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【第一章】太平の世の終わり
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黒船が浦賀沖を去った後、老中の阿部政弘は諸大名はもとより諸藩士、さらには町人や商人にいたるまで広く意見を求める政策をとった。その結果多くの意見が集まったが、そのほとんどは実現不可能な、威勢のいい攘夷論ばかりだった。
そうした中、十二代将軍家慶が憤りのあまりか、突如として世を去った。享年六十一歳だった。最後の言葉は、
「青鬼が見える恐ろしいのう」
というものだったといわれる。
ペリーが浦賀沖を去ってから十日目の突然の死は、幕政をさらに混乱させることとなった。結局幕閣が出した結論は次のようなものだった。
1・長崎での限定的な交易
2・理由をもうけて回答を引き延ばし、その間に武備を充実させてたうえでの攘夷
そして年が改まって嘉永七年(一八五四)一月、ついにペリー艦隊は浦賀に再来したのだった。
ペリーの圧力に屈したかのように、幕府内では開国通商もやむなしの空気が日増しに高まった。しかしこれに真っ向から異をとなえたのが、またしても水戸・徳川斉昭だった。
「我が国は八百万の神が住みたもう美しい国ぞ! 異国との交易などもっての他じゃ!」
「それでは、他にいかな策があるというのじゃ御老公」
あいかわらず勇ましい斉昭に、溜詰大名の一人堀田正篤は、半ばうんざりしたように聞き返した。堀田は佐倉藩主として蘭学を奨励し、佐藤泰然を招聘して佐倉順天堂を開かせるなど、蘭癖と呼ばれるほどの人物である。斉昭とは最初から意見があわなかった。
「戦って勝算があるなら、是非その策を伺いたいものですな御老公」
と信濃国上田藩主の松平忠固も、斉昭の勇ましい攘夷論に疑念をていした。
「確かに全面戦争は避けるべきやもしれぬ。じゃが一、二戦やってみるは無駄ではないとわしは申しておる。そのことにより、この日本国の津々浦々にいたるまで、危機意識が浸透し、百姓・土民にいたるまで団結するやもしれぬと申しておるのだ。一戦もせずに異国のされるがままなど、この国の面子にも関わる。もし戦となれば先陣はわしがつとめる」
この時、斉昭の意見をだまって聞いていた彦根藩主井伊直弼の表情が一変した。
「無礼であろう水戸殿!」
「何い?」
「徳川の先陣は、我が彦根藩が代々承っておる。水戸徳川家におかれては、いつ何時神君家康公より先陣の栄誉を賜ったのござるかな?」
斉昭はしばし唇を強く噛み直弼を見すえた。この頃から、井伊直弼と徳川斉昭の対立も次第に顕在化し始めていた。
結局、日米和親条約の締結は、この年三月三日のことだった。
時代は大きく変わろうとしていた。その頃、榎本釜次郎は、幕臣として日米和親条約の交渉にも深く関わった元伊豆韮山の代官江川太郎左衛門の塾で、蘭学を学んでいる最中だった。
江川太郎左衛門は、江戸・台場への砲台設置などにも関わり、幕府の海防と西洋式兵学の第一人者である。
時に榎本釜次郎は十八歳。この混乱の最中、黒船を目の当りにし、果たして己がこの国のため何ができるか? 模索している最中であった。
日米和親条約の締結からほどなく、江川太郎左衛門の塾に一人の二十代半ばほどの男が招待された。その男の名はジョン・万次郎。土佐の国の漁師の出自で、漂流してアメリカ船に救助され、アメリカのマサチューセッツで教育を受けたという異色の経歴の持ち主だった。
黒船騒動の最中、幕府にアメリカを知る数少ない日本人として招聘を受け、特別に士分に取り立てられ、日米交渉でも裏方として活躍した。この男がこの日、榎本達塾生の前でアメリカと西欧を語ることとなった。
「メリケンという国は、西欧諸国に比べるとまだまだあらゆる面で劣った国であります。しかしメリケンには希望があり、未来があります。何故ならメリケンは、実に土地が肥沃であります。
西欧というところは実に土地条件が劣悪で、生産性があまりに低い。そもそも西欧が、あれほど小国に分裂している根本的な原因は、生産力の低さにあるといっても過言ではないでしょう。人間というものは、食料が不足しているとどうしても奪い合いになり、殺し合いになるものです。
そして人間が作った制度や仕組みなどというものは、それが例え宗教であれ、王権であれ、時が来れば必ず腐るものであります。
残念ながら西欧は、産業革命以来の急激な進歩の一方、あまりに長い歴史のため、社会の至るところで差別、偏見、迷信、階級などが幅をきかせ、それが新しい時代へ向かおうとする力を妨げることとなったのであります。
そういった現実に嫌気がさした西欧の一部の人々が、彼らが新大陸と呼ぶメリケンを目指したわけです。そこでは西欧にそれまであった様々な身分的偏見や、差別がことごとく英語でいうとリセット、つまり消滅したわけです。
そして新たにそこに集った人々が力を合わせ、山を切り開き、畑を耕し、平等な条件のもとにいわばメリケンの民となったわけであります」
万次郎の演説は長時間に及んだ。その間、榎本はふと思うところがあった。欧米人が古い制度やしがらみを嫌って、彼らのいう新大陸を目指したというのなら、この地上のいずこかに新大陸同様に、まだ手付かずの未開の土地が存在しないものだろうか?
