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攻めのお仕事は香水屋さんです
しおりを挟むミカエルに手渡されたカードの住所を睨みながら、昼下がりの高級区画をのそのそと進んでいく。
しばらくして着いたそこは橋の上だが、6階建ての建物がみっしりと壮大に並んでいて、まるで橋の上にいるのだと解らない景色だった。その建物のひとつがミカエルの店、『ミカエル・ハミルトン』だ。
俺と同い年なのに、ミカエルはこの高級区画のど真ん中で店を経営しているらしい。見上げると口が半開いた。
日曜日はどの店も休息日だ。ミカエルの店にもクローズドの札がかかっている。
呼び鈴を鳴らすと、正面のドアが鐘の音とともに開いた。
「ご用件は?」
ドアの隙間から現れたのは、二十代半ばの表情の薄い男だ。
柄の悪い軽装備でやってきた俺に対して、侮蔑的というほどではないが、排他的な気配がある。
髪はダークブラウン、瞳は深い青で、仕立てのいいシャツとベストを着ている。
要するにミカエルの手下だ。
「ミカエルに呼ばれた。チェスターって言えばわかる」
端的に言うと、青年は素早くかしこまって扉を開いた。
「お待ちしておりました、チェスター様。どうぞ中へ」
次の瞬間だ。ドアベルのカランカランという鐘の音を耳にしながら、俺は深い香りに包まれた。
花、果実、獣、木材、乳香、石鹸、蝋燭、化粧水、白粉——。様々なもので溢れかえっている。だけど素材を守った自然な香りだ。まるでよく手入れされた庭園、いや夢の王国、あるいは天国、もしくは覚えてもいない母親のようだった。とにかくもっと浸っていたくなる香りだ。
一歩、また一歩と、店のなかに吸い寄せられていく。これだけ匂いが集まれば、洪水になって氾濫してしまうものだと思うが、信じられない奇跡的な強弱で調和している。
薄闇に慣れると、次第に店内の様子が見えてきた。
小さな照明に照らされ、艶めく無数の小瓶。薬瓶のような武骨なものでなく、金や宝石や鮮やかな塗料で飾られた工芸品だ。貴族や王族が使っていそうな品々。
「感心した?」
いつの間にかミカエルがそばで微笑んでいて、俺はハッと現実に返った。
感心なんてものじゃなかった。ミカエルへの賞賛を感じていた。生唾を飲みこむ。
ミカエルこそが、この天国を采配する主人だ。
「紅茶を入れてまいります」
「ありがと、ユアン」
青年は一礼して下がっていく。
ミカエルは我が城といった様子でくつろいで言う。
「今日はね、チェスのためにプレゼントを用意したんだよ」
「プレゼント?」
「そう。特製の香水」
「……んなもんいらねえよ」
俺は眉を寄せた。この店はすごいが、冒険者が香水なんてしていたら真っ先に魔物に狙われるに違いない。街中で使うにしても気が散って邪魔になるだけだ。
ミカエルはゆったりと首を傾げる。
「きっと気に入ってくれると思うけど。ひとまず紅茶を頂こっか。特別なお客様が来るって伝えたから、ユアンになにか勘違いさせちゃったみたい」
ミカエルは「実際、特別なんだけど」と含みを持たせて付け足す。
俺はあの潔癖症っぽいユアンを思い出して、居心地わるい羞恥心を覚えた。一体何の客だと思って迎え入れられたんだろう――今からのことを想像しそうになって、思考を止めた。頭の中から想像した絵面をかき消していくが、意識せずにはいられない…………。
応接室に入ると、ユアンが紅茶の用意を整えたところだった。
ミカエルが「今日はもう休んでいいよ」と言うと、「何かあればお申し付けください」と下がっていく。品が良くて、執事めいている。
さっと室内をうかがえば、視界の端々にうつる装飾はどれもこれも質が良い。
成功と勝利に満ちている…………。
「一級の茶葉だ。やっぱり店のお客様だと勘違いさせちゃったね」
そう言うミカエルは成功者特有のオーラを纏っている。アルファだからって全員がこうじゃない。
この男が過去とは別格であることを、認めなければならない。否定する方が無駄なあがきだった。
「香水店っていうと女性向けに思われるけど、実は男性のお客さんも4割くらいいてね」
ミカエルがなめらかに話す内容は、俺の血と埃っぽい日々とは別世界だった。
「石鹸とか蝋燭とか、香り付きの手袋が人気なんだよ。カーテンや絨毯に香りを付けてほしいっていう人もいるし、この店みたいに家自体を香りで飾ってほしいっていう人もいる。家全部ってなると、資産家とか伯爵以上になってくるかな」
家を香りで飾りたいっていう、その気持ちはわからないでもなかった。
毎日この香りの中にいたら、どれだけ深く安らげるだろう。
「この前は辺境伯のところに出張してね。パーティホール一式を整えたんだけど、寝室もオーダーされて。また行かないと」
「辺境? 荒れてるんじゃなかったか?」
傭兵の募集告知を思い出して言うと、ミカエルは困り顔をする。
「国境がずっとくすぶってるよね。うーん、公爵家からも話が来てるから、そっちが先かな」
辺境伯に、公爵。社交サロンで話したとき以上に、ミカエルとの世界が遠く感じた。
領地もここから離れている。そのはるか向こうにまで名声が届いているということだ。
「むしろ困ってることといえば、人手が足りてないことかな。ねえチェス、この店で働かない?」
俺は「は?」と驚いた。
「従業員、さっきの彼しかいなくてね」
「だれか雇えばいいだろ」
ミカエルを認める事と、その下で働くことは別だった。まっぴらご免だと思う。
ミカエルは「それがさぁ」とこぼした。
「香水ギルドっていうのがあってね。他の店の顧客を奪ったり、新商品をたくさん出したり、他の領地に輸出したりするのが暗黙の禁止なんだけど。俺さ、そのルール破ってて。いや、そもそも香水ギルドに入ってないんけど。そんなルールあっても邪魔じゃない?」
香水業界をよく知らないが、コイツのおかげで悲鳴を上げたんだろうなと不憫になった。
しかしギルドのルールってのが面倒なのもわかる。「ふうん」と適当に応えると、ミカエルは肩をすくめた。
「まーそのおかげで敵が多くって。雇ってみたらライバル店の泥棒だったってことが何度もあってね。もともと黒だったり、もとは白だった人が黒になったり」
悲劇が目に浮かんだ。ライバル店にそそのかされたり、大事なひとを人質をとられたり。あるいは目の前の品に目がくらんで、くすねたりしたんだろう。
「ユアンっていう従業員のことは信用してるのか?」
「うん。彼の親、俺に借金してるから」
家族を人質にとってるのはミカエルも同じだった。ユアンが若干気の毒になった。
ミカエルは紅茶のカップを手にしながら、意地の悪い微笑を向けてくる。
「チェスなら俺に弱みを握られてるし、裏切れないでしょ。どう?」
俺は嫌悪感に顔をしかめた。
「てめえのとこで働けるかよ」
そうだ、ミカエルはこういう奴だ。人を転がして平気で楽しむ奴だ。
奴は「まあそう言うと思った」とケロリと笑う。完全に俺で遊んでいる。
俺はぐいと紅茶を乱暴に飲みほした。
「じゃあ、そろそろ部屋に行く?」
続けられた言葉に、心臓が拍動した。カップはもう空になっている。
俺はぎこちなく頷いた。
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