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5/悪魔の宴(付録)
しおりを挟むそこは、魑魅魍魎の住まう世界、魔界だ。
悪魔から妖怪から妖精から女神から天使まで、幅広く住まうことを許された世界。
東洋の地、日本の座標軸につくられた――異世界。
そんな世界を統治する帝王をはじめとした――四人の魔王、サタン、夜叉、アルシエル、アルマロス。
そんな魔王たちに使える悪魔達――数十名。
ついでに帝王の家族に当たる者から、魔界創世当初から力を持つ六大家の面々まで――それは幅広く、そこに集まっていた。
帝王城、大広間B室(宴会場)。
魔の中心地ともいえる場所である。
「――いやあ、大変だったねえ」
ダイニングテーブルに座り、くすくすと笑うのは、北魔王、アルマロスだ。
ワイングラスを片手に、足組をしている。
その向かい側には、片目に包帯をぐるぐると巻いた、南魔王アルシエル。
「まーな。俺っつうか、俺の部下どもがな」
「あはは、そうだね。なんでも新しい部下が出来たんだって?」
「……耳が早ぇよ」
怪訝な顔をして――アルシエルは、手元に置いてある、ウィスキーグラスを揺らした。
彼のとなりにはちょこんと、大人しそうにオレンジジュースを飲んでいる少女が座っている。
見るからに未成年というか、見るからに人間だった。
アルマロスはしかし、少女のことは全く視界にいれず、にこりと微笑んで言う。
「そりゃねえ? ――なんたって、僕ともハウルとも、関係のあるコでしょう?」
「………」
琥珀色の瞳が――アルシエルを見つめる。
じろりと――得物を睨む蛇のように。
「まあ、だろうな。でも悪いが、お前に譲れねーぞ。なんたってウチのメルにベタ惚れだから」
「やだなあ。譲ってなんて、言ってないでしょう?」
アルシエルのため息混じりの返答に、くすくす笑って、アルマロスは返した。
「それで? その子、どこにいるの? メルくんも、うちのハウルも見あたらないんだけど」
「さーな。ヤツらはヤツらで仲良いからなあ……」
アルシエルはどこか楽しげに目を伏せて、言う。
「別室で酒盛りでもしてんじゃねーの?」
「えー。ずるーい」
「ずるくはねーだろ。ずるくは」
「だってそれだとその子、ハーレム状態じゃないのー」
「お前がいってもハーレムにはならねーよ。変態め」
「変態だもーん」
楽しそうに、アルマロスはワイングラスを揺らす。
「つーか。シェリルのヤロウ、もうつぶれてやがんじゃねえかよ、自分から呑みたいっていったくせに」
眉間にしわを寄せて、アルシエルは視線を床へ落とす。
そこにはシアワセそうに日本酒の瓶を抱えて眠る、ハインリッヒの女鬼、シェリルの姿があった。
開始三十分もしないうちに、彼女は酔いつぶれている。
「まあ、ファイナルちゃんもだし」
そんな彼女の向かい側では、同じようにして、紅い髪の女性――ファイナルが酔いつぶれていた。
「……こいつらには危機感ってもんがねーのか」
さらに険しい顔で、アルシエルは呟く。
寝相が悪いせいもあって、二人の服装は放送ギリギリレベルまではだけている。
まあ、そんな彼女たちに何かしようという勇気ある悪魔はいないわけで、あげく、そのすぐ側で二人の旦那が酒を呑んでいるので――心配はないのだが。
「でも、すごいよね。サタンを倒したんだっけ」
「……おう」
せっかく話題を切り替えたのに――と、アルシエルは密かに舌打ちした。
しかしアルマロスがしつこいことは、すでに知り尽くしていることで、興味のあることは聞き尽くすまで解放してくれないことも知っているので――アルシエルは諦めた。
ため息をつく。
おおかた――ハウルたちがどこにいるのかも、知っているはずなのだ。知っていて、そちらに出向かず――自分の前に座っているのだ、この男は。
この――自分と同じ、堕天使は。
「あげく、羽根が生えてきたとか」
「らしいな」
「でもハウルやメルくん、それからローズくんたちと同じ羽根じゃあ、なかったでしょ」
「……。何が言いたいんだよ、てめえは」
「ふふふ」
イライラしているアルシエルを、アルマロスは焦らして楽しんでいるようだった。
「どうしてだと思う?」
「どうしてって、そんなもん」
俺が知るか、と言いかけて――止まる。
黒い羽毛の翼――それを持つ者の、家柄。資質に考えが至って――固まる。
「そう。そのとおり。彼女はアルバート家であって、しかもそれ以上――」
黒い翼と蝙蝠羽根。
魔界で生まれ朽ちていく悪魔たちは――その二種類どちらかを有し、はたまたどちらも有せず生まれてくる。
それは資質の違いだ。
遺伝も関係性があるのだが――それでも。