この時代、徳川幕藩体制というガチガチの封建支配のもとで、榎本のような武士階級でさえ、さまざまな封建的制約のもとに生きていた。榎本もまだ若い。それがときおり、ひどく息苦しく思えるのは仕方のないことだった。もしこの世のいずこかに他に「新大陸」が存在したら……。榎本はふと夢を見て、そしてため息をついた。そしてこの薄ぼんやりとした夢想は、やがては榎本の生涯を貫く、最大の課題となるのである。
榎本には、この塾で気になる男が一人いた。その男は年は榎本より二つほど年上のようである。どうやら出身は上方の播州・赤穂のようで、そのせいか時々口を開くと関西なまりがあった。その男は名を大鳥圭介といった。
無口で物静か、榎本をはじめとして塾生達による、ある種のグループ交際にも中々加わろうとしなかった。実に真面目な青年で、優等生の手本といってもよいだろう。
ある日の夕刻のことである。榎本はたまたま両国橋を本所方面に向かおうとする大鳥を目撃する。もしやして、深川あたりに芸者でも買いにゆくつもりか? 興味をもった榎本は大鳥の後をつけてみた。
ところが大鳥の目的は違っていた。両国橋をわたってほどなくの場所に、忠臣蔵で有名な赤穂浪士が討ち入りを決行した吉良邸がある。そこで手を合わせ祈り始めたのである。それが実に長い。四半刻(約三十分)ほども祈り続けていた。
ようやく祈りをすませ、立ち去ろうというところで榎本が声をかけた。
「まったく、よくそんなに祈ってられるな。おかげで待ちくたびれたぞ。女でも買いに行くと思ったら、ここまで真剣に祈りをささげるとは、たいそうなことだな」
大鳥は不意の榎本に出現にしばし驚いた様子だった。
「これは榎本君じゃないか。我々赤穂の武士にとっても民にとっても、赤穂浪士は神のような存在なんだ。それはそうと他に何か私に用かね」
「いや、それにしても何百年も前のことを悪くいうのもなんだが、あの浅野なんとかいう切腹した侍はなんだ? 少し頭がいかれていたんだろ? だいたい老人一人を後ろから仕留められないようじゃ、士道未熟もいいとこだな。そんな馬鹿殿のために路頭に迷い、討ち入りまでしなければならなかった、赤穂の浪人たちも気の毒ではあるな」
と、榎本はかすかに馬鹿にしたような様子で本音をいった。大鳥の顔が一瞬歪んだ。
「じゃあ邪魔したな俺は帰るぜ」
立ち去ろうとする榎本の肩を大鳥がつかんだ。
「何をする!」
「我! 赤穂浪士を愚弄するとは許さへんで! さあ謝ってもらおうか」
「己! 放せ、放さんか!」
突然大鳥は、怒りを抑えかね榎本の顔面に拳を一発いれた。鈍い音がして榎本は倒れた。
「こいつ! やる気だな! 喧嘩なら受けて立つぜ」
すでに鼻血を流して、顔を紅潮させた榎本は、すぐに反撃を開始する。二人はもみ合い大喧嘩となった。両者は、たまたま通りかかった者が止めに入るまで殴りあった。
榎本といえば、どこか紳士的なイメージがあるが、一方で江戸っ子の典型例でかなり気が短かった。そしてこの事件の後、榎本と大鳥は最良の友となり、終生にわたって生死を共にすることとなるのである。
そしてここに、もう一人榎本の運命を左右する人物がいた。
ようやく傷もいえる頃、榎本は気分転換をはかるため隅田川に釣りにでかけた。だがこの日は中々獲物がかからなかった。早朝から釣り糸をたらし、獲物がかかったのは昼頃だった。ところが、いつの間にか隣で釣り糸をたらしていた侍らしき男が、突如刀をぬいて、釣り糸を切断してしまった。
「何をする! せっかくの獲物が台無しではないか!」
男は編笠を深くかぶり、不敵な笑みをうかべた。
「久しぶりだな釜さん。また会えてうれしいよ」
「あんたはあの時の確か小普請組で、名は勝麟太郎」
何故か釜次郎は、以前一度だけ会っただけだというのに、古くからの友にでも会ったような心もちがした。それから二人はおおいに時勢を語りあった。
