海将・九鬼嘉隆の戦略

谷鋭二

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【伊勢湾制圧編】信長の上洛と伊勢侵攻

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 (一)  


 永禄十八年(一五六八)二月、織田勢の北伊勢攻略は、疾風迅雷の如き迅速さで実行にうつされた。総勢四万にも及ぶ大軍を前にし、北伊勢で最大の勢力をほこる神戸友盛は、ほとんど戦わずに降伏。信長の三男三七郎を娘婿とし、神戸氏の家督を継承させるという、屈辱的な外交で和議を結んだ。
 これを見た北伊勢の四十八にも及ぶといわれる小豪族達は、雪崩現象的に織田家の軍門に降り、信長の北伊勢平定はあまりにもたやすく達成されてしまった。

 
 間髪入れず信長は中勢への侵攻を開始する。織田方の大将は滝川一益である。中勢には大敵長野氏がいたが、一益は敵ではないと判断していた。
 以前にも書いたが、この時の長野氏の主は北畠具教の次男具藤である。何代にもわたって敵対を続けていた長野氏と北畠氏は、長野氏が北畠の血を受け入れるという妥協案で、一応の和解が成立した。
 しかし長野家中の主だった者のほとんどは、北畠からの新たな当主に心服しなかった。具藤は、合戦で己の武勇を誇示することにより状況を打開しようと試み、隣国関氏の討伐を計画した。しかしこの合戦は惨めなほどの大敗におわり、これにより具藤の家中での評価は決定的となった。永禄五年(一五六二)のことだった。
 
 
 長野氏家中での足並みの乱れは、信長の大挙襲来という非常時に致命的といってよかった。特に長野氏先代当主藤定の従兄弟細野藤敦という者は、具藤など鼻であざ笑うかのような所業が多々あった。この者はまだ二十九の若輩者ではあるが、武功数多く、家中での人望もあつかった。
 この細野藤敦が守る安濃城に、滝川一益が大軍で押し寄せた。安濃城は本丸と外曲輪からなる山城である。本丸の東北には峻厳な谷があり、南には川が流れている。そして西側が櫓である。本丸の規模は東西に三十間、南北に三十五間。矢倉は東西に七間、南北に八間である。
 

 規模はそれほどでもないが、なかなかの堅城である。滝川一益は力攻めは損害が大きいと判断し、調略の限りをつくした。まず城内の主だった将が、敵である織田方と内通しているという偽の情報を流した。将達は互いに疑心暗鬼となり、多くの心ある臣下が濡れ衣で味方の手にかかるか、あれいは城内で居場所をなくし、結局織田方に降るなどした。
 しかし最も致命的だったのは長野具藤が、細野藤敦が敵と通じているという偽の情報を鵜呑みにしたことだった。救援に赴けば、いかなる災いが己にふりかかるかわからない。結局、具藤は細野藤敦を見殺しにした。孤立無援の藤敦はついに織田方の軍門に降ったのである。
 これをきっかけに長野氏の属する諸城のほとんどは、あれよあれよの間に織田方に降り、具藤もまた長野城とともに孤立した。そして、ついに長野具藤は父北畠具教を頼りとし単身城を脱出。主を失った長野城は、ふがいなくも織田方に降ったのであった。
 残るは南伊勢のみである。信長の前に、北畠具教という存在が立ちはだかろうとしていた。しかしその前に、織田信長には大軍を率いての上洛という大仕事が待っていた。


(二)


 永禄十一年(一五六八)九月七日、織田信長は足利義昭を奉じて、美濃よりついに上洛のための軍勢を発した。当時、尾張・美濃を支配下に置いていた信長にとって、京都までの道のりは近江一国を通過するのみである。そして北近江の浅井長政は、信長の妹・お市の方を正室としており、いわば義理の弟である。
 信長の上洛の前に立ちはだかる近江の六角義賢、三好三人衆等は、信長の軍勢により苦もなく蹴散らされた。三好三人衆に担がれていた十四代将軍足利義栄は、阿波へ向かって逃走。織田信長は、早くも九月二十六日には念願の上洛を果たした。


