を通じ、西洋のことを多少なりとも学んだなれば存じておろう。西洋、特に今この蝦夷を侵さんとしているロシアは、蝦夷よりはるかに冬は長くそして過酷であるぞ。それが何ゆえ、我が国など及びもつかぬ文明国であるか? そちは考えたことがあるか?」
 榎本はしばし考えこみ沈黙した。
「まずは国防の問題じゃ。そなたも聞き及んでおろう。何ゆえロシアはフランスのナポレオンを撃退できたのか」
「それは……。ナポレオン配下の将兵が、ロシアの冬季のあまりの寒さのため戦闘どころではなくなり……」
「その通りじゃ。冬が過酷であるということは、その土地に住まう者にとって死活問題であると同時に、外から征服を試みる者にとっても同様に過酷じゃ。それが国防の上でいかな巨大に城よりも、重要な役割をはたすこととなる」
 余談だが、松前藩は一度幕府により蝦夷の地を召し上げられ、陸奥国伊達郡梁川に転封されていた時期があった。
 幕府としてもロシアの脅威に備えるため、松前藩のような小藩では非力と思えたのである。蝦夷の地は幕府直轄となったが、広大な蝦夷地経営は、幕府をもってしてもコストがかかりすぎた。しかも同時期、問題のロシアはナポレオンとの戦争が始まり、西方での戦線に忙殺。極東の海からロシア船は姿を消した。
 そのため、松前藩の賄賂を伴う必死の複領運動は成功することとなった。いわば間接的に、ナポレオンが松前藩を救ったこととなる。
「次に食糧の問題じゃ。この蝦夷地は寒さゆえ、米は収穫できぬ。なれどなあ榎本とやら、米はとれずとも、貴重な食糧の保存には適しておる。暑い土地であれば、いかほど食糧があろうとたちどころに腐敗する。そしてたちまちにうちに食糧をめぐる争いになる。
 人というものは、たいがいは暑い場所におると争いが多くなり、寒い土地におると団結するものじゃ……」
 榎本は一々感心しながら崇広の言葉に聞き入った。
「どうした釜次郎、さっきから何を考えている?」
 会見が終わって、平山謙二郎が榎本に声をかけた。
「いや何、あの殿様実に英明な方で、もしかしたらこのような僻地の殿様にしておくには、惜しい人材ではないかと思えてな」
 と榎本が自分の意見をのべた。はたしてこの松前崇広なる人物は、後に幕府にその資質を買われ、松前藩のような小藩の主ながら、寺社奉行、さらには老中にまで昇進し、幕末日本の政局に影で関わってゆくこととなるのである。



(二) 



 松前城のある福山という高台からおよそ四半刻(およそ三十分)唐津や博多といった、まるで九州のいずこかのような地名を通り越すと、弁天という岬がある。そこから急な坂道を登ると、建石というアイヌの集落があった。
 アイヌの集落のことを、アイヌの言葉でコタンといった。そして、松前藩との交易のうえで重要な役割を果たすアイヌの指導者を役蝦夷といった。
 今回榎本達は、この役蝦夷にあたるアイヌの屋敷で、数日逗留することとなった。
「始めまして、私が役蝦夷のトンクルと申します。遠路はるばる、さぞや大変な苦労でございましたろう。ここには何もございませんが、どうぞごゆるりと」
 とトンクルと名乗るアイヌは、アイヌ語ではなく和人の言葉でいった。
「貴公は我が国の言葉がしゃべれるのですか?」
 とまず榎本は驚き、次に見慣れぬアイヌの風俗に好奇心をいだいた。アイヌはやはり彼らがシャモと呼ぶ和人に比べると毛深かった。そして獣のの皮を剥いだ衣服に身を包み、眼光だけが異様に鋭かった。年齢は恐らく五十ほどであろう。
「このわしだけな。もちろんシャモの言葉がわからんでは、交易にならんでなあ。ここには亡くなった我が息子の未亡人、女三人に男一人の孫達がおるが、いずれもカタコトしかシャモの言葉はわからん」
 それから榎本達は、彼らがチセと呼ぶ茅や笹でできた掘り立て柱式の粗末や屋敷を案内された。
 チセは中央に囲炉裏があり、火の神イナウが安置されている。神窓と上座の間、神窓を背にして右手方向に宝壇がもうけられ、家の神が祭られている。寝室というのは特にない。子供達は囲炉裏に近くで寝るが、年頃の娘にため、特別に寝室をもうけることもあるという。
 一通り家族が紹介され、その後宴会となった。サケやマス、あれいはアワビ、昆布といった海の幸。鹿肉の刺身などが食卓にずらりとならんだ。特に榎本を驚かせたのは、この地方独特の熊の肉だった。
 酒もでた。トノトとよばれる粟やピヤバ(粺)を醸造して作られた強い酒であった。時としてムンチロ(粟)を原料とすることもあるという。
 アイヌの人々は実に心が優しく、そして素朴な人情が伝わってきた。数日もすると榎本達は、言葉も伝わらないが彼らに大変な親しみをもった。