黒い翼を生まれつき有するコには、王たる資質、もしくはその忠臣となる資質、つまりは『大物』となりえる資質があるのだ。
当然、戦闘能力も違ってくる。
「……まるで兵器だな」
「そうでしょう。天然の兵器でしょう?」
魔界における兵器とは――例外なく、『青い髪』の少女をさすが、彼女には翼がない。
彼女はまだ物心つかない、生まれたての時から悪魔へ変貌するよう、科学と医学によって改造された、一種の人造人間のような存在だからである。
しかし――。
翼が無くとも跳躍力は悪魔をゆうに超えるし、脚力もまるで問題がなく、あげく丈夫であり、しなやかであり、関節などまるで無いかのように――身体の全てが異様な方向へ曲がる。
そんな彼女は現在、魔界にいない。
「………」
アルシエルは沈黙した。
この場にニアがいなくて、本当によかったと思う。
彼女がこれらの話をきいていたら――一体どう思ったのだろう。
少なくとも――あの兵器は。
あの兵器は――自らを『兵器』といわれることを嫌った。
この話は、まさしく、ニアを『人間』でもなく、『悪魔』でもなく――『兵器』だと言っている話なのだ。
「ニアちゃんは――まさに、新型であって、全く逆の兵器となるんだよ」
しかしそんなことはまるで気にせず、いや、この悪魔には気にする必要がないのかもしれない。
アルマロスとは、そういう悪魔だ。
「……つーか。何でお前、そんなこと知ってんの」
アルシエルの、そんな素朴な疑問に対して、さらに笑みを深くして――アルマロスは返答する。
「そんなの、愚問でしょ」
「お前それすっげー得意そうにいうけどよ、俺には全然わかんねーし推測もたてられてねーことに気づいてくれ」
「あ、そっか。アルシーくんだもんね。うんうん、ごめん」
「……哀れんで俺をみるんじゃねえ」
ギロリ。
彼の紅い瞳が、アルマロスのへらへらした笑い顔を捉える。
「つまり、僕もその計画に参加してたんだよ。参加っていうか、協力?」
「は……?」
「オスカー家と、アレックス家と、僕、それからフランケンの共同計画でね。今はまた別のを、今度はゼノンちゃんも混ぜ混ぜして、――最新型を作ろうってやってるけど」
「お前なあ……六大家巻き込んでまたそんな……。最終的に帝王に阻止されるんだから、やめとけよ」
アルシエルの声が、低く小さくなる。
魔界に伝わる六大家の名は、あまり帝王城では口に出されない単語だ。
そもそもこんな話は、帝王に聞かれてしまえば――また帝王側近にきかれてしまえば、終わる。
六大家きっての親帝王派であるハインリッヒ家頭目が近くにいるというのに、何をやっているんだ、こいつは。
アルシエルはますます怪訝な顔をした。
相手の意図が、全く読み取れない。
しかし、対して悪びれた様子もなく、呆れてつつ心配も入り交じるアルシエルなどとくに気にもせず、アルマロスは笑う。
「いいじゃない。だって帝王は僕らに対して暴力的な制裁は加えないだろうし」
「……や、だからってよ……」
なおも言いつのるアルシエルに、アルマロスは一瞬キョトンとしてから、からかうように大笑い。
「あははっ! 心配してくれてるの?」
「ばっか違ぇよ! 自惚れんな」
ダンッとアルシエルはテーブルを叩き付ける。
「でもさ。心配いらないって。ちょっとした――お遊びじゃないの」
「……お前の場合、そのお遊びで……」
と、ここで、突然、二人の目の前をテーブルが飛んでいった。――窓ガラスを破って、外へと落ちていく。
ずだぁぁん、という凄まじい音が響いて、二人の魔王は同時に背後を振り返った。
「………」
同時に、言葉をなくす。
「――サタン。どうして、どうしてアナタにはそう、悪びれというものが、反省というものがないのでしょう……!」
そこでは、一人の魔王が怒っていた。
ただ、純粋に怒っていた。
西魔王、夜叉。
怒気をと覇気を身にまとい――彼女は、ただそこに立っているだけで床にヒビを入れていく。
彼女の目前には、また、一人の魔王。
本日全身複雑骨折中にて、車椅子参戦の東魔王。
サタンである。
彼の表情は、このうえないほど、引きつっている。
「……またやらかしたのかよ」
そんな光景をみて、アルシエルも動揺に顔を引きつらせた。アルマロスは変わらず、にこやかだ。
「あの夫婦、喧嘩が絶えないねえ」
いっそ、離婚しちゃえばいいのに。と、アルマロスが呟きかけて――目の前に椅子が落下した。
「何か?」
「……いえ」
むろん、投げたのは夜叉だった。
睨み付けられて、アルマロスは苦笑いを浮かべる。
その後ゆっくりとアルシエルは、隣に座る少女の耳に手を当てた。
「でも君もさ、普通、奥さん連れてこういうとこくるかな? おかしくない?」
「こういうとこにこそ連れてこねーと。留守中に何かあっても何にもできねーだろ」
「……?」
