残影の艦隊~蝦夷共和国の理想と銀の道

谷鋭二

文字の大きさ
65 / 65
エピローグ

榎本のシベリア横断とその後

しおりを挟む
 明治十一年(一八七八)七月、ようやく榎本はロシアでの任務を終えて帰国の途につく。榎本は帰路は海路をとらなかった。陸路、広大なシベリアを横断するルートを選んだのである。これもまた途方もない旅で、この時榎本は各地の地理、人情、風俗を事細かに記録に残している。いくつかそのまま抜粋してみたいと思う。

七月二十七日:朝十時モスクワ駅到着。スラヴァンスキー・バザールという府中第一のホテルに宿泊する。
 翌日、クレムリンの帝城の中をくまなく見学する。巨大ではあるがペテルブルクの冬宮には及ばない。
 昼食後市中を馬車で周り、午後八時三十分汽車でノドゴウロに向けて発つ。乗車後大岡君が持っていたポルトガル産の白ワインを楽しみ、十一時に眠りにつく。

七月三十日:午前十時サモレット号という汽船でヴォルガ川を下る。川幅を狭いところでも三、四丁はくだらない。大抵十丁ほどある。水は赤濁色をしている。カモメが飛んでいる。ステルリッチ(チョウザメの一種)という魚が釣れるそうである。
 午後九時頃よりすっかり暗くなる。星の光が水に映り、夜の空気は冷たくすがすがしい。甲板の上をしばらく歩く。両岸とも夜の航行のため、ところどころ二本ずつ並んだ灯火が見える。

 (八月三日以降、馬車でシベリア横断を始める)
 八月四日:馬車の中で睡眠をとろうとするも、ウラル山脈を越える道で、車中の動揺が激しく中々眠れない。冷気は氷点上五、六度ほどであろうか。日中の暑気とはおおいに反する。明け方三時ほどに目を覚ます。空にはまだ星が残っている。
 
 八月二十八日:夕方、馬車はバイカル湖のほとりイルクーツク市に到着。駅で茶を飲み卵を食べる。イルクーツク府はアンガラ川を渡って向こう岸にある。人口は三万五千ほど。アンガラ川は大河で流れはたいへん急である。水が冷たすぎて魚はいないという。河原よりイルクーツク府は八、九里ほどの距離を隔ててながめることができる。目につくのは寺院屋根、また山の上に陸軍病院が見える。景観の美しいことは、シベリアのペテルブルクといっても過言ではないだろう。

八月三十日:週に一度の定期船に乗り込んでバイカル湖を横断する。馬車も船に載せて運ぶ。馬は対岸で改めて借りた。再び馬車の旅である。モンゴル・中国国境沿いを進む。九月十一日の夕刻にはスターチェンスク村に到着する。

(九月十三日には郵便船に乗り込んで、ウラジオストックまでアムール川を下る旅がはじまる)
 九月十三日:朝から空は晴れず、細かい雨が降る。酒屋でビールなどを購入する。ビールは黒竜江を経て輸入されたものである。夕方の七時、ウスチ・カラ村に到着する。ここから三十里ばかりのところに砂金場があり、流刑囚七千人が働いているという……。我々が乗船した船は長さ百三十フィート、馬力は四十ほど、黒竜江をくだる速度は一時間に二十里ほどである。

 九月二十八に至って、ようやく船はウラジオストックに到着し、ここで榎本の日記も終わりをむかえることとなる。ほぼユーラシア横断の旅である。榎本は改めてロシアの広大さを思い知ることとなった。
 なにしろロシアという国は、国内の時差だけでかなりのもので、例えばモスクワで午前十時である頃、カムチャッカでは午後七時ほどになるという。実に八十日をかけて、ウラジオストクに到達するという気の遠くなるような旅だった。

 ……榎本は、そこかいずこかわからない景観の中にいた。ふと何者かの殺気を感じた。その時榎本は、地をはいつくばるように移動する一団の兵士の姿を見た。日の丸が見えた。どうやらそこは戦場のようである。
「突撃!」
 叫び声と共に日本軍らしい軍隊が、丘をのぼっていく。丘の上からは大砲と銃弾が雨あられと日本兵の上にふりそそぐ。榎本はその時確かにロシア国旗を見た。やがて地雷が爆発したらしい鈍い衝撃音がした。榎本は、さらに驚くべきものを見ることとなる。戦場にはためく「誠」の旗。
「おお! 君は!」
「久しぶりだな榎本さん」
 ひときわ巨大な軍馬にまたがった兵士はまさしく、あの新選組の土方歳三だった。
「君は? なぜここにいる?」
「言っただろ榎本さん。俺たちは生きるために戦うのではなく、戦うために生きているんだ。そして死んでも国のため、俺達自身のため戦い続ける。俺達の魂は不滅だ。そしてずっとあんたと共にいる。いいか榎本、なにがあっても死ぬんじゃねえぞ! 俺達の命は、この国行く末を見届けるまでは間に合わなかった。だが後のことは頼んだぞ」