「俺はな、この前黒船を見た時、震えが走ったな。あんな化け物みてえなもんを作る西欧の高い技術力、それに比べて、この国は……。この日本っていう国の周りにはなにがある? 海だ、海しかない。だが皮肉なことにその海が、天然の水堀りの役割を果たしてきたから、海の外の敵が攻め込んできた時のことなんざ、この国のお偉いさん達はなにも考えてこなかった。およそ三百年もの間、一体何をやってきたのか?」
「確かに、幕府は無能の一語につきますな勝さん」
「幕府が三百年にもわたって惰眠をむさぼってる間に、西欧の連中は産業を興し、高い技術力でこの地上にある、ありとあらゆる国を植民地にしてしまった。
だが考えてもみな釜さんよ、おめえさんも聞いたことあるだろ? 西欧じゃ黒船と同じ蒸気の力で、軌道の上を人を乗せて走る巨大な箱があるらしい。それが馬なんざよりよほど早く走る。
「ええ聞いたことがあります。確か蒸気機関車とかいうものですね」
「そうそう、それだよ釜さん。植民地支配の見返りといっちゃあ、あんまりかもしれんが、今や世界中どこの国にも、その人を乗せて走る機関車とかいうのが走っているんだそうだ。そうやって軌道の上を人も移動するし、そして情報もものすごい速さで移動する。そうやって世界が今変わっているんだ。
所詮、力なき者が屈従を強いられるのは詮無きこと。いっそのこと日本なんて国も、異人に足で踏みつけられて、そこからなにかを学べばいいんだ。
じゃねえと日本は何もかわらねえ。他国から植民地支配なんてものを受けない見返りとして、今や日本は世界でもっとも遅れた国だ。そしてこのままじゃどんどん取り残されていく。
俺はなあ釜さんよ、この江戸ちゅうところが大好きなんだ。春は夜桜、梅雨の時分の紫陽花、夏は隅田川から眺める花火、秋の紅葉もいい。なんかこうゆったりと時間が流れていくのがいいな。
可能なら、ずっとこのまま時が推移すればそれでいいと思う。だが全ては変わる。変わらなくちゃいけねえんだし、やがては変わる。ここから見える風景も全て変わるだろう」
そこまでいうと麟太郎は、ごろりと横になった。
「それからなあ釜さんよ。今度から俺のことを麟太郎と呼ばず勝海舟と呼んでくんねえか」
「勝海舟ですか? 名を変えたんですか?」
榎本は不思議そうな顔をした。
「俺の学問の師匠でもあり、弟でもある佐久間象山っていう偏屈な先生がいて、そいつの家にあった『海舟書屋』っていう額縁をもらい受けて、気にいったんで今度から海舟と号することにしたんだ」
「佐久間象山といえば、天下に名を知られた、当代きっての蘭学者じゃありませんか。でも待ってください弟というのは……?」
榎本も人の噂で象山の年齢くらいは聞いていた。どう考えても麟太郎、いや海舟より年齢が上であったはずである。
「いや俺に妹がいて、先生がそいつに惚れちまったんだ。妹より二十五も年齢が上なのに、とうとう祝言をあげることになっちまった。まったく、とんでもねえ弟ができたもんだよ」
と、海舟は苦笑しながらいった。
「麟太郎殿いや海舟殿、もしできることなら、私をその佐久間象山先生に会わせてはいただけないでしょうか? 天下一の大学者とはいかなるものであるか、ぜひこの目で見てみたいものですな」
しかし榎本の頼みに、海舟は煮えきらなかった。
「それがいないんだよ。その大先生がさ……」
「何と? それではいずこへ?」
「幕府の役人に囚われ、今は小伝馬町の牢の中さ」
榎本が驚くのを横目に、海舟は相変わらず空ろな眼差しのまま、大学者・佐久間象山が捕縛された経緯を語りだした。
佐久間象山が、勝海舟の妹・順を娶ったのは、嘉永五年(一八五二)の十二月のことであった。この時象山四十二歳、順はなんと十七歳だった。
すでに象山には、側室菊の生んだ一子恪次郎がいたが、菊と順の仲も比較的良好で、順にとり順風満帆な新婚生活が続いた。
