34 / 65
【第三章】鳥羽・伏見の戦い
阿波沖海戦
しおりを挟む
一方海では、榎本による兵庫港封鎖作戦が実行されていた。
三日夕刻、開陽はじめとして幕府艦隊に海上封鎖された薩摩側では、この事態にどう対応するかをめぐって激しい議論が展開される。議論は深夜にまで及び、最終結論は強行突破だった。
「正直、春日では幕府側の開陽には勝ち目がごわはん。じゃっどんこげんなったもんは仕方なか。最悪の場合、薩摩の武士らしく船と命運を共にするしかなかど」
と最終結論をくだしたのは赤塚源六だった。その場に異様な悲壮感が漂った。
翌、午前四時頃のことである。薩摩艦隊による強行突破作戦は決行された。この日、ほとんど自力航行が不可能なほど破損した翔鳳丸を、同じく薩摩艦の春日丸が太い綱で引きながら兵庫沖を移動することとなった。
ところがここに薩摩にとり、あまりに不幸な事故が勃発する。スピードを落として海上を移動していた春日丸と、後方の翔鳳丸が不覚にも衝突してしまったのである。しかも不幸はそれだけではなかった。その衝撃で翔鳳丸の甲板上の野砲が無人もまま実弾を発射してしまった。鈍い衝撃音が静かな海洋に響きわたった。
「こいは何とした不覚!」
赤塚は真っ青になった。恐らく敵に聞こえたであろう。これで計画は台無しになったかのように思えた。しかしここに薩摩側にとり奇跡的な幸運がおこる。ちょうど同じ頃、大坂方面で火の手があがり、これに開陽はじめ幕府艦隊は対応を迫られることとなった。その隙をついて薩摩艦隊は兵庫港の封鎖を突破してしまう。
やがて夜が明けた。次第、次第に暁が大海洋を照らしていく。薩摩艦隊の乗り組み員たちは半ば死を覚悟していただけに、この光景はあまりに感動的であった。
しかし榎本も黙って薩摩艦隊を逃がしはしない。春日丸は十六ノット、十二ノットの開陽丸より船足だけは早い。しかし破損した翔凰丸を手綱で引きながらの航行である。逃げ切れるわけもなく、由良の瀬戸で開陽丸につかまってしまった。
やむなく春日丸は翔凰丸と自船との手綱を切った。榎本は停戦合図の空砲を放つも、薩摩側は丸に十字の旗印を高々と掲げた。これは戦闘を受けて立つという意味の合図といってよい。とにかく春日丸としてはできるだけ時を稼ぎ、その間に翔凰丸を逃がそうというのである。
これにより榎本もまた戦闘を覚悟した。開陽丸は左に大きく舵を切る。そして四キロ、三キロ、二キロとじりじりと敵春日丸との距離と縮めていく。
「目標! 左舷前方二千五百。クルップ砲角度三・五!」
叫んだのは沢太郎左衛門だった。
「左一番、左二番撃てぃ!」
雷管式激発器が下ろされ、十六センチ施条砲が火薬の臭いと共に火を噴いた。しかし最初の一撃は春日丸の左舷二十メートルの場所に落下。二発目も当たらなかった。
双眼鏡でこの様子を見守った榎本は、これではだめだと思った。さらに船を接近させる必要がある。開陽丸は、春日丸までおよそ一・五キロの位置まで接近した。
しかしここで薩摩側も反撃にでてくる。アームストロング砲を放ってくるも、これも開陽丸に命中しなかった。
この光景を、榎本の隣で顔を紅潮させながら見守る男がいた。砲術長で、かっての浦賀与力。あの日本人として初めて黒船に乗りこんだ中島三郎助だった。三郎助はこの時四十七歳になっていた。黒船を初めてみた嘉永六年には、未知の西洋文明に畏怖すら覚えたものだった。しかし日本も、ここまで来たという思いが三郎助にはあった。
つい数カ月前、三郎助は目と鼻の先で工事がすすんでいる横須賀造船所を、二人の息子と共に見学に赴いたものだった。次男の恒太郎は二十歳、三男の英次郎は十七歳になっていた。三郎助はそこに日本国と子供たちの未来を思い描いていたのである。
