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第一章「地底の魔女」
02
しおりを挟む魔女は近年で一番、真剣だった。
モンスターを魔法で浮かせて自分の家まで運び込んだまではよかったが、いかんせん『客室』というものがなかったのだ。
当然客用のベッドなどもなかったので、彼女は自分のベッドに彼を寝かせると手厚く看病した。
何しろ彼は衣服もそうだが、全身の怪我がひどかった。
落下する最中に負ったであろうものから、そうではない『剣で裂かれたようなもの』まで多種多様だ。
きっと命からがら、必死に逃げて、ここに落ちたのだろう。彼女はそう予想した。
もっとも、それ以上のことは想像もできなかった。
地上に今何が起きているのか、誰がどんなふうに住んでいるのか──彼女は何一つ知らなかった。
知らないままでいることを、彼女は彼女自身で選んだのだ。
物置部屋にためてあった薬の瓶ひとつを空っぽになるまで彼に使うと、魔女は次に魔法で彼の衣服を修復した。
息をつく間もない作業の連続だった。
そんなふうにされて助かった彼が目覚めたのは、それからすぐのことだった。
「う……」
「目が覚めたかい」
ベッドの脇に椅子をひいてきて座ると、彼女優しく微笑んだ。
「私はここに住む魔女だよ。……あんな高さから落ちて生き残るとは、キミも運がいいね」
モンスターの彼はしばらく不思議そうに目を見開いていた。
しかし、すぐに彼の表情は変わる。
あちこち自分のきれいになった身体を見ると、ぱあっと目を輝かせた。
「す、すごい! 全身、『イタイ』とこが消えちゃった! 魔女さまが、治してくれたのか!」
「ふふん。私お手製の薬にかかれば、あの程度どうってことないさ」
彼にほめられて、魔女は鼻高々だった。
もちろん、四肢の欠損や臓器の破裂には、あの塗り薬など使えやしない。
彼が助かったのは、そういった『致命傷』がなかったことも要因だ。
もっとも、そうであったとしても、彼女はある程度は魔法でなんとかできたりするのだが。
「さて。運のいいキミを、お家まで送ってあげようじゃないか」
彼女はすっと椅子から立ち上がって、手を差し出した。
しかしその手を、彼はとらなかった。
「?」
魔女のもう片方の手には、すでに飛ぶための杖が握られていた。
漆喰に塗られた木の杖だった。先端には、薄い青の色を帯びたクリスタルが収まっている。
クリスタルは魔女の力に反応しているのか、脈打つように、時折淡く光った。
「……帰るとこは、ないんだ。魔女さま」
彼は、小さく、小さく、つぶやいた。
消え入りそうな声だった。
「なんだって?」
魔女は思わず聞き返していた。
もちろん、その言葉が聞き取れなかったわけではなかった。
ただ、言葉が理解できなかったのだ。
帰る場所がない。全身の怪我。大きな穴に落ちてきた彼。……つまり。
考えたくも無い妄想が、瞬時に脳裏を駆け巡る。
魔女はすぐにその妄想をかき消すように頭を強く振った。
見るな。聞くな。考えるな。
自己防衛本能ともいうべき『何か』が、胸の中で囁く声がする。
「な、なあ、魔女さま! 家まで送るとか、そういうのはいいからさ。僕の兄弟、お兄ちゃんだけでも、助けてくれないか」
じっと真っ直ぐな瞳に見つめられて、魔女は思わずたじろいだ。
まるで宝石みたいに無垢なものだ。
この世の悪意とか、憎しみとか、そういうものとは無縁に育ってきたのだろう。
瞳にあるのは純粋な好意と、懇願だった。
(……助けて、か)
彼女は、困っていた。
素直にはうなずけなかった。任せておきなさい、とはすぐに言えなかったのだ。
波風の立たない、平穏で何も無い生活。
そういうお気に入りは、このお願いを聞けば跡形もなく崩れ去るという確信があった。
地上のあれこれに干渉するということは、こちらも干渉されるということだ。
もう、見てみぬふりは出来ない。
(じゃあ、見捨てるっていうのか?)