翌年の夏が訪れた。江戸はペリー来航を間近に控え、もちろんそのようなことは知る由もなく、人々は隅田川に打ち上げられた花火に興じていた。まさに嵐の前の静けさといってよい。
順と象山もまた、両国広小路に花火見物にやってきた。両国広小路といえば、江戸随一の盛り場である。有名な明暦の大火の後、この界隈には両国橋の他にも橋が縦横にかけられ、茶店や見世物小屋が立ち並び、水商売の女達がたむろした。
「順よ、御主あの花火がいかように打ちあがるか、その原理を知っておるか?」
と、この容貌魁偉な男は、扇子でやぶ蚊を払いのけながら、二十五歳年下の新妻にたずねた。
ちなみに象山は身長が百七十センチほどあり、当時としてはかなり体格がよかった。目が大きく、そして鋭く、あたかも梟のようであったと伝えられる。そして常に紋付の袴をはき、下着は白襟のものを好んだといわれる。
特に服装にはうるさかった。あの吉田松陰が入門を願った際、服装や頭髪が乱れていることが原因で、一度は怒鳴られ、入門を断られた話は有名である。とにかく一見して大学者の風格があった。
「炎色反応というものでな、特定の元素のうち炎にリチウムをかざすと赤くなり、ナトリウムなら黄色、カリウムなら紫色に変色する……」
すると順はプイと象山に背を向けた。
「順は、そのような難しいこと存じませぬ」
「おお……すまなんだ許せよ」
と、この怪人物は一時困惑の色をうかべた。
佐久間象山が優れていたのは、科学的知識だけではなかった。和歌や漢詩、さらには七絃琴や一絃琴も達人の域であったといわれる。
一方の順は容姿こそそこそこだったが、子供の頃から何をやらしても器量は並以下だった。料理、裁縫、琴や三味線もまるでだめだった。
ところが、象山のもとで琴を学んでからめきめきと上達し、兄の海舟が驚嘆の声をあげるほどの成長ぶりだった。そしてこれが縁で、両者は年の差をこえて結ばれたのであった。
しかし一方で順は、閨での象山の絶倫ぶりには夜毎悲鳴をあげた。象山は西洋人のように白い肌をしていたといわれる。そして年が二十五もはなれた象山の性欲はとどまることを知らず、二度、三度、四度と順の体を求め、順は朝がくる頃には疲れ果て、力尽きていた。
だが夜の営みをぬきにすると、両者の夫婦の間はすこぶる順調だった。ところが黒船の出現が全てを変えた。あの問題の吉田松陰が、あろうことか浦賀に停泊中のペリー艦隊に密航を企て、これを拒否され、幕府の役人に捕縛されてしまったのである。
そして松陰・寅次郎の荷物の中から、象山が寅次郎に贈った決別の漢詩が発見された。象山は関与を疑われ、屋敷に幕府の役人が土足で上がりこむ事態となった。
「よいか! 何があろうとわしを信じて待っていろ。いざという時は、菊と恪次郎のこと頼んだぞ」
それが象山の最後の言葉だった。順は兄の海舟の袖にすがりつき、涙を流すより他なかったというのである。
黒船の出現は多くの人々の運命を変えた。象山、そして海舟の運命をも大きく変えようとしていた。そして榎本には、ほどなく人生を大きく変える旅が待っていた。
そうした中、十二代将軍家慶が憤りのあまりか、突如として世を去った。享年六十一歳だった。最後の言葉は、
「青鬼が見える恐ろしいのう」
というものだったといわれる。
ペリーが浦賀沖を去ってから十日目の突然の死は、幕政をさらに混乱させることとなった。結局幕閣が出した結論は次のようなものだった。
1・長崎での限定的な交易
2・理由をもうけて回答を引き延ばし、その間に武備を充実させてたうえでの攘夷
そして年が改まって嘉永七年(一八五四)一月、ついにペリー艦隊は浦賀に再来したのだった。
ペリーの圧力に屈したかのように、幕府内では開国通商もやむなしの空気が日増しに高まった。しかしこれに真っ向から異をとなえたのが、またしても水戸・徳川斉昭だった。
「我が国は八百万の神が住みたもう美しい国ぞ! 異国との交易などもっての他じゃ!」
「それでは、他にいかな策があるというのじゃ御老公」