  信長は都を一望のもとに見渡せる愛宕山に、家臣の木下藤吉郎と、わずかな供を連れただけで登った。
「この山から望む都は確かに美しい。なれどまことの都は、物の怪の巣窟の如きものだ」
 騎馬の信長は、徒歩(かち)の藤吉郎を見おろしながらいった。
「猿、何故に足利幕府は衰退したと思うか?」
「さればでござる。まず足利将軍家は、代々傑出した人物を輩出しませんでした。また有力な守護大名に領地を与えすぎました。そのため将軍の力は有力な守護大名に及ばず……」
「それだけではあるまい。そもそも足利将軍家が最初に犯した過ち、それはこの京の地を都とさだめたことだ」
 藤吉郎の言葉を待たず、信長は語りだした。


「わしはこの数日、この都の政(まつりごと)を影で操るらしい公家どもを引見し、つくづく思った。あのような輩がおる限りは、この日の本は正しき政道歩むこと困難であるとな。あれは古き世の亡霊のごときものだ。
 かって平清盛公は、せっかく天下の覇権を握ったというに、自ら武家の頭としてではなく、この都にて公家の仲間入りすることで満足した。そのために天下の武士の信望を失った。
 それに比べて源頼朝公は賢明であられた。この京は武家の都ではないと判断し、鎌倉を拠点とし、自らは都に足を踏み入れようとせなんだ」
「はあ……左様でござりますか」
 尾張中村の百姓の倅として生まれた藤吉郎は、まだ国の政治のことなど今一つわからず曖昧な返事をした。


「わしが稲葉山を岐阜と改めしは、古来明国において、周の武王が都を岐山に置いたという故事にならってのこと。周王室以降、唐土においては秦・漢・唐と幾たびも王朝が代わり、王朝が代わるごとに古き都焼き払われ、灰燼に帰し、そして新たなる秩序うまれた。
 戦乱がおこり国土が荒廃し、多くの人犠牲になるは決して好ましいことではないにせよ、新たなる秩序生みだすため、詮なき仕儀とわしは思うておる。それに比べこの国は手緩い。例え戦乱がおこったにせよ、国を焼き尽くすまでには至らぬ。この古き世の亡霊のごとき都など焼き払い、いずれ新たなる都作る必要があるやもしれぬと、わしは思うておる。
 信長はやや興奮気味にいった。


「ならば御屋形様におかれては、この都を焼きはらい、いずこの地を都とするおつもりで?」
「そうよのう北京あたりがよいかのう」
「北京? 北京とはあの明の都北京でござるか?」
「そうじゃ、どうもわしにはこの日の本も、一度遠くより俯瞰せねば誠の姿見えぬような気がしてならんのじゃ」
 信長はかすかに笑みをうかべながらいった。
「面白うござるな。ならば御屋形様が北京を攻められる時は、先陣はこの猿めにお任せくだされ。そして明国を制圧したあかつきには、この日の本の政は猿めがしきりまする」
「この猿めが、大きくでおったな。よし明国まで領国広げるため、まずは伊勢攻略であるぞ。猿、ぐずぐずしている余裕はないぞ!」
 

 信長は馬に一鞭いれると山をおりだした。そして徒歩の秀吉が必死に後に続く。後にこの国は織豊時代をへて江戸を拠点とし、今日まで四百年という長きにわたり、この国の中心であり続ける。
 日本は戦乱より平和な時代であるほうが長い、世界で唯一の国といっていい。この地上のほとんどの国は、有史以来戦国時代が続き、その合間に『平和時代』とでもいうべき時代がかすかにあるというのが普通である。
 このような国家の歴史は土地を絶対なものとし、故に一都市が長期にわたり、国政の中心であることを可能としたのである。


(三)

 
 さて、その頃麻鳥は、ふらふらと小浜村近くをさまよっていた。すでに行き場をなくし、忍びとしての能力も失い、山中の洞窟にて高熱を発して動けなくなった。
 夢に小浜民部の顔がうかんだ。共に甲賀の忍びとして修行に励んだ同門の間柄であり、愛しあった仲であり、そして主従同然だった両者。しかし九鬼嘉隆の罠にはまった麻鳥は、民部からも見捨てられ、裏切り者の汚名のもと生命の危険にさらされ、山中を逃走するはめになった。だがやはり伊勢・志摩の国境で、小浜民部とその配下の者数名と遭遇し、絶対絶命の窮地に追い込まれてしまう。
『そんな馬鹿な。先ほどまで城にいたはず。いかに忍びとはいえ速すぎる。なぜここにいる?』
 麻鳥には疑念をもつ余裕すらなかった。民部の鋭い剣が一閃、鮮血とともに倒れた。
「よし片付いた。もういいだろう」
 民部は配下の者に撤収を命じた。しかし民部には、麻鳥が瞬間的に仮死状態と化す術を使用したことがわかっていた。しかしとどめを刺すことはできなかったのである。