 ところがである。アイヌの人々の素朴な人情に触れながら過ごした数日が過ぎた頃、榎本は夜半、何者かの気配で目を覚ました。
「どうしたんだ釜次郎?」
 隣に寝ていた島義勇が起き上がった。次の瞬間、何者かと目があった。それはやはりアイヌらしい、恐らく十八ほどの若い女だった。何やら悲しそうな表情を浮かべ、榎本が話しかけようとすると、そのままいずこかへ走り去ってしまった。
 次の日、トンクルにそのことをたずねてみると、トンクルは一つ深いため息をついた。
「客人には、まだ紹介しておらなんだな。実はこの屋敷にはもう一人女子がおってのう。名をエリというんじゃよ。彼女はわしの実の子ではないが、どうも身よりがないらしい。そしてシャモ達に陵辱され、倒れていたところを、わしが引き取って面倒を見ておるというわけじゃよ。
 じゃが深い心の傷をかかえておるのか、もうここに来て一年ほどにもなるというに、わしらにすら心を開こうとしない」
「そのような無法が許されるのですか!」
 榎本は声を荒げたが、トンクルは沈黙してしまった。なにしろ近世以後の蝦夷の歴史は、和人によるアイヌに対する過酷な収奪の歴史といっていい。特にアイヌの女性が和人により陵辱されることは、必ずしも珍しいことではなかった。
 彼女は食事の時さえも自分の部屋から出ようとせず、時折海岸に貝殻を拾いにゆく時以外は、外出もしないという。そして事件は数日後におこった。


   榎本は弁天の岬から日本海を仰ぎ見ていた。蝦夷の地の海は江戸近海とは異なり、どこか厳しさを感じさせる。あの海の彼方のいずこかにメリケンがあり、オランダがあり、そしてロシアがある。そう思うと榎本は、若い血がたぎるのを感じずにはいられなかった。
 ところがである。榎本の思いは何者かの叫ぶ声で中断されてしまった。それは若い女性の声だった。
「こいつこっちに来い!」
 刀をさした松前藩の者らしい若侍が数人、女性を取り囲んで乱暴に及ぼうとしていた。女性は、なんとあのエリだった。
「この野郎! いい加減おとなしくしないとこうだ!」
 頭らしい侍は、エリを海のほうへ引っ張っていく。
「やめろお前達! 一体何をしている!」
 見かねて声をあげたのは榎本だった。若侍は榎本をほうをにらみつけた。次の瞬間驚きの色を浮かべたのは、榎本のほうだった。
「誰だお前何者だ?」
 若侍は声にすごみをきかせて、榎本にたずねたが、榎本は落ち着いた様子で若侍を凝視した。
「誰だはないだろ。お前、俺の顔を見忘れたか小野崎よ。貴様はまだ幼かった頃も、そうやって近所の幼子をいじめて、俺に懲らしめられたこと、もう忘れたか?」
「なぜ俺の名を知っている? もしやお前は榎本……?」
「いかにも俺は幕臣榎本釜次郎武揚。貴様は小さな頃から素直じゃなかったが、少しも性根が改まってないようだな!」
 今度は榎本が声に凄みをきかせて、強くこの小野崎という若侍をにらぬすえた。なにしろ榎本の生まれ育った下谷三味線堀から、江戸松前藩屋敷までは、目と鼻の先ほどの距離しかないのである。そのため両者は旧知の仲だった。
「まさかこんな地の果てのようなところで、貴様と再び出会えるとはな。どうだ小野崎よ刀をぬくか! 武士として俺と斬りあってみるか!」
 榎本が強くでると、小野崎はたちまちのうちに怖気づいた。
「ちっ! 相手が幕臣じゃ後々なにかと面倒だ。おまえら今日のところは引き上げだ」
 小野崎は仲間とともに去り、その場にはエリだけが残された。 
「ありがとう……。エノモト」
 エリはまだぶるぶると震えてはいるが、かろうじてカタコトの言葉で榎本に礼をいった。それから榎本に抱きつき激しく泣いた。生暖かい感覚が榎本の全身に伝わってきた。


   それから二人は一種の親友となり、夜毎に海岸で会った。エリは榎本に身振り手振りでアイヌの神話を語って聞かせた。

 
   銀の雫をあたりに散らし、金の雫を周りに落とし

 歌を歌って飛び回りながら 水路に沿って私は下る

 人間達のコタンの上を 飛びつつ下界を眺めると

 昔 貧しかった人が今は豊かに

 昔 豊かだった人が今は貧しく……


 榎本は夜毎エリの語るアイヌの神話を聞き、やがてエリの膝の上で眠ったりもした。だが別れの日は必ずやってくる。榎本は名残惜しんだが、去り際エリは榎本の耳元で、
「私はエノモトを忘れない。エノモトも忘れないでワタシの事」
 とやはり片言の日本語でいった。
 榎本は蝦夷の地のさらに北へと旅立っていく。そしてこの旅が、その後終生、地球規模で続く榎本の旅の端緒となるのである。








 













 



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