あいかわらず勇ましい斉昭に、溜詰大名の一人堀田正篤は、半ばうんざりしたように聞き返した。堀田は佐倉藩主として蘭学を奨励し、佐藤泰然を招聘して佐倉順天堂を開かせるなど、蘭癖と呼ばれるほどの人物である。斉昭とは最初から意見があわなかった。
「戦って勝算があるなら、是非その策を伺いたいものですな御老公」
と信濃国上田藩主の松平忠固も、斉昭の勇ましい攘夷論に疑念をていした。
「確かに全面戦争は避けるべきやもしれぬ。じゃが一、二戦やってみるは無駄ではないとわしは申しておる。そのことにより、この日本国の津々浦々にいたるまで、危機意識が浸透し、百姓・土民にいたるまで団結するやもしれぬと申しておるのだ。一戦もせずに異国のされるがままなど、この国の面子にも関わる。もし戦となれば先陣はわしがつとめる」
この時、斉昭の意見をだまって聞いていた彦根藩主井伊直弼の表情が一変した。
「無礼であろう水戸殿!」
「何い?」
「徳川の先陣は、我が彦根藩が代々承っておる。水戸徳川家におかれては、いつ何時神君家康公より先陣の栄誉を賜ったのござるかな?」
斉昭はしばし唇を強く噛み直弼を見すえた。この頃から、井伊直弼と徳川斉昭の対立も次第に顕在化し始めていた。
結局、日米和親条約の締結は、この年三月三日のことだった。
時代は大きく変わろうとしていた。その頃、榎本釜次郎は、幕臣として日米和親条約の交渉にも深く関わった元伊豆韮山の代官江川太郎左衛門の塾で、蘭学を学んでいる最中だった。
江川太郎左衛門は、江戸・台場への砲台設置などにも関わり、幕府の海防と西洋式兵学の第一人者である。
時に榎本釜次郎は十八歳。この混乱の最中、黒船を目の当りにし、果たして己がこの国のため何ができるか? 模索している最中であった。
日米和親条約の締結からほどなく、江川太郎左衛門の塾に一人の二十代半ばほどの男が招待された。その男の名はジョン・万次郎。土佐の国の漁師の出自で、漂流してアメリカ船に救助され、アメリカのマサチューセッツで教育を受けたという異色の経歴の持ち主だった。
黒船騒動の最中、幕府にアメリカを知る数少ない日本人として招聘を受け、特別に士分に取り立てられ、日米交渉でも裏方として活躍した。この男がこの日、榎本達塾生の前でアメリカと西欧を語ることとなった。
「メリケンという国は、西欧諸国に比べるとまだまだあらゆる面で劣った国であります。しかしメリケンには希望があり、未来があります。何故ならメリケンは、実に土地が肥沃であります。
西欧というところは実に土地条件が劣悪で、生産性があまりに低い。そもそも西欧が、あれほど小国に分裂している根本的な原因は、生産力の低さにあるといっても過言ではないでしょう。人間というものは、食料が不足しているとどうしても奪い合いになり、殺し合いになるものです。
そして人間が作った制度や仕組みなどというものは、それが例え宗教であれ、王権であれ、時が来れば必ず腐るものであります。
残念ながら西欧は、産業革命以来の急激な進歩の一方、あまりに長い歴史のため、社会の至るところで差別、偏見、迷信、階級などが幅をきかせ、それが新しい時代へ向かおうとする力を妨げることとなったのであります。
そういった現実に嫌気がさした西欧の一部の人々が、彼らが新大陸と呼ぶメリケンを目指したわけです。そこでは西欧にそれまであった様々な身分的偏見や、差別がことごとく英語でいうとリセット、つまり消滅したわけです。
そして新たにそこに集った人々が力を合わせ、山を切り開き、畑を耕し、平等な条件のもとにいわばメリケンの民となったわけであります」
万次郎の演説は長時間に及んだ。その間、榎本はふと思うところがあった。欧米人が古い制度やしがらみを嫌って、彼らのいう新大陸を目指したというのなら、この地上のいずこかに新大陸同様に、まだ手付かずの未開の土地が存在しないものだろうか?
