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00:前置き。
しおりを挟む――魔界。
あらゆる魑魅魍魎らがこぞって住まう混沌の世界。
善と悪とがごった煮にされた不思議な世界――……。
この世界では、あらゆる存在は種族別にではなく、その属性として分けられる。
すなわち――善、悪、中立。
あるいは――どちらでもないか。
「アタシらみたいな小悪党は、いったいどこに振り分けられるのかねえ」
双眼鏡を片手に、女盗賊、レドは手すりから身を乗り出してつぶやいた。
傍らには、茶髪に燕尾服をきた堕天使が立っていた。
「はて。どうでしょうねェ。我が主も、大まかにいえば『あてはまらない』でしょうし」
「北魔王のこと? それとも東?」
「ご冗談を。……どちらもでもないですよ」
「ああ、じゃあ『あっち』か。ふうん、まあ、そうだよねえ」
彼らがいるのは海の上だった。
正確には小型の戦闘用ボートだ。否、ボートというほど貧相なものでもないが。
大きさにするとクルーザーほどだろうか。迷彩色に塗られたそれは、レドの所有物だ。
運転席には誰も座っていない。自動運転システムを搭載している。
「しっかし、まさか北欧の怪物、クラーケンも魔界に住みたいと言い出すとはねー」
「帝王は大歓迎の意向を示してましたが」
「そりゃね。来るもの拒まず去る者追う帝王だからねー」
問題は、とレドは手元の写真を見つめた。
写真には、魔界の海を治める悪魔の姿が映っている。
「そもそも向こう側もナメてると思わない? 人間でいえばいわば大使のようなものが、自分の娘だよ?」
「そりゃあナメてかかるでしょう。『ココ』は東洋の島国をつくった神がオマケで作った異世界ともいうべきものですからね」
「そういうモン?」
「ええ。スケールでいけば間違いなく向こうの方が有名ですから」
大きくため息をつくレドとは対照的に、その堕天使はにこやかだった。
片メガネも相まって、非常に紳士に見える。
彼を知る人がみれば『気持ち悪い』と言葉を漏らすだろう。むろん、彼の主人も同様に。
レドは「あ」と声をあげた。
船の先、大きな渦潮が見えてくる。
「あのへんだね。さあて、うまくいくかな」
「貴女の腕次第ですとも」
「はは、いうなあ」
双眼鏡を腰に装着して、レドは背を向けた。
船室へと降りていく。
次に出てきた時には、彼女の風貌は変わっていた。
盗賊という面影はない――綺麗に着飾った、交渉人の姿だった。
不敵な笑みを浮かべた二人をのせて、舟は渦潮へと向かっていった。
◇◇◇
その室内には、タバコのにおいが充満していた。
床のあちこちには空になった酒瓶が転がり、その中に混ざって乾物が入っていたのだろうか、食品の入っていたと思われる袋が丸まって転がっていた。
ドラム缶の上にはいつものように、用心棒がいびきを立てて寝ていて。
この場には不相応な高級ソファの上には闇医者が、顔に本を開いたまま固まり。
無機質なパイプベッドには、死神が上半身をあらわにして眠っていた。
めずらしく注射器も錠剤のかけらも落ちていない、その廃ビルともいうべき建物は彼ら悪党のたまり場だ。
天井にはつい先日設置した(といってもただ天井に鎖を取り付けただけだが)簡易ランプがぶら下がってゆらゆらと揺れている。
ふと、室内に『ヴー、ヴー』という一定のリズムを刻んだバイブ音が響いた。
申し訳程度におかれたテーブルの上で、死神のスマホが音を立てているようだった。
「……んー……」
事珍しく、用心棒がむくりと起き上がった。
完全には覚醒していないのか、その視線は定まっていない。
彼はテーブルの上を見つめた。
ドラム缶の上からひょいと降りると、何の迷いもなく死神のスマホ(あくまで彼のものではない)を持ち上げた。
画面には、『非通知』という文字が表示されている。
「はあい、もしもし」
用心棒はこれまた何の迷いもなく、指で応答をタッチすると耳に当てた。
スマホから聞こえてきたのは、雑音だった。
