残影の艦隊~蝦夷共和国の理想と銀の道

谷鋭二

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【第二章】戦火

功山寺決起(二)

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山縣狂介という、足軽より身分が低い中間を出自とする怪人物は、村塾出身ではあるが学んだ期間もごくごく短期間でしかない。そのため松陰・寅次郎から特別目をかけられていたということもなかった。
 高杉は山縣を「味噌徳利」と仇名した。徳利に入った味噌は簡単には出てこないように、その行動は慎重かつ細心を極め、生涯通じて徹底したリアリストであった。この時代の長州人としては珍しく、決して飛躍を好まなかったのである。
 この時期の奇兵隊総督は赤根武人という百姓上がりの男であったが、事情があってこの時期、赤根は行方をくらましていた。軍監としての山縣は事実上、奇兵隊のトップであった。そして生涯で一度、この現実主義者は博打を打たざるをえない状況に追いこまれようとしていたのである。

  十二月二十八日、山縣に率いられた奇兵隊およそ二百人は絵堂にいた。萩の俗論派政府から栗屋帯刀という者が馬関の高杉を制圧するため、約千の兵を率いて南下してきた。栗屋にしてみれば奇兵隊などはなかば眼中にない。敵はあくまで馬関の高杉であり、二百の奇兵隊などは、兵をもって脅せば簡単に屈するものと思っていた。栗屋は使者を派遣した。
「その方どもの集合は不穏である。武器を捨て解散せよ」
 この高飛車な物言いは山縣を強く刺激した。恐らく戦わず降伏したところで、死罪は免れないだろう。しかし千と二百では戦っても勝敗は明らかである。この時山縣は配下の奇兵隊を説得するため、しばしの時間の猶予を栗屋に求めた。栗屋は独断で山縣に返答することはできない。萩の政府に伺いをたてる必要があった。結局、萩からの返答は年が明けて慶応元年(一八六五)の一月五日だった。
「君公は汝たちに提案を受け入れた。速やかに軍を解散せよ」
 というものだった。山縣をこれを了承したと見せかけて行動を開始する。秋吉台をぬけて絵堂に入り、夜半、栗屋の陣に夜襲をかけたのである。
「嘘であろう?」
 栗屋はまったく不意をつかれた。鎧を着るいとますらなく、逃亡するより他なかった。
 卑怯といえば、これほど卑怯な騙し討ちもないだろう。しかし山縣の胸中には、幼少の頃よりの上士階級に対する憎悪があった。
 幼い頃、山縣は橋の上で上士の子弟とささいなことで争いとなり、よってたかっておさえつけられ川に投げられた。しかも山縣の側が後日、父とともに謝罪を強制されることとなる。その時のことを思うと、今でも腸が煮えくりかえるような思いをどうすることもできなかった。
  この時の銃声を聞いて、近くに駐屯していた俗論党の財満新三郎という者が、わずかな部下とともに軽装で奇兵隊の陣に現れた。
 この男もまた多少の命令口調でおどせば、奇兵隊は簡単に命令に従うものとみくびっていた。やがてそれが誤りであることに気付くのは、あまりに殺気だった奇兵隊士たちをまのあたりにした時だった。
「貴様ら下がれ、下がらんか! かかる暴挙は何事ぞ! 藩に対し弓引くは天下の大罪であるぞ!」
 この時、山縣が命令したわけでもなく、奇兵隊の何者かが新三郎に発砲する。それが新三郎の喉元を貫通した。新三郎は即死だった。
 間もなく山縣がかけつけてきて、新三郎の遺体を確認した。隊士たちが乱暴した様子で遺体は首が切断され、いくつもの刀傷があった。山縣は、もはや後には退けないと思った。そしてその場で髻を切りおとし、ばさら髪になる。
「今こそ我ら洞春公の意思を奉じ、藩主様を俗論派の者たちより、お救い申しあげる。敵は萩の俗論政府であるぞ!」
 この言葉に奇兵隊士から歓声がおこり、山縣にならって髻を切り落とし覚悟をしめす者が続出した。ちなみに洞春公とは毛利家の始祖・毛利元就のことである。山縣にしてみれば、藩に弓を引いて戦っているという、隊士たちの恐怖や後ろめたさを少しでも緩和したいという思いがあった。いかにも理屈好きで、大義名分をなによりも重んじる長州人らしい演出であった。