心の奥底、閉じこもって布団をかぶる卑怯者の自分に、そっと声をかける。
目の前で助けてと泣くこの子を、見捨てろと。
布団から、のそのそとソレが這い出てくるのがわかった。
ひどく重たい身体をひきずって、苦しげに。
ふふ。
魔女は、そんな自分の片割れに苦笑した。
地底に引きこもってから、百年余り経つけれど。そうまでして、知りたくも無い地上の出来事だけれど。
だからといって、彼女はこのモンスターを、放置はできないのだ。
帰る場所がない。と力なくつぶやいた顔を、無視はできなかったのだ。
長らく見ようともしなかった地上のことを思い浮かべながら、ふっと瞼を閉じる。
彼女なりに、覚悟を固めようとしてのことだった。
「詳しくお話をきいてもいいかい」
魔女は、立ち上がった椅子にもう一度腰を下ろした。
──彼女が地上を最後にみたのは、もうずいぶんと前の話だ。
自分の母体であったものが、この地の底で砕けて、死んで、それから彼女は生まれた。
生まれてすぐに彼女はこの大樹を与えられ、大樹の一番上から、地上を見下ろすのが日課だった。
見守る。
それが彼女の母体の、最期の願いだった。
モンスターと人とが暮らす地上。小さな小競り合いはあれど、大きな戦争はない平和な大地。
夜になると、彼らの営みが小さな明かりとして点々と灯るのが好きだった。
いつかは、地上も星空のように瞬くのだろうとそう思っていた。
遠くでゆっくりと町が発展していくさまを、彼女はずっと見守ってきた。
しかしそれも長くは続かなかった。
そのうちにヒトは大きな発展をとげ、戦争をたびたび起こすようになった。
戦火のたびにヒトもモンスターも大勢が死んで、中には、この地底へと身を落とすものもたくさんいた。
……その誰もが、助かることは無かった。
まるで地獄絵図のようだった。
それでも彼女は地上を見続けた。
たった一人、観測を続けるように。
けれど何も変わらなかった。
地獄絵図は地獄絵図のままだった。
全てを塗り替えるようなことはなく、美しい絵画へと成長することはなかった。
汚く、濁り、変色し、もう二度と取り返しがつかないことを悟った。
ようやく耐え切れなくなった彼女は、そっと目を閉じた。
お気に入りだった大樹の上を放棄して、地底から出てこなくなった。
もう何が起きようとも、彼女は知ろうとしなかった。
地底で一人きりの世界は、穏やかだった。
平穏で何もない。何事も起きようのない世界。
だから、彼女はその先を知らなかった。
その後何が起きていて、あの豊かな彼らがどうなったのか。
今、地上では何が起きているのかを。
まず彼が話し始めたのは、モンスターたちが戦火を逃れて移住したことだった。
ヒトが戦争を始めて、モンスターたちはすぐに彼らの町には近づかなくなった。
この大穴付近に生成された森に住処を移すと、彼らはそこで静かに暮らしていた。
そんな静かで穏やかだった森に戦火が放たれたのは、つい最近のことだった。
「それまでは、すごい楽しい毎日だったんだ。母さんとか父さんはいなかったけど、にーちゃんがいたし」
生き残ったモンスターたちは、種族を関係なく群れで行動した。
彼らなりの町を築き、ヒトとは出会わないように工夫を凝らしていた。
「毎日、木の実を探したり。綿の木から、綿をとって、ベッドつくったり。僕は力持ちだから、たくさん荷物を運べるんだ!」
あ、でも。と、彼は続ける。
「にーちゃんはあんまり重たいものが運べないな。かわりにとっても頭がいいんだ!」
「僕はにーちゃんの分まで運べて、にーちゃんは僕の分まで頭がいい!」
「兄弟ってのは、助け合って生きてくべきなんだってにーちゃんが教えてくれた!」
不意に、ぽたり。
彼の目から、大粒の涙が零れ落ちる。
「でも、とつ、ぜん。ニンゲンが、やってきて。みんなを、みんなを……」
言葉にして聞かずとも、魔女には何が起きたのかわかった。
「つかいみちがあるやつは、つれてく。そういって、僕のにーちゃんは連れてかれた」
「…………」
「ほんとは、僕もだった。だけど、にーちゃんは僕をかばって……」
魔女は、今にも耳をふさぎたい気持ちだった。
聞きたくない言葉の羅列が、あまりにも多かった。
幸せな話の中に織り込まれた、悲劇。
日常をあっけなく壊し、完膚なきまでに叩きのめした戦火。