ザザ、ザザザ、ザザという不思議な音で、「もしもーし」と何度か問いかけたが、まるで応答はなかった。
「んん~? いたずら電話ってやつかあ?」
まずお前のスマホではない、と突っ込む者が誰も起きていない状況下で、用心棒はしかし回線を切断することなくひたすらにスマホから流れる雑音を聞き続けた。
ザザ、ザザザ、ザザザ……。
無線の雑音さながらに聞こえるそれは、もしかしたら相手の電波が不安定なのかもしれなかった。
「おおーい、なんかい」
『アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ』
一瞬。
心臓が止まったような衝撃と共に。
彼の意識は。
「ぎゃあああああああああああ!?」
――完全に覚醒した。
ごん。
「ぎゃん!?」
「うるっせェぞルキノ!」
絶叫のすぐ直後、たたき起こされた形の死神が用心棒にげんこつを落とした。
用心棒はしばし沈黙したが、痛みに耐えきったのち、涙目で持っていたスマホを死神に突き返した。
「おまっおまえのスマホ! 鳴ってたから! 出たら! なんか! 変なオンナが!」
「はあ?」
「の、呪われてる!」
「お前な……」
涙目の用心棒から、死神はスマホを受け取った。
すでにスマホには何も映っていない。画面を表示させるために電源ボタンに触れたが、スマホには着信があった模様すらない。ついでに着信履歴を表示したが、最終の履歴は昨日の昼間で終わっていた。
「……夢でもみたんじゃねーの? つか悪魔が呪われてるとかで涙目になるなよ」
呆れる死神の視線に、用心棒は「いやいやいやいや!」となおも言いつのった。
「だ、だだ、だって! 絶対、鳴ったもん! わ、笑ったんだよ、気が狂ったみたいに!」
「誰からだったんだよ?」
「ええっと、ああ、そう! 非通知って出てた!」
「非通知ィ?」
疑うような視線に、用心棒の目じりにはさらに涙が溜まっていく。
「いやでも、履歴に残ってねえしなあ」
「お前非道なことばっかしてるからきっと恨みの電話だって! いたずらとか、そういうたぐいじゃなくて、声から変な寒気がしたんだよ!」
「……もう一度だけ言うぞ」
「な、なんだよ」
「悪魔、それも『悪党』が恐れることか?」
「ばっかやろう! 悪党だってお化けは怖い!」
言い切った用心棒に、死神はため息をついた。
そうしてスマホをポケットにいれると、パイプベッドに戻っていった。
「ま、まてデス! わかった、もう信じてくれなくていいから、一緒に寝よう」
「何いってんだお前」
「悪夢見そう!」
「いや、冷静になれ。お前、俺の隣で寝るっていってんだぞ」
「冷静にお願いしている」
「…………」
死神は、すっと遠くを見るような目になった。
そうしてツカツカと用心棒に歩み寄ると、一発。
「ぐふっ」
腹部にパンチ。
用心棒はそのままドラム缶に倒れると、意識を失った。
それを確認すると、死神もパイプベッドに戻った。
ポケットからスマホを取り出して、今度は枕元に置く。
時刻はいまだ深夜。朝はもう少し遠い。
この時間は帝王城も寝静まっていることだろう。とくに帝王の子供たちは、用心棒のいうようないたずらをすることがあってもこの時間は間違いなく眠っている。つまり、いたずらとは考えにくい。
(何をそんなに怯えるんだか。俺らもお化けみたいなもんだろうに)
はあ、と深いため息をついて、デスは瞼を閉じた。
そんな彼が、朝目覚めるとなぜか隣に用心棒がいて、あげくなぜか反対側に闇医者がいて、一人用のパイプベッドに男三人が仲良く寝ている光景を目の当たりにして、深く深くため息をつき、ついでにモーニングコールに親友の愉快な声をきき、精神的衝撃に耐えている最中に、まるでトドメといわんばかりの畳掛け、壊れかけているドアからバーンと女盗賊が姿を現して長い一日を覚悟するのは、あと二、三時間後のことである。
奇しくも、物語は彼の厄日から始まるのである。
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