 もちろん萩の俗論派の側でも、このまま黙ってはいない。本格的な戦闘は一月十日に開始された。この時、山縣は全軍を絵堂からより防御に適した太田にうつしていた。
「敵は千、味方は二百一体どうしたらいいか?」
 戦場となった場所は、本道と間道でほぼV字路をなしていた。敵の主力は間道からやってくるという。もちろん山縣もまた、兵を三手すなわち本道、間道、自らの手元の兵で分ける。特に間道には三好軍太郎、三浦五郎といった、後に山縣を中心とする日本陸軍においても中核をなす最精鋭部隊を配置した。
 決戦を前にして槍を片手に本陣の床几に腰かけた山縣は、ふと村塾にいた頃のことを思いだしていた。
 ある時、すでに池田屋で死んだ吉田敏麿が奇妙な絵を描いた。不思議な絵である。鼻輪を通さぬ暴れ牛、坊主頭で裃を着た人物、そして木剣、棒が描かれていた。敏麿の説明によると暴れ牛は高杉である。裃を着ているのは久坂玄瑞であるという。廟堂に座ると立派な政治家になると敏麿は説明する。そして木剣は入江九一で、磨けば本当の真剣になりうるという。そして山縣はただの棒切れにすぎないというのである。
「確かに自分には、死んだ久坂や敏麿、入江のようなきらびやかな才はなく、高杉のような常人の想像をはるかに越えるような奇抜な発想もない。しかし棒切れには棒切れの戦い方があるはずだ……」
 太田に陣をうつしたのも己が攻撃より防御にむいているという、冷静な自己分析からだった。そしてこの山縣という徹底した現実家もまた、彼なりにすでに死んでいった仲間のことを思い、この戦いに必勝を期していたのである。
 この時、山縣配下の奇兵隊の側では兵力の不足を補うため、間道沿いに地雷を設置していた。ところがいかなる手違いか地雷は爆発しなかった。何事もなかったかのように、萩の藩政府の部隊は、三好軍太郎率いる部隊に襲いかかる。もちろん圧倒的な兵力差から、三好隊はたちどころに押されはじめる。
 しかし山縣は冷静だった。戦機を確実に見さだめていた。やがておりしも降りはじめた雪がさらに激しくなった。風雪のため一寸先の視界も定かでなくなった時、山縣はうごいた。
「今から敵に奇襲をしかける!」
 山縣は配下の四十人の部隊をもってV字路の中央の藪山を突っ切り、敵の側面を突こうとした。
 途中、険しい雑木林を越えての行軍と寒波のため、弱音をはく兵士もいた。
「馬鹿たれ! ここで屈しては多くの同士の死は無駄になる。湊川の楠木公の精神で乗りきるのだ!」
 ついに山縣隊は敵が見える場所まで出た。萩政府軍の大将は例の栗屋帯刀である。この人物なりに前回の恥をそそぎ、必勝を期していたが、おりしも視界を遮断する激しい風雪の中から、突如として得体の知れぬ敵兵が出現した。もともとすでに後がなく、極めて切羽つまった状況の奇兵隊と異なり、萩政府軍は戦意にとぼしかった。なによりも外国との戦いや、禁門の兵を戦った奇兵隊士たちと、実戦経験のほとんどない部隊との経験の開きもまた大きかった。この側面攻撃で萩政府軍はもろくも崩れたのである。

 対峙す、両軍今若何いかん
 戦声あたかも似る、迅雷の過ぐるに
 三更の雪 
 精兵難所を越える

 山縣は重要な一戦に勝利をおさめた。

  三度目の決戦は十四日に、やはり太田でおこなわれた。この時は、数に勝る萩の政府軍が高台から敵めがけて銃を浴びせた。奇兵隊としては一時期大混乱となったが、一隊がさらにそのまた高台から銃を浴びせるという策にでて形勢は変わった。
 この時、萩の政府軍にとっての不幸は、銃といっても火縄銃しか装備していなかったことだった。対する奇兵隊側はゲベール銃を所持していた。しかも戦闘さなか雨までも降ってきた。雨が降れば火縄銃はもはや使用できない。結局この十四日の戦いもまた、萩政府側の敗北に終わった。