この造船所の設計を計画したのは幕府の小栗上野介である。アメリカへ赴き、ネジという当時世界最先端の技術を持ち帰った小栗と、フランス人技術者フランソワ・レオンス・ヴェルニーが巨額の費用を投じて建造したものだった。
小栗自身はその完成を見る前に非業の最期をとげるも、ヴェルニーがその志を継承した。一八七一年には一号ドックが完成。蒸気の力でハンマーを上下させ金属を加工するスチームハンマーなど、当時の世界でも最先端の技術が用いられた。一八八四年には、東洋一の規模を誇る二号ドックも完成した。
ヴェルニーは人材の育成も必要であるとして、自らも学んだフランスの最高学府エコール・ポリテクニークを模して技術者養成学校を設立。造船学、微分積分、建築学など高度な教育が行われた。
やがて横須賀鎮守府が設置され、横須賀は軍港として大きく発展していく。一八八九年に横須賀線開通。一九〇五年には一万八千トンの国産初の戦艦・薩摩が完成する。横須賀では日本で初めてメートル法も使用され、さらに月給制、日曜休日制、そして近代式簿記が給与計算に使用されたという。
はるか後年のことになるが日露戦争を勝利に導いた東郷平八郎は、日本の勝利は小栗上野介が浦賀に製造した造船所のおかげであるとして、子孫を探して感謝の言葉をのべたという。その東郷平八郎は、この時まだ二十二歳にして目の前の春日丸に下士官として乗船していた。もちろんそのような未来のことは三郎助も、そして二人の息子たちもまた知るよしもないわけではあるが……。
(後の大日本帝国海軍の薩摩出身者。このうち東郷、伊東、井上は阿波沖海戦に参加)
この「海の鳥羽・伏見の戦い」は、開陽丸がカノン砲を、薩摩の春日丸がアームストロング砲を激しく撃ち合う。しかし双方共に実戦経験の不足のため、敵艦に致命の一撃を加えることなくおよそ二時間がすぎた。
東郷平八郎が担当したのは左舷の四十ポンド砲の砲長である。春日丸は右舷もしくは左舷の砲を使用した後、百八十度回転して片側の舷の砲を使用するのである。敵、開陽丸は東郷の視界におよそ小指ほどの大きさに見えた。四十ポンド砲をはなつも開陽丸の手前、およそ三十五メートルほどの場所に落下してしまう。
「火薬の量が足りなかったか?」
東郷がため息をついた時、驚くべきことがおきた。砲弾は海面を跳躍して、開陽丸の後方マストの帆桁を吹き飛ばしてしまったのである。
「開陽丸の砲員はこれに激し、十三門の右舷砲を連発せしか、一弾春日の車輪に触れ、反対側に躍りこえる」(東郷平八郎詳伝)
しかしこの一撃も開陽丸にとり致命傷にはならなかった。時が過ぎ、開陽丸が右舷側の砲を撃ち終えて百八十度回転しようとした時異変がおきた。春日丸が走力をあげて逃げにかかったのである。船の性能を考えれば、長引けば長引くほど春日丸は不利である。春日丸は十六ノット。対する開陽丸は十二ノットである。榎本は追撃は不可能と悟り、この海戦の最中行方をくらました翔凰丸の行方を追うこととした。
その翔凰丸は、阿波沖の蒲生田岬と伊島の間の橋杭の瀬を通過中だった。船体の破損がひどい。浸水が始まっており、それが蒸気機関にまで及ぼうとしていた。薩摩人たちは手に手に桶を持って、ずぶ濡れになりながら水をくみ出そうとする。しかしやがてそれも限界に近づいた。
「こげんなったもんは致し方ごわはん! 全員離艦、カッターをおろせ」
艦長の命令で乗り組み員たちは、次から次へと小舟で翔凰丸から離れていく。全員が船から離れた後、翔凰丸に火がかけられた。開陽丸がようやく翔凰丸を発見した時には、すでに船は炎上した後だった。
「敵ながらあっぱれな連中だ」
榎本はその光景を見ながら、思わず感嘆した。
この阿波沖海戦を榎本は勝利とした。しかし薩摩側は引き分けと記した。榎本は開陽丸と共に一月六日午後、天保山沖に停泊した。艦長の榎本が陸上での戦いの様子を知るため大坂城に入っている間に、信じられない事態が勃発する。