「恐らくあの方はわかっていたはず。私がまだ死んでいないことを……。やはり優しい方だった」
 麻鳥は一つため息をついた。ふとあの日のことがありありと浮かびあがった。
 

 甲賀で忍びの修行にはげむ者が、一人前の忍びとして認められるためには、一つの試練を通過しなければならなかった。その試練とは、他国の城に潜入して、その証となる何かを持ち帰るというものだった。麻鳥が一人前の忍びとして認められるため潜入したのは、北伊勢の四十八家のうち南部氏の居城・富田城だった。
 しかし麻鳥は見事この任務に失敗する。夜半城に潜入した麻鳥は、城内で不覚にも物音を立てたため存在に気付かれ、ついには捕らえられてしまう。城外で磔にされ処刑を待つ身となってしまった。
 

 監視役として密かに後をつけていた小浜民部は動揺した。どうやら処刑は明日の未明のようである。麻鳥の体には厚い布がかぶせられている。時間がない。ここで民部は苦肉の策にでる。
 翌早朝、いよいよ処刑の時がきた。兵士が矢を構えた。
「構えい! 放てい!」
 矢が放たれた。その時黒いなにかが天空でくるくると舞い、そして矢はその黒いものに当たった。それは死を待っているはずの麻鳥だった。
「馬鹿な! これは一体どういうことだ?」
 この処刑を見守っていた南部忠雄は驚き、床机から立ちあがった。厚い布をかぶせられて磔にされていたのは、麻鳥ではなく小浜民部だった。


「なるほど変わり身の術というわけか。おおかた技が未熟で己は脱出できなくなったのであろう。女のために犠牲になろうというわけか? あっぱれな奴よ。そしてせっかく自由になったというに、逃げずに身をていして男をかばうとは、こやつも見事。恐らくこの女は出血はひどいが、命に別状はあるまい。この南部忠雄負けたわい。こたびばかりは二人とも命だけは助けてやるとしよう」
 こうして両者は、かろうじてこの虎口を脱したわけだった。


 しかしその小浜民部からも見捨てられ、果たして己はこの先どうしたらいいか? 高熱にうなされながら麻鳥はようやく立ち上がった。あともう少しで小浜村、小浜民部の領地である。潜入して見つかれば今度こそ殺されるだろう。だが今となっては、民部の手にかかって死ねるなら本望である。水を汲みに行こうとして洞窟の外にでたが、そこで足を滑らせ、断崖絶壁から転落してしまう。麻鳥は生死不明となった……。

 
(四) 
 

 織田勢の上洛、そして北・中伊勢侵攻に、伊勢の国ばかりか志摩の地頭達も動揺していた。伊勢の北畠具教は、織田勢との決戦が近いことを予期して、志摩の国の地頭達に多額の矢銭(軍資金)を要求した。しかし地頭達は協議の末これを拒絶。今や将軍家を頭にいただく織田家の力が、伊勢の国司北畠をはるかに上回ると判断してのことだった。
 北畠具教はただちに地頭達を討伐するため、軍勢を志摩の国へさしむけた。これを迎撃する地頭達の連合軍は、背後に有名な夫婦岩をのぞむ二見ヶ浦に軍勢を集結させた。しかし志摩の地頭達は北畠具教との一戦を前にして、まったく想定外の敵と遭遇しなければならなかった。
 

 夜半、天の川銀河のように幻想的な伊勢湾を、静かに、ゆっくりと移動する一艘の巨大な船舶があった。かなり巨大な船であり、どういうわけか旗指物等はいっさいなかった。この船こそ、九鬼嘉隆が伊勢・大湊の船大工に建造させた地之果丸と命名された安宅船だった。
「見ろなんだあの船は一体? かなり大きいぞ安宅船ではないのか? 旗差物一つない。一体いずこの何者の船だというのだ。敵か味方か、もしや北畠か」
 見張りの兵士が地之果丸に気付き動揺した。ただちに小早数艘が謎の船に接近を試みた。
「その船止まれ! 一体いずこの何者であるか名乗られよ」
 だが船からの応答はない。
「聞こえぬのか! いずこの何者であるのか聞いておるのだ」
 兵士は思わず声を荒げた。