 同じ頃、八・一八政変の後に雨後のタケノコのように防長二州に誕生した諸隊もまた、各地で蜂起していた。井上聞多の鴻城隊は山口の旧政事堂を占領した。また山田市之允、太田市之進等を頭とする御盾隊もまた、小郡の代官所を目指して進軍中であった。
 御盾隊はおよそ三百人。山口の大庄屋吉富藤兵衛という者が、約五百人の農民を集めて決起する手はずを整えており、これと呼応して御盾隊もまた小郡の代官所の襲撃を決行する。ちょうど山縣の奇兵隊が絵堂から太田に移動した十日のことだった。
 進軍してくる藩政府との戦いは十四日に行われた。御盾隊としては一旦は防御に適した呑水峠まで退いて、約千人の藩政府軍を迎え討つ。
 この日もまた豪雪と寒波の中での戦いとなった。市之允自身も剣をもって敵とわたりあうも、ここに悲痛事がおきた。敵の中に藩校明倫館で互いに剣の腕を磨いた、かっての同士がいたのである。市之允は激戦の末この同士をついに倒した。しかし市之允自身もまた左足に深手を負う。
 この時、突如として市之允が戦場で狂った。激痛が、市之允の精神状態に悪影響をもたらしたとしかいいようがない。何しろ市之允は禁門の変で多くの仲間を失ったばかりか、その後の俗論派による粛清でも、一族から三人が死罪となった。精神の微妙な平衡感覚が、ここで崩壊してしまったのである。猛吹雪の中、市之允は新陰流の剣の腕をもちながら、まるで素人のように刀をふりまわし、ついにはその場に昏倒した。
 次に目が覚めた時、市之允はムシロの上に寝かされていた。目の前に同士である太田市之進がいた。
「ここはどこだ?」
 と市之允が訪ねると、市之進は萩へ通じる佐々並だと答えた。
「馬鹿たれが! 二度と命を粗末にするな!」
 市之進は半ば命令口調でいう。
「戦は? 戦はどうなった?」
 ようやく自分を取り戻しつつある市之允に、太田市之進は、
「戦はもう勝ったもも同然じゃ!」
 と力強くいった。
 
 山縣や市之允が萩の政府と戦っている頃、晋作はなかなか馬関から動かなかった。いや動けなかったといったほうがいい。海を隔てて小倉の幕軍の動きに備えていたのである。しかし幕軍が征長軍内部での足並みの乱れもあり、海峡を渡ってこないと確信した高杉は、艦船をもって一気に萩まで渡り、一日中空砲を放っては萩城を動揺させた。
 征長軍内部では、これを機に長州藩を完全に潰すべきであるという過激な意見と、三家老の切腹で十分で、後の処置は長州人自身につけさせるべきであるという、穏健派に意見がわかれていた。しかし薩摩の西郷吉之助が穏健派の側にまわり動かなかったため、第一次長州征伐は、幕府にとり不本意な形で終わりをつげることとなった。
 晋作や正義派にとっての幸運は、富裕な商人や豪農がことごとく正義派の側に味方したことだった。わずか八十人による決起が、萩城下に押し寄せる頃には三千人にもふくれあがっていたのである。
 すでに萩政府は孤立無援の状態に近かった。山口には井上聞多の鴻城軍がいる。他の諸隊もまた山口郊外の街道ことごとくを押さえていた。篠目口は奇兵隊、佐々並を御盾隊、大峠を遊撃隊、勝坂は八幡隊といったぐあいである。
 しかしここで正義派の側にも足並みの乱れが生ずる。
「今が時じゃ。これを機に一気に萩城を落とし、俗論派の椋梨たちの首をあげよう」
 と軍議の席上興奮しながらいったのは、やはり高杉だった。しかし山縣の意見は違っていた。
「兵がつかれておる。ここは休息が必要だ。まず敵に降伏勧告をして、しかるべき後に敵の出方をみるべきである」
 と高杉の進発論に反対した。結局、山縣の側の意見が通った。そしてこの時は、山縣の考えは誤りではなかったのかもしれない。萩城内部に裏切り者がでたのである。
 その名を鎮静会と称し、藩主毛利敬親に時世を説き、意見を建白し、もはや俗論派に味方する者が防長二州に存在しないことを訴えた。そしてついに藩主は俗論派の罷免に対し、大きく首を縦にふった。
「そうせい!」
 と大声で言う。この毛利敬親なる肥満した毛利家の主は、家臣の誰が意見を具申しても一言、そうせい、としか言わなかった。そのため家臣たちは、この人物を密かに「そうせい公」と呼んでいた。
 これにより俗論派の首魁椋梨藤太は海上に逃れるより道がなくなった。ついには捕らえられ後に斬首されることとなる。椋梨こそいい面の皮である。なぜ己が敗者になったのか? なぜ海上をさまよわなければならないのか? なぜ首をはねられるのか? わずか八十人で始まった正義派の決起は、まさしく疾風迅雷のように藩政をひっくり返してしまったのである。
 しかし勝利した高杉の側もまた、うかれてばかりはいられなかった。いずれ幕府と再び衝突するであろうことは、疑いようもなかったからである。
 
 
  
 


 

 
 
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