この時代、徳川幕藩体制というガチガチの封建支配のもとで、榎本のような武士階級でさえ、さまざまな封建的制約のもとに生きていた。榎本もまだ若い。それがときおり、ひどく息苦しく思えるのは仕方のないことだった。もしこの世のいずこかに他に「新大陸」が存在したら……。榎本はふと夢を見て、そしてため息をついた。そしてこの薄ぼんやりとした夢想は、やがては榎本の生涯を貫く、最大の課題となるのである。
榎本には、この塾で気になる男が一人いた。その男は年は榎本より二つほど年上のようである。どうやら出身は上方の播州・赤穂のようで、そのせいか時々口を開くと関西なまりがあった。その男は名を大鳥圭介といった。
無口で物静か、榎本をはじめとして塾生達による、ある種のグループ交際にも中々加わろうとしなかった。実に真面目な青年で、優等生の手本といってもよいだろう。
ある日の夕刻のことである。榎本はたまたま両国橋を本所方面に向かおうとする大鳥を目撃する。もしやして、深川あたりに芸者でも買いにゆくつもりか? 興味をもった榎本は大鳥の後をつけてみた。
ところが大鳥の目的は違っていた。両国橋をわたってほどなくの場所に、忠臣蔵で有名な赤穂浪士が討ち入りを決行した吉良邸がある。そこで手を合わせ祈り始めたのである。それが実に長い。四半刻(約三十分)ほども祈り続けていた。
ようやく祈りをすませ、立ち去ろうというところで榎本が声をかけた。
「まったく、よくそんなに祈ってられるな。おかげで待ちくたびれたぞ。女でも買いに行くと思ったら、ここまで真剣に祈りをささげるとは、たいそうなことだな」
大鳥は不意の榎本に出現にしばし驚いた様子だった。
「これは榎本君じゃないか。我々赤穂の武士にとっても民にとっても、赤穂浪士は神のような存在なんだ。それはそうと他に何か私に用かね」
「いや、それにしても何百年も前のことを悪くいうのもなんだが、あの浅野なんとかいう切腹した侍はなんだ? 少し頭がいかれていたんだろ? だいたい老人一人を後ろから仕留められないようじゃ、士道未熟もいいとこだな。そんな馬鹿殿のために路頭に迷い、討ち入りまでしなければならなかった、赤穂の浪人たちも気の毒ではあるな」
と、榎本はかすかに馬鹿にしたような様子で本音をいった。大鳥の顔が一瞬歪んだ。
「じゃあ邪魔したな俺は帰るぜ」
立ち去ろうとする榎本の肩を大鳥がつかんだ。
「何をする!」
「我! 赤穂浪士を愚弄するとは許さへんで! さあ謝ってもらおうか」
「己! 放せ、放さんか!」
突然大鳥は、怒りを抑えかね榎本の顔面に拳を一発いれた。鈍い音がして榎本は倒れた。
「こいつ! やる気だな! 喧嘩なら受けて立つぜ」
すでに鼻血を流して、顔を紅潮させた榎本は、すぐに反撃を開始する。二人はもみ合い大喧嘩となった。両者は、たまたま通りかかった者が止めに入るまで殴りあった。
榎本といえば、どこか紳士的なイメージがあるが、一方で江戸っ子の典型例でかなり気が短かった。そしてこの事件の後、榎本と大鳥は最良の友となり、終生にわたって生死を共にすることとなるのである。
そしてここに、もう一人榎本の運命を左右する人物がいた。
ようやく傷もいえる頃、榎本は気分転換をはかるため隅田川に釣りにでかけた。だがこの日は中々獲物がかからなかった。早朝から釣り糸をたらし、獲物がかかったのは昼頃だった。ところが、いつの間にか隣で釣り糸をたらしていた侍らしき男が、突如刀をぬいて、釣り糸を切断してしまった。
「何をする! せっかくの獲物が台無しではないか!」
男は編笠を深くかぶり、不敵な笑みをうかべた。
「久しぶりだな釜さん。また会えてうれしいよ」
「あんたはあの時の確か小普請組で、名は勝麟太郎」
何故か釜次郎は、以前一度だけ会っただけだというのに、古くからの友にでも会ったような心もちがした。それから二人はおおいに時勢を語りあった。
「俺はな、この前黒船を見た時、震えが走ったな。あんな化け物みてえなもんを作る西欧の高い技術力、それに比べて、この国は……。この日本っていう国の周りにはなにがある? 海だ、海しかない。だが皮肉なことにその海が、天然の水堀りの役割を果たしてきたから、海の外の敵が攻め込んできた時のことなんざ、この国のお偉いさん達はなにも考えてこなかった。およそ三百年もの間、一体何をやってきたのか?」
