遠い異国の唄

おもちDX

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9.魔の手が忍び寄る

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 発情期にだけ相手をしてもらう関係になってから半年と少しが過ぎた。

 前回は偶然だったらしいがイデアルも周期を心得たようで、次の発情期中にも訪れてくれた。
 父親の公爵はあれから来ていないので、ネージュが公爵家の脅威になり得ないとわかってくれたのかもしれない。
 
 番の子種をもらうと一人のときより早く発情期が終わるし、なんだか一人で過ごしていたときにはなかった『満たされた』感じがある。しかしその期間の記憶はかなり曖昧になるため、終わってイデアルがいなくなってからの喪失感はさらに大きいのも事実だった。

 あまりにため息ばかり吐いているから、男娼たちにも「素直になったらどうですか?」と心配されている。

(自分で選んだ人生を素直に生きているつもりなのに、これ以上どうしろって?)

 そして客から誘いを受けることが増えたのも変化の一つだ。
 もうネージュが現役でないと知っている客でさえもそうなのだから、一見いちげんさんは推して知るべしである。こんな年寄りオメガのなにがいいのか、さっぱり理解できない。

 黒い髪はそこまで珍しくもないが、虹彩の赤い瞳は珍しいと昔は注目を浴びていた。歌は得意だったし、愛嬌のないわりに売れっ子だった時代もある。

「ネージュはあの時もう少し愛嬌があれば一番人気になれたのにね。でもそうしたら滅多にご指名できなくなって、僕が泣いてただろうけど」
「そうですかねぇ……」
「ま、その綺麗で冷たそうな顔が蕩けるのが可愛いんだけど」

 昔からの常連であるパラディはネージュに向けてニカッと笑う。
 顔は日焼けしていて深い皺が刻まれているものの、太陽のように明るくて若々しい。貴族ではないが街でトップクラスに儲けている商人の男だ。

 自分は明るいくせに落ち着いたタイプが好きなのか最近はエマばかり指名していたのに、久しぶりに来たらネージュを呼んだため仕方なく酒の相手をしている。
 今日は雨のせいで客の入りも少なく、店は落ち着いていた。

「引退したのに、今や花街で一番色気滴るオメガだって噂になってるよ。貴族の番ができたんだって? 引退したのに」

 引退したのに、と二度言われて責められているんだと気づく。だがパラディの表情は完全に面白がっていて、噂の真相を知りたいだけのようだ。
 ネージュは酒の入った器を小さく傾けてから、またため息を零す。コクリと動いた喉仏は白く、俯くと揺れる黒髪はさらりと真っすぐで目を引く。

「急に発情期が来てしまったんですよ。仕方がないでしょう」
「……絶対に手の届かない高嶺の花になっちゃったんだね。あーあ、結婚しなくていいなら僕が番にすればよかった」
「私の発情期には進んで誓約書を書いて来てくれてたのに、そんなこと言うんですか?」
「だって書かないと他の人が相手しちゃうじゃない!」
「ふふっ」

 愉快な人だ。よく外国のお土産を持ってきてくれるし、指名しない男娼にも優しいから人気がある。
 今日の酒もパラディが持参したものだった。白く濁った酒は香りがほんのりと甘く飲みやすいが、意外に度数が高いのか頭がぼんやりとしてきている。

 しばらく話しながら、パラディに注がれるまま飲んでいると余計に酔った感じがした。周りの音が遠く、目の焦点も合わない。
 強いはずなのにと疑問に感じながらネージュが頭を軽く振ると、ぐわん、と世界が揺れたように感じた。ひどく気分が悪い。

「大丈夫かい、顔色が悪いよ。……酔ったのかな? ――これは遠い北の国の酒なんだ。君の体には合うはずなんだけどなぁ、余計なもの入れちゃったからかな」
「……え?」

 唐突な吐き気を堪えることに必死で、すぐに反応することができなかった。急にパラディの笑顔が怖く感じる。
 ガタガタッと周囲の人たちが椅子から立ち上がる気配がして、ネージュは動けないままゆっくりと視線を巡らせた。男娼たちは顔を強張らせ、入り口付近を見つめている。

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