「ああ、お前のことじゃない。違うから、うん、ジュースでも飲んでろ」
聞こえないらしく小首を傾げる少女にそう語りかけて、アルシエルは微笑む。
コクリ、と少女は頷いて、オレンジジュースに口を付けた。
少女はアルシエルの新妻、いや、幼妻だった。
とてつもない年の差だが、これが案外、魔界では流行っている。流行の最先端。年の差婚である。
奇しくも日本で、同様のものが流行っていようとは知らないはずだが。
まあ彼らから言わせれば、二十や五十離れているということなど問題ではないのかもしれない。
なんていったって、彼らでいう流行りの年の差婚というのは、最高で――創世記から生きる存在と、つい十六年前に生まれた存在のことをいうのだから。
何千とか何万とか、そんなレベルではなく。
先祖とか、そういうレベルも超えている。
わかりやすくたとえると、高校一年生の女子高生が、恐竜と結婚したようなものである。
……いや、よくわからないかもしれない。
とまあ、そんなことはさておき。
背後から阿鼻叫喚が聞こえ、びっくりした帝王と一緒に呑んでいたハインリッヒの頭目が止めに入ったところで、アルシエルは席を立った。
「なに、帰るの?」
「これから帰ったら、夜道が面倒だろーが。帝王に泊めてもらうことにしてっから――こいつ、寝かせてくる」
アルマロスを見下ろして、アルシエルは幼妻の手をとった。
ひょいと抱き上げて、つかつかと去っていく。
そんなお父さんな、旦那さんな後ろ姿をみて――アルマロスは一言。
「……ちぇ、つまんない」
舌打ちをして、ワインを一気に飲み干す。
少し先には争い事に反応して飛び起きたシェリルと、戦いに反応したファイナルが、二人ともまだ酔いが覚めない状態で暴れていた。
夜叉もお酒が入っているのか、いつもよりサタンへの暴力がひどい、とアルマロスは見つめる。
このままでは当然収集はつかないのだけれど――でも。
このままの方が、おもしろいか。
「や、そこはとめてやれよ」
「!」
ふとぼんやりみつめていたアルマロスの隣に――いつの間にか、死神が座っていた。
帝王と似た銀髪を揺らす、深い蒼の瞳の持ち主。
いかにも夜の仕事帰り、といった風体で、その真っ赤なシャツは第三ボタンまで外れている。
「――デスくん」
「よお。酒盛りしてるとかいうから、心配になって仕事早退してきちまった」
「ふうん……。まあ、賢明じゃない」
何が心配、とは聞かなかった。
聞かなくとも、アルマロスにはわかっている。
死神は、唯一人の親友が心配だったのだ。
「どーせお前、一人で呑んでるんじゃねーかとも思って」
ニヤニヤと、死神はからかうように笑う。
「はい、残念でしたー。さっきまでアルシーくんが一緒だったもーん」
「へー。で、今はいなくなって一人、と」
「ま、そんなとこ」
死神は、アルシエルの使っていたグラスに、同じくウィスキーをロックで入れ直して――一気に飲み干した。
まるで水を一気に飲み干した、みたいな軽い動作だ。
そんな彼を、アルマロスは怪訝な顔で見つめる。
「よくそうやって飲めるよね……酔わないの?」
「ホストですから、一応」
「お酒、強いんだ」
ふうん、と、どうでもいいように呟いて、アルマロスは目を細めた。
「で? 死神本局からの通達は何もきてないの?」
騒ぎに紛れて誰にも聞こえないように――囁くようなアルマロスの声に、死神も目を細める。
「……今のトコな」
「へえ……。案外鈍いってことかな。それとも――気づいていて問題がないと判断したか」
「どうだろうな」
「どう思う?」
「……そんなの」
流れるような会話をいったん切って――死神は、無表情のまま――冷たく笑う。
それは、いつかの――ニアの表情そのものだ。
「愚問だろ」
「……ふふ。そうだね」
アルマロスは再び笑って――目を伏せた。
「――アイツにとって『毒』となるなら、俺は『死』を届けにいくだけさ。死神のように」
「じゃあ、害となるなら?」
「とーぜん。破壊しに出向くだけだね。悪魔のように」
「……そっか」
簡単な問答。
魔王と死神の、会話。
別名――悪巧み。
「僕も、せっかく奪い取った『玩具』にさ、悪影響があるようなら――他のみんなには悪いけれど、消そうと思ってたんだよね。魔王のように」
「どこが。堕天使のように、だろ?」
「……ま、そうともいうか」
くすくすと。にやにやと。
悪意と悪意が渦巻いて――『悪事』が生まれる。
がやがやと。わらわらと。
善意と好意が渦巻いて――『善事』が生まれる。
すでに二人と、目前のどんちゃん騒ぎには大きな壁が存在しているかのように――両者は相容れなかった。
それはただの、魔界の姿だ。
悪意と善意と好意と殺意と憎悪と敵意と敵意と恣意と熱意と弔意と謝意と厚意と祝意と害意と誠意と逆意と犯意と邪意と尊意が渦巻く――魔界の。