「魔女さま、にーちゃんをたすけて! にーちゃん、身体が弱いんだ! 日光に弱いし、体力も無い! あんなにひ弱なのに、キョウテイ的に労働なんてさせられたら、死んじゃうよ!」
悲痛な叫びだった。
たぶんそれは悲鳴のような願いだった。
きいているだけで心臓を切り裂かれるような、そういうものだった。
魔女は、ぎゅっと杖を握り締めた。
今にも逃げ出しそうになる足を踏ん張って、それから、そっと彼の頭をなでた。
「よくここまでがんばったね」
彼の声は、何年も引きこもったままの彼女を動かすに、事足りるものだった。
何しろ彼は一言も『憎しみ』を口にしなかった。
彼が望んだことは、ただの平穏だ。命として当然のことを望んでいる。
戦火の原因たる『憎しみ』を、彼は有していないのだ。
それが、何よりも彼女の心を突き動かした。
地獄絵図に飲み込まれんとする美しい色がまだあることに、彼女は感動すら覚えていた。
この色たちだけは、なんとしても救わなければと思った。
「……ああ、そうだ。君の名前をきいてなかった」
「僕? 僕は、ルシーダ。にーちゃんはベルダナだよ」
「ルシーダにベルダナ。いい名前だ」
魔女のしなやかな手になでられて、彼、ルシーダは頬ずりをした。
彼にとって彼女の手は、心地よい手だった。
「約束しよう、ルシーダ。キミのお兄さんは、私が必ず助けよう。お兄さんだけじゃなく、キミの仲間もだ」
「エッ! そんなに、いいの?」
「かまわないよ。何せ、キミの落下で私も鍋を焦がさずに済んだからね」
「そうなんだ! じゃあ、僕も魔女さまの役には立ててたんだね!」
えへへ、と彼は少し照れたように微笑んだ。
その笑顔は、胸をほっこりと温かくするものだった。
魔女は、改めて彼に手を差し出した。
「みんなを救うために、私に力を貸してくれるかい、ルシーダ」
「ウン! モチロン!」
彼女の手を、ルシーダはぎゅっと握り返した。
魔女はルシーダに、もうしばらく寝ているように言いつけると、自分は杖を持って部屋を出た。
ぐっとそれを握り締めて、彼女は久しぶりに杖に跨った。
高く浮上するのは、本当に久しぶりだった。だから多少、いやだいぶ、自信はない。
つー、と頬を汗がすべる。
(大丈夫。飛べる)
深呼吸をしてから、魔女は杖に力をこめた。
「っ!」
途端に、身体は杖ごと急上昇。
ぐんぐんと幹の上をすべるように上がっていって──それから。
ぼふ、と葉の群れを突き破る。
「……わあ」
地上は、ちょうど真夜中のようだった。
月は星たちの中で、まばゆい輝きを放っていた。
視線を、上から、下へと戻す。
地上へ降りた夜の闇は、戦火に脅かされていた。
どす黒い煙が、あちこちから上がり、耳を澄ませば、かすかな悲鳴があちこちから聞こえてくる。
モンスターたちが住んでいたという森は、もはや面積を半分以下に減らしていた。
森ばかりが焼かれているわけではなかった。
町とおぼしき土地も、村も、遠くからみてもわかるほど、『壊れて』いた。
「なんにも、かわってない」
つらくて、苦しくて、もう何もみたくなくて、視線をはずした。
そのうちに改心するか、あるいは、滅びるかしてどうにかなる。
それまでは見たくない。見ないままで待つ。
こんな考えは、浅はかだったのだと魔女は思い知った。
だって、これではまるで。
「ああ、ルシーダ……キミは、こんな地獄から、来たのか」
倒れこむように、魔女は地底へと落ちていった。
魔女の杖は、倒れこんだ彼女を地底の底まで優しく運んだ。
地底の土を踏むと、魔女は家の中へ戻って、いまだまどろんだままのルシーダを抱きしめた。
「ん、んん、え、ま、魔女さま?」
泣いてるの? と、ルシーダは彼女の頬を指先でぬぐった。
「るしーだ」
「うん」
「わたしは、きみと、きみたちだけは、かならず。かならず、まもる」
まるで誓いでも立てているかのようだった。
魔女は、顔をあげずに、そうつぶやいた。
くぐもった声だった。
何も聞かなくても、彼には彼女がなぜ泣いているのか、なんとなくわかる気がした。
ルシーダは、そんな彼女の背を、なだめるように、そっと撫でた。
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