「確かに、幕府は無能の一語につきますな勝さん」
「幕府が三百年にもわたって惰眠をむさぼってる間に、西欧の連中は産業を興し、高い技術力でこの地上にある、ありとあらゆる国を植民地にしてしまった。
だが考えてもみな釜さんよ、おめえさんも聞いたことあるだろ? 西欧じゃ黒船と同じ蒸気の力で、軌道の上を人を乗せて走る巨大な箱があるらしい。それが馬なんざよりよほど早く走る。
「ええ聞いたことがあります。確か蒸気機関車とかいうものですね」
「そうそう、それだよ釜さん。植民地支配の見返りといっちゃあ、あんまりかもしれんが、今や世界中どこの国にも、その人を乗せて走る機関車とかいうのが走っているんだそうだ。そうやって軌道の上を人も移動するし、そして情報もものすごい速さで移動する。そうやって世界が今変わっているんだ。
所詮、力なき者が屈従を強いられるのは詮無きこと。いっそのこと日本なんて国も、異人に足で踏みつけられて、そこからなにかを学べばいいんだ。
じゃねえと日本は何もかわらねえ。他国から植民地支配なんてものを受けない見返りとして、今や日本は世界でもっとも遅れた国だ。そしてこのままじゃどんどん取り残されていく。
俺はなあ釜さんよ、この江戸ちゅうところが大好きなんだ。春は夜桜、梅雨の時分の紫陽花、夏は隅田川から眺める花火、秋の紅葉もいい。なんかこうゆったりと時間が流れていくのがいいな。
可能なら、ずっとこのまま時が推移すればそれでいいと思う。だが全ては変わる。変わらなくちゃいけねえんだし、やがては変わる。ここから見える風景も全て変わるだろう」
そこまでいうと麟太郎は、ごろりと横になった。
「それからなあ釜さんよ。今度から俺のことを麟太郎と呼ばず勝海舟と呼んでくんねえか」
「勝海舟ですか? 名を変えたんですか?」
榎本は不思議そうな顔をした。
「俺の学問の師匠でもあり、弟でもある佐久間象山っていう偏屈な先生がいて、そいつの家にあった『海舟書屋』っていう額縁をもらい受けて、気にいったんで今度から海舟と号することにしたんだ」
「佐久間象山といえば、天下に名を知られた、当代きっての蘭学者じゃありませんか。でも待ってください弟というのは……?」
榎本も人の噂で象山の年齢くらいは聞いていた。どう考えても麟太郎、いや海舟より年齢が上であったはずである。
「いや俺に妹がいて、先生がそいつに惚れちまったんだ。妹より二十五も年齢が上なのに、とうとう祝言をあげることになっちまった。まったく、とんでもねえ弟ができたもんだよ」
と、海舟は苦笑しながらいった。
「麟太郎殿いや海舟殿、もしできることなら、私をその佐久間象山先生に会わせてはいただけないでしょうか? 天下一の大学者とはいかなるものであるか、ぜひこの目で見てみたいものですな」
しかし榎本の頼みに、海舟は煮えきらなかった。
「それがいないんだよ。その大先生がさ……」
「何と? それではいずこへ?」
「幕府の役人に囚われ、今は小伝馬町の牢の中さ」
榎本が驚くのを横目に、海舟は相変わらず空ろな眼差しのまま、大学者・佐久間象山が捕縛された経緯を語りだした。
佐久間象山が、勝海舟の妹・順を娶ったのは、嘉永五年(一八五二)の十二月のことであった。この時象山四十二歳、順はなんと十七歳だった。
すでに象山には、側室菊の生んだ一子恪次郎がいたが、菊と順の仲も比較的良好で、順にとり順風満帆な新婚生活が続いた。
翌年の夏が訪れた。江戸はペリー来航を間近に控え、もちろんそのようなことは知る由もなく、人々は隅田川に打ち上げられた花火に興じていた。まさに嵐の前の静けさといってよい。
順と象山もまた、両国広小路に花火見物にやってきた。両国広小路といえば、江戸随一の盛り場である。有名な明暦の大火の後、この界隈には両国橋の他にも橋が縦横にかけられ、茶店や見世物小屋が立ち並び、水商売の女達がたむろした。