和の国の神慮を抱いた――魔界の、姿だ。
「あっ、デスじゃん! ちょっとちょっと! ここ今大変なんだからっ、あだだっ、痛い痛い! 助けてよーっ!」
「……はあ」
突如、その、相容れないはずの向こう側から、声が掛かる。ちょっとばかり感傷に浸っていた死神が、ため息をついて、仮面を外したかのように表情豊かに歩いていく。
「何してんだてめーら、うるせぇんだよ近所迷惑とか下で寝てる雑魚どもの気持ちもちったぁ考えろ!」
なんて怒鳴りながら、先程とは違う笑顔で、死神――ではなくデスとして、彼は帝王の隣で止まった。
(……だから、君はわからないよ)
アルマロスは、グラスを揺らす。
グラスの中で氷が回る。
(死神なのか悪魔なのか、はたまた、ただ、帝王の親友なのか――全く立場がわからない)
サタンもそうだ、と密かに彼を睨み付ける。
脳裏を過ぎるのは、つい先程の出来事だ。
(いつもは悪魔ぶってるくせして、肝心なところ――甘い。 結局小娘一人捕まえてこれない、いいようにできずにいいようにされる――この魔界の連中は、いつもそうだ)
さらに続けて、走灯馬のように――アルマロスは彼らが達成しえなかった出来事の数々、最後には帝王が出てきてしめてしまう、そんな出来事を思い返して――苛つく。
これでは――ここにきた、意味がない。
ここを第二の混沌とするために――地獄を離れ、身の危険を冒しながら――きたというのに。
(……ま、いっか)
ため息をついて、彼も席を立った。
これ以上は時間の無駄だ。
どうせまた、別の機会で別の面々と、もっと悪意に満ちている連中と――『悪巧み』の最中なのだ。
今回の件は、これでいい。
お気に入りの部下であるハウルでも連れて帰ろう――とした、矢先。
騒ぎの中をすっと通り抜けようとし、ぐいっと掴まれて、止まる。
「え」
「おういどこ行こうとしてんだよぉ変態ぃ! あたしとまだ酒呑んでねぇだろぉぉぉ!」
途端に視界が急回転。
首を絞められる。
犯人は――シェリルだ。
「ちゃぁんと腹割って話そうぜぇ?」
顔を真っ赤にして、目なども垂れていて、べろんべろんだということが見て取れた。
「……えー。僕もう帰ろうと……」
グイッと、さらに首が締まる。
「だーめ。絶対帰さないぞぉぉ! おおい、帝王! あれ、あの、お前の娘で一番可愛い天使いただろ! あの子連れてこい! 酌させろ!」
「むむむムリムリ! あの子もう地獄に嫁いだんだって! ていうか今の状況でそんなことさせたら、俺多分ミンチ肉にされちゃうから!」
「あの子めっちゃ可愛いじゃんー! ウチのジルもさぁ、 なんだかんだでファンクラブの会員だからね! あたしも会員になっちまおうか!」
「や、やめといた方が……あの子の旦那さん、そういうの潔癖症っていうか、嫌いで、その、容赦なく切り捨てるし」
「やれるもんならやってみろー!」
「あああダメダメそういうこといっちゃダメぇぇぇ!」
「……どーでもいいから、僕を離してくれないかな」
「諦めろアルマロス! そういう運命だ!」
「……ファイナルちゃん。君もいつからそんなキャラになったのさ」
「俺はいつでもこうだろう! さあ、アルマロス! 剣を抜け! どこからでもかかってこぉい!」
「……はあ」
ため息をついた視線の先には、ニヤニヤと笑う――死神……ではなくデス。
思えば、相容れないはずの両者が、こうしてうまくいくようになったのは――このお馬鹿で多少ヘタレな帝王が、あったはずの壁を――ぶっ壊したからだったか。
アルマロスは、自嘲気味に笑う。
(こういう無邪気な連中はさ――、どうしても、裏切って絶望の淵に堕としたくなる――僕の悪い癖だ)
それは堕天した時からの――後遺症。
治ることのない衝動。
いっそ全てを話して、突き落としてやろうとも考えた。
しかし――しかし。
こんな程度の悪意では――この帝王の『奇跡』は、覆らない。どんな悪意も――善意へと変えられた。
いや――。
(帝王どころか――玩具のこともまだ壊せてないんだっけか、僕は)
そんなことを思い出して――そんな玩具である、お気に入りの部下の――ハウルを思い浮かべる。
彼は今、おそらくシアワセな時を過ごしているはずだ。
死んだはずの、末の妹と話をしているのだから――。
「さあこいアルマロス―っ!」
「あーこら、やめろファイナル。こいつがひょろいの知ってるだろお前も」
「だから鍛えるのだ!」
しかし、邪魔をしてやりたくとも――この『奇跡』をはじめとする『善意』たちが、邪魔をする。
ひそかに混じった悪意までもが、邪魔をする。
悪意に悪意を邪魔されるのだ。
皮肉な――ことに。
(……仕方ない、ここは諦めよう)
もう一度だけ、誰にも気づかれないよう冷たく笑って、アルマロスは仮面をかぶった。