「聞いたか市郎兵衛、我等が何者か尋ねておるぞ」
 甲板の上からこの光景を眺めている九鬼嘉隆は、不気味な薄ら笑いをうかべながら、かたわらの滝川市郎兵衛に問うた。
「ここは、一つ思いしらせてやりましょう」
 市郎兵衛もまた、かすかに笑みをうかべながらいった。
「よし、鉄砲隊の指揮はそなたに任せておる。今回はほんの挨拶代わりにここに来た。我等の力存分に見せてやれ」

 
 一方、二見ヶ浦に陣取る地頭衆の陣営では、ようやく末端の足軽までもが異変に気付き、地頭等も目を覚ました。
「一体何事であるか、このような夜更けに?」
 その毛並みの良さから、志摩の地頭衆の中でも盟主的存在といってよい鳥羽堅物成忠は、真っ赤な目をこすりながら、まず疑念をもった。その時だった。遠く海上で何かが光った。そして鈍い衝撃音、次いで人の悲鳴が周囲に響いた。


「放て! 放て! 我等の力を見せるのじゃ」
 市郎兵衛は絶叫した。五十丁の鉄砲が、狭間から一斉に火を噴いた。あれよあれよの間に小早が海中に没していく。
「よし舷を右に旋回させよ。あれに見えるは鳥羽堅物の陣であろう。一つ驚かせてくれよう」
 地之果丸は、次第、次第に鳥羽堅物の前にその巨大な姿をあらわにする。そして再び五十丁の鉄砲が轟音を響かせた。時勢というものにとんと疎い志摩の地頭衆にとり、五十丁もの鉄砲ともなれば、それだけで天地と地が逆さになるほどの衝撃である。たちまち旗挿し物が折り重なるようにして倒れ、人もまた絶叫とともにその場に伏した。動揺が地頭衆から末端の足軽まで広がるのに、時間はかからなかった。
「よし今回はこれくらいでいいだろう引き上げるぞ」
 地之果丸は再び舷を旋回させると、そのまま走り去った。小早数艘が追撃を試みたが、鉄砲の威力によりたちまち撃沈されてしまった。
「地頭共め、今回はこのぐらいにしておくが、次に会うときは覚悟しておれ! 志摩を追い出された仇は必ず晴らす!」
 嘉隆は改めて誓うのだった。


(五)


 信長は、南伊勢攻略を前に主だった将を集めて軍議を開いた。
「恐れながら殿、こたびの南伊勢攻略、どうかこの権六めに先陣を仰せつかりませ」
 最初に口を開いたのは、織田家の重鎮ともいえる柴田権六こと勝家だった。
「もしそなたに先陣任せたとして、いかように伊勢を攻略する?」
 信長は上座に、左右が薄茶ともえぎ色の小袖を着て端座している。色白で女性的な顔立ちをしているが、眼光はある種異様である。
 信長は十八で父を失い家督を継いでいる。それ以降尾張では守護が消え、守護代も消え、信長は血を分けた叔父達との争いに八年以上もの歳月を費やすこととなった。ついには弟信行までもが謀反し、病気と偽ってこれをおびきよせ謀殺している。
 

 さらに尾張の南には、戦国きっての喰わせ者といってよい斉藤道三がおり、東には海道一の弓取りとまでいわれる今川義元がいた。
 信長は半ば孤立した存在だった。常に眼前には死の匂いがちらついていた。まばたきしている間にも、突如として眼前に曲者が現れ命を奪われる。そのようなある種怯えの中に、信長の生はあった。三十六になるこの年まで首と胴がつながっていることが、信長自身にも奇跡に思えることもあった。


「なに策などござりませぬ。将兵一丸となって、ひた押しに攻めて攻めて攻め抜くまでのこと」
 勝家は、常人よりはるかに大きな地声で自信をもっていった。信長の表情がかすかにくもった。それではいかぬのだと信長は内心思った。
 無理もないことである。柴田勝家はこの年、すでに四十六歳にもなっていた。当時の人間の平均寿命からいえば、もはや老境といってもよい。織田家きっての武勇の者といわれながら、武功といえば尾張・美濃を舞台とした、小規模な合戦での小競り合いばかり。これより天下布武を実現するためには、全軍を組織化し、集団戦術により敵を倒さなければならないと信長は考えている。
『果たしてこの男、この先の役に立つであろうか? せめてこの男にもいま少し融通があれば、頭の柔らかさがあれば』
 信長は不安であった。むろん勝家自身もゆくゆく己が、今この座の末席に連なっている木下藤吉郎と、天下の覇権を争うことになろうとは想像もつかなった。