「順よ、御主あの花火がいかように打ちあがるか、その原理を知っておるか?」
と、この容貌魁偉な男は、扇子でやぶ蚊を払いのけながら、二十五歳年下の新妻にたずねた。
ちなみに象山は身長が百七十センチほどあり、当時としてはかなり体格がよかった。目が大きく、そして鋭く、あたかも梟のようであったと伝えられる。そして常に紋付の袴をはき、下着は白襟のものを好んだといわれる。
特に服装にはうるさかった。あの吉田松陰が入門を願った際、服装や頭髪が乱れていることが原因で、一度は怒鳴られ、入門を断られた話は有名である。とにかく一見して大学者の風格があった。
「炎色反応というものでな、特定の元素のうち炎にリチウムをかざすと赤くなり、ナトリウムなら黄色、カリウムなら紫色に変色する……」
すると順はプイと象山に背を向けた。
「順は、そのような難しいこと存じませぬ」
「おお……すまなんだ許せよ」
と、この怪人物は一時困惑の色をうかべた。
佐久間象山が優れていたのは、科学的知識だけではなかった。和歌や漢詩、さらには七絃琴や一絃琴も達人の域であったといわれる。
一方の順は容姿こそそこそこだったが、子供の頃から何をやらしても器量は並以下だった。料理、裁縫、琴や三味線もまるでだめだった。
ところが、象山のもとで琴を学んでからめきめきと上達し、兄の海舟が驚嘆の声をあげるほどの成長ぶりだった。そしてこれが縁で、両者は年の差をこえて結ばれたのであった。
しかし一方で順は、閨での象山の絶倫ぶりには夜毎悲鳴をあげた。象山は西洋人のように白い肌をしていたといわれる。そして年が二十五もはなれた象山の性欲はとどまることを知らず、二度、三度、四度と順の体を求め、順は朝がくる頃には疲れ果て、力尽きていた。
だが夜の営みをぬきにすると、両者の夫婦の間はすこぶる順調だった。ところが黒船の出現が全てを変えた。あの問題の吉田松陰が、あろうことか浦賀に停泊中のペリー艦隊に密航を企て、これを拒否され、幕府の役人に捕縛されてしまったのである。
そして松陰・寅次郎の荷物の中から、象山が寅次郎に贈った決別の漢詩が発見された。象山は関与を疑われ、屋敷に幕府の役人が土足で上がりこむ事態となった。
「よいか! 何があろうとわしを信じて待っていろ。いざという時は、菊と恪次郎のこと頼んだぞ」
それが象山の最後の言葉だった。順は兄の海舟の袖にすがりつき、涙を流すより他なかったというのである。
黒船の出現は多くの人々の運命を変えた。象山、そして海舟の運命をも大きく変えようとしていた。そして榎本には、ほどなく人生を大きく変える旅が待っていた。
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(2022.04.04)
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日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初は、ほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者達の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年〈大正6年〉11月9日 ~2009年〈平成21年〉6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われているます。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的です。
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日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。
この小説は真実の物語です。
「神典日月神示(しんてんひつきしんじ)真実の物語」
どうぞ、お楽しみ下さい。
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