悪意の身体に――善意の仮面を。
「もー、勘弁してよー」
「だめだだめだ! 鍛えるのだー!」
「あああファイナルだめだめそんなこと! デス、押さえて!」
「お前押さえろよ旦那だろ」
「みてわからないかな!? 俺、今シェリル押さえてるでしょう!」
「ダンテは?」
「すみません、俺は夜叉さんを」
「えー」
「えーじゃないんだってばあああ!」
「ほらデス、がんばって!」
「アルマロスてめー何なれなれしく口きいてんだ、やっぱりそのまま斬られろ」
「デスぅぅぅ! ダメだからそういうこといっちゃ!」
「あはは、ひどいーい」
騒ぎと共に、室温は上昇。
外との気温差――約十五度以上。
そんな状況下で窓は曇り、湿気を生みながら悲鳴を上げ続ける。
からん、と、グラスに残った氷が鳴いた。
「じゃあまず、ニアの『悪魔』への昇格をお祝いして――乾杯なんだぜーっ!」
所は変わって、ニアたちは一つ下の別室で、東西南北の魔神が勢揃い――というわけでもなく、ひとまず南北の魔神だけが集まって、わいわいと賑やかだった。
ギルドの声から始まったその宴は、上で行われている宴よりも――どこか若々しい。
「やー、こうして集まるとアレだな。帝王城で見習いやってた時思い出すな!」
長いテーブルは座敷に置かれていて、椅子はない。高いテーブルというわけではないので、各自座る場所には一応座椅子が置かれている。
「? みなさん、帝王城にいらしたんですか?」
「そうだぜ。一度は帝王城で衛兵の仕事しないと、上にあがっていけないシステムなんだよ」
昔はな、とローズが付け加える。
当然質問したのは、この祝賀会の主役、ニアである。
彼女はまあ人間の歳にして十五歳。
言うまでもなく未成年なので、残念ながら手元にあるのはコーラだ。
その隣のメルはウィスキーのコーラ割である。
紛らわしい。
「……俺たちは全員、同期なんだ。その時代のな」
補足説明をいつものように付け加えて、ロゼは手に持っていたグラスをテーブルに置いた。
今日はいつものように口につけているバンダナがなく、なんとなく新鮮である。
「ふうん……」
俺たち、といわれてもニアには誰が誰だかわからない。
ひとまず、南の魔神はわかるとして……。
北魔神の方は、さっぱりだ。
「とにもかくにも、自己紹介が欲しいです」
じーっと、オレンジ色の髪をした青年をニアはみつめた。
先程から、こちらと目を合わせないのだ。
「あー……」
なんとなく気まずそうに、青年は唸る。
「だってよ。自己紹介してやれよ」
そんな青年の様子を楽しむかのように、メルはキセルを咥えながらニヤニヤした。
しかしすでに酒に酔ったのか、その体勢はだらしない。
「………」
しばらく黙り込んだあと、意を決したように、青年はニアに片手を差し出した。
「……ハウルだ。北魔神筆頭、かしらの右腕をやらせてもらってる」
「あ、どうも」
その手を、ニアは握り返す。
どことなく懐かしいような、そんな感覚をおぼえ――、それを尋ねる前に、ニアは気づく。
「かしら?」
「あー、えーと。俺たちも、魔王様のことは『かしら』で呼んでるんだ」
「右腕なんですか?」
「……かしら曰く」
ニアは頭の情報を整理する。
メルとライバル的存在だったはず――だけれど。
立場が、若干、ハウルの方が偉いような――。
「もしかして、メルより偉い立場にあります?」
「まあ、そうかもな」
「ああ? ウチはフォラスさんがいるんだからしゃあねえだろうが! お前んとこはそういうのいねーし!」
「一応同じソロモンのシャクスはいるけどな」
「アイツはいねーのと同じだ!」
「ああ?」
「あん?」
流れるような会話のあと――お決まりのように、二人は睨み合った。
はわわ、と慌てるニアの頭を、ローズが撫でる。
「心配すんな。いつものことだから」
「そ、そうなんですか……」
すでにとっくみあいにまでなっているが、そういわれてしまってはとめるにもとめれない。
「……ん? 『ハウル』?」
そういえばどこかできいたことがあったような……。
確か……。
ぼくの過去と関係があったような。
「もしかして、ぼくと似てるのって、このひと?」
ニアは、取っ組み合う青年、ハウルを指さした。
確かいろいろなひとに似ているとか家族だとかなんだとか言われた気がするが――こうしてみても、ニアの目からみても――似ているところがわからない。
「そのとおり」
しかし頷くローズ。
だから、尋ねる。
「……似てます?」
「……今は似てない」
わずかな沈黙。
二人して取っ組み合う二人を見つめる。
と、唐突にローズの身体だけが傾いた。
「ぐおっ」
背中に衝撃をくらったためだ。
「ロ、ローズ」