「お言葉なれど伊勢・北畠には武勇の士数多おりまする。また伊勢の地勢は山河の起伏多く、ひた押しに攻めるだけでは、いたずらに兵を損ずるのみと存ずる」
 と口を挟んだのは滝川一益だった。
「恐れながら、それがしに役をお与えくだされ。それがし以前の出兵もあり、伊勢の地形、山河や天候のことまで知りつくしておりまする」
 勝家の表情に怒気がうかんだ。勝家は前の伊勢攻めで、一益が調略の限りをつくして北伊勢及び中伊勢を攻略したことを知っている。だが勝家のような武辺の者にしてみれば、調略など片腹痛いものである。
 

 だいたい織田家中において、誰よりもエリートコースを歩んできた勝家にしてみれば、一益も木下藤吉郎も新参者である。また、ついこの間まで現将軍足利義昭の家臣で、昨今信長に仕えることになり、今この席に列している明智十兵衛光秀もまた新参者である。そのいずれもが勝家にとり、いささか煙たい存在でしかなかった。
 信長は身分によらず、有能な者であれば誰であれ家臣とした。一益も十兵衛光秀も木下藤吉郎も、その出自に関してはわからないことが多い。信長自身も武将として、決して毛並みがよいほうではなく、若い頃大うつけといわれたことは有名である。
 戦国時代というのは、ある意味では『得体の知れぬ者』の時代であり、織田家はその典型例といってよいだろう。今この席にはいないが、九鬼嘉隆もまた『得体の知れぬ者』であった。


「彦右衛門!(一益のこと)主は、少々手柄を立てたからといって調子に乗り追おって! 主のような者に武将の心がわかるか」
 勝家はついに不満を爆発させた。
「お言葉なれど、武将の心だけでは戦には勝てませぬ。いかにして労少なくして勝つか、それが肝心なことにござる」
 一益もすぐに言い返し、座は早くも荒れた様子を見せた。
「二人ともやめい! これ以上味方同士で争えば、両名ともこの場からつまみだすぞ!」
 ようやく信長が両名の間に割ってはいった。
「明智十兵衛光秀、その方はなにか策はあるか?」
「……」
 信長の額にかすかに青い筋が走った。よくいわれるように信長は、人にものをたずねて、即座に答えが戻ってくるような、臨機応変な者を好んだ。しかしこの十兵衛光秀という新参者は、思慮が深すぎるせいで、信長がものをたずねても五秒以上答えがかえってこないこともあった。


「さればでござる。北畠氏の臣下に列する者の中でも、木造具政なるものは特別な者にござる」
 と、ようやく光秀は言葉を発した。
「存じておる。木造といえば北畠の有力な支族で、木造具政と申す者、実は北畠具教の実弟だそうだな。その者がどうした?」
 信長は幾分不機嫌そうにいった。
「その者をして宗家をより離反せしめ、我等の陣営に引きこみまする」
 一同からどよめきがおこった。
「そのようなことができるのか? 具政は具教の実弟だぞ」
「可能にござる」
 光秀は信長の目を見てきっぱりといった。このような時の光秀はいかにも頼もしげで、信長もまたこの男ならできると判断した。
「面白い。ならばその方存分にやってみよ」
 光秀は深く頭を下げた。年齢は四十ほどだが、その頭頂部は禿げあがった男だった。光秀はすぐに調略の準備にかかった。


 木造家の菩提寺の住職をつとめる源浄院なる僧侶がいた。この僧侶が光秀と木造家の重臣達とのパイプ役となり、木造家内部への工作が着々と進行した。 
 結局、光秀のもくろみ通り、木造具政は宗家よりの離反を決意する。具政をして、兄との決別の道を歩ませたものはなんであったのか? なにしろ木造家といえば、朝廷より大納言・中納言・参議・左中将など高い官位を与えられている家柄である。
 しかし事件は毎年秋になると城下で行われる秋祭りでおこった。兄具教の命により具政は、馬揃えの際に馬番で田丸・河内・坂内の三大将の後塵を余儀なくされたのである。木造の家格を思えば考えられぬことであり、この時具教、具政の兄弟間の亀裂は決定的になったというのである。むろん真相は闇の中である。しかし木造家の離反により、ここに不幸のどん底に突き落とされる者が一人いた。