三日夕刻、開陽はじめとして幕府艦隊に海上封鎖された薩摩側では、この事態にどう対応するかをめぐって激しい議論が展開される。議論は深夜にまで及び、最終結論は強行突破だった。
「正直、春日では幕府側の開陽には勝ち目がごわはん。じゃっどんこげんなったもんは仕方なか。最悪の場合、薩摩の武士らしく船と命運を共にするしかなかど」
と最終結論をくだしたのは赤塚源六だった。その場に異様な悲壮感が漂った。
翌、午前四時頃のことである。薩摩艦隊による強行突破作戦は決行された。この日、ほとんど自力航行が不可能なほど破損した翔鳳丸を、同じく薩摩艦の春日丸が太い綱で引きながら兵庫沖を移動することとなった。
ところがここに薩摩にとり、あまりに不幸な事故が勃発する。スピードを落として海上を移動していた春日丸と、後方の翔鳳丸が不覚にも衝突してしまったのである。しかも不幸はそれだけではなかった。その衝撃で翔鳳丸の甲板上の野砲が無人もまま実弾を発射してしまった。鈍い衝撃音が静かな海洋に響きわたった。
「こいは何とした不覚!」
赤塚は真っ青になった。恐らく敵に聞こえたであろう。これで計画は台無しになったかのように思えた。しかしここに薩摩側にとり奇跡的な幸運がおこる。ちょうど同じ頃、大坂方面で火の手があがり、これに開陽はじめ幕府艦隊は対応を迫られることとなった。その隙をついて薩摩艦隊は兵庫港の封鎖を突破してしまう。
やがて夜が明けた。次第、次第に暁が大海洋を照らしていく。薩摩艦隊の乗り組み員たちは半ば死を覚悟していただけに、この光景はあまりに感動的であった。
しかし榎本も黙って薩摩艦隊を逃がしはしない。春日丸は十六ノット、十二ノットの開陽丸より船足だけは早い。しかし破損した翔凰丸を手綱で引きながらの航行である。逃げ切れるわけもなく、由良の瀬戸で開陽丸につかまってしまった。
やむなく春日丸は翔凰丸と自船との手綱を切った。榎本は停戦合図の空砲を放つも、薩摩側は丸に十字の旗印を高々と掲げた。これは戦闘を受けて立つという意味の合図といってよい。とにかく春日丸としてはできるだけ時を稼ぎ、その間に翔凰丸を逃がそうというのである。
これにより榎本もまた戦闘を覚悟した。開陽丸は左に大きく舵を切る。そして四キロ、三キロ、二キロとじりじりと敵春日丸との距離と縮めていく。
「目標! 左舷前方二千五百。クルップ砲角度三・五!」
叫んだのは沢太郎左衛門だった。
「左一番、左二番撃てぃ!」
雷管式激発器が下ろされ、十六センチ施条砲が火薬の臭いと共に火を噴いた。しかし最初の一撃は春日丸の左舷二十メートルの場所に落下。二発目も当たらなかった。
双眼鏡でこの様子を見守った榎本は、これではだめだと思った。さらに船を接近させる必要がある。開陽丸は、春日丸までおよそ一・五キロの位置まで接近した。
しかしここで薩摩側も反撃にでてくる。アームストロング砲を放ってくるも、これも開陽丸に命中しなかった。
この光景を、榎本の隣で顔を紅潮させながら見守る男がいた。砲術長で、かっての浦賀与力。あの日本人として初めて黒船に乗りこんだ中島三郎助だった。三郎助はこの時四十七歳になっていた。黒船を初めてみた嘉永六年には、未知の西洋文明に畏怖すら覚えたものだった。しかし日本も、ここまで来たという思いが三郎助にはあった。
つい数カ月前、三郎助は目と鼻の先で工事がすすんでいる横須賀造船所を、二人の息子と共に見学に赴いたものだった。次男の恒太郎は二十歳、三男の英次郎は十七歳になっていた。三郎助はそこに日本国と子供たちの未来を思い描いていたのである。
この造船所の設計を計画したのは幕府の小栗上野介である。アメリカへ赴き、ネジという当時世界最先端の技術を持ち帰った小栗と、フランス人技術者フランソワ・レオンス・ヴェルニーが巨額の費用を投じて建造したものだった。