びっくりしてニアが振り返った先には、ちょうどローズの背中にのしかかるようにして――一人の少年が、抱きついていた。
髪の色は薄い赤でローズとはまるで似ていないというのに――どうしてだか、似ている。顔のパーツだろうか。
「兄さーんっ」
幼い声で、無邪気に少年はそうローズを呼ぶ。
「……カルロス、てめえなあ」
ギロリ。紅い瞳がカルロスとよばれた少年を睨み――次の瞬間には、笑った。
「元気してたか」
「うん! うん! 兄さんはっ?」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でられて、少年は笑う。
まるで太陽のようだ。
と、ここでローズはニアへと視線を向ける。
「あ、えっとな。こいつは俺の弟で、カルロスだ」
「兄さんはオレ様のものだからな小娘!」
「……弟さん」
苦笑いのローズ。
ジト目でみるカルロス。
困り顔のニア。
ここまで敵意を向けられたのは久しぶりである。
「こら、お前なあ……」
「むやみやたらにオレ様に話しかけるなよ。オレにとって家族なのは兄さんだけだからな」
「あう……う? あれ。つまり、ロゼさんの弟っていうことでもあるんですよね?」
「オレ様の兄さんは兄さんだけだ」
「……どういうことですか」
眉を八の字にして――ニアは呟く。
「悪い、ニア。俺らの家はちっとばかし複雑でな――。弟もこうして捻くれて――」
「ひどいよ兄さん! 捻くれてないもん! 兄さんのこと好きすぎて、ちょっと後付けたり真似っこしたり、包丁で刺したくもなるだけだもん!」
それはちょっとなのだろうか――。
ニアはにわかにひいた。
好きすぎて刺すって。
ぼくじゃないんだから。
「……まあ、みてのとおりヤンデレっつーやつだ。お前も同じだし、仲良くしてやってくれ」
「ちょっと。それはニアをヤンデレっていってません?」
「いってる」
「……ニアはヤンデレじゃないですよお」
ぶう、と頬をふくらませるニア。
が、すでにローズとカルロスが軽くじゃれているせいで、取り合ってはもらえない。
そんなニアを見かねてか、帝王が腕を振るった宴会料理に箸を伸ばしながら――ロゼが補足説明を始める。
「ついでにニア。そいつは俺たちと同じ魔神じゃねえぞ」
「へ?」
「一個下の魔将だ」
「ましょう……?」
小首を傾げるニアの斜め向かい側から、声。
「そんなことも知らないんだ? 帝王、魔王、魔神、魔将、魔騎士、魔兵……って、こういう感じに階級分けされてるんだけど」
「そ、そうなんですか」
「うん」
黒っぽい髪の毛に、紫色のメッシュ。メルたちと同い年とは思えない――童顔。
ニアと同じくソフトドリンクを手前に置いている、その悪魔は本から顔を上げて――ニアの方をみる。
「ちなみに僕はリトだよ。よろしくね」
黒縁眼鏡をかけた、くりくりした大きな瞳が、ニアを興味深そうにみながら、笑った。
ニアも慌てて頭を下げる。
「二、ニアです。よろしくです」
ハウル、リト、カルロス……と、三人まではわりと順調にきた。ニアは頭の中で、記憶に集中する。
他に、四人も残っているところをみると――全員を覚えることは出来なさそうだ。
「ま、このへんで私も自己紹介と致しましょう」
「!」
うーん、うーんと唸っているニアの背後に、いつの間にか片眼鏡の紳士が立っていた。
茶色の髪を揺らして――端正な顔をにこやかにゆるめながら、彼は口を開く。
「ソロモン七十二柱が一人、シャクスと申します」
「……シャクスさん」
さっきメルとハウルの口からきいたような――主に暴言、悪口だったような。
ニアは苦笑いを浮かべる。
「どうせ他の方は来ないと思いますので、私がお教えして差し上げましょう」
ちらりと、さらに大きい騒ぎとなって取っ組み合うメルトハウル――そしてその中でとめに入る小柄な少年。そんな様子をニヤニヤとおもしろそうにみている二人の悪魔の、そんな光景を見つめながら、シャクスが告げる。
「え、あ、はい、ありがとうございます……」
思いがけない申し出だったせいか、ニアは戸惑った表情を浮かべて頷いた。
確かに来そうにはないけれど……・。
ちらりと、騒ぎをみながら思う。
「まず、とめに入っている方が『マクト』さん。ハウルさんとよく一緒にいますね」
「はあ」
シャクスに言われるがままに、ニアは少年を見つめる。
パーカーから覗く、多箇所にわたる白い包帯と、口から首もとにかけて巻かれた白い包帯が異様だ。
リトよりも、どこか幼くみえる。
「遠巻きにみている、気の強そうな、ムチを持った青年がキルという悪魔で、その隣にいるのがキルの弟、ルアです」
なんでムチをもっているんだろう……。
ニアは怪訝な顔で二人を見つめる。
ピンクっぽい紫髪が共通しているし、体格も似通っているので確かに兄弟にみえるが――が!