(六)
 

 木造家離反の報に、北畠氏の多芸御所に参集した北畠具教と北畠の諸将は、何人も沈黙して言葉もない。
『この期におよんで寝返りとは何たる卑怯! 犬畜生にも劣る輩よ!』
 居並ぶ諸将のどこからともなく、木造具政を非難する声が響いた。
「恐れながら、木造城が戦わずして敵に寝返ったとあらば、我等も覚悟を決めねばなりませぬ。殿におかれましては即刻この場を離れ、大河内城で合戦の準備に入るが得策でござる。さらに阿坂城、船江城など各諸城の防備を固める必要もござる」
 と老臣・鳥尾屋石見守満栄がすぐに意見した。
「恐れながら、その前になさねばならぬことがござるぞ」
 と具教に意見したのは、北畠家中きっての剛の者といわれる大宮含忍斎の息子で、大宮大之丞だった。


「人質の件か」
 具教は短くいった。
「それはなりませぬぞ! 木造家が離反したとはいえ、あの娘に罪はありませぬ」
 と半ば顔を青くしていったのは、具教の嫡子具房だった。
「確かに阿美殿になんの罪もござらぬ。なれどこれも乱世のならいなれば、あの者にも覚悟してもらわねばなりませぬ」
 大宮大之丞は、半ば言葉を詰まらせながらいった。
『この期に及んで、夫人一人の首をはねたところで一体何が変わるというのだ! それに人質とはいえ今は殿の側室であるぞ!』
『そうだ! そうだ! なぜ阿美殿が死なねばならぬのだ』
 人質の阿美は、人質の身ながら北畠の諸将の誰からも好感をもたれており、そのためその場の誰もが処刑に反対した。
「お前達、静かにせよ。阿美をすぐにここに連れてまいれ。今すぐにだ」
「恐れながら父上、一体いかがするつもりでござる」
「いいから連れてまいれ!」
 具教は具房に対し怒号をあげた。具教は普段は物腰柔らかな人間で、具房もまた、ここまで冷静さを失った父を久しぶりに見た。

 
 やがて阿美が現われた。すでに木造家離反の報は、この不憫な女性のもとにも知らされており、その場に漂う異様な空気から、阿美は早くも己の運命を察した。
「殿、いよいよお別れにござりまするか?」
 具教は沈黙したままなにも答えない。
「阿美殿、こなたも乱世に生きる者として覚悟されよ」
 具教の代わりに、大宮含忍斎が口を開いた。
「よいでしょう。覚悟なら、ここに初めて来た日からできています。皆々様方、私のような者のために今まで尽くしてくれたこと、来世まで決して忘れませぬ。
 北畠の家は、この日の本を支える家柄。私は信じておりまする。この日の本の乱れを終息させ、世に美しき秩序取り戻すは必ずや北畠の家であることを」
 居並ぶ諸将は皆誰しもが頭を垂れたまま、言葉一つ発しようとしない。
「殿、これ以上お側近くに仕えることかないませぬ。どうぞお許しを」
 阿美は兵士に伴われて具教と諸将の前から姿を消した。具教は最後まで沈黙したまま、阿美は死を前にしてもたじろく様子すらなく、涙一つ見せることなく、決して笑みをたやすことはなかった……。


 織田と北畠の決戦は近づいていた。具教は、北畠がほこる難攻不落の要塞大河内城への撤収を前にし、多芸御所の道場で狂気とも思えるほど剣の素振りを繰り返した。やがて使者が訪れ、織田方の動向を具教に伝えた。
「申し上げます。織田勢が岐阜の城より動きだしたとの知らせにござる」
「うむ、して数は?」
「およそ七万にござる」
『勢州軍記』によると、この時の織田勢は総勢七万にも及んだといわれる。尾張・美濃あわせればすでに百万石をも越え、その動員可能兵力は具教の想像をはるかに越えるものだった。対する北畠はその動員可能兵力は、どう多く見積もっても一万五千ほどでしかない。
「面白い! 七万の大軍相手に戦するは武将冥利に尽きる。北畠の戦とくと信長にみせてくれよう!」
 みるみるうちに具教の顔面が紅潮した。凄まじいばかりの剣の素振りの末、両腕はすでに血に染まっていた。こうして北畠一族覚悟の合戦が始まろうとしていた。


  
 


 
 
 














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藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

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