糠味噌の唄

猫枕

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 町子は修司と別れてから市電に乗った。

 カタンカタンと軽く呑気な音を立てて進んで行く電車に揺られていると眠気が襲ってくる。

 海岸近くの市民病院前で降りる。

 受付で教えてもらった4人部屋に入ると窓際のベッドで目をつむる友香子が見えた。

 脳の機能が落ちると人の見た目とはこうも変わるものなのか。

 まだ20才なのに生え際に白髪が目立つ。

 知性とか人格とかそういったものが一切抜け落ちたようなほうけた友香子の顔に町子はショックを受ける。

 これで友香子は憂いから解放されて自由になったとでもいうのか。

 町子は友香子の手を握った。

 だらんと弛緩した手からは何の意志も感じられない。

「ねえ、友香子ちゃん!起きてよ友香子ちゃん!」

 悔しさで町子の目に涙が滲む。

 気付くと背後に友香子の母親の黒崎 正子が立っていた。


「あ、どうも」

 慌てて町子が立ち上がって頭を下げると

「来てくれてありがとうね」 

と正子は鼻をすすった。

 「どうして こんなことになったんだろうねぇ」

 正子は遠くの山に目を向けながら呟いた。

 正子は葬儀の手伝いに来てくれていたから町子とは昨日も一昨日も会ったのだが、まさか不祝儀の場で友香子の病状について質問するわけにもいかず通りいっぺんの挨拶を交わしただけだった。


「・・・お医者さんはなんて?
 酸素マスクしてないってことは息はしてるんですよね?」

「私には難しいことは分かんないけどさ、脳の方にはそんなに異常は無いっていうんだけど。
 なんで目が覚めないんだろうね」

 町子は再び友香子の手をぎゅっと握った。

「友香子ちゃん。一緒に東京に行こう。

また、音楽のこととか教えてよ。

 今度は私も一緒にライブ行くから、ね、起きてよ友香子ちゃん」

 正子はそんな二人の姿を涙を浮かべてぼんやり見つめていた。


 

 「東京の水野さんって人から電話」

 夕食後テレビを見ていると電話を取った博信がぶっきらぼうに受話器を差し出す。

 水野?誰?

「あ、オレ、修司だけど。

 水片って言わない方がいいかと思ったから」

  そんな風に話始めた修司は町子の両親と会うのは後にしたいと言った。

 修司を連れて行くことで実家での町子の立場がおかしくなることを心配しているようだった。

 「明日は・・・オレのばあちゃんのこととか聞きに行きたいんだけど・・・」
  
 修司はK地区のことが分からないので、町子に同行してもらえないか、と言った。

 町子自身もあまりK地区のことには詳しくないのだが、修司の母親の実家、黒刀家の場所くらいはなんとなく分かるからついていくよ、と答えた。



 翌日K地区の公民館前の停留所で待ち合わせた修司はパーカーのフードを被っていた。

 地域の住民に見られても、遠目には町子と弟のどっちかだと思われるだろう。

 町子は記憶を頼りに黒刀家をめざした。
 小川沿いに進んだ先にある大楠が目印だったはず。

 町子は小川の土手沿いの道を着流しでそぞろ歩く恭司の姿を思い浮かべた。

 色素の薄い長い髪を春風にたなびかせて佇む恭司の浮世離れした美しさに、当時小学生だった町子は息を飲んだ。

 屋敷周りを板塀で囲まれた黒刀家に着いた。
 絶対に近づいてはいけない、と言われていた屋敷を前にドキドキする。

 潜り戸を通って中に入ると、あまり愛情をかけて手入れしているようには見えないが一応は整えられている、といった風情の愛想のない庭があって、玄関前まで飛び石が続いていた。

 呼び鈴は昔懐かしいブザー音だった。

 しばらく待ったが返事が無い。

 年代物のガラスの嵌まった引き戸に手を掛けるとカラカラと簡単に開いた。

「ご、ごめんください」

 遠慮がちな修司の声は届かなかったようで返事は無い。

 宅配業務をやっているんだからいつもの調子でやればいいのに、と町子は思う。

 勇気を出してもう一度声を張る。

 すると奥からゴソゴソ音がして人がでてきた。

 予想に反してジャージ姿で出てきた男は相変わらずの長髪を後ろに縛っている。

「どちらさん?」

 長身で痩せた男は間違いなく恭司だろうが、50は超えているはずなのに町子の両親よりもずっと若く見える。

 「あ、あの・・・水片 修司と申します。
・・・水片 奏子の・・息子です 」

「・・・・・」

暫しの沈黙の後、恭司が言った。

「まあ、入れば」






 

 



 
 
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