弟だというルアの首には、何故か首輪がつけられていた。
……なんとなく違和感。悪魔でも、そういうファッションが流行っているのだろうか、とニアは思う。
「……一つ、聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「ニアとハウルは、似ているでしょうか」
「そうですね、雰囲気は似てますけれど」
「……そうですか」
そんな会話の後、ひょこひょことリトが近づいてきて、ニアはシャクスではなくリトへと視線を向ける。
「ニアがハウルの妹ってきいたんだけどさ」
「はあ」
「あれって、本当なの?」
怪訝な顔で――本から顔を覗かせるリト。
半信半疑、といった表情だ。
ニアは笑う。
「ニアもサタンさんからきいたもので、真偽のほどはわかりかねるんです」
メルが取っ組み合いしているおかげで、何一つきけないんですよ、ええ。
……とは言わない。
「ふうん……」
リトの方は少し納得のいかない表情で、本をぱたんと閉じた。そういう動作が少し細かくて、どこか女の子みたいだと、ニアはみつめる。
しかし声質からしても、顔立ちからしても、容姿からしても――リトはどこまでもかわいい男の子なのだった。
「そうなんだ」
「ニアはここでの記憶が一切なくてですね、人間として育てられましたので。ていうか今、ぼくも疑ってるんですよ。もし本当に――ぼくの故郷がここなのだとしたら、ぼくが生きてきた世界にいた――お父さんとお母さんは一体なんだったんだろうって」
ぽつり。
ニアの本音が、飛び出した。
自分が望んだことではあるのだけれど――望んだことそのまま過ぎて――怖いのだ。
「もしかしたら、今この瞬間も、全部夢なんじゃないかとか、頭おかしくなってるんじゃないかとか――思ったり」
くすり、とニアはリトに笑いかけた。
うふふ、でもふふふ、でもなく。
くすり、と。
「……まあいいんじゃない。自分の望んだ世界でしょ」
そんな笑顔をみつめてから――リトは再び本を開いた。そうして冷たく言い放つ。
「この魔界で大事なのは、種族じゃないみたいだし。えーっと、なんだっけ。『覚悟』とかいってたかな」
「……覚悟」
「うん。何のことに対しても、覚悟は必要でしょ。受け止めるにも、受け入れるにも、立ち向かうにも」
ま、受け売りなんだけどね。
なんてリトは続けて、自分の頼んだものであるウーロン茶を一気に飲み干す。
ニアは、ふっと微笑んだ。
同期といっていた意味がよくわかる。
なんていったって――ニアは、ロゼからこんな話を、四日目くらいに講義されているのだ。
「いつか、リトたちの先生ってひとに会ってみたいです」
「は?」
「いえいえ、なんでもありません」
ただの独り言です。
そういって、ニアは笑って、リトに質問を始める。
「そういえばリト。ヤンデレってなんですか?」
「ヤンデレ? えーとね、ちょっと待って――今辞書でひいてあげるから…・・・」
「ニア! お前のことだ! お前の!」
声がした方向に目を向けると――メルである。
とっくみあいの最中、すでに柔道になりつつある状態で、メルは叫ぶ。
「ニアはヤンデレじゃあないですって」
「いいやヤンデレだっ! 断言す――ぐぉふっ!」
と、ここでいいパンチが腹にはいって、メルが呻いた。
同時にハウルが血相をかえて怒鳴る。
「テメェ! なに暴言はいてんだ!」
妹に、とは言わなかったものの、メルにはそう聞こえたようで、
「シスコンも大概にしとけよお兄ちゃん! 悪いがな、ニアは俺にぞっこんなんだからな! 俺がいただい――あ」
――と、そこまで口走って、メルは固まった。
顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
ニアの顔も同様に、紅く染まっていく。
ローズはため息。ロゼは無視。ギルドは寝ていて、その他面々はメルに注目していると――そういう状況。
やっぱりお兄ちゃんだったんですねっとか、そういうことを言い出せる状況ではないので、今回、これは諦めようとニアが決意したところで――時間が動き出す。
「正式に旦那決定だな。二次元卒業おめでとう、メル」
「――!」
ぽつりと。
ロゼがそんなことを呟いて――メルの表情が真っ青になる。
「え、ちょっ、待てよ! 俺二次元強制卒業なのっ!?」
「当たり前だろ。パソコンの中にためてた嫁も全部消せよ」
「そんな殺生なっ! アレに俺がどれだけ金と労力と時間をかけたと――」
「そんなもんはしらん。でもニアに失礼だろう」
「う、うぐぐっ」
旦那という立場で先輩であるロゼにそう釘を刺されて、唸るメル。
追い打ちをかけるかのように、リトが口を開く。