小栗自身はその完成を見る前に非業の最期をとげるも、ヴェルニーがその志を継承した。一八七一年には一号ドックが完成。蒸気の力でハンマーを上下させ金属を加工するスチームハンマーなど、当時の世界でも最先端の技術が用いられた。一八八四年には、東洋一の規模を誇る二号ドックも完成した。
ヴェルニーは人材の育成も必要であるとして、自らも学んだフランスの最高学府エコール・ポリテクニークを模して技術者養成学校を設立。造船学、微分積分、建築学など高度な教育が行われた。
やがて横須賀鎮守府が設置され、横須賀は軍港として大きく発展していく。一八八九年に横須賀線開通。一九〇五年には一万八千トンの国産初の戦艦・薩摩が完成する。横須賀では日本で初めてメートル法も使用され、さらに月給制、日曜休日制、そして近代式簿記が給与計算に使用されたという。
はるか後年のことになるが日露戦争を勝利に導いた東郷平八郎は、日本の勝利は小栗上野介が浦賀に製造した造船所のおかげであるとして、子孫を探して感謝の言葉をのべたという。その東郷平八郎は、この時まだ二十二歳にして目の前の春日丸に下士官として乗船していた。もちろんそのような未来のことは三郎助も、そして二人の息子たちもまた知るよしもないわけではあるが……。
(後の大日本帝国海軍の薩摩出身者。このうち東郷、伊東、井上は阿波沖海戦に参加)
この「海の鳥羽・伏見の戦い」は、開陽丸がカノン砲を、薩摩の春日丸がアームストロング砲を激しく撃ち合う。しかし双方共に実戦経験の不足のため、敵艦に致命の一撃を加えることなくおよそ二時間がすぎた。
東郷平八郎が担当したのは左舷の四十ポンド砲の砲長である。春日丸は右舷もしくは左舷の砲を使用した後、百八十度回転して片側の舷の砲を使用するのである。敵、開陽丸は東郷の視界におよそ小指ほどの大きさに見えた。四十ポンド砲をはなつも開陽丸の手前、およそ三十五メートルほどの場所に落下してしまう。
「火薬の量が足りなかったか?」
東郷がため息をついた時、驚くべきことがおきた。砲弾は海面を跳躍して、開陽丸の後方マストの帆桁を吹き飛ばしてしまったのである。
「開陽丸の砲員はこれに激し、十三門の右舷砲を連発せしか、一弾春日の車輪に触れ、反対側に躍りこえる」(東郷平八郎詳伝)
しかしこの一撃も開陽丸にとり致命傷にはならなかった。時が過ぎ、開陽丸が右舷側の砲を撃ち終えて百八十度回転しようとした時異変がおきた。春日丸が走力をあげて逃げにかかったのである。船の性能を考えれば、長引けば長引くほど春日丸は不利である。春日丸は十六ノット。対する開陽丸は十二ノットである。榎本は追撃は不可能と悟り、この海戦の最中行方をくらました翔凰丸の行方を追うこととした。
その翔凰丸は、阿波沖の蒲生田岬と伊島の間の橋杭の瀬を通過中だった。船体の破損がひどい。浸水が始まっており、それが蒸気機関にまで及ぼうとしていた。薩摩人たちは手に手に桶を持って、ずぶ濡れになりながら水をくみ出そうとする。しかしやがてそれも限界に近づいた。
「こげんなったもんは致し方ごわはん! 全員離艦、カッターをおろせ」
艦長の命令で乗り組み員たちは、次から次へと小舟で翔凰丸から離れていく。全員が船から離れた後、翔凰丸に火がかけられた。開陽丸がようやく翔凰丸を発見した時には、すでに船は炎上した後だった。
「敵ながらあっぱれな連中だ」
榎本はその光景を見ながら、思わず感嘆した。
この阿波沖海戦を榎本は勝利とした。しかし薩摩側は引き分けと記した。榎本は開陽丸と共に一月六日午後、天保山沖に停泊した。艦長の榎本が陸上での戦いの様子を知るため大坂城に入っている間に、信じられない事態が勃発する。
1
あなたにおすすめの小説
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