 榎本はようやく夢から覚めた。十月二日、すでに榎本たち一行はウラジオストックをも出港し、ついに北海道の小樽を目指していた。榎本は船酔いというわけでもないが、軽いめまいと頭痛を覚えた。ふと懐から一枚の写真をとりだした。それは榎本が、かって蝦夷共和国の建国を宣言した際撮影した記念写真だった。
「土方君、八郎君、中島君、松岡君、甲賀君、私は決して君たちのことを忘れないし、君たちの犠牲をも忘れない。はからずも私一人だけが生き残ってしまったが、例えどんなことがあろうとこの国を導き、そして欧米に負けない国にしてみせる」
 榎本は胸中はりさけそうになりながらも、強く誓うのだった。

 その後の榎本武揚は伊藤内閣、黒田内閣、山縣内閣、松方内閣で、文部大臣、外務大臣、農商務大臣など各大臣ポストを歴任する。特に大久保亡きあとの薩摩閥のリーダーとして、ついに第二代総理大臣にまで上りつめた黒田清隆との友情は、終生続くこととなる。
 明治三十一年(一八九八)には、榎本の長男武憲と黒田の娘梅子が結婚。かっての敵将同士はついに親族となった。その二年後、黒田は五十九歳で死去するが、この時は榎本が葬儀委員長をつとめたという。
 
 一方、日本をとりまく国際情勢は、その後も常に激しく揺れ動いた。特にロシアとの関係は、常に危険をはらみながら推移することとなる。
 明治二十四年(一八九一)には、日本訪問中のロシア皇太子ニコライが、滋賀県大津市で津田三蔵巡査に斬りつけられるという大津事件がおきる。日本国中の誰しもが戦争を予期し、誰しもが恐れおののく信じられない事件だった。
 明治二十八年(一八九五)には、日本が日清戦争に勝利して清国から割譲した遼東半島を、ロシアがドイツ、フランスと共に清国に返還するよう要求する、三国干渉がおきる。
 やがて日本は日清戦争を経て日露の決戦へと歩んでゆく。
 日露戦争における日本とロシアの戦力を比較すると、動員可能兵力はロシアが二百万に対し日本は約二十万。海軍力でいえばロシアはバルチック艦隊、バルト海艦隊、黒海艦隊、旅順艦隊あわせて日本のほぼ三倍。戦費からいっても日本が十五億に対しロシアは二十二億ほどだったといわれる。
 数字からしてみると無謀な戦いでしかない。世界中の誰しもが日本の敗北と滅亡を予期した。しかし結局この戦いは日本海海戦で日本海軍がロシアのバルチック艦隊を撃滅。ロシア国内でレーニン等がひきおこした内乱等もあり、日本側の完勝で幕を閉じる。
 この時、海軍を率いたのは東郷平八郎。かって榎本の幕府海軍と阿波沖で戦い、アポルタージュ作戦での新選組の土方や甲賀源吾の奮闘をも目のあたりした、あの若い海軍士官だった。
 実に浦賀へのペリー来航から五十二年目の奇跡だった。日露戦争の意義は日本だけにとどまるものではない。白人優越主義のもと、欧米列強の植民地支配に甘んじていた、多くのアジアの国々に覚醒と自覚をうながすこととなる。そして多くの国々が日本の維新から多くのことを学ぼうとした。トルコでも東郷平八郎が神のごとく崇められ、中国でも孫文が、中国にも維新をおこそうとこころみた。恐らく日露戦争で日本が敗れていたら、その後の世界史はまるで違ったものになっていただろう。
 日露戦争から三年後の明治四十一年(一九〇八)十月、榎本武揚はついにその生涯を閉じることとなる。男子の本懐といっていい七十二年のあまりに激動の生涯だった。


(長い間のご愛読に感謝する次第であります)
 
 








 
 


 
 
 
 
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

 神典日月神示 真実の物語

蔵屋
歴史・時代
 私は二人の方々の神憑りについて、今から25年前にその真実を知りました。 この方たちのお名前は 大本開祖•出口なお(でぐちなお)、 神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)です。  この日月神示(ひつきしんじ)または日尽神示(ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)に「国常立尊(国之常立神)という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物のことです。  昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に8巻の神示が降りたとされています。 その書物を纏めた書類です。  この書類は神国日本の未来の預言書なのだ。 私はこの日月神示(ひつきしんじ)に出会い、研究し始めてもう25年になります。  日月神示が降ろされた場所は麻賀多神社(まかたじんじゃ)です。日月神示の最初の第一帖と第二帖は第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で岡本天明が神憑りに合い自動書記さされたのです。 殆どが漢数字、独特の記号、若干のかな文字が混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」もあります。 本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻あり、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っています。 日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初は、ほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者達の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年〈大正6年〉11月9日 ~2009年〈平成21年〉6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われているます。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的です。 そのために、仮訳という副題を添えての発表もありました。 なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。 縄文人の祝詞に「ひふみ祝詞(のりと)」という祝詞の歌があります。 日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。 この小説は真実の物語です。 「神典日月神示(しんてんひつきしんじ)真実の物語」 どうぞ、お楽しみ下さい。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

王命って何ですか? 虐げられ才女は理不尽な我慢をやめることにした

まるまる⭐️
恋愛
【第18回恋愛小説大賞において優秀賞を頂戴致しました。応援頂いた読者の皆様に心よりの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました】 その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。 貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。 現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。 人々の関心を集めないはずがない。 裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。 「私には婚約者がいました…。 彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。 そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。 ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」 裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。 だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。   彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。 次々に積み重ねられていく証言に次第に追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実を傍聴席の貴族達は息を飲んで見守る。 裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。 「王命って何ですか?」と。 ✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...