「ちなみにだけど、ニアちゃんがヤンデレ属性なんだから、嫉妬心なんて生ませない方がいいと思うよ。僕のデータによると、ヤンデレキャラは嫉妬心で相手を刺すからね。死体だけでも自分のものに、みたいな」
「……相変わらず勉強家だなお前は」
「それほどでも」
かけていた黒縁眼鏡をくい、とあげて、リトは得意そうに笑った。
しかしまあ、それが勉強するほどの価値があるデータだったのか、議題だったのか――という点は、微妙である。
と、誰もが思う中――ニアが、口を開いた。
「メル」
「ひっ、はいいぃ!」
そのあまりに静かな声音に、メルは飛び上がる。
やばい、いつものヤンデレ発動だ! と身構えて――、
「ニアは別に、かまわないです。だってメルのこと一番好きなのはニアで、一緒にいれるのはニアで、触れられるのもニアで、いろんなことできるのもニアですから」
「……ニア……」
――ぽかん、とした。
怒られも、哀れまれも、刺されそうにもならなかった。
この事実があまりに意外で、メルは呆然とニアをみる。
ニアがこんなに懐が深いというのに、自分はなんて小さな男なのだろう……とも同時に思って、悲しくなり、メルはぐっと拳を握った。
(――仕方ねえ。こうなった以上は、腹くくって、ニアとのラブラブなリア充生活を――憧れのリア充生活を、やってみるか)
メルは今までにない覚悟を固めて――パソコンのハードディスクをどこかに封印しようと思い――二アの瞳を見つめる。
口をひら――きかけて、ニアに先を越された。
「――まあ、一番近くにいて殺せるのもぼくですしね」
この一言に、メルの決意は玉砕。
心に深い傷跡を負ったまま――精神的に若干不安定になったまま――メルは、決意ではなく覚悟を決める。
「……わかったよ」
「何がですか?」
ニアのちょっぴり冷たい口調にも負けず、メルは初めて、人生で初めて――覚悟を示した。
「……こ、金輪際、ギャルゲーなんてしねえよ」
「おおっ」
「それから……、その、旦那として、頑張ってみる」
ぽつりと、小さく呟いて、メルはニアから視線をそらした。そらして――頬を朱色に染める。
なりゆきとはいえ――こんなオイシイ状況、もう二度とないという感情が自分の中の四割を閉めているとはいえ――そう。
毎日毎日、出会ったその日から一週間。
自分のことを好きだと、見るからに可憐な少女に告白され続ければ―――好きにならない男なんていねえんだよバカヤロウと。
そういうことだった。
「……はい」
たかだかそういうことだったのだけれど――ニアは。
ニアにとっては、それ以上で。
心底嬉しそうに――はにかむように、笑う。
しかし周囲からの視線は止まないわけで、本当ならばメルとしては、ギャルゲー経験者としては抱きしめてみたいところなのだが、からかうような視線も若干感じているわけで。
照れ隠しの言葉を吐き捨てる。
「い、いっとくけどな! 俺、恋愛経験なんてゼロなんだからな! いきなり旦那なんて、つとまると思うなよ! その、ロゼに聞きながらやってはみるけれどだな!」
「はい」
「だ、だから早急に愛想つかすとか、そういうのは止めろよな! 後々のトラウマになるんだからな!」
「はい」
「お、俺は亭主関白主義だからなっ」
「はい」
照れ隠しを連発し、キョドるメルを、嬉しそうにみつめながら返事をするニア。
(メルよ、もうヘタレっぷりしか出せてねーよ)
そんな二人を苦笑いしながら――一人。
金髪の悪魔が、ふすまの隙間から覗いていた。
手をつなぐ先には、彼の幼妻。
もう眠いようで、何回かコクコクと首が傾いている。
(まあでも――アイツにも春ってのがきて、よかったというべきなのか)
ふっと、まるで親心のようなものを感じて――彼は微笑んだ。そんな彼の服の裾を、幼妻がくいくいと引っ張る。
「ん、わかった。悪かったな、付き合わせて」
小さく呟いて、彼は幼妻を抱き上げて――廊下を歩いていった。
……さて。
この二つの部屋を上下にへだてる天井であり床であるこの大事な部分がくりぬかれ、下にシェリルが落下し、帝王をはじめとするメンバーが加わって、さらに騒ぎが加速していき――。
翌朝の医務室が二日酔いやら骨折やらで満員状態になり――。
医務室に居座る闇医者が、くすくすと可愛らしい音の笑い声のわりには意地悪な治療を施し、帝王城を阿鼻叫喚で満たした――というのは、また別の話である。
そうして、子を唐突に神隠しにされた夫婦の元に、近況報告ともとれる手紙が届いたというのも――また別の話である。
『 ――拝啓、義理の家族様。
わたくし、ニアは、人間を辞めて、
悪魔を始めました。
今は本当の家族もみつかって、
ステキな旦那様もみつかって、
ステキな仲間ができまして――、
――とっても、シアワセです。